第22話


 小屋の建つ隣領の最南端から、王都のある北方向へと馬を飛ばし続けた結果、あと少しで夕日が沈み終えそうな薄明の頃にタウンハウスのある通りまで辿り着けた事により、手綱を握っていた手の力は緩められて胸をなでおろす。

 というのも、王都へ入り貴族街に近付くにつれ次第に増えていく人々の数や、行き交う馬車の数が休息日や祝祭日でもないのに普段より多く、それに比例して愛馬の速度も極自然と常歩なみあしへと減速、状況次第では歩みを止めてしまう場面もあったから。


 出来ることなら夕時ゆうどきまでに自室に着いておきたかったシエナは、平時であれば余裕を持ち多めに取っている愛馬の休憩時間すら回数を半分に減らし急いだものの、領境に設置された関門や要所要所で出くわす豪華な馬車に行く手を阻まれていた。

 各家の紋が掲げられた大きく華美な馬車は、そこに乗っているであろう貴人の乗り心地優先の為か、殆どがのんびりゆったり優雅に進んでおり、王都で一番華やいでいる大通りで何台もの馬車が連なる渋滞の後方に遭遇した際は、遅々として進まない四角い箱の列とその速度に馬上のシエナは首を傾げ溜め息も漏れた。


 (この速度であれば子供の駆け足の方が早いのでは……?)


 そんなこんなの予期していなかった状況を目の当たりにし、早い段階で迂回路での移動に切り替えた。

 貴族の乗る大きな馬車では入れない道幅の裏道を選びつつ、体感だけを頼りに自宅方面へと北上をしたが、いくら上手く小道をすり抜けようとも、避けては通れない主要路の表通りに出ないわけにもいかず、その都度優雅に進む馬車群とは必然的に出会い合い止めを食う。

 通ったことのない裏道を見つける毎に一か八かの迂回をし、表に出ては渋滞での一時停止を何度か繰り返した末の帰宅は、気疲れもあるのか普段以上の疲労感を覚えた。


 一言で【王都のタウンハウス】と言っても、村程度の規模であれば二つ三つは難なく入る広大な土地を有する宮殿を含む王族所有区域を中心に、ぐるりと取り囲むようにある貴族街。

 そこに建つ貴族等の邸宅は東西南北様々で、クラーク侯爵家は領地が北西部の端にある為、タウンハウスも西関門を通って移動がしやすいように、王宮から見て北西に建っている。

 

 今日シエナが利用した南関門から自宅タウンハウスは、かなり距離があるのに併せ出発地点の小屋は隣領最南端ともなれば、その移動距離は云わずもながら長く、道を選んでしまう馬車移動であれば比較的早い移動が可能な商人の馬車でも、丸一日から天候が悪いと二日弱掛かるだろう。

 基本せっかち且つ無駄を避ける事の多い気質であるシエナは、宮廷の薬師棟に住んでいた時も、騎士以外の皆が馬車移動を当然とする中であっても馬に乗り行動していた。

 しかし全ての単騎移動がこうも早く移動出来るのかというと、そうでもない。

 シエナの愛馬は師匠ネヴィアによって選び抜かれた潜在能力の高い馬であり、加えて巷には流通していない特別製の馬蹄ばてい鞍下くらした装着つけた効果と相まって通常よりも短い時間での移動を可能にしている。




 各家一つ一つの敷地が大きく、そのどれもが重厚な塀で取り囲まれている貴族の居住区。その閑静な通りには、灯り始めたばかりの街灯が照る古いレンガ舗装の道が続き、それなりに歴史の感じられる落ち着いた色と趣は疲れた身体に大変美しく映った。

 厳重に区切られている地区とあって、今しがた通ってきた街中の喧騒は遠く消え失せ、時折すれ違う巡回中の警備兵を除けば人気ひとけは僅かで庭木や街路樹が先程より多く見えるのも、ここに辿り着いて安堵した理由のひとつかもしれない。

 ゆっくりと進む愛馬の規則的に響く蹄の音も耳に心地良く、ギリギリとはいえ完全な日没前には自室へ入れそうな事と、普段は当たり前に閉じている侯爵家の門扉が何故か開いたままなのに気付いたシエナは、これ幸いと門番の側を通り門をくぐり抜けた。

 そのまま屋敷裏にある厩舎方向へ向きを変えるため再度手綱を操り掛けたその時ーー。



 「おお、シエナじゃないか!」



 主に使用人の行き来に使われている、使い慣れた裏手へ続く無舗装な小道の方に意識が向いていたシエナを呼び止める声は、ボリューム感覚が狂ったように無遠慮さがあり、静まり返っていた辺り一面の穏やかさを台無しにしてしまうもので、シエナの動きはぴたりと止まった。

 思いがけない実父の声に顔だけを向けると、玄関前の馬車回しからいささている奇妙な位置で、扉も開けたまま停車している不思議な状態の馬車内が目に入った。

 こちらへと片手を振る父の姿を気に留めることなく、返事すら忘れたまま訝しげな表情でまじまじと観察し始める。


 (何故あんな不自然な場所に馬車を停めているのだろうか……?)


