第三十話 少年期(小学5年生) その23

地区大会決勝戦。対MKスラッガーズ戦。


その一回裏、スラッガーズの攻撃。


こちらの先発ピッチャーは、凪乃。


対する敵チームの一番打者は、高津幸喜たかつこうきという小柄な男の子だった。


小柄なのもそのはず、オーダー表を見ると、彼はまだ3年生だった。


かの、元後楽ギガンツの名打者、高津嘉宏の息子で、なおかつ本場アメリカで鍛えられたとはいえ、まだ3年生の子が決勝の上位打線にいる。


にわかに信じられなかった。


凪乃はマウンドに立ち、少し屈んでキャッチャーのサインを見る。


頷いてまっすぐ立った時、遠くからチラリと俺と目が合う。


細かな表情まではわからないが、試合の時の集中した顔つきになっていた。


それからゆっくりと、凪乃は左足を下げながら腕を振り上げる。


足を上げて、流れるように重心を前方に移動させていく。


左足の着地と、腰の回転。


どこまでも基本に忠実な、美しいまでの投球フォーム。


そうして投じられた球は、ストライクゾーンの内角低めの位置に吸い込まれていった。


バッターは見逃し、ストライク。


「………調子は戻ってるな」


監督の言葉に、俺も後ろで頷く。


かなり難しいコースを一球目から入れにいっているあたり、本人もそれは感じているのだろう。


続く二球目は外角の低めだったが、際どい位置を外れてボール。


これも、投球の出来としてはかなりいい。


三球目の球で、初めて打者が振りにいく。


内角の球をバットがかすめて、真後ろにボールが飛んでいく。


ファール。


凪乃の速球に、まったく振り遅れない。


それどころか、タイミングとしてはピッタリだ。


そんな一番打者だったが、凪乃が投げた緩い球を打ち損じて、セカンドフライで打ち取られてしまった。


ワンアウト。


「さすが高津さんだ。よく鍛えられてる」


監督の言葉に、濱北さんは頷く。


「小柄ながらに、身体の重心と遠心力をバットに乗せるいいバッティングだ。タイミングが合えばホームランも出るかもしれん」


俺には、準決勝で当たった莉里を彷彿とさせた。


莉里もその小柄な身体を最大限利用して、俺からホームランを取ったのだ。


続く二番打者は、初球打ちでショートゴロに沈む。


三番には、また高津ファミリーの一人が出てくる。


高津和葉たかつかずは。5年。


身長は、凪乃よりも少し低いくらいだろうか。


さっき、うまくショートバウンドのボールを捕球した遊撃手の子だった。


目元は父親の鋭さを受け継いでいるものの、顔立ちは母親似なのかシュッとしていた。


凪乃は初球と二球目をボール球で様子を見るが、彼女はそのどちらもよく見極めて、ボールの判定が下る。


三球目で、バットを振りに行くが、狙いが合わずストライク。


四球目は、ライト方向へ飛ぶファール。


五球目は球がすっぽ抜けてボール。


その結果、あっという間にスリーボールツーストライクのフルカウントとなってしまった。


だが、そこからが長かった。


次に凪乃が投げたのは、内角低めの鋭い球だった。


それを、高津和葉は軽くバットを振って端に当てる。


球はそれで軌道が逸れて、後方のフェンスに叩きつけられる。


「………チップか」


あえてバットを球にかすめる程度に当てて、ファールにしにいっている。


今日の凪乃はコントロールがすこぶるいいから、打ちごろの球を待っているのだろう。


続く球も、彼女はチップをしてファールに持っていく。


その次の球も、かすめる程度のファール。


「……………」


あの女の子、かなりバッティングが上手いと見える。


チップで粘ろうとするなんて、簡単なことではない。


ましてや、球のコースは厳しいところに来ているのだ。


一度和葉はバッターボックスから出て、数度の素振りをする。


そうして再び、打席に着く。


凪乃は数度サインに首を振り、やがて頷いた。


投げた投球は、内角高めのストレート。


しかし、球が中心に寄っている。


バッターはすかさず、そこを狙いに行く。


カキンッ!!


