第三十七話 シニアリーグ篇(中学生2年生) その1
昼休みの校舎裏。
太陽の光を塞ぐように影となっているこの場所では、昼休みの学生たちの喧騒が響くのみで、誰も寄り付かない。
校舎とフェンス横の並木の間、そこに立つ女の子と、俺は向き合っていた。
「それで、手紙のお返事、聞かせてもらってもいいかな……?」
張り詰めた空気。
緊張感の中で、少し間をおいて、俺は深々と頭を下げる。
「……ごめんなさい」
「……………」
その頭を下げる一連の振る舞いは、さながら日本舞踊。
何度も何度も繰り返すことにより、ただの礼節の一動作が、芸術へと昇華するほどまでに洗練されていく。
それほどまでに、俺はこの動作を繰り返していた。
「そう…なんだ……」
女の子は落胆を隠しきれずに、俯く。
隣のクラスの女の子で、名前は確か、逢瀬<<おうせ>>さん。
下の方は覚えていないが、それなりに関わっていた女の子だ。
中学一年生の頃に同じクラスになって、それから班活動なんかを通して、よく話したりしていた。
擦れてなくて、素直で優しいいい子だと思っていた。
そんな彼女が、まさか告白をするだなんて、俺は思いもしていなかった。
俺が断ったことで彼女の見せた反応は、純粋な落胆。
中には、一種芝居がかった反応を見せて、次に繋げようとする女の子もいる。
本当にいい子なんだろうな、と思う。
「あの、七海くん。このことは、できれば他の子には……」
「わかってるよ。誰にも言わない」
逢瀬さんは頷き、作り笑いを浮かべて、その場を立ち去ろうとする。
俺はなにか言葉を探そうとするが、うまく思いつかない。
そうしている間に、彼女は校舎の角を曲がり、俺は一人この場に残されたのだった。
***
「終わったの?」
昼休みも終わる間際、俺が席に戻ると、隣の席に座る女の子が頬杖をつきながらそう聞いた。
たとえ遠くにいても一目でわかるほど、見慣れたツインテール。
結城夏鈴<<ゆうきかりん>>。
「ああ。すごく手短に終わったよ」
俺はカバンから弁当箱を取り出して、遅めの昼食を取り始める。
保育園の頃からの付き合いであり、同じく二度目の人生をやり直す転生者でもある彼女には、今回の告白のことも含めて、大抵のことは包み隠さず話していた。
俺にとって最も頼れる相談相手であり、親よりも俺のことを知る理解者だと言ってもよかった。
「二年生になって何人目だったかしら?」
「どうだろう、3人目だったかな」
「まだ4月なのにね。このままだと、去年度の13人を更新しそうな勢いね」
俺は卵焼きを飲みこんで、ため息をついた。
夏鈴の左手には相変わらず単行本があり、会話の最中でも彼女の視線は本の字面を追っていた。
今日の一冊はダニエル・カーネマン『ファスト&スロー・下』。
表紙の副題や著者の肩書からして、およそ中学生には不向きで小難しそうな内容であることが読まなくてもわかる。
さらには昨日は上巻だったから、凄まじい読書スピードだった。
「去年同じクラスだったけど、悪い子じゃなかったと思うわ。自分本位にならない、思いやりにあふれた付き合い方をしてくれる子よ、きっと」
「お前の能力がそう言ってるのか?」
夏鈴の視線が本から離れ、チラリとこちらを見る。
「別に使わなくたって、関わればそのくらいのことはわかるわ」
夏鈴が二回目の人生で選んだ特典スキルは、「記憶の引継ぎ」と「能力分析」。
どのように見えているのかはわからないが、彼女は一目見るだけで、相手の能力値、スキルなどがわかってしまう。
どうしてそのスキルを選んだのかは、まだ話されてはいない。
こちらばかり告白させられていて不公平な気もしないでもないが、これまでも多くの場面で助けられてきたぶん、文句は言えなかった。
「なぁ、俺も年頃なんだしさ、彼女の一人くらい作ってもいいと思うんだよな」
「オススメはしないわね。命が惜しくなければ」
そう言うと思った。
俺は苦笑いを浮かべる。
夏鈴が他者の分析能力をスキルに選んだのにひきかえ、俺はというと選んだのは「モテ」スキル。
しかも、前世で惨い死に方をした俺が与えられた多大な特典ポイントを、そのモテに全振りしたのだから、その威力はえげつない。
もしこれを聞いて、「それなのに一年で告白されたのが13人だけ?」と思ったのなら、そいつはモテに対する理解と想像力が足りない。
