第27話
当主の代替わりなど、大きな何かしらの事があった訳ではなかった。
余計なことは考えず、ただひたすらに仕事も私生活も気力を振り絞って一日一日を乗り越える。昨日と何ら変わらない平凡な日。
立ち止まってしまえば、二度と足を動かす事が出来なくなりそうな緊迫感が常にルーシーの肩にのし掛かっていた。
そんな
もうすぐ夕食の時間とあって、屋敷のあちらこちらで使用人達のバタバタと忙しなく行き交う音と、キビキビとした指示の声や場所によっては他愛ない話し声が聞こえる。
同じ屋敷内でも、活気溢れる喧騒とは全く無縁なのがシエナ・クラークの私室がある西側だった。
いつどの時間であろうが変わらず、静まり返った凪のような空間を保っている居間の中央では、終業少し前の時間に突然召集されたメイド三人が、ソファーに腰掛けるシエナの前へと並び立っている。
最初の雇用契約を交わしてから、こういった呼び出し方などなかった事から、身体の前で手を組み背筋を伸ばす三人は、何が起きるのか分からず固唾を呑んでシエナを見つめていた。
しかし視線を浴びているシエナの方はというと、三人の張り詰めた空気に全く気付いていない様子で、数時間前に国王への納品を済ませた際、報酬として騎士から受け取ったばかりの革袋を膝に乗せ、中に手を入れながら顔を上げた。
「ルーシー・ハワス」
右端に立つルーシーと目を合わせたシエナは、その名を呼ぶと革袋に入れていた手を出してルーシーへ差し出す。
説明もなく不意に出された手に、深く考えず反射的に一歩踏み出し両手を広げたルーシーの手のひらに、鈍く光る小振りの金貨が一枚ポン!と気軽な所作で置かれた。
想定外の事に金貨を凝視し固まっているルーシーの前では、シエナの抑揚のない声がメイド達の名前を呼び、ルーシーと同じように小金貨を手渡すやり取りが続いている。
「ティナ・ベライ」
「あ!っは、はい」
「イヴ・ノルト」
「はーい!!」
摘まんだ金貨を渡され、手のひらに伝わるひんやりと冷たい重厚さにティナは呆然と立ち尽くし、イヴの方は一年も経たず退職なのかと目を潤ますが、シエナの方は金貨を受け取って何故泣きそうになっているなのか全く理解が出来ないようで、悲愴感に包まれたメイド達を眺め首をかしげている。
前置きも無く渡された大金に一瞬怯み動揺していたものの、いち早く我に返ったルーシーは、明らかに可笑しなこの状況を見回して溜め息をつくと、平静を取り戻しシエナに尋ねた。
「シエナ様、このお金はどういった意味合いのものでしょう?」
「薬草採取で私が留守にする十日間は、屋敷に来る必要のない貴女達は
至極真っ当な事を言っていると信じて疑わないシエナに。
「でしたら先にそう仰って下さい。今日限りで解雇されるのかと二人がショックを受けています」
「解雇?………私、前以て休暇の話は伝えていなかった?」
「休暇なんて聞いた覚えがありません。それ以前にお留守の事に関しても私は初耳です」
「……そう?……ああ、確かに。アメリと話していた時に思い立っって………それから…口にした記憶………ないわね」
視線を絨毯へと落とし何かを思い返している様子で、貴族の令嬢とは思えないボソボソとした喋りを繰り出し、自問自答からの自己完結するシエナの姿に、前に立つメイド三人はさっきまでの絶望感や緊張も忘れ不憫そうな目を向けた。
誤解?も解け普段通りの落ち着きを取り戻した三人は、明日から隣の領地へ行くというシエナの、厳格に定まってはいないらしい帰宅予定日を大まかながらも共有した。
その後、報酬とはいえ十日間を過ごすのに小金貨は多いと口々に訴えたが、どうやら小金貨より下の銅貨や銀貨の手持ちなど今は無いと当然かのように言い放たれ、恐縮してはいたものの有り難く小金貨を受け取る事となった。
せめて翌日の
面倒だと云わんばかりの雰囲気を察し見送りは諦め、翌日から十日間という思いもよらない休暇を貰った三人。
それは彼女らにとって、クラーク邸で雇われてから初めての連休だった。いや今まで何処で働いていても長期休暇などなかった。
多くの平民にとって、休み
小金貨という王都なら過度な贅沢をしなければ四人家族が半年は生活できる特別報酬まで貰えた三人は、金銭的な気掛かりもなく心軽やかに家族との時間を和やかに過ごす事になる。
そうして休暇も六日が経過したある日、自宅から離れた王都中心街に近い賑やかな通りを、左右に子供二人の手を繋いで歩くルーシーの姿があった。
馬車に乗り初めて訪れた大通りは、貴族も平民も混在し各人各様に買い物や食事に店を選び使っているようで、様々な業種の商店が客層毎に細分化されており、眺めているだけでも一日過ごせるだろう。
貴族用と思われる豪華な建物に加え、活気ある露店や初めて見るおもちゃ屋の専門店らしきショーウインドウに目を奪われは、凝視したり楽しげに会話を交わす親子。
そんな
「やっぱりルーシーだ!お屋敷の外で会うなんて初めてね」
低すぎるわけでもないが、そう高くもない背丈とあって人混みに埋もれそうなイヴが抱えるにはキャパオーバーにも思える買い物の量に、ルーシーは思わず子供達の手を引きながら駆け寄る。
「イヴそんなに持って大丈夫なの?」
「おばちゃん重そうだね、俺が持ってあげるよ!」
「お兄ちゃん!おばちゃんなんて言い方ダメよ!お姉さんでしょ!」
イヴは自分気遣い心配気な表情のルーシーと、その両脇で騒がしく跳ねる子供達との対比に、一瞬目を丸くしてからケラケラと笑い出した。
「ルーシーの子供達かしら?ふふ初めまして。君はずいぶん力持ちなのね?それに娘さんの方は私の事お姉さんなんて呼んでくれるの?嬉しいな」
「うん!俺、足の悪い祖母ちゃんとの散歩だって出来るし、水汲みの手伝いも出来るんだぜ!」
「でも、その力が有り余っている分お兄ちゃんにはデリカシーが足りないの。だからいつもエリーが着いてないと心配で心配で」
「ぷっ!……そ、そう。優しくて力持ちのお兄ちゃんと、それを支えるしっかり者の可愛いらしい妹さんね」
やれやれと頭を振り、大人びた仕草で兄を見る幼児の物言いに吹き出しそうになるのを押さえ褒め称えるイヴは、言い方や動きが母親であるルーシーと重なり微笑ましさで目を細めた。
「家はこの辺?良ければ持っていくの手伝うわよ?」
「ルーシーったら、せっかくの休みなのにいいよ。それに大きくてかさばるけど、思ってるほど重さはないの」
「困ってる人は助けなさいって母さんがいつも言ってるんだ。俺が持つよ!おばちゃん!」
「エリーもお手伝う!お姉さん!」
親子三人に押しきられる形で賑わった大通りから離れ、手分けした荷物を持って他愛ない会話をしていると、十五分と掛からず着いた裏通りの一角に年期の入った古い石造りの住宅が目に入った。
ここに着くまでに交わした会話から、向かっているのはイヴの住まいではないようだが、しかし荷物を抱える四人を迎えてくれたのは、イヴそっくりの三歳くらいの女の子と老齢の女性だった。
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