 馬車方向からは影になってしまうのかシエナの姿は確認出来ても、その表情までは見えないようで、馬車に同乗しているらしい妻に『ちょうどシエナが帰ってきたぞ』と伝えているのが、声と同様大きな身振り手振りから容易に分かった。

 しかし何やら考え始め、微動だにしないシエナの様子を察し逸早いちはやく反応したのは愛馬で、慣れたようにブルルンとひときしながら身を振ってシエナを正気に戻し、父からの呼び掛けに返事をしていない事を気付かせる。


 ハッとして口を開きはしたが、良くも悪くもタイミングとは重なるもので、屋敷玄関の方からバタバタとした足音と息を切らしながら近付くメイドの切迫した声が聞こえてきた事で、開きかけた口は軽く閉じてしまった。

 それでも馬車の近くで様子を窺おうと、距離だけは縮めるために軽く移動を始めてみる。



 「奥様、お待たせ致しました!」

 「あら、やっぱりこっちの指輪の方がしっくりくるわね」

 「そうやって迷うのなら、いっそのこと全部着けて行くといいじゃないか」

 「ええ?…でもこれ以上は下品に見えるのではなくって?」

 「侯爵夫人相手に誰が何を言うというのだ?それに私の目には片手に三つも四つもある石より、お前の方が何倍も輝いて見えるぞ?」

 「まあ!うふふ、では指輪は全て身につけて行く事にしますわ」


 周囲の静けさのお陰か二人の声質のお陰なのか、門近くの距離でも会話は聞こえて来たとはいえ、細かなやり取りが感じ取れるが近付きすぎではない程よい距離まで近付いたシエナが愛馬から降り観察していると、どうやら直前まで迷っていた装飾品を取り変えるためにメイドを呼び屋敷内を走らせたようである。

 馬車が妙な位置で停車していたのも、恐らく発車直後に『やっぱり、あっちの指輪に変えるわ!』とでも叫んだのだろう。 

 想像に容易い、恐らく正解に近いと思われる経緯を思い浮かべながら傍観していると、指輪を持ってきたメイドと御者席に腰掛け待機している使用人の『無』に近い表情に目に留まった。


 侯爵夫妻の仲睦まじい会話などまるで耳に届いていないかのように、置物の如く待機している二人の使用人の表情は和気藹々とした雇い主夫婦とは真逆の印象を受ける。

 メイドのお仕着せに身を包む女性の方は、表情は無いままで俯き肩での息を繰り返しているが、それすらも過度になら無いよう抑えているようだ。

 比較的玄関から近い西側手前の二階を居住スペースとしているシエナだが、本来侯爵一家の私室や家族専用の食堂等は、東棟奥側の三階と四階フロアに位置しているため、それを急ぎで往復したとあれば当然の息切れだとは思うが……。


 (それにしても、こうも表情が無いのは不思議ね)


 自身の鉄壁(?)の無表情さは自覚していないのか、怪訝かつ食い入るように違和感を漂わせている使用人二人を見つめるシエナをよそに、両親が乗っている馬車の扉はいつの間にか控えていた執事の手で静かに閉じられ、大きな車輪がゆっくりと回り始めていた。

 動き出しの緩慢な動きを視界の端に捉え、走行の妨げにならないよう一歩身を引いたシエナは、自身の右側を通ってそのまま擦れ違い門を出るのだろうと考えていた馬車の窓が、緩やかな走行を保ったまま不意に音を立て下がったのに驚き目を見張る。


 「こんな時間まで王宮へ行っていたのか?仕事熱心なのは感心するが、くれぐれも体調には気を付けなさい」

 「そうよ、遅くなる前に部屋へ戻ってゆっくり過ごすといいわ」



 良き父良き母の顔で一方的に告げた両親は、進む馬車の窓を音を立て閉じると門を出て通りへと曲がり進んで行く。

 シエナが一言も発しないまま終わるという、最近では既視感しかない親子の交流らしきものが済んだ事に特段の感情はないものの、娘が何日も屋敷を留守にしていた事すら把握していないのは、屋敷の主として用心さに欠けるのではないのかと、門番が閉じた鉄の門扉を眺めながら思う。


 その後は厩舎に向かおうと身を翻したシエナに慌てて駆け寄り、『私が厩舎へ連れて行きます』との執事からの申し出に、先程より更に暗さを増した空を見上げて手綱を手渡すと、名残惜しさに愛馬を撫でて頬を当て呟いた。


 「おやすみなさい十分に休むのよ」



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