第三十八話 シニアリーグ篇(中学生2年生) その2

凪乃がどうして不登校になってしまったのか、その理由はよくわかっていない。


小学校を卒業後、凪乃は俺達と同じ公立の堀野東中学校に入学した。


両親は私立の中学を勧めたが、凪乃が俺たちと一緒の学校に通いたいと押し切ったのだ。


中学に入ると、球児たちは二つの選択に迫られる。


中学にある野球部に入るか、それとも地域の球団に所属するかだ。


俺たちは後者を選び、凪乃はバトミントン部に入った。


凪乃にとっては野球以外で初めて触れるスポーツだったが、見事にバトミントンに夢中になって、ものの数ヶ月で、先輩たちをさしおいて団体戦メンバーに選ばれるようになった。


もちろん野球も続けていて、部活が終わってから、俺や葵に合流して一緒に練習をしていた。


そんなわけで俺たちはそれなりに充実した中学生活を送っていたわけだが、変化は突然やってきた。


一年生の3学期から、凪乃は学校を休みがちになったのだ。


理由を聞いても曖昧な答えしか返ってこないし、それは夏鈴から聞いても同じだった。


たまに登校できた日も、部活に行くまではできずに、授業が終わるとそのまま帰ってしまう。


バトミントン部でいじめがあったんじゃないかと俺は疑うようになり、同じクラスの女の子に聞いたりもしたが、特にそう言ったことは見かけなかったとのことで、はっきりしない。


