第28話
「態々ここまで運んでくれたのにもう帰ってしまうの?」
木製のロッキングチェアに腰掛け、ルーシー親子に気遣わし気な様子を向ける白髪を結い上げた品の感じられる女性は、イヴが生まれ育った村の村長夫人だそうだ。
初めての客に人見知りをしてしまったらしいイヴの娘が、夫人の膝に座ってしがみついているのを、宥めるようにあやし背中をさすっている様子から、家族同然の付き合いがあるのが一目で窺える。
「ルーシーは今住んでる所から引っ越す家を探してるんだって」
「まあ、それなら忙しいのに引き留めちゃいけないわね。また近くに来る機会があった時にでも立ち寄ってくれたら嬉しいわ」
そう言ってルーシー親子に柔和な笑顔を向ける夫人の隣で、何か閃いたらしいイヴの目がパッと華やぐ。
「ねえ、明日もこっちに来ない?良かったらこの辺の詳しい案内をするわよ。実際住んでる私が一緒の方が家探しも
当事者であるルーシーが口を開く前に、ティナも巻き混んで明日の予定がどんどん決まっていったが、生まれ故郷の村を出てからというもの貧乏ゆえに限界まで働き詰めるのが常だったルーシーにとって、今回貰った自由度の高い休暇は些か長過ぎたようで、上手く活用することが出来ないでいた。
近年増えすぎている魔物や魔獣の処理や、多くの住人が避難してしまい男性ばかりになった村の警備のため、今も村に残る夫も散り散りになってしまった友人達も居ないせいで、自由な時間の過ごし方を忘れていたのかもしれない。
深く考えず普段の休みと同じように手早く家事や子供達の身の回りを調えていたら、二日目の夜には食事を作る以外の家事はほぼ見当たらなくなってしまった。
同居の母は病弱だが、ベッドにいる時間を少しでも減らしたいと日頃から軽い家事を子供達と一緒に率先してやってくれている。
それに加えシエナ様専属になってからは、以前のように居残ることもなく定時に仕事を終え、連休ではないが週に二日は休みまであのだ。
勤務時間自体は短くなったのに収入は随分上がったお陰で、自然と夜から行っていた内職は不要になり、家の中の細かな事にも手が回って子供達との時間も存分に持てているし睡眠も十分、もちろん
体力もまったく問題ない。
母と子供達が寝静まったばかりの宵のうち。真っ白な明日からの予定をどうすべきか改めて考えてみるが、三日前に急に明日から長期休暇だと言われても突然過ぎて正解の過ごし方など分からない。
子供達とは普段の休みで、自宅から歩ける範囲での買い物や散歩はしている。
そもそも、この辺りは王都内とはいえ貴族街から離れた端の端にあるため商店らしいものも馬車乗り場前にある二軒のみ。
この馬車乗り場さえ子供の足だと自宅から三十分はかかってしまう上に、生活必需品と食料品が並んでいるだけの娯楽や楽しさとは掛け離れた品揃えだ。
五歳と四歳の幼い子達を長時間連れて歩くのも現実的ではない上に、私達が長時間出掛けて肺を患っている母を完全な一人にするのも気掛かりだった。
こんな状態では旅行など休みの候補に浮かびすらしない。
残りの休みをどう使おうか途方に暮れながら、ダイニングテーブルで頬杖をつき家族の寝ている寝室の扉を眺める。
成長に伴い活動的になってきた子供達には、現在の寝室がひとつあるだけの間取りでは少々手狭だと以前から薄々感じてはいたが、今回の休暇でより一層それを感じた。
今年の誕生日で息子は六歳、娘は五歳になるのだ。クラーク伯爵家に雇われるようになってから知った事だが、貴族の子息だと早い子であれば七歳で王立学院に通い始めるらしい。
貴族でなくても、来年七歳になる頃にはきっと必要なものも増えていくのだろう。この機会に物件を探してみようか…。
母を一人にするのも心配な反面、ここ最近は発作もなく安定している母にゆっくりとした時間を過ごしてほしい気持ちもあり、翌朝には思い切って子供達を連れ『今よりも勤務先に近く尚且つ現在の寝室が一つという間取りより部屋数の多い物件』を探すべく乗合馬車に乗り込んだ。
そうして三日続け違う場所で観光にも似た散策を重ねていたが、王都での家探しは思ったより難しく難航していたのもあり、街を案内するというイヴのイレギュラーな申し出は正直有難いものだった。
人も建物も
「子供達は私に任せて。三日も一人でいたら流石に賑やかさが恋しくなってきたわ。帰ってくるなり三人とも疲れて寝てしまってお喋りすら出来なかったわ」
そんな母の言葉と、数日に渡って散々歩き回ったせいで疲れたのに併せ、子供達は昨日行った大通りで帰り際に購入した真新しい人形や玩具に関心を注いでいるらしく、家に居ると言い出した事から結果的に一人でイヴの元へ向かう事になり、準備を終え自宅を出るルーシーに『ゆっくりしてくるのよ。それにそろそろ自分の服ぐらい買い揃えなさいな』と母からの言葉をもらった。
待ち合わせ場所に指定されたのは、前日イヴと出会った通りの一角だったが、到着し見回すもののイヴの姿は見当たらなかった。
その代わりにもう一人の同僚ティナが人待ち顔で立っているのに気付きホッとして止まりかけていた足を再び動かす。
「ティナ!久しぶりね。イヴはまだ?」
「ルーシー久しぶり、私も今来たところなの。イヴは子供を村長夫人に預けた後に来ると思うから、そろそろ着くんじゃないかしら」
「そう、もうじき待ち合わせの時間だものね」
言いながら、この辺りで一番高くどの通りからも一際目立つ建物を二人で同時に見上げると、そこにある大時計がちょうど正午を指し示し一帯に鐘の音が響く中、遠くから器用にたくさんの人を避けながら此方へと走ってくるイヴが、ルーシーとティナを見つけたらしく、大きく手を振り笑顔で駆けてきた。
「お待たせー!二人とも早いのね!」
屈託無い笑顔で、鐘が鳴り終える前に着いたからセーフよね!と言いながら、ゼイゼイと上がった息を整えているイヴ。
「やだ、イヴったら何も走って来なくても良かったのに」
「えー、だっていつもルーシー時間厳守!って言ってるじゃない」
「そんなの仕事の時だけよ」
「なんだ~!途中めいいっぱい走っちゃった。待ち合わせがティナだけだったら、もう少し軽く走ったんだけどな」
「イヴひどーい」
二人は普段からそれなりに私的な交流があるのだろう、ティナもひどいとは言いつつ軽く笑い飛ばしている。
「走ったら喉乾いちゃった。二人ともお昼まだよね?先に何か食べようよ」
「こんな時間の待ち合わせだもん。そのつもりで私は朝から何も食べていないわ。ルーシーは?」
「私は普段から朝は食べないの。昼も仕事の時に食べるくらいかしら」
仕事の時の食事が、研究や製薬など何かしらに没頭しがちなシエナに忘れられ、手付かずで下げる事になった物の事を示しているのは三人の共通認識として自然に思い浮かぶ。
「ええ?休みの日もそんな感じ?腹が減ってはなんとやらっていうじゃない。安くて美味しい食堂があるから連れていってあげる!」
嬉しそうに言いながら、ぐルーシーの背後に回りぐいぐいと両肩を押すイヴと、それを見てクスクス笑いながら着いて行くティナは人波を避けながら、表通りから一本奥まった路地へと歩いていった。
筆頭魔導薬師令嬢と薬神皇子の甘く秘める実験部屋では 莉冬 @rito_winter10
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