第二十九話 少年期(小学5年生) その22

いよいよ、地区大会決勝戦の当日がやってきた。


その日は朝から雲一つない快晴だったが、会場へ向かうマイクロバスの空気は重かった。


「……………」


なんとも言えない緊張感。


見れば、先発を務める凪乃や葵をはじめとしたスターティングメンバーはもちろんのこと、控え選手までが皆一様に緊張の面持ちで、会話もほとんどなかった。


それを見てか、遠坂監督は俺たちに、これまでの練習の話や、今回の試合で勝てる見込み、その理由について力強く語り始めた。


それを聞いてメンバーの多くは鼓舞され、盛り上がりを見せたが、監督と長い付き合いのある俺や、娘の凪乃にとっては、かえって監督の焦りを感じさせられた。


会場に着くと、もう相手チームは既にベンチに入っていた。


相手は、MKスラッガーズ。


聞き覚えのないチームだった。これまで当たったことはないことに加えて、ベスト8以内に入っている


まるでノーマークだったと言っていい。


相手チームのベンチを見ると、見慣れないユニフォームの球児達が、各々にストレッチを行っている。


「ななみくん、そういえば、八王子オリオンズだけど」


ベンチに荷物を置きながら、凪乃が言った。


「あのチームも、決勝に行ったらしいよ」


「……そうか」


あの藍染の所属するオリオンズは、大会の地区が違う。


お互い地区大会を制すれば、全国大会で対戦することもあるかもしれない。


俺たちも入念にストレッチを行っていると、相手ベンチの方から大きな影が近づいてくる。


監督はすぐさま立ち上がり、そちらへ駆け寄る。


「お久しぶりです、高津さん」


「数年ぶりだな、臙士」


日焼けした、ごつい体の男だった。遠坂監督も長身だったが、それよりもさらに大きい。


「お前、この前もテレビで見たっていうのに、少年野球の監督もしてたんだな」


「高津さんこそ。確か拠点を海外に移してたでしょう。どうしてまた」


「日本が恋しくなってな。去年戻ってきたんだ。それで地域のチームに息子たちを入れようとしたら、そこが保護者の寄り合いの運営だったんだよ。そうしたら、あれこれと説得されて監督になっちまった」


男は