第三十二話 少年期(小学5年生) その25

地区大会決勝戦。対MKスラッガーズ戦。


八回表の攻撃でワンアウト。


このタイミングで、代打として投入されたのが、元エースで4番、病み上がりの俺だった。


スラッガーズもまたこのタイミングで二番手投手を投入。


それが、先発投手の高津の妹、高津和葉。


『まぁ、もうすぐあんたも登板せざるを得なくなるだろう。あの先発の女、もう投げ疲れ始めてるだろう』


『あれだけ粘られたら、並のピッチャーはダメになっちゃうものね』


投球練習を見守る中、試合の外で交わした会話が頭の中で何度も反響する。


凪乃は彼女とキャッチャーの高津和喜の双子によって、何度もカットをくらい、投球数を稼がされた。


もちろん、反則ではない。


だが、そのやり口を俺はとても好きにはなれない。


絶対に、負けるわけにはいかない。


そんな意思を胸に打席に立った俺を前に、相手はどこか小馬鹿にするような、不敵な笑みを浮かべていた。


風が頬に当たるのを感じる。


気付けば、太陽は真上近くまで昇っていた。


俺はゆっくりとバットを回し、構える。


和葉は前屈みになってサインを確認する。


一つ返事で頷き、投球フォームに入る。


兄と同じく短いモーション。


投げられた球は高め。


初球から俺は振りに行くが、バットの上部をかすめてバックネットへ流れていく。


ファールだ。


「……………」


彼女は見下すような笑みを崩さない。


怒りに気持ちを持ってかれないように深呼吸をして、俺は再びバットを構える。


続く二球目は、地面を弾きそうほどの低め。


危うく振りそうになるが、なんとか留めてボール。


三球目は振りに行ったが、タイミングが早く、レフト方向ファールゾーンへ勢いよく飛んでいった。


これで2ストライク1ボール。


あっという間に追い込まれてしまった。


高津和葉の投球フォームもまたメジャー式で、俺の目からは綺麗とは言えなかったが、身体全体をうまく使った投球だ。


ある程度野球を熟達した人間ならわかる。


速球も兄ほどの速さはないが、その分コントロールに優れている。


またもや、手強い投手が出てきたと言える。


相手チームの守備を一望すると、セカンド、ショートに高津兄弟がいて、和葉の投球を見守っている。


十二分にカルムズの下調べをしてきたと見えて、全員が長打を警戒している様子だ。


そこで、俺にある考えが浮かんだ。


四球目。


彼女が投げたのは、外角ギリギリのストレート。


そこで俺は、突如バントの構えに切り替えた。


「……………ッ!!」


後方で、キャッチャーの唸る声。


バットの先にうまく当たり、白球は三塁線ギリギリへ転がる。


それと同時に、俺は全力で走り出す。


三塁手は前へ走りながらも、ファールかどうかの判断ができずに捕球を迷っている。


「どけっ!!」


そんな三塁手に一喝し、ショートの高津兄が捕球し一塁に投げる。


だがカバーは間に合わず、俺は一塁に到達した。


「やりましたね、七海さんッ!」


ベンチからカルムズのメンバーの歓声が聞こえ、その中でも葵のはしゃぐ声が響いた。


今の内野のやり取りで、俺の中で一つの確信が生まれた。


俺はバッティンググローブを外しながら、打席に向かう凪乃にアイコンタクトを取る。


「……………」


俺の意図を凪乃は理解したのかわからないが、俺に向けて頷いてみせる。


高津和葉は不機嫌そうな表情を見せていたが、凪乃がバッターボックスに立つと、真剣な眼差しに戻った。


一球目、相変わらずの鋭いコントロールで外角低めを狙うが、少し逸れてボール。


二球目も際どいコースだったが、凪乃は見極めてボールのカウント。


凪乃の高い選球眼が活かされている。


ノーストライク2ボール。


投手からすれば投球が難しいカウントだ。


だが、和葉の投球は崩れずに、三球目もかなりうまいコースに入れてくる。


凪乃は合わせるが芯には当たらずに真後ろへ飛び、ファール。


自然な流れだったが、ここから違った展開に変わっていく。


続く鋭いストレートを凪乃は4球目、5球目もカットしてファール。


6球目は前に飛ばせそうなコースだったが、凪乃はそれもチップしてファールを選択した。


「…………まさか」


俺は一つの思いがよぎった。


もしかして凪乃は、打者の立場で和葉にカットをやり返しているんじゃないか………?


正直言って、同じようにしたところで、もう八回のこの状況では、いくらカットを繰り返しても投手の体力を奪い取ることはできない。


それなら、凪乃はどうしてするのか?


