第四十三話 シニアリーグ篇(中学生2年生) その7
土曜日の朝、河川敷の野球場に着くと、既に何人かのチームメイトが準備を始めていた。
春の空は高く澄み渡り、風が頬を撫でていく。心地よい季節だ。
「せんぱぁい、おはようございます」
荷物を置いた瞬間、莉里が駆け寄ってきた。
「おはよう」
「今日も一日練習ですねぇ~。でも、せんぱいと一緒なら、リリ頑張れちゃいます!」
「そうか。それならよかった」
顔も見ずにそう答えると、莉里は正面へと回り込んで、むくれるように頬を膨らませた。
「なんか今日、いつもより受け答え雑じゃないですか?そんなことしてたら、リリの好感度だだ下がっちゃいますよ?」
「願ったりだよ」
むしろそれくらいがちょうどいい。
そんなやりとりをしていると、前からキャッチャー用の防具を抱えた子が通りかかった。
「よぉ、七海」
「和喜か。おはよう」
高津和喜は軽く頷いただけで、そのままベンチに向かう。
そう。
小五の地区大会決勝で、当時カルムズと激闘を繰り広げた、MKスラッガーズ。
チップで投球数を稼ぐ狡猾な戦術で凪乃を苦しめた、高津四兄弟の双子のうちの一人、
小生意気な少年だったあの頃に比べ、今は身長も伸びて165cmを超え、身体もずいぶんとがっしりしてきていた。
そして妙な偶然だが、彼と双子の姉の
「和喜せんぱい、なんかずーっと元気ないですよねぇ~」
莉里が小声で言った。
グラウンドへ向かう和喜の背は丸く、その足取りには重たいものがあった。
「和葉せんぱいもですよ。和喜せんぱいはテンション低いだけだからまぁいいですけど、あれはさすがに……」
莉里が言葉を探している間に、監督の笛が鳴った。
「集まれーい。練習始めるぞ~」
老齢の監督が、のんびりとした声で呼びかける。
チームメイトたちが駆け足で監督の周りに集まる。
彼、
齢は70を超え、腰も曲がり始めていたが、指示は的確で試合となれば采配もぬかりない。チームのメンバーからの信頼も厚かった。
「今日は一日練習だからの。午後から紅白戦をしていくぞ~」
メンバーたちは勢いよく返事をする。
俺は、そのチームメイトの輪をぐるりと見回す。
「いないか……」
小さく呟く。
そこに、本来いるべき高津和葉の姿はなかった。
***
ランニング、ストレッチ、キャッチボールと、いつも通りの練習が淡々と進んでいった。
俺は和喜とキャッチボールをしながら、肩の調子を入念に確かめる。
小学生の頃から、俺のピッチングも着々と成長していたが、最近は伸び悩みを感じ始めていた。
今の俺の最高球速は、126km/h。
前世の同時期と比べてもずっと速いし、中二の春でこの数字は、十分に全国区と言っていいだろう。
だが俺は、小学5年で115km/hを出していたのだ。
プロ選手のトップ層の小五の頃と同水準の球速を出しながら、伸び幅は俺が期待していたものとは程遠かった。
やはり、これが身体のポテンシャルか。
前世の記憶があるぶん小学生の頃は結果を出せたが、ここから先はそれだけではうまくはいかないのだろう。
そんな悩みが頭を埋めていたが、キャッチボール相手の和喜の方も、表情は浮かなかった。
その理由はよくわからないし、まだ話してくれるほどの関係性には至っていない。
まぁ、いかんせん思春期だから、色々思い悩むことはあるだろう。
だが、それがプレーにも影響していて、以前よりエラーが増えていたのは、気になるところだった。
そんななか、和葉が現れたのは、バッティング練習が始まる直前だった。
ポニーテールを揺らしながら、まるで散歩でもしているかのような足取りで、グラウンドに入ってくる。遅刻だというのに、急ぐ素振りは微塵もない。
「和葉ー。また遅刻だぞー?」
松菱監督が変わらずのんびりした口調で注意をする。
「すみません」
和葉は形だけ頭を下げると、バッグを置いてバットを取り出した。
その動作には、申し訳なさの欠片もなかった。
ただ義務的に、礼儀の手順をこなしているだけだ。
何人かのチームメイトが顔をしかめるのが見えた。だが、誰も何も言わない。
和葉の実力は相変わらず他を圧倒していて、先輩を含めても俺や和喜くらいしかその水準には達していない。
自然、文句を言える立場じゃないと、皆は思ってしまう。
遅刻や休みが何度か続いた頃、キャプテンは何度か話をしたようだったが、それもまるで効果はなかった。
俺は機嫌が悪そうに素振りをする和葉の横顔を見た。
最初に会った頃から生意気で、口が悪くて、プライドが高い。
それは今も変わらない。
だが、小五の頃の和葉には、野球への執念があった。勝つためなら何でもする。そんな気迫が目に宿っていた。
今の和葉には、それがない。
バッティング練習は順々に続き、俺の番が終わって、次は和葉がバッターボックスに立った。
コーチは反省を促そうとしたのか、他の子よりも厳しめのコースに速球を投げる。
だが、和葉は軌道を察知して、一瞬でそれを捉えた。
乾いた金属音が響き、打球はライト方向へ一直線に伸びていく。フェンスに激突し、大きく跳ね返った。
完璧なバッティング。
だが、打った後の和葉は何も感じていないような顔で、バッターボックスを離れた。
チームメイトが「ナイスバッティング!」と声をかけるが、和葉は軽く頷くだけで、笑顔どころかなんの表情すらもない。
俺は、その背中を見つめた。
技術は確かだ。むしろ、中二になって、それがさらに磨かれている。
