第三十五話 少年期(小学5年生) その28
地区大会決勝戦。
対MKスラッガーズ戦は、1対1のまま延長へともつれ込む大混戦となっていた。
10回表で攻撃はカルムズ。打順は6番からのスタートだった。
俺はベンチで凪乃と葵に挟まれる形で座り、味方の対決を見守っていた。
「できれば、この回で点を取って終わらせたいね」
凪乃の言葉に、俺は頷く。
今回の打順だと、9番に俺、1番に凪乃が来る。
もしも6番から俺に当たるまでのうちに誰かが出塁してくれて、バントなりで得点圏までランナーを進めてくれれば、俺か凪乃でヒットを打って点を決めることもできる。
そして10回裏の攻撃では、相手チームも6番からの下位打線のスタートになる。高津兄弟のいないその打線相手に、田井中くんが点を取られることはまずないだろう。
だが、もしも点を取れずに勝負が11回へと伸びていった場合。
カルムズは仮に凪乃や葵が出塁しても、彼女たちをホームに戻すための決定打に欠けることになる。
うちの4番もいいバッターだが、和葉相手にうまく合わせられるかというと、難しい所だろう。
そして11回の裏になれば、また上位打線へと戻り、高津兄弟たちがバッターボックスに立つことになる。
そうなれば、失点は覚悟しなければならないだろう。
俺たちにとっては、この回がまさに正念場だった。
だが………。
「ストライク!バッターアウト!!」
6番打者はボールをバットに当てることもできないまま、いともあっさり討ち取られてしまった。
ワンアウト。
「やっぱり、そう簡単には打たせてくれないですね………」
葵は俺の服の裾を握る。
まだろくに経験を積んでいない中、こんな大舞台の混戦に入るのは、葵にとってもかなりの心理的負荷がかかっているだろう。
ましてや、11回にまでもつれこめば、葵の打席が鍵を握る場合だってあるのだ。
7番の子は、4年生の男の子だった。
年上を差し置いてスタメンを勝ち取っているほどにセンスはあるものの、まだいかんせん幼い。
この子では、あのピッチャーを攻略するのは難しい。
和葉は前髪を左右にかきわけて、サインを見る。
頷き、今度はゆったりとテイクバックする。
そして、ミニマルなフォームからの、急速度の投球。
コースは内角高め。
「…………ッ!!」
その球は、キャッチャーミットよりもさらに内角、そして高めへと伸びる。
「うぐっ……」
彼女の投げた速球は、打者の子のヘルメットに直撃した。
うずくまるその子の元に、審判が背を叩いて確認を取る。
そこに、監督が駆け寄る。
試合は一時中断となったが、程なくして監督に肩を借りながら、7番打者の子がベンチへと戻ってきた。
代走には、5年の控えの子が出ていく。
デッドボールを受けた子の様子を俺たちも見にいったが、軽くめまいがするくらいで幸い大事には至っていないようだ。
マウンドの和葉の元には、キャッチャーの和喜と高津監督が集まって、何かを話していた。
望む形ではないにせよ、ここでランナーが出たのは大きい。
うちの8番の子が打席に向かい、試合が再開していく。
監督はサインを送り、打者の子は頷く。
そしてとったのは、バントの構え。
ツーアウト二塁で俺に打席を回す。
そういう作戦だ。
その初球。
「えっ……」
投じられた球を見て、凪乃は声を漏らす。
「ストライク!」
審判の判定に、和葉は満足気に笑みを漏らす。
彼女が投じたのは、内角低め。
「……………すごいな」
これには俺も、舌を巻いた。
普通、デッドボールの直後に内角の球投げるなんて、大人だってなかなかできるものじゃない。
繊細なコントロールが要求される内角低めのコースに、もう一度当ててしまうかもしれない恐怖に向き合いながら投げるのは、足場の揺れる吊り橋を渡るような、そんな危なさすら感じてしまう。
なにせ、もう一度当てでもすれば、完全に調子を崩してこの試合は使い物にならなくなる、なんてこともありうる。
「正直、俺なら間違いなく外角へ集める配球を選ぶな」
「私も……」
気になったのは、キャッチャーとのサインのやり取りもそうだ。
さっき、二つ返事で和葉がサインに頷いたあたり、恐らくは、これをするのは初めてじゃない。
これが高津一家のやり方なのだろうか。
凄まじい自信と、培われた平常心。
その意気に圧倒されたのか、次の投球をバントは高く上がり、キャッチャーに捕球された。
これでツーアウト。
「……………」
俺は立ち上がり、伸びをする。
いよいよ、ここが山場だ。
監督が、俺の背を強く叩く。
「ガツンと一発、ホームランを打って終わらせてこい」
凪乃が、汗ばむ俺の手を握る。
「これに勝って、全国だよ」
「全国………」
胸の内に希望と期待の光が湧き上がると共に、両腕が痺れるような緊張感を覚える。
首を振り、それらを振り払う。
何を怖気付いているんだ。
今やっているのは、軟式の少年野球だ。
俺が目指すのは、高校野球の頂点、甲子園だろう。
そのために、二度目の人生の時間のほとんどを、野球に捧げてきた。
いくら向こうが洗練されていると言ったって、子ども相手にここで負けていては、何のことかわからない。
意地を見せてやるんだ、七海健人。
そう自らを鼓舞して、俺はバッターボックスへと向かうのだった。
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