事実、表面上に出てくる告白の回数は、それほど多くはない。
しかしそれは、学校中の女子たちがお互いに牽制をし合っているからだ。
そのため、まるで核爆弾を持った国同士が戦争を仕掛けないのと同じように、俺を巡る女の子たちの動きは、謎の均衡を保っているのだ。
とはいえ、今回のように純粋すぎてその背景がわからない女の子や、状況を読んであえて不意打ちを仕掛けてくる子が、告白に至ることはある。
13人というのは、そんな表面上に浮き出てきた数字に過ぎないのだ。
俺の場合には、告白してくる人間が1人いれば、裏に好きな人間が10人いると思ってもらって差し支えない。
「俺が誰かと付き合えば、均衡が崩れてたちまち崩壊していく」
「そう。小学一年生のとき、貴方を巡って女の子たちが暴れ出して、学級崩壊したのを覚えているでしょ?今それが起これば、規模は学校全体に及び、そのやり口はより過激かつ陰湿になる」
不意に、身震いが始まるのを感じる。
彼女はパタリと本を閉じ、すらりとした白い脚を組み替える。
小学6年生あたりで身長が伸び悩み、今も150㎝を上回るかどうかの彼女だったが、身体つきは段々と丸みを帯びて胸はふくらみ、女の子としての魅力を纏い始めてきていた。
「とはいえ、今はかろうじて均衡が取れているのだから、それに感謝しないと」
俺は箸で冷めたウィンナーをつまみとる。
「まぁ、そう思うべきなのかな……」
***
授業を終えると、俺は早々にカバンをひっつかんでクラスを飛び出した。
とくに急いでいるわけではないが、そうでもしないと色んな子に話しかけられてしまうからな。
いつもの道を自転車で15分ほど走り、大きな門の前で止まる。
遠坂邸。
三階建ての邸宅は地域の中でも目立つような豪邸だが、年季が入り白塗りの壁はいくらかすすけていた。
初めてこの家に入ったのは、もう10年近く前になる。
インターホン横に備え付けられた暗証番号を入力すると、門のロックが解除される。
そして長い芝生の庭を渡って右手の、屋内練習場に俺は入った。
練習場には、既に明かりが灯っていた。
「七海先輩っ!おつかれさまです!」
元気にそうあいさつしたのは、葵だった。
「おつかれ。早かったな」
「今日日直だったんで、速足でホームルームを切り上げてきました!」
葵がせっかちにホームルームを進める様が、容易に想像できた。
彼女は今年、俺や夏鈴と同じ杉並区立堀野東中学の一年に上がってきたが、今や軽い有名人になっていた。
なにせ、陸上部に仮入部するなり、葵は100m走において堀野東中陸上部女子の現行トップ記録を叩き出してしまったのだ。
涼川葵<<すずかわ あおい>>の名はその時点で上級生たちに響き渡り、あらゆる部活が勧誘合戦を繰り広げることになる。
結局、野球優先を条件に陸上部に入部することになったが、既にリレーのメンバーに組み込まれているという話だ。
ここまで才能に溢れていると、俺も嫉妬心を抱いてしまう。
俺達が着替えを終えるとアップを始めていると、扉が開き、スーツ姿の男が入ってきた。
「すまないな、遅くなった」
濱北さんはそう言うと、ネクタイを外してカバンと共にベンチに置いた。
「いえ。仕事終わりなのに、すみません」
「準備をするから、キャッチボールから始めておいてくれ」
それからは、日が暮れるまで練習を続けた。
濱北さんは相変わらず的確な指導で、俺達の癖や欠点を指摘して改善法を出してくれる。
だが、その最中でも、表情にはいくらか疲れが見えていた。
遠坂監督が少年野球チーム「カルムズ」の立ち上げに際して、元プロ野球選手の濱北さんを引っ張ってきたわけだが、今ではそのカルムズの監督に就任している。
その理由は、遠坂監督の多忙によるものだ。
遠坂臙士<<とおさか えんじ>>はテレビでの地位を確固たるものにしていて、野球のコメンテーターやレポーターに加えて、スポーツ番組やバラエティ番組にも多数出演する売れっ子になってしまった。
端正な顔立ちに加えて、テレビ向きに作られた前向きな熱いキャラクターがウケてブレイク。
最近では、テレビCMにも一本出演していた。
濱北さんは、そんな遠坂臙士のマネージャーを務めながら、カルムズの周りの世話をしていることもあり、彼もまた非常に多忙な生活を送っていたのだった。
