第四十二話 シニアリーグ篇(中学生2年生) その6

授業も終わり、放課後。


俺と夏鈴、怜奈三人は駅前のボーリング場に向かった。


葵も誘ったが、陸上部の練習があるからと断られてしまった。


駅までの道のりを三人で歩く。


通りまで出ると、主婦や老人の中に学校終わりの学生や営業回りの会社員の姿がちらほらと見えた。


「ボーリングって、久しぶりだな」


「ななみん、上手なの?」


「まぁ、そこそこは」


実際のところ、前世も含めて何度か友人たちと行ったことがあるものの、平凡なスコアしか出したことがない。


まだストラックアウトの方がずっと自信がある。


「かりんっちは?」


怜奈が夏鈴に尋ねると、夏鈴は顔を背けた。


「……やったことない」


「えっ、マジで?じゃあ教えてあげるね!」


怜奈は嬉しそうに夏鈴の肩を抱く。夏鈴は少し戸惑ったような表情を浮かべていたが、振り払うこともせず、そのまま歩いていた。


駅前に到着し、アミューズメント施設の中の、ボーリング場のある三階へとエスカレーターで上がる。


自動ドアをくぐると、場内には独特の音が響いていた。


ボールがレーンを転がる音、ピンが倒れる乾いた音、そして人々の歓声。


平日ということもあり、場内は比較的空いている。学生たちがちらほらと見える程度だ。


「2ゲームでいいの?」


夏鈴が用紙の記入を買って出た。几帳面な性格を表すかのように、つらつらと丁寧に文字を書き込んでいく。


記入を待つ間、怜奈が俺に寄ってきて、耳元で囁いた。


「ななみん、絶対興奮すること言ってあげよっか」


至近距離からの声に、彼女の吐息が耳をかすめる。


不意に心臓の鼓動が早くなり、俺は反射的にのけぞるように顔を離す。


「なっ、なんだよ」


怜奈は胸を張り、鼻を鳴らす。


「あたし、カーブボール投げれるんだ」


「えっ、マジで!?」


俺の反応に、怜奈は満足そうに頷いた。


「投げ方、教えてあげよっか」


「教えてくれ!」


興奮気味に俺は答える。


あのテレビで観るようなボールが投げられるなんて。


根が凝り性の俺の血が騒いでしまう。


「記入、終わったわよ」


夏鈴が用紙をカウンターに提出する。


シューズを受け取ると指定されたレーンへと向かう。


ボールラックには、様々な重さのボールが並んでいた。


ボーリングに行くときって、いつも自分が使ってるポンド数忘れがちなんだよな。


俺は自分に合った重さのボールを選び、指の穴に入れて持ち上げてみる。


ちょうどいい。


「じゃあ、始めよっか!」


怜奈の掛け声で、ゲームが始まった。


スコアボードに三人の名前が表示される。


最初は怜奈からだ。


彼女は自分のボールを選ぶと、軽やかなステップでレーンへと向かう。


「じゃ、見せてあげるね」


怜奈は助走をつけ、そして——


綺麗な投球フォームから繰り出されたボールは、緩やかなカーブを描きながらピンへと向かっていく。


ボールは理想的な角度でピンに当たり、連鎖的に倒れていく音が響いた。


ストライク。


「すげー!」


俺は思わず声を上げた。


「ふふん、家族でよく行ってたからねー」


動画で見るような、きれいな弧を描くカーブボールだった。


さすがに、自分から言い出しただけのことはある。


スコアボードを見ると、次は俺の番だった。


「じゃあ、このカーブボールを伝授してあげましょう」


「お願いします!」


怜奈は俺の横に立つと、ボールの持ち方を実演してみせた。


「助走までは普通に持って、投げるときに親指を、時計でいう所の10時から11時くらいの方向に向けるわけ」


「なるほど」


俺はボールを手に取り、言われた通りに親指の位置を調整する。


「で、投げる手前で、振り子の流れで自然に手首を腕に沿ってまっすぐにするの。そしたら、親指が先に抜けて、中指と薬指がいい感じに引っかかって、自然にカーブボールになるってわけ」