だが——
そこには、なんの感情もこもっていなかった。
まるで優秀な機械が、ただプログラム通りに動いているような。
俺には、そんな風に思えてならなかった。
***
午前中の練習が終わり、昼休憩になった。
俺はベンチで弁当を開きながら、グラウンドの隅に目をやった。
和葉と和喜が、チームメイトの輪からは外れて、並んで座っている。
二人とも、たまに二、三言会話を交わすのみで、黙々と弁当を食べていた。
「せんぱい、まだあの二人気になるんですかぁ~?」
隣で弁当を食べる莉里が言った。
「もしかして、和葉先輩にホの字だったり?」
「ホの字っていつの時代だよ……。別に、そんなんじゃないよ」
「ですよね~。顔は良くても、性格があんなクソ生意気な女じゃ」
「莉里、先輩に向かって失礼だよ!」
真面目な葵が箸を向けて注意する。
「でも、クソ生意気なのは事実ですよね?葵は、クソ生意気な和葉せんぱいがクソ生意気であることを、否定できるんですか?」
「そ、それは……」
やりづらそうに葵は唸る。
いくら心優しい葵でも、和葉の性格まではフォローできないようだった。
「でも、そのクソ生意気さも今じゃ息をひそめてますけどね」
「確かに。あの二人、昔はもっと怖かったですよね……」
葵が弁当の卵焼きをつつきながら、遠い目をする。
「今は、なんか……魂が抜けちゃったみたいな感じというか」
俺は頷く。
葵の言葉が、的確に核心を突いているように思えた。
そう、魂が抜けているのだ。
技術はそこにある。身体も動く。だが、心の部分が、どこかへ消えてしまっている。
そんな印象を受ける。
その時、監督が立ち上がった。
「おーい、みんな集まれーい」
チームメイトたちが弁当を置いて、監督の周りに集まる。
俺も立ち上がり、その輪の中に入った。和葉と和喜も、少し離れた場所に立っている。
「さっき電話がかかってきてなぁ、来週の土曜日に練習試合が入ったぞー」
チームメイトたちがざわつく。
「監督、相手はどこなんです?」
キャプテンが聞くと、監督は咳ばらいをした。
「相手は——桜ヶ丘シニアじゃ」
その瞬間——
和葉と和喜の身体が、ビクリと震えた。
……なんだ、今のは?
他のチームメイトはというと、聞き慣れない名前に首を傾げている。
「桜ヶ丘? どこのチームだっけ?」
「聞いたことないな」
メンバーの一人が、思い出したように手を叩く。
「桜ヶ丘って、確か高津たちの地元じゃないか?」
「………ああ」
和喜は乾いた声で短く答える。
「てことは、MKスラッガーズがある地域か」
そこでようやく、イメージが浮かんだようでメンバーたちは頷き始めた。
俺が五年生の頃のMKスラッガーズはまるで無名だったが、地区大会で優勝し全国大会に出場したことで、一躍有名になった。
その次の年はカルムズが優勝したため全国には行けなかったが、この数年で強豪チームとして認知されることとなった。
和葉の方を見ると、彼女は今まで見たことのないような真っ青な顔で、立ち尽くしていた。
拳を強く握りしめ、その手が小刻みに震えている。
和喜も、同じように固まっていた。
何かを堪えているような、そんな表情だった。
「MKスラッガーズってことは、もしかしてあの高津嘉喜もいるんですか?」
一年生の子がそう尋ねた。
「いや、嘉喜は青柳シニアじゃ。ただ、当時一緒だったメンバーも何人かいるらしいの。和葉、和喜、来週は懐かしい顔に会えるかもしれんぞ?」
監督は和葉と和喜を見て、笑顔を見せた。
だが——
和葉は俯いたまま、何も言わなかった。
和喜も、黙り込んでいる。
監督はなんでもないように咳払いをして、話を続けた。
「まぁ、相手中堅どころのチームじゃ。今年の仕上がりを見るに、きちんと戦えば勝てるじゃろ。気を抜かんように」
「はいっ!!」
メンバーたちは力強く返事をする。
「健人、この試合はお前が先発でいくぞ」
「はい」
「和葉、お前は中継ぎで準備しておれ。場合によっては途中から投げてもらうぞ」
和葉が、わずかに顔を上げた。だが、すぐに俯く。
「それと和喜、お前をキャッチャーで回す。リードは任せたぞ」
「……わかりました」
「よし、午後からは紅白戦じゃ。 気合い入れていくぞー」
監督の声に、チームメイトたちが「おーー!!」と声を上げる。
だが、そのなかに和葉と和喜の声はなかった。
二人は黙ったまま、じっと地面を見つめている。
「じゃー、解散」
監督が手を叩くと、チームメイトたちが散っていき、昼食へと戻っていく。
俺達も戻ろうとするが、視界の端に入った和葉の姿に、俺は足を止める。
彼女は一人、凍り付いたようにその場に立ち尽くしていた。
拳を、強く握りしめたまま。
その手が、震えている。
その震えの理由も、俺にはよくわからない。
俺はさっきの和葉と和喜の反応を思い出す。
最近じゃ、表情の変化すら乏しかった二人が、どうしてこうまで張り詰めているのか。
その答えが、俺にはわからずにいた。
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毎週 日曜日 18:43 予定は変更される可能性があります
七海くんはモテにスキルを全振りしたのに、甲子園に出たいようです。 夏目夏樹 @natsumenatsuki
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