第三十四話 少年期(小学5年生) その27


地区大会決勝戦。


対MKスラッガーズ戦九回裏。


ここで点が入れば、カルムズはサヨナラ負けとなる正念場。


このタイミングで、打順は四番からのスタート。


バッターボックスに立つのは、高津家の長男、高津嘉喜<<たかつよしき>>。


先ほどまで無失点の好投、そしてバッティングでは、投手戦の中六回裏に凪乃からヒットを打っている。


中学生か高校生くらいはある背丈の彼がバットを構えると、これまでの対戦相手にはなかった威圧感を感じる。


凪乃は、この威圧感の中で戦っていたのか。


平常心を保とうと、大きく深呼吸をする。


幸い、さっきの鳩尾への打球の苦しみは、もう気にするほどでもないほど薄れている。


病み上がりの中、俺が監督に許された投球数は、残り7球。


カウントがもつれこめば、下手をするとこの打席で交代することもありうる。


第一の狙いは、低めの内外を使い分けての凡打か、三球三振。


その後、五番の高津家次男を乗り切れば、残る下位打線は三番手投手の田井中くんでも圧倒できる。


俺はそんな計算をしながら、キャッチャーのサインを待った。


向こうの指示は、内角低めのストレート。


打者にとってかなり打ちづらい場所だが、投手にとっても投げるのが難しいコースでもある。


だが、そんなことは言っていられない。


前世も含めて、俺は何百回何千回と、練習でも試合でも、このコースに入れてきたのだ。


俺は大きくワインドアップして、同時に身体の力を抜く。


身体をねじりながら投げた速球は、キャッチャーの指示通り。


バッターは手を出すことができず、ストライクのカウント。


「………」


返球を受ける。


次のサインは、外角低め。


セオリー通りの配球。


俺は集中しながら、白球を投じる。


二球目のコースはやや内角側に寄ったが、ストライクゾーンの枠内ギリギリの厳しいコース。


この球に、高津は動いた。


ブルン、とマウンドまで届きそうなほどの、下からの大振り。


そのスイングが、低めの厳しいストレートを、きれいにすくいあげる。


嘘だろ……ッ!!


この歳で、そんなことができるのか!?


打ち返された打球はショートの頭上を越え、レフト方向へと上がっていく。


左翼手の子は高く上がった打球の落ちどころを探りながら前方に走る。


だがボールに近づいたある時、彼は俺が予想しなかった行動に出る。


なんと、突然手前方向へと頭から飛び込んだのだ。


違う!!


そこはそんなことしなくても取れる球だ!!