もしかすると、俺のことを好きな女の子たちが、嫉妬心から凪乃をいじめたりしたんじゃ。


そう思うと、罪悪感で押し潰されそうになる。


それもあって、俺はどこか、凪乃と会うことに一種のためらいを感じていたのだった。


***


堀野東中学校。2-1の教室。


2限目が終わり、陰で「ハゲタカ」と呼ばれている高野教師が教室を後にする姿を、俺はぼんやりと眺めていた。


「どうしたの?いつも以上に呆けているけど」


隣の夏鈴は数学の教科書類をトントンと整えて、机の引き出しに仕舞う。


「別に。ハゲタカを見てただけだよ」


「頭部の後退以外特筆すべきこともない普通の男性教師だと思うけれど。どんな感情で眺めていたのかしら?」


「恋かもしれない」


「……………」


つまらない冗談、とでも言いたげに、夏鈴は目を細める。


「まぁでも、ボーイズラブに目覚めてくれるなら、意外と丸く収まるかもしれないわね。女の子たちも、ライバルがあの禿げた中年教師と知れれば、流石に諦めるでしょう」


不意に、あのハゲタカと引っ付き合うシーンが頭に湧き出てくる。


慌てて俺は大きく首を振って、それを振り払う。


3限目は音楽だから、周囲の生徒たちは教科書やらを持って次々に教室を出ていく。


「昨日、凪乃に会ってきたんだ」


「…………そう」


夏鈴の表情が、少し重たげになる。


呆けていた理由も理解できただろう。


「元気にしてた?」


「ああ。今すごく話題になってるRPGのゲームがあるんだけど…………まぁ、テレビすら家にないお前は知らないよな。それをさ、すごい勢いでやり込んでいるんだ」


「きっと、一日一時間まで、なんてお約束もしてないんでしょうね」


「プレイ時間からして、多分部屋にいる間ずっとしてると思う」


普段ならゲームの話題が出るたびに「時間の無駄遣い」と揶揄しそうな夏鈴だが、流石にそうはならない。


「まぁ、悪いことではないんじゃない?塞ぎ込むよりは、何か熱中できるものがあった方がいいでしょう」


部屋に一人で居るのは、俺たちが想像する以上に心理的な負荷がかかるだろう。


ましてや、真面目な凪乃なのだから、その内面を想像するのは苦しい。


「凪乃の不登校の理由。お前の能力で、何かわからないのか?」


「私のスキルは能力把握で、思考の読み取りじゃない。心の動きによる微細な能力値の変化で、嘘発見器のような使い方はある程度できるけれど、不登校の原因までは探れない」


原因がわからないのであれば、俺たちにはこれ以上手の出しようがない。


それこそ、時折見舞いのように彼女の元を訪れるしかできないのだ。


そんな、重い空気が二人の中に立ち込めていた中のことだった。


「隙ありッッ!!」


突然、バシン!!、という重い音と共に、背中に激痛が走る。


「痛ででッ!!」


すっとんきょうな声をあげてうずくまる俺の前に、影が落ちる。


「ななみん、まだ行ってなかったわけ?」


見上げると、最初に目に入ったのはウェーブがかった金髪。


別段荒れてもいないこの中学で、こんな派手な身なりをした奴は限られている。


「藤堂、お前いきなりなにするんだよ」


「いや、なんか二人とも暗かったから」


「だからっていきなりビンタすることないだろ」


「ビンタなんかしてないってば」


急に、彼女は神妙な面持ちになる。


「ラリアットだって」


「余計タチ悪いわ」


あれだけの衝撃がきたのもそれで頷けた。


彼女は藤堂玲奈(とうどう れな)。


今年から同じクラスになったのだが、やたらと絡んでくる。


化粧っ気のある白肌と、アイライン。


シャツのボタンは他生徒よりも一つ多く外されていて、胸元がチラリと見える。


中学2年でまだ顔立ちにあどけなさを残す以外、まごうことなきギャルだった。


「それで、どうしたの?もしかして、痴話ゲンカ?」


「そんなわけあるか。普通に友達のことで話してただけだよ」


「あー、そうなんだ!ゴメンゴメン」


玲奈は後ろから俺と夏鈴の間に入って、両腕を回す。


「じゃあ、そんな勘違いの記念に一枚」


背中に胸の膨らみが押しつけられるのを感じる間に、スマホでスリーショットを撮ってしまった。


「おい、なんだよ急に」


「え、なにが?」


玲奈は悪びれる様子もなくポカンとした表情を浮かべる。


ここまでナチュラルでいられると、俺もかける言葉を失ってしまう。


「それよりも、ななみんたちも、早く行った方がいいんじゃないの?」


それもそうだった。


俺たちは急ぎ足で音楽の授業の用意をして、教室を出た。


音楽室へ向かう道中、玲奈はごく自然に廊下の真ん中を歩き、俺と夏鈴はその脇につくような形になる。


その歩調は緩やかで、チャイムの時間など全く気にする様子はない。


「おい、さっきの写真、SNSとかにはアップロードするなよ」


「流石にしないってー。ななみんのファンに殺されちゃう」


悪戯げに笑う玲奈に、俺は思わずため息をつく。


その間も、俺は授業に間に合うのかそわそわするが、玲奈にはまったくそれがない。


まぁ、夏鈴が急かさないということは、およそ間に合うと見積もってはいるのだろうが。


「ところでさぁ、アルトリコーダーの授業ってなんであるんだろうね」


「なんだよ唐突に」


「だってさ、小学校のとき、リコーダーやったわけでしょ?わざわざでっかいのを買い直してまで習う必要なくない?」


「たしかに………」


前世も含めて、なにも考えずに音楽の授業はそういうものかと思っていたが、言われてみると、たしかに疑問が残る。


「………肺活量の訓練とか?」


「それならでっかいリコーダー使わなくても、普通に走れば良くない?」


「みんなで同じ曲を吹くことで、生徒たちの一体感を出すとか………?」


「ななみんはリコーダーきっかけで仲良くなった経験があるわけ?」


そんな経験は、無論ない。


「だいたいさ、大人になってリコーダー吹いてる人、どれくらいいるわけ?」


「まぁ、確かに………」


ピアノやギターはともかくとして、リコーダーなんて学校以外でどこにも見かけない。


「でもさ、中学で一回りでっかいリコーダーになったわけでしょ?高校生になっちゃったりしたらこれよりもさらにでっかい、伊達巻きみたいなリコーダーを吹かされることになるんじゃない………!?」