練習が終わると、葵は門限の関係で一足先に帰っていった。
帰り際、濱北さんは俺を呼び止めた。
「なんです?」
「臙士から伝言だ。もし忙しくなければ、帰りに家に寄ってくれるとうれしいって」
……やはり、きたか。
言われて、俺は少し考える。
「わかりました」
後片付けはしておくから、と濱北さんは早く行くように急かす。
俺は半ば追い出されるように、練習場を後にする。
空には雲に隠れた月が浮かんでいて、淡い光を地上に与えていた。
行くしかないか。
意を決して、俺は遠坂邸の方へ向かっていった。
***
「あら、健人くん、来てくれたのね」
遠坂邸のインターホンを押すと、凪乃のお母さんが応対してくれた。
元タレントだけあってか、時間の経過を感じさせないほどの美貌を保っている。
「監督は?」
「今日も収録があるから、帰ってこないんじゃないかしら。ほら、終わるとすぐこれだから」
グラスを傾ける仕草を見せて、凪乃母は困ったように笑う。
「凪乃は二階にいるわ。会ってあげて」
俺は凪乃母と一緒に、螺旋階段を一段一段上がっていく。
凪乃の部屋のドアを、母は二度ノックした。
「凪乃ー?健人くんが来てくれたわよー」
少しして、コンコン、と二度床を叩く音が戸の向こうから聞こえた。
それを確かめると、凪乃母は俺にアイコンタクトを取って、一階へと降りていった。
俺は、深呼吸を一つする。
「入るぞ」
ドアを開けると、女の子特有の甘い香りと、でもじめっとしていてよどんだ空気が部屋から流れ込んできた。
室内は、カーテンも閉め切られていて暗かった。
ただ一点、テレビの明かりだけが部屋にぽつりと灯っている。
「……………」
俺は手探りでスイッチを探し当て、明かりを点ける。
「……まぶしぃよう」
そう言って、凪乃は目の上に右手をかざす。
クマのイラストが描かれた薄手のパジャマを着ていて、三角座りのまま左手にはゲーム機のコントローラーを握っていた。
「えへへ、きてくれたんだね」
ぼさぼさの髪を手櫛でとかして、凪乃は控えめに笑う。
出会ったころから変わらない、柔らかな笑み。
でもそこには、前とは明らかに違う陰りがみえた。
「今日、ずっとレベル上げして待ってたんだー。一緒にお話進めたくて」
座って、と言うように、凪乃は自分の横に平べったいクッションを置く。
俺はそのまま横に腰を下ろす。
見てみて、と凪乃はコントローラーを手渡す。
俺はメニューからステータス画面を開くと、思わず驚きの声を上げた。
「レベル、前の倍くらいになってるじゃん」
「うん。ずーっとモンスターを狩ってたから。だから今日はサクサク進められるよー」
凪乃は俺の反応に満足した様子で、コントローラーをひょいと取って、主人公キャラを動かし始めた。
嬉しそうにゲームを進める彼女の横顔を、俺は複雑な心境で見つめる。
パジャマは小学生の頃からのものなのか丈が短く、時折はだけて見える横腹は不健康なまでに青白い。
それに袖から見える手足も、小学生の頃よりも華奢に見えた。
戦闘シーンに入ると、パーティのレベルが表示される。
パーティの仲間全員が、主人公同様のところまでレベル上げされていた。
ここまで上げるのに、いったいどれだけの時間を使ったのだろうか。
「この第4章がすっごくアツい展開だって、ネットに書いてあったんだー」
日中しゃべっていないせいか、声は幾分か細い。
でも彼女の表情は、段々と明るさを取り戻してきている。
「お母さん、七海くんのぶんも晩ご飯作ってくれてると思うから、よかったら食べていかない?」
「ありがとう。親に今から連絡しておくよ」
そう言うと、彼女はまた、ぱぁっと明るい笑みを浮かべた。
それからは、俺は凪乃とこの部屋で一緒にご飯を食べて、第四章が終わるまで一緒に過ごした。
ただ、いつものことだが、終わりの時間が近づくにつれて、段々と元気がなくなっていく。
その姿を見ると、毎度のことながら心が痛む。
そう。
これが、不登校となり家からも出られなくなってしまった、中学2年現在の遠坂凪乃<<とおさか なぎの>>の姿だった……。
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