「へぇー」


俺はその場で、言われた通り腕を振ってみる。


「なんかプロの人とか、手首まっすぐにする黒いやつ付けてるけど、そのためだったのか」


「そうそう。けっこう意味あるんだよ、あの黒いやつ」


「リストサポーターよ」


夏鈴が横から冷静に補足する。


「あとは、たまにボールを抱え込んで無理矢理ひねって投げる人がいるけど、あれは手首壊しちゃうからやらない方がいいよ」


怜奈は少し離れ、俺のフォームから投球までの一連の動作をチェックする。


それから、少し唸って首を傾げた。


「悪くないけど、もっとこう、力を入れなくても支えられるような感じでさ……」


そう言って、怜奈が俺の背後に回り込む。


そして——


「ほら、こう」


背後から両腕を回して、俺の手の位置を調整する。


その瞬間、背中に柔らかな感触が触れた。


怜奈の身体が、俺の背中に密着している。


心臓が、急激に鼓動を早める。


「こ、こうか?」


努めて平静を装いながら、俺は言った。


「そうそう、いい感じ!じゃあ投げてみて」


怜奈が離れる。その温もりが消えた背中が、意識し過ぎたせいか妙に寒く感じる。


俺は深呼吸をして、教わった通りのフォームで投球する。


ボールはレーンを転がり、緩やかなカーブを描いてピンへと向かっていく。


そして——


小気味のいい、弾けるような衝突音と共に、ピンはすべてレーンの奥へと消えていった。


ストライクだ。


「やるー!カーブは甘かったけど、ちょうどいいとこに入ったね」


怜奈が拍手してくれる。


「いや、教え方がうまかったんだろ」


「えへへー」


褒められて嬉しそうにする怜奈を見て、また胸の奥が温かくなった。


そして、次は夏鈴の番。


彼女は7ポンドの軽いボールを選ぶと、おぼつかない足取りでレーンへ向かう。


「……大丈夫か?」


「大丈夫よ」


そう答えた夏鈴だが、その様子は明らかに不安定だった。


ボールを両手で持ち、重みに揺さぶられるようにフォームをぐらつかせながら、ぎこちなく前進していく。


そして——


足と手の動きがワンテンポ遅れたタイミングでの投球。


ボールは弱々しく転がり、そのままレーンの端へと逸れていく。


ガーター。


「……………」


夏鈴は無言で戻ってくる。


俺と怜奈も、あまりの下手さに言葉を失う。


フォローするに押しどころがなく、笑おうとするには罪悪感が芽生えるような、不憫なまでの下手さ。


怜奈は目を泳がせて、言葉を探している。


「…………えーっと」


「知ってる? ボウリングの起源は、紀元前5000年前のエジプトまで遡るという説があって……」


どうやら、夏鈴は雑学でごまかしにかかることを選んだようだ。


「夏鈴お前、ボーリングまで下手なんだな……」


「うるさいわね」


夏鈴はそう返すが、いつもより力がなく、顔は赤い。


「だいたい、ボーリングなんて、長い間賭博に使われた下賤なゲームなのよ? それが現代にも残ってるなんて……」


ぶつぶつと独り言のようにぼやきながら、座席に戻っていく。


俺たちはそっとしておいてやることにした。


そうして、ゲームは進んでいく。


数投を重ねた頃、また怜奈の投球の番がやってきた。


俺と夏鈴は、スコアボードの近くで横並びになって、彼女の投球を見守る。


「なんか、あいつと居ると不思議な感じがするな」


俺は何気なく呟いた。


「そうでしょうね」


夏鈴が短く答える。


「ギャルだからかな」


「まぁ、それもあるかもしれないけれど」


夏鈴の言葉が途切れる。その先を言いたげに、でも言葉を選んでいるような、そんな間だった。


怜奈の投げたボールは綺麗な軌道を描いて転がり、大半のピンを倒す。だが右側に2本だけ残った。


「あー、惜しい!」


怜奈は笑いながら悔しそうに地団太を踏む。その仕草すら、どこか明るくて屈託がない。


不意に、凪乃のことが頭に浮かんだ。


今もあいつは、薄暗い部屋に籠ってテレビの前でコントローラーを握っているのだろうか。


そう思うと、胸に重たいものがのしかかる。


「なんだかんだ、やっぱり一緒にいて楽しいんだよな」


俺は怜奈を見ながら呟く。


「今は怜奈も恋愛感情にまで至ってないかもしれないけど、これから恋愛沙汰になって、この状況を崩すことは避けたいな。俺、モテオーラをうまく隠せてるかな?」


夏鈴は少しの間を置いてから答えた。


「大丈夫よ」


その声には、いつもの冷静さがあった。だが同時に、何か言いたげな響きも感じられた。


夏鈴は遠い目で怜奈を見ている。


長年の付き合いでわかる。


夏鈴は今、何かを言おうとしたが、それを思いとどまって悩んでいる。


俺は聞こうとしたが、やめて怜奈の第二投目に目をやった。


カーブのかかったボールが、残った2本のピンを綺麗に倒していく。


「スペアー!」


怜奈が喜びの声を上げる。


「言おうかどうか迷っていたのだけれど」


不意に、夏鈴が口を開いた。


「彼女には、貴方の『チャーム』のスキルが効かないわ」


その言葉に、俺は思わず夏鈴の方を振り向いた。


「どういうことだ?」


夏鈴は真剣な表情で続ける。


「詳しい説明は今は省くけれど、一定数そういう人間はいるの。貴方のスキルは女の子全員に効果を発揮するわけじゃない」


さっきとは違う類の、心臓の高鳴りを感じる。


衝撃的な事実だった。


思い返してみれば、これまでにも俺に興味を示さない女の子はいた。それは、『チャーム』のスキルを抑制できなかった保育園や小学校低学年の頃からだ。


だが俺は、それも単に俺の気を惹くための作戦だと捉えていた。


本当は好意を持っているのに、素っ気ない態度を取ることで注目を集めようとしているのだと。


だが、もし違うとしたら——


怜奈は、俺のモテオーラに流されているわけじゃない?


「つまりあいつは……」


夏鈴は小さく頷く。


「そう。彼女は単に、貴方の人間性に惹かれて一緒にいるのよ」


その言葉が、胸の奥に深く沁み込んでいく。


そのとき、前を向くと、ちょうど怜奈がこちらに戻ってきていた。


「ふふん、スペアスペアー。次、ななみんの番だよー」


俺はまじまじと彼女を見つめた。同じ人物のはずなのに、その印象が急激に変わっていくのを感じる。


「ん、どうしたの?」


怜奈が不思議そうに首を傾げる。


「いや……」


俺は言葉を濁した。


怜奈は、俺のモテオーラに流されているわけじゃない。


彼女は純粋に、俺という人間を見て、一緒にいることを選んでくれている。


俺自身が認められたような、不思議な感覚。


今まで感じたことのない、新しい感情だった。


「ななみん、どうしたの?もしかしてバグった?」


怜奈の声に我に返り、俺はボールを手に取ってレーンへ向かう。


最初に教えられたことを思い出しながら、投球フォームに入る。


その胸中には、ふわふわした温かな感情と、先行きの見えない冷たい不安が、混濁するように渦巻いていたのだった。


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