第三十三話 少年期(小学5年生) その26


地区大会決勝戦。


対MKスラッガーズ戦も8回となり、いよいよ佳境に差し掛かってきた。


カルムズの攻撃で二塁ランナーだった俺は盗塁を試みたが、それによって三塁手がミスを起こし、そのまま俺はホームへと生還。


1対1の同点となった。


続く打順は、二番の葵。


送りバントで凪乃を三塁へ堅実に送り行こうとしたが、タイミングをうまく合わせることができず、キャッチャーフライとなってしまう。


三番打者も凡打に終わり、追加点は入らないままカルムズの攻撃は終わった。


そうしてやってきた、八回裏。


俺はピッチング練習を終えて、マウンドに向かう。


途中、凪乃が俺に並走して、声をかけてくる。


「いつも通りに投げればきっと大丈夫だよ」


「ああ」


不思議と、緊張はない。


あるのは、闘争心だけだ。


あの高津の双子の会話が、また頭の中で反芻する。


マウンドにつくと、ロジンを手にまぶし、ボールを握る。


MKスラッガーズの打順は一番に帰り、現れたのは末っ子の3年生、高津幸喜<<たかつこうき>>。


まだ3年生ながら、セカンドで好守備を見せている子だった。


小柄で少年然としていて、体格の割に長いバットが不釣り合いに見える。


「……………」


俺は前屈みになり、キャッチャーのサインを見る。


さっき、キャッチャーの子とは投球の采配の打ち合わせをしていた。


俺は、キャッチャーのサインにそのまま頷く。


周囲が見守る中、俺は振りかぶる。


そのまま投げたボールは、内角高めのストレート。


「……………ッ!!」


小柄な身体から繰り出されたとは思えない、大振りのフルスイング。


バットは快音を鳴らし、激しい勢いで飛んだボールは、幸いにも逸れてファールゾーンに飛び込む。


「こりゃ危ないな……………」


早めに打ち取るための配球だったが、内角高めは長打にもなりうる。


相手が3年だからといって甘く見ない方がいいようだ。


続く二球目は真ん中低めのスローボールだったが、これには相手もうまく引っ掛かり、球の上をひっかけてサードゴロとなった。


これでワンアウト。


二番の子は一球目に少し甘めの球を入れたが、それを見送った。


その次の外角内側のストレートを振ってくれて、こちらもボテボテのセカンドゴロとなる。


ツーアウト。


立ち回りとしては、理想的な展開だ。


そして三番。


現れたのは、高津和葉。


ヘルメットから垂れたポニーテールを揺らし、バッターボックスに立つ。


そして、その鋭い目で俺を睨みつける。


「……………」


凪乃は言うまでもなく、小学生の中ではトップ層の実力を持っている。


そのボールをカットし続けた彼女のバッティングセンスは、悔しいが認めざるを得ない。


甘い球を投げれば、ヒット性の打球を打ってくるだろう。


俺は慎重に一球目を投じる。


「ボール!」


低めのきわどいコースだったが、少し外角に外れてしまった。


相手はうまく見ている。


続く二球目も、外角低めのストレート。


これは見逃し、ストライク。


「…………」


和葉は、厳しい顔を崩さない。


なにかを狙っているように見える。


キャッチャーの子は、次に高めの外角の指示を出す。


俺はそのサインに首を振る。


いつもなら二つ返事で頷くところだが、この打者相手に高めを投げるのは、少し怖い。


低めのところに集めて、凡打を作りたい。


続く三球目も低めのコースに投げる。


「……………ッ!!」


ここで彼女は振りにいく。


球はバットを打ち鳴らし、バックネットへとぶつかる。


ファールで、1ボール2ストライク。


「まずいな……」


もうこれで7球も投げている。


俺の登板は15球までと言われている。


これで半分だ。


これ以上長引いたら、下手すると九回までもたない。


内角低めの位置のストレートのサインで、俺は頷く。


難しいコースの全力ストレートで空振りを狙いにいく。


俺はゆっくりと振りかぶる。


身体をしならせ、全身全霊で一球を投じた。


「……………ッ!?」


しかし、球は狙いよりも中央に寄ってしまった。


この球は………。


打ち頃だ……ッ!!


「……………ッ!!」


バットは痛烈な金属音を鳴らし、打球は俺の真正面に飛び込んでくる。


激しいピッチャー返し。


これが抜けると、マズいッ!


打球はワンバウンドして、わずかに右へ逸れる。


俺は必死屈み、身体で受け止めにいく。


「うぐッ……!!」


白球はグローブをすり抜けて腹部を痛打する。


鳩尾近く。


呼吸ができない。


重い鈍痛の苦しみに耐えながら、一塁に送球する。


「アウトッ!!」


これでスリーアウトだ。


「ななみくんっ!」


「七海さんっ!!」


凪乃と葵が俺の元に駆け寄って、俺の両脇につく。


「大丈夫ですか!?」


葵の問いかけに答えようとするが、まだ呼吸が整わず、呻き声しか出てこない。


他のメンバーたちも集まってくるなか、俺は葵と凪乃の肩を借りて、ようやく立ち上がる。


ベンチに戻ると、監督が俺の前にかがみ込み、顔色を確かめる。


「健人、骨に異常はあるか?」


俺は首を振る。


「そうか……」


監督は立ち上がり、唸る。


当たりどころは悪かったが、肋骨は避けているし、幸いにも軟式球だからじきに回復するだろう。


お願いだから、交代はさせないでほしい。


監督に訴えたいが、声を出すことがままならない。


試合は最終回に入っていき、攻守の交代に移っていく。


監督は一人、決めあぐねるようにその場に立っている。


濱北さんもそこには入らないほうがいいと思っているのだろう、看護師の保護者の人が俺を診てくれている横で、具合を眺めている。


どう判断するかはわからないが、せめて、この攻撃の間に回復に努めなければ。


だが………。


「ストライク!バッターアウト!」


高津和葉は、三番から始まるカルムズの上位打線を、三者三振というこれ以上ない好投でねじ伏せた。


「すごいです……」


周囲が絶句するなか、葵は暗くそう呟く。


球速は、目立って速くない。


だが、それでも打ちにくく感じさせているのが、洗練されたコントロールと、巧みな配球。


それにメジャーの投球フォームによるタイミングのズレもあるのだから、攻略は困難を極める。


打者にとって一番嫌なコースを突く才能が、彼女にはある。


その点、投手としてのセンスは、先発の高津長男を上回っているんじゃないかとすら思える。


なにはともあれ、これでまた九回裏、カルムズの守備が回ってきたわけだ。


凪乃も降板し、俺もあと7球しか投げられないなか、本当に勝つことができるのだろうか。


かすかに残る鳩尾の苦しさが呼び起こすように、勝利に燃えていた心の中に、不安の暗雲が入り込んでくるのだった。

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