第22話 お金の価値なら知っているわ

 そして、アニヤは本当に自分が仕えるべき相手を、今度こそ間違えることなく心にしっかりと刻みつけたのだった。


 翌日、サリナは屋敷の廊下でアニヤに声をかけたが、アニヤは目線を合わせることなく、そのまま通り過ぎた。

「ちょっと、アニヤ! なぜ私のことを無視するのよ? 侍女の分際で生意気よ」

「確かに私は侍女ですが、主はアナスターシアお嬢様でサリナ様ではありません」

「なんですって? お金が欲しくないの?」


 サリナが脅してもアニヤは澄ました顔で答える。

「私の問題は解決しました。もう、気やすく私に声をかけないでください」

「誰に向かって口を聞いているの? 私はカッシング侯爵夫人なのよ! お前はクビよ! 今すぐ出て行きなさい」

 逆上したサリナにここまで言われても、アニヤは平然とした面持ちで、その場を去っていった。今までの、びくびくしていた様子は微塵もなく、その姿には余裕すら感じられた。


(いったいどういうことなのよ?)

 サリナは狐につままれたような気持ちになった。アニヤの態度が急に変わった理由が全くわからず、混乱してしまう。

 アナスターシアがカッシング侯爵家の使用人たちを集めて生地を配ったその日、サリナたちは外出していた。そのため、アニヤの心境の変化について、サリナはその原因が何であるかわからなかったのである。


 サリナは仕方なく他の使用人たちに聞き込み調査を始めた。ローズリンもそこに加わる。

「アニヤが生意気になった理由で何か思い当たることはある? たった今この私を無視したのよ。知っていることを全てはなさないとクビにするわよ」


「アニヤはアナスターシアお嬢様の専属侍女ですから、奥様の言うことは聞きませんよ。だって、アナスターシアお嬢様は特別手当を専属の使用人に払うとおっしゃったのですから」

「三ヶ月分を年2回だそうですよ。あたしもアナスターシアお嬢様の専属になりたいです」

 メイドや侍女たちが手を合わせてサリナに申し出る。


「なっ、なんですって?」

 サリナは怒りに顔を歪ませた。しかも、新しい洒落たデザインの制服まで配ったというではないか。

 

 特別手当の件を知ると、サリナとローズリンはカッシング侯爵の執務室に突進した。

「旦那様! アナスターシアに注意をしてください。勝手に使用人に特別手当を払うなんて、カッシング侯爵家の秩序が乱れます。そんなことに使うお金なら、これからアナスターシアにはお小遣いをあげるべきではないわ。見栄っ張りの子が、お金を使用人にばらまいているのよ」

「お父様。アナスターシアがすっかり傲慢になって帰ってきたわ。私たちのことを軽んじているのよ。お母様や私のことを他人のように扱うわ」

「なんだと? アナスターシアがそんなことをしたのか?」

 気分を害したカッシング侯爵は、アナスターシアを執務室に呼びつけた。


「使用人にお金をばらまいているそうだな? 自分が偉くなった気分でいるのか? だが、お前はわしの庇護下にある子供だ。そんな子供が不埒な真似をしたら正してやるのが親の務めだ。自分の専属侍女や専属メイドにだけ特典を与えるなど見栄っ張りのすることだろう? 楽して親からもらった金で施しをするなどもってのほかだ。来月からお前の小遣いは停止する。1リラ(1リラ=1円)もやらんからな!」

 カッシング侯爵の口端には唾液の泡がつき、話すたびに唾が飛び散っていた。アナスターシアはその様子を冷静な目つきで眺めていた。


「お小遣いを停止する? 私はこの五年間、お父様から1リラもいただいておりません。マッキンタイヤー公爵家では伯父様が必要な物を揃えてくださいましたし、そのあいだ、お父様からお金は一度も送られてきませんでした」

「そ、それは・・・・・・そのぉーー、マッキンタイヤー公爵家ではお金に不自由しないのはわかりきっているからな。わしが言っているのは、カッシング侯爵家に戻った日に渡した今月分のお小遣いだ」

「そのようなものは、いただいておりません」

「サリナが渡してくれたのだろう?」

「え? 旦那様から渡したのでしょう? 私は知りませんよ! と、とにかくカッシング侯爵家からのお金でないなら、マッキンタイヤー公爵からもらったお小遣いだわ。マッキンタイヤー公爵には呆れますわね。これでは、アナスターシアは、お金の価値がまるでわからない女性に成長してしまいます。いったい、いくらお金をもらったの?」

 サリナはアナスターシアに詰め寄った。


「お言葉ですが、お金の価値は充分わかっています。私は自分で稼ぐことができるのですから」

「でたらめを言わないで!」

「私は伯父様の屋敷にいるあいだ、医療と薬草学を学びました。それで、薬や化粧品などを開発しました。それをマッキンタイヤー公爵領で売っています。マッキンタイヤー公爵領のバイオターシア商会を聞いたことはありますか? 私はバイオターシア商会の会長です」

「バイオターシア商会ですって? あの瞬く間に大商会となったバイオターシア商会のことなの? あり得ないわ」

「お母様と私の名前を組み合わせたのがあの商会名の由来ですわ。私が正当に稼いだお金ですし、お父様やサリナ様に文句を言われる筋合いはありません。それと、特別手当は私の見栄のためでも施しでもありません。あれは使用人たちの正当な権利です。毎月のお給金だけでは賄えない出費を補う必要なお金です」

 そう言われてしまえばカッシング侯爵には、なにも反論の言葉は浮かばない。さらにアナスターシアは話を続けた。


「お父様。これからも、お父様からのお小遣いは一切要りませんわ。それと、私の専属使用人のお給金は私自身が出します。サリナ様に余計な口出しをされたくないのでね。ところで、サリナ様。何度申し上げたらご理解いただけるのでしょうか? 伯父様の悪口を言わないでください。今後、このようなことがあれば、不敬罪が適用されるか、国王陛下に直接相談させてもらいます」


 ピクリと身体を震わせたカッシング侯爵は、恐ろしげにアナスターシアを見つめる。

「まさか、本気で自分の家族を不敬罪に問うつもりじゃないよな? 悪い冗談はやめなさい」


「お父様こそ、悪い冗談はおやめください。血のつながりがない以上、サリナ様は私の家族ではなく、限りなく他人ですわ。伯父様はお母様のお兄様なので、私の家族です。家族の悪口を他人に言われたら誰でも腹が立つでしょう? それと、私が伯父様からどれだけお金をいただこうとも、サリナ様に報告する義務は一切ありません」

「なんと生意気な! マッキンタイヤー公爵家で余計な知恵をつけおって。多くの優秀な家庭教師をつけてもらったようだが、人の道を教えてくれる教師はいなかったようだな。いいか? 血が繋がっていなくとも、サリナはアナスターシアの家族だ。ローズリンもまた然り。サリナは私の妻なのだから、アナスターシアの母親だろう? 以前のように『サリナお母様』と呼び、敬いなさい」

「そうよ、私もアナスターシアの姉なのだから『ローズリンお姉様』と、昔のように呼んでちょうだい」

 ローズリンもこの機会に、自分の立場を主張した。



 ところが、そこに突然の来客の知らせが伝えられた。

「大変でございます。カラハン第一王子殿下がお越しでございます。アナスターシアお嬢様にお会いしたいとのことです」

 カッシング侯爵家の執事が執務室の扉を叩いたのだった。

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