激しい金属音が響く。


打球は鋭く、後方へと伸びていく。


センターは急いで球筋の先へと走る。


幸い守備が間に合い、センターは飛んできたボールをキャッチした。


結果はセンターライナーで、スリーアウト。


俺はホッと胸を撫で下ろしたのだった。


   ***


そこからは完全な投手戦となった。


カルムズは高津家の長男の投球を攻略できずに、三振とゴロの山を築かれていく。


一方のスラッガーズも、二回裏で四番がツーベースヒットを出すものの、凪乃のコントロールに翻弄されて、チャンスをものにできずにいた。


そんな硬直状態は、五回まで続くことになる。


試合が動いたのは、六回裏だった。


二死一塁の中、また三番の高津和葉の打順が回ってくる。


凪乃はストライクゾーンの内と外を使い分けながら、難なくツーストライクまで追い込む。


だが、また彼女の連続のチップが始まった。


ボール球には手を出さず、ストライクになる球を正確に見極めて、ファールに持っていく。


凪乃も根気よくいい球を投げ続けたが、この打席は相手に軍配が上がり、フォアボールになった。


ここから、守備が崩れ始めた。


四番の高津嘉喜がセカンドの頭上を飛び越えるヒットを放つ。


続く五番の高津和喜は、三番と同様にチップの作戦に出る。


追い込まれてから、なんと五球連続でファールに持ち込む。


結果、フォアボール。


押し出しによって、スラッガーズに先制点が入った。


ここで、遠坂監督がタイムをかける。


監督は凪乃の元へ向かい、守備についているチームメイトもマウンドに集合する。


俺は、控え選手のため行くことはできず、遠目で凪乃の様子を見守ることしかできない。


凪乃を見る限り、オリオンズ戦の時のような動揺する様子は見えない。


だが、この六回にきて、凪乃の制球が乱れ始めていた。


原因は、投球数だろう。


三番と五番。


高津家の双子(多分)が、毎度のようにチップをし続けるのだ。


フォアボールの危険もある中、ただでさえ気の張る投球を強いられるのだから、体力も精神も削られていく。


もう六回にいく場面だから、完投よりも選手のコンディションを優先する監督の方針からすれば、そろそろ交代のタイミングに差し掛かっている。


だが、投手を交代をすれば、勝ちはない。


俺か凪乃でなければ、高津一家にめった打ちにされることは目に見えている。


監督は凪乃になにか声をかけ、それから試合は続行された。


   ***


七回裏に入って、俺はベンチを立った。


グラウンドを出て、入り口近くに併設された公共トイレに入る。


六回裏の押し出しの失点の後は、凪乃は凡打で打ち取り、満塁の危機を乗り切った。


七回裏も、誰一人塁に出させないまま、もうツーアウトまで取っている。


1対0で負けているとはいえ、かなり上出来なピッチングだ。


用を足してベンチへ戻ろうとした時、途中の自動販売機のところで、スラッガーズのユニフォームの子二人とすれ違った。


「なぁ」


そのまま通り過ぎようとしていたところを、男の子に呼び止められる。


見ると、高津ファミリーの誰かだった。


だが、人数が多くて誰が誰だかわからない。


「あんた、七海健人だろう?」


唐突に、男の子はそう言った。


「そうだけど。なんで知ってる?」


「準決勝を見た。それにカルムズは全試合を動画に撮ってある」


そこで、俺は目の前の男の子が誰か思い出した。


高津兄弟の5年の男の子だった。


確か、高津和喜だったか。


「今週なんて、晩ご飯の時に毎日居間のテレビでカルムズの試合を観せられたわ。父さんは馬鹿に真面目だから」


その隣にいるポニーテールの女の子は、誰かすぐにわかった。


5年の高津和葉。ショートで三番の女の子だ。


「決勝なのに、どうしてお前は出ない?エースだろう?」


「そ、それは…………」


ランニングのしすぎで体調を崩しました、だなんて、恥ずかしくてとてもじゃないが言えない。


「カルムズはあんたと今日の先発の奴の二枚岩のチームだろう?後はクズだっていうのに」


「クズ…………」


相手のチームメイトを平然と馬鹿にしてくる。


途端に、俺は腹が立ってくるのを感じる。


「和喜、言い過ぎ。カルムズはちゃんと野球をしてるぶん、うちよりはマシでしょ?うちなんて、野球のルールを知ってる程度の素人の集まりなんだから」


女の子の方が嘲りの笑みを浮かべながらそう言う。


相手チームどころか自分のチームまでも辛辣に言う。


この双子。


かなり口が悪いな。


「もしかして、全国大会に向けて監督はあんたを温存してるのか?だとしたら、とんだ失策だぞ」


「もしくは、この前の準決勝の疲れが取れないとか?あの試合の後半はヘロヘロで見てられなかったもの」


「……………」


好き放題に言ってくれる。


これ以上聞くのは耐えられない。


だが、相手は5年生の子どもだ。


言い返すのを堪えて、その場を立ち去ろうとする。


「まぁ、もうすぐあんたも登板せざるを得なくなるだろう。あの先発の女、もう投げ疲れ始めてるだろう」


「あれだけ粘られたら、並のピッチャーはダメになっちゃうものね」


俺は立ち止まり、振り返る。


「………あのチップ、そのためにわざとやったのか?」


「さぁ、どうでしょうね?」


和葉は、ニタリと意地悪な笑みを浮かべる。


「なんにせよ、次に私たちの打順が回ってくる時には、あの子はもう打ちごろのピッチャーになってるわ」


「………あんまり舐めるなよ」


俺の絞り出すような一言を、二人はむしろ満足そうに聞き流す。


「日本はぬる過ぎるんだよ。これなら戻ってくるのを反対しとくべきだった」


「きっと、この地区がぬるいだけよ。全国に行けば、もっとマシな子も見つかるわ」


小馬鹿にしたような笑みを浮かべて、二人は俺を通り過ぎていく。


後ろ姿を見つめながら、俺は拳をきつく握りしめる。


今に見てろ。


沸々と煮えたぎる怒りを胸に抱えながら、俺はベンチに戻っていくのだった。

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