「バカ言え。そんなことはさすがに……………」


と言いかけて、俺は言葉に詰まる。


俺の前世は、高校一年で終わってしまった。


その間、伊達巻きリコーダーを使った授業というものはなかった。


だが、その先の授業については、俺にしても未知の領域だ。


もしかすると、高校二年生になったりすると、そんなリコーダーを使った授業があったりなんか……………。


「ないわよ」


考え込む俺の横から、夏鈴がピシャリと言った。


まぁ、そうだよな。


そんなでっかいリコーダー、仮にあったとしても学校に持ってくるだけで一苦労だもんな。


「でもさぁ、そうやって断言しちゃえるくらい詳しいなら、アルトリコーダーを使う理由、わかったりするの?」


玲奈は挑戦的な目を夏鈴に向ける。


対する夏鈴は、至って冷静な面持ちで話し始めた。


「小学校では、ソプラノリコーダーで基本的な奏法と楽譜を学ぶわ。中学校でアルトリコーダーになるのは、運指が変わることで、新しい技術を習得する機会になるから。加えて、アルトリコーダーは『へ長調』を基準とする楽器で、ソプラノの『ハ長調』とは異なる読譜が必要となる。これによって、音楽理論の理解が深まるのよ」


「……………」


これ以上ない、ぐうの音も出ないほどの完璧な解説。


これに対して、玲奈は負けを認めるのか、どう返すのか。


と思っていると、玲奈は俺の予想に反して、哀れみを込めた目で夏鈴を見ていた。


「え、めっちゃ真面目ー………。今のうちからそんなに勉強してたら、楽しいこと逃しちゃうよ?わたし、なんか面白いマンガとか貸してあげよっか?」


「……………」


夏鈴は返す言葉も見つからず、沈黙。


玲奈は夏鈴の知識に関心する様子もなく、どうやら本気で不憫に思っているようだ。


まさしく、価値観の相違。


俺はこの場の気まずさに耐えきれず、不意に学ランのポケットからスマホを取り出す。


「あっ」


その画面を見て、気づく。


「そういえば、もうすぐ凪乃の誕生日だ」


4月26日。


凪乃の14歳の誕生日だった。


「凪乃って、遠坂さんでしょ?あのテレビの遠坂の娘さん」


俺は頷く。


遠坂臙士は一世を風靡したスター選手だったが、物心ついた時にはもう現役を離れていた俺たちの世代にとっては、アツさと茶目っ気が売りのテレビタレントのイメージの方が強かった。


「プレゼントとか、もう決めたわけ?」


「いや、まだだけど」


それを聞いた玲奈の表情が明るくなる。


「じゃあさ、一緒に買い物行かない?」


その言葉が出た瞬間、全身に電撃が走った。


俺は慌てて、周囲を確認する。


「えっ、どうしたのななみん?」


玲奈は不思議そうに俺を覗き込む。


これを女の子の誰かに聞かれでもしたら、凄まじくまずいことになる。


玲奈が周りの女子からどうこう、ということだけでなく、下手をするとこれをきっかけに学級崩壊に至る可能性すらある。


第一次世界大戦のきっかけが、たった一人の青年のテロ行為から始まったように、些細なことから大事になってくるのだ。


さて、どのように断ったものか。


助けを求めるべく、俺は夏鈴の方を見る。


だが、出てきた答えは意外なものだった。


「いいんじゃない?」


………え、いいの?


「よしっ、じゃあ、次の土曜日に行こっか!ななみんは午前中野球だよね。14時に駅前集合でいい?」


「あ、ああ………」


トントン拍子に話が進んでいく。


凄まじい推進力。


「そうだ、かりんっちも一緒にくる?」


「か、かりんっち………?」


今度は夏鈴がすっとんきょうな声を上げる番だった。


何せ、修行僧並みに世俗との関わりを絶っている夏鈴は、俺や凪乃以外に友達がまったくと言っていいほどいない。


ろくに日常会話をする相手もいないから、これまであだ名をつけた人間を見たことがない。


珍しく動揺する夏鈴を見て、思わず俺はニヤニヤとしてしまう。


「いいあだ名じゃん、かりんっち。新種のたまごっちみたいで」


「わかるー。ツインテでレモン色の目立つフォルムなのに、商品ポスターの目立たない端っこあたりにいそうー」


「ディスってるの………?私の存在ごと」


夏鈴はキッと睨むが、いじるモードに入った俺や玲奈には効果がない。


そんなことを話していると、校舎から3限目を告げるチャイムの音が鳴り始める。


「うわっ!!」


「マズいっ!!」


俺たちは慌てて廊下を駆け出す。


こうして、俺たちは3限目を音楽教師の叱責から始めることになったのだった。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る