第四十話 シニアリーグ篇(中学生2年生) その4
ここで、軽く前回のあらすじ。
凪乃の誕生日プレゼントを選びに、怜奈と一緒に少し離れた場所にあるショッピングモールまで出た。
誰にも見つからないと踏んだいたが、その日はなんとアイドルグループのイベントと重なっていて、校内の女子が大量にモールへ集結していたことが発覚。
2人でいるところを見つかると、女子たちが怒りに狂い、最悪学級崩壊すらもありうる。
見つかることを避けるために、俺たちは今、子ども服のショップの陰に隠れ、身を潜めていたのだった。
「それで、どうやって抜け出す……?」
俺は緊張感のなか、怜奈に問いかける。
「うーん、そうだなぁ~」
怜奈も壁際から様子を窺いながら、考え込んでいる。
その間も、焦りがじわじわと俺の胸の内を侵食していく。
「あっ、いい考え思いついた!ついてきて!」
怜奈は俺の袖を引っ張り、モールを小走りで駆けていく。
そして飛び込んだのは、近くのメンズの服屋だった。
店内は、土曜日の午後らしく、カップルや夫婦で賑わっている。
怜奈は迷いなく陳列棚の間を縫って進み、レジ近くのサングラスのコーナーで立ち止まった。
「これとか、どう?」
手に取ったのは、黒縁で横幅の広いサングラス。
「なるほど、顔を隠せばいいのか」
「そうそう。それにいつもと印象が違えば、ななみんだとは誰も思わないよ」
たしかに、理にかなっている。
怜奈は次にハットのコーナーへ移動し、中折れ帽を手に取った。
「あっ、大人っぽくてかっこいいかも」
軽い口調で、俺の頭にぽんと載せる。
「ななみんイケメンだから、なんでも似合うね」
まぁ、スキルを全振りして手に入れた容姿だからな。
鏡を覗き込むと、たしかに雰囲気が変わっている。
それに、顔周りがかなり隠れているから、これならば俺だとは気づかれにくい。
「だけど、こうなってくるとサングラスが浮いてくるね。それに、元々の服装にも合ってないし」
たしかに。
今日の俺の服装は、白のオックスフォードシャツにインディゴのデニムという、ファッションに興味のない中学生のオーソドックスな出で立ちだった。
「このネクタイしてみてよ」
怜奈は、無地のネイビーのニットタイを差し出してくる。
「おい、スーツじゃないんだからさ」
「ななみんわかってないなぁ。これからは大人な服装がトレンドなの。だから、ネクタイも流行ってくるんだよ?」
半ば強引に首に巻かれる。
鏡を見ると、たしかに雰囲気が変わって、全体的にまとまりがある形に仕上がっていた。
「超似合うー」
怜奈は満足そうに頷いた。
「下は黒のワイドパンツ履いておけば超かっこいいよ。……あ、これなんかちょうどいい。サイズはSくらい?ちょっと試着してみてよ」
「いや、でも……」
「いいからいいから!」
有無を言わさず、試着室へ押し込まれる。
仕方なく着替えて、鏡を見る。
……たしかに、かっこいい。
白シャツにネクタイ、黒のワイドパンツ。
シンプルなのに、どこか洗練された印象になっている。
さすが、流行に敏感な女子。ファッションのセンスも最高だ。
試着室から出ると、怜奈は目を輝かせた。
「これ、今度買おうかな……」
「気に入ってくれた?じゃあさ、今度ゆっくりと、ななみんに合うのいいの選んであげるよ」
「マジで?ありがたいな」
前の人生じゃ、女の子と買い物に行ったことすらなかったからな。
俺が一瞬過去の記憶に思いをはせていると、突然、怜奈の視線が俺の背後へと滑った。
その瞳が、わずかに見開かれる。
次の瞬間、怜奈は俺の袖を軽く引き、唇の端だけで笑みを作った。
そして、まるで何事もなかったかのように、自然な動作で試着室へと身を翻す。カーテンが引かれ、怜奈の姿が布地の向こうへと消えた。
「おい、なにしてるんだよ」
返事はない。
試着室のカーテンは微動だにしない。
なんだったんだ、今の。
そう思った瞬間だった。
「七海くん?」
聞き覚えのある声に、俺の背筋が凍りつく。
ゆっくりと振り向くと、そこにはクラスメイトの
「天津さん……」
「急にごめんね。なんか、すっごくかっこいい男の子がいると思ったら、よく見たら七海くんだったから、声かけちゃった」
「あはは、そうなんだ。ありがとう……」
「七海くんって、服のセンスいいんだね」
二人は、俺を見て目を輝かせている。
だが、いつものモテオーラによるものでないことは、俺には感じ取れた。
そうか、ファッションをきちんとすると、こんな反応が返ってくるのか。
俺がファッションで人に褒められるなんて、間違いなく生まれて初めてのことだった。
二人が去ってから、怜奈が試着室から戻ってくる。
「あっぶなかったー」
怜奈は胸に手を当てて息を吐いた。
「でも、変装するつもりが、かっこよくなりすぎて逆に人の目につくなんてね。ウケる」
「ウケるな」
俺はため息をつき、元の服に戻るために試着室のカーテンを開ける。
「さっすがななみんだわ」
怜奈は、けらけらと笑っている。
どうやら、この作戦は失敗に終わったらしい。
***
変装に見切りをつけた俺たちは、次にエレベーターへ向かうことを考えた。
だが、待ち時間に誰かに出くわすことを考えれば、リスクが高すぎた。
女の子たちはみんなトークショーのある6階に目指しているのだから、エスカレーターもまた同様に危険だった。
「非常階段ってどうだ?あそこなら見つからないだろ」
コンタクトレンズの店の陰(女子中学生が友達と最も来なさそうであるため)で隠れているとき、俺はそう言ってみた。
「でも、あんまり人がいないぶん、万が一出くわしちゃったら言い訳のしようがないよ?」
たしかに。
だが、現状見つからない可能性が最も高いのは、非常階段だろう。
「あっ、そうだ。従業員用通路から出るって言うのはどう?」
休憩スペースの近くの従業員用の出入り口を怜奈は指差した。
「そんなの、よくないんじゃないか?関係者以外立ち入り禁止って書いてあるだろ」
「これだけ店員さんがいるんだから、関係者かどうかなんてバレないでしょ。別に、あたしはどっちでもいいけど」
俺は先ほど入手したモールのパンフレットを開く。
非常階段はモールの端で、現在位置からはかなり歩くことになる。
その間に見つかる可能性は極めて高かった。
「……行ってみるか」
そうして従業員用通路の扉の前まで来ると、近くに警備員が立っていた。
「まずいな。やっぱり、ここはダメか」
「待って。今あの人、気がそれてる」
怜奈が小声で囁く。
たしかに、警備員はあくびをしながら近くの休息スペースに備え付けられた液晶ディスプレイに目を向けている。
画面には、トークショーの告知映像が流れていた。
「このまましれっと行けば、すんなりいけるかも」
俺たちは、息を殺して静かに歩を進める。
非常口まで、あと数メートル。
その瞬間だった。
ピロロロロン♪
俺のスマホが、通知音MAXで鳴り響いた。
警備員が、ぎょっとした顔でこちらを見る。
画面を見ると、凪乃からのLINEの通知が表示されていた。
『マキナが職業転生できるようになったよ!』
そんなこと、今送ってくるなよ!!
「君たち、関係者以外立入禁止だよ」
警備員が、俺たちに近づいてくる。
「あの、私たち、ここのモールのバイトです」
怜奈が咄嗟に嘘をつく。
「見たことないな。それに君たち、多分まだ中学生だろう。さては今日のアイドルの追っかけだな?」
「す、すみません!」
俺たちは慌てて退散した。
走って走って、ようやくゲームセンターの前まで逃げ込む。
「はぁ……はぁ……」
肩を上下させる俺の横で、突然怜奈が笑い出した。
「警備員に怒られるなんてはじめて!マジウケる!」
「ウケるなよ……」
俺は肩で息をしながら、壁に背中を預ける。
だが、怜奈はまだ笑いが止まらないようだった。
さっきから思っていたが、俺と怜奈との間で、このトラブルに対する温度感が決定的に違っていた。
怜奈は、女の子たちにバレたところで、彼女たちが嫉妬して俺がちょっと困るくらいにしか思っていないのだろう。
だが、現実はそんな甘いものじゃない。
俺がこれまで保ってきたバランスが一気に崩壊して、中学校は混とんとした地獄絵図に変わる可能性だってあるのだ。
「……………」
やはりここは、状況がわかっている人間に相談するしかない。
俺はスマホを取り出し、電話をかける。
コール音が二回鳴って、すぐに夏鈴が出た。
『どうしたの?』
「今、ショッピングモールにいるんだけどさ……」
俺は、状況を手短に説明した。
『……貴方、そんなことで悩んでたの』
「そんなこととはなんだ。見つかったら大変なことになるのはお前もよくわかってるだろう」
『それはそうだけど、愚かというかなんというか……』
「なんだよ。こんな状況で小馬鹿にしてくるなよ」
『だって、そうでしょう?』
声色からして、本気であきれているようだった。
「じゃあ、どうするべきなんだよ」
夏鈴は電話越しにため息をついた。
『簡単。今すぐ別行動すれば、誰にもバレずにモールを出られるじゃない』
「…………あ」
たしかに。
俺と怜奈が別行動すれば、誰も俺たちが一緒にいたとは思わない。
なんでこんな簡単なことに気づかなかったんだ。
電話を切ると、俺は重々しい表情で怜奈に向き合った。
「それで、どうだった?」
「決定的な解決策が見つかった。実はだな……」
***
結局、怜奈とは一度別れて、トークショーが始まる14時以降に待ち合わせることにした。
それならば、このモールの中でも校内の女子たちと鉢合わせることはないだろう。
時刻は14時22分。
イベント会場に向かったであろう女子たちの姿は、もうモール内にはほとんど見当たらない。
俺たちは、モールの中にある雑貨屋をいくつか見て回ることにした。
アロマキャンドル、入浴剤、マッサージオイル、ボディクリーム、ハーブティー、ルームフレグランス……。
色とりどりの商品が棚に並んでいるが、正直なにを買えばいいのか見当がつかない。
なにせ、これまでの人生でこんなのが欲しいなんて一度たりとも思わなかったからな。
「遠坂さんはなにしてるときが好きとか、そういうのはわかる?」
言われて、俺は考え込む。
凪乃が好きな物……。
第一に頭に浮かぶのは、野球。
たしかに、凪乃は野球が好きだった、とは思う。
だが、今は誘っても、自分の家の練習場にすら足を運ぼうとしない。
きっと、学校と同様に、意図的に避けているのだろう。
言われてみると、凪乃の好きな物を答えるのは、思いのほか難しかった。
「どうだろう。最近ゲームを買って、それに夢中になってるな」
「遠坂さんって、ゲーム好きなんだ。私話したことないんだけど、どんな子だとか、教えてくれない?」
それは簡単なことだった。
俺は、凪乃のことを話し始めた。
十年以上の付き合いのある幼馴染であること。
父親が元プロ野球選手であること。
野球が得意で、小学生のときはチームのエースだったこと。
でも、今は野球から少し距離を置いていること。
その他、おっとりしているのにプライドは高いことや、野球の試合でのエピソード等々。
「なるほどねー。幼馴染なんだ」
怜奈は、ふむふむと相槌を打ちながら、俺の話に耳を傾ける。
その間、俺達はふらりと雑貨屋を回りながら、怜奈は自分の欲しいものをひょいひょいと買い物カゴに入れていく。
ちゃんと話を聞いているのに、手は動いている。
こういうのを、聞き上手というのだろうか。
「だいたいわかったよ」
一通り聞き終わると、怜奈はこう言った。
「もしかして、遠坂さんって、ななみんのこと好きなの?」
「えーっと………どうだろう」
戸惑う俺を見て、怜奈はくすくすと笑い出す。
「反応でバレバレじゃん!そういうことね!」
俺の手を掴み、引っ張る。
「おい、なんだよ」
「雑貨なんて無難なのじゃダメだよ。行く場所が違うよ!」
腕を引かれながら連れてこられたのは、モールの一角にあるアニメショップだった。
店内はひと際にぎやかで、陳列棚にはアニメグッズやゲームの関連商品が所狭しと並んでいる。
「うわっ、『よふかし』の商品入荷してんじゃん。これは買いだわ」
怜奈は目をキラキラさせてストラップを手に取っていく。
「ごめんごめん。私、アニメとかゲーム好きなんだよねー。『アテナ・クエストXIII』はしてないけどさ」
そう言って、怜奈は『アテナ・クエスト』のコーナーへ向かった。
「ななみん、ちなみにご予算は?」
「2,000円くらい」
「おっけー」
怜奈は、棚を眺めながら次々と商品を手に取っていく。
「遠坂さん、過去作はしたことあるの?」
「わかんないけど、話を聞いたことはないから多分ないんじゃないかな」
「おっけー」
すると怜奈は、さっきの雑貨屋と同様にひょいひょいと買い物カゴに突っ込んでいく。
本当に考えているのか怪しくなるくらい、決断が速い。
俺ならば30分は悩みそうなものだ。
そうして怜奈によって選ばれたのは、以下のものだった。
『アテナ・クエスト』の紋章のストラップ。
部屋に置けるキャラクターのアクリルスタンド。
そして、キャラクターが描かれたマグカップを二つ。
「これでいいんじゃない?」
そのまま俺たちはそれらをレジに持っていった。
「5,580円です」
レジ係の女性の言葉に、俺は驚愕した。
財布を開けると、千円札が三枚しか入っていない。
……足りない。
思わず俺は商品の値札シールを確認する。
合計金額は、合ってる。
間違っているのは、俺の相場観だ。
ファングッズってこんなに高いのか……?
「……………」
戸惑う俺の横顔を、怜奈はじぃっと眺める。
商品を戻そうと買い物かごを持とうとしたそのとき、俺が握っていた三千円を、ひょいと怜奈はつまみ取った。
そして、自分の財布からお札を取り出す。
それらを合わせて、店員さんに差し出した。
「420円のお返しです」
怜奈はおつりとレシートを受け取ると、それらを俺の財布に突っ込んだ。
「あの、えっと……」
「ほら、お客さんつっかえてるよ。はやく行こ」
アニメショップを出ると、長いモールの渡り廊下を二人で歩いた。
「ありがとう……。お金は必ず返すよ。でも、来月の小遣いまで待たないといけなくて……」
「いいっていいって」
怜奈は、にひひと笑う。
「貸しイチで」
時計を見ると、もう15時を過ぎていた。
トークショーの終了時間を考えると、もうゆっくりと回っている暇はないだろう。
結局、俺達は買い物をすませた後、そのまま帰る流れになった。
「今日はごめんな。結局、俺に付き合わせるだけになっちゃって」
「なに言ってんの。すっごく楽しかったじゃん」
怜奈は屈託のない満面の笑みを浮かべる。
罪悪感を感じていた俺の心も、それによって一気に晴れていった。
そのまま駅のホームに着き、次の電車を確認する。
幸運にも、あと3分で電車がやってくるようだった。
改札を通ろうとしたとき、ピンポンと音が鳴り、改札が閉じられた。
「……あれ?」
もういちどICカードをタッチするが、反応は同じ。
「まさか………」
改札の液晶画面を見ると、「残高不足です」「チャージしてください」と表記されていた。
一旦改札から離れ、慌てて財布を見る。
だが、そこには千円札はないことはもちろん、小銭入れにも10円玉や1円玉のしか入っていなかった。
「あはは、マジウケる!」
それを見た怜奈は、腹を抱えて笑った。
そして、白い指で涙をぬぐいながら、財布から五百円玉を取り出すのだった。
「これで貸しニだね」
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