左翼手の飛び込みとタイミング差ですれ違うようにして、打球は芝生へとポトリと落ちる。


フェアだ。


この瞬間、スラッガーズのベンチと応援席からドッと声援が湧き上がる。


カバーに入ったセンターの凪乃が捕球して送るが、その頃には高津は二塁に到達していた。


「………これは、マズイな」


ノーアウト二塁。


絶体絶命のピンチだ。


ここでタイムがかかり、チーム一同が集まる。


輪になり互いの顔を見るが、空気は重く沈黙が続く。


左翼手の子は、自らのエラーで気落ちした様子で肩を落としている。


そこに監督がやってきて、俺たちの輪の中に入る。


「……危ない場面だが、ここが正念場だ。ここを防いで一点入れれば、全国大会だ」


全国大会。


絶望的状況のなか。


そのたった一言で、わずかに全員の目に光が灯る。


「次の打者だが……」


監督は選手一人ひとりの目を見て続ける。


「外野も含めた前進守備だ」


チームメイトたちは、緊張の面持ちで頷く。


この前進守備の意味するところ。


それは、徹底したバントとシングルヒットの防止。


ノーアウトで二塁にランナーがいるこの状況では、送りバントや犠牲フライでつないでいけば、ほぼ確実に一点が入ってくる。


だから、内野の守備を前に固めることによって、バントの際に二塁ランナーの進塁を牽制しながらアウトを重ねることができる。


加えて外野まで前進すれば、内野の守備を越える打球でも捕れる可能性が高くなる。


その代わり、守備が前進していれば、当然その分後方の守備が薄くなる。


相手がヒッティングに切り替えて少しでも浮いた打球が出れば、そのときはサヨナラ負けを覚悟する。


そういった作戦だ。


つまりサヨナラ負けを阻止するには、俺が必ずあの5番打者を打ち取らなければならない。


「それと健人、あの高津和喜というキャッチャーの子だが……内角高めが弱点だ」


「内角高め、ですか」


それは、俺には見極められなかったところだった。


「凪乃との対戦の中で、内角高めになると手を出す傾向があった。そのくせ、球ひとつは外れたところで空振りする。あれは反射的なクセだ」


さすがに、よく見ている。


俺は、試合に夢中でそんなところまでとてもじゃないが意識できていなかった。


「低めに集めてツーストライクまで追い込んで、最後に内角高めで決める。あの子の好きなファールチップは、それで防げる」


「わかりました」


キャプテンが掛け声をかけ、全員がそれを返す。


それでタイムは終了した。


「ななみくん」


カルムズのメンバーがそれぞれの守備位置に戻るなか、凪乃が1人残っていた。


「あの子、狙った球じゃないとすぐにカットしてくるよ」


「ああ」


この試合中、何度もそれを見てきた。


凪乃もそれに翻弄されて、カットが続いた末のフォアボールになっていた。


「すごくやりにくい相手だと思う」


事実、凪乃の球をカットできるだけの実力がある。


カットを続けるというのは、かなりの技術が要求されることなのだ。


俺は凪乃に笑みを見せる。


「まぁ、それも全部、あいつが俺の球をカットできればの話だけどな」


言うと、凪乃はいつもの凪乃らしく無邪気な笑みを浮かべた。


「うしろにきたボールは、ぜんぶ私が捕るから」


「ああ」


俺は凪乃の背を叩く。


「この回を乗り切って、全国に行くぞ」


「うんっ!!」


カルムズの輪は解散して、それぞれが守備位置に戻る。


真上で太陽が光を降ろし、グラウンドを照らしている。


5番打者、高津和喜が打席に入る。


和葉と同じくらいの身長、それに彼女と変わらない、相手を見下すような笑み。


俺は平常心を保とうと、また深呼吸をする。


そして投じた、一球目。


俺が投げたのは、全力のストレート。


少し浮いた球になり、高津和喜は振りにいくが、バットは空を切る。


ストライク。


相手は速球のスピードに合っていない。


キャッチャーは続けざまのストレートを要求してくる。


俺は頷き、二球目を投じる。


「…………ッ!!」


今度は低めにおさまった球だったが、相手は構わず打ってくる。


球はわずかにバットをかすめて、キャッチャーミットに吸い込まれる。


ツーストライク。


「……………」


今度は、タイミングが合っていた。


さすがに、手ごわい。


これは球数を節約して打ち取りに行く相手じゃない。


三球目、四球目はボール球で様子を見たが、相手はきちんと選球して見送ってくる。


2ボール2ストライク。


高津和喜はギロリと睨むような眼で次の球を待っている。


続く4球は、相手の思惑通りに運んだ。


すべて厳しめのコースだったが、綺麗に流してカットをしたのだ。


「…………」


高津和喜は満足げに挑発するような笑みを浮かべる。


俺は目を細めて、キャッチャーのサインに首を振る。


ここが勝負時だろう。


ボールを握る指に力を籠める。


次に投げたのは、内角高めのストレート。


「…………ッ!!」


反射的に、相手は打ちにいく。


ブン、と風を切る金属バット。


「ストライク!!バッターアウト!!」


しかし、速球についていけず、バットはワンテンポは遅れてボールの軌道線上を通り過ぎた。


「クソッ!!」


和喜はバットを地面に叩きつける。


そうしたくなるほどに、タイミングがずれていた。


カットした先の四球の遅い球が頭に残っていたぶん、速球にうまく合わせられなかったのだろう。


絶体絶命のピンチだったが、なんとか切り抜けた。


ここで、監督がやってきて、投手の交代を審判に告げた。


まだ厳しい状況だが、延長戦のことを考えれば、ここが引き時だろう。


俺は小走りでマウンドを降りるが、その途中で、和喜が待ち構えるように立っていた。


すれ違いざま、和喜は憎々し気にこちらをにらみつけた。


「あんまり調子に乗るなよ」


「さっき調子に乗ってたのはお前だろう」


俺はそう返すと、相手の反応を見ることもなくベンチへ戻っていく。


その後登板した6年の田井中くんは、見事6番、7番の打者をゴロで打ち取り、ピンチを切り抜けた。


それを見届け、俺はベンチで安堵の息を漏らす。


これで、九回が終わり、1対1。


勝負は延長へともつれ込むのだった。



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