単純なことだ。


負けず嫌いな性分と、プライドの高さ。


ほんわかした外面からではわからない、凪乃のそういった一面が、このやり返しへと駆り立てているのだ。


「……………ッ」


そんなやり返しを受ける和葉もまた、顔をしかめて不機嫌を露わにしていた。


彼女がプライドが高いのは、一目見ればすぐにわかる。


さっきまでピタリと意思疎通していたキャッチャーとのサインのやり取りも、首を振ることが増えている。


プライドとプライドがぶつかり合う勝負。


そして数度のやり取りの末に選んだ球は、全力のストレート。


さっきまでよりも一際球速が出ているが、その分コースは甘い。


それを見逃さず、凪乃はバットを繰り出す。


芯を捉え、打球はセカンドの頭上を飛び越すヒット。


凪乃は難なく一塁へ到達し、俺も二塁で止まった。


1アウト一二塁、同点のチャンスだ。


そして次の打席は、葵だ。


監督はベンチからすかさず、バントの指示を出す。


ここは初心者の葵にヒットを狙わせるよりも、俺たちを進塁させた方が点につながりやすいと判断したのだろう。


加えて、葵の脚があれば、送りバントのつもりでも、捕球を少しでもミスすればセーフになる可能性もある。


その後、監督は俺に向けてサインを送る。


それは、俺にとっては驚く内容のものだった。


スラッガーズはバント警戒の前身守備。


和葉は怒りの感情を乗せるかのように振りかぶり、一球を投じる。


その瞬間、俺は全速力で走り出した。


同時に、内野の選手たちはどよめく。


投球は、バントのしにくいインコース高めのスローボール。


葵はバントを見送り、捕球したキャッチャーはすかさず三塁へ投げる。


キャッチャーの高反応と強肩で、返球は早い。


俺はヘッドスライディングでギリギリの判定を狙う。


だがその瞬間、思わぬ事態が起こった。


ワンバウンドの返球を三塁手が取り損ね、球はレフト方向へと流れてしまったのだ。


それを確認すると、俺と凪乃は次の塁へと走り出す。


レフトの送球は間に合わず、俺はホームベースへ生還。


凪乃も二塁へと進んだ。


1対1。


これで同点だ。


俺はベンチに戻ると、メンバーたちは一様に俺に駆け寄ってきてビシバシと体を叩いて喜びの声を上げた。


その中で俺は監督と目が合う。


監督は喜びも驚きも見せず、表情を変えないままに、またグラウンドの方へ視線を戻した。


そう。


チームメンバーは相手の焦りや運のおかげと思っているようだが、これはたまたまの出来事じゃない。


監督は、こうなることを予想して俺に盗塁のサインを出したのだ。


理由はこうだ。


まず俺は長打警戒の守備という虚を突いて、三塁線にバントを送った。


だがその時の三塁手の動きは、決勝の舞台にしてはお粗末なもので、結果ショートの高津がカバーに入ることになった。


この瞬間、俺や監督、無論濱北さんも、三塁手の守備力の低さを察知した。


それで俺は凪乃にアイコンタクトを取ったが、それを凪乃が理解したのかはわからない。


だが凪乃はうまくヒットを出し、次の葵に打順を回した。


そしてその打順で、監督は三塁手という相手チームの急所を突くべく、俺に盗塁のサインを送ったのだ。


「うまくいったな」


濱北さんが俺に声をかけてくれる。


「俺、そんなに脚は早い方じゃないのに、よく監督は決断しましたね」


「遅いくらいだ。俺は割と序盤から三塁側を狙うように話してたんだけどな」


「えっ、そうなんですか?」


「ああ。全体の守備を見れば、自然と浮かぶ。プロじゃ守備の苦手な選手に一塁手を任せるが、少年野球でそれをすると、捕球ミスが頻発してどえらい事態になる。だから、そういった選手は三塁手になることが多いんだ」


高津一家を除いた全体の守備力から、三塁手の守備の力を把握したというわけか。


俺には持ち得ない大局観だった。


「だけどそれをしなかったのは、ギガンツの監督を目指すプライドだろう」


俺はグラウンドを見据える遠坂監督をチラリと見る。


日本球界の名門、後楽ギガンツでは、送りバントやスクイズといった弱腰の点取りは好まれない。


ファンも正々堂々とした戦い方を求めるし、選手たちもそういったプレッシャーを感じながらプレイしていると聞く。


長年その中で現役生活を送った遠坂監督は、余計にその気持ちが強いだろう。


だが、この回で、相手チームの急所である三塁手を突いた。


つまり、監督は恥も外聞も捨てて、勝ちに行く方向に舵を切ったと言える。


俺は勝利への期待が膨らむのを感じながら、バッターボックスに立つ葵にエールを送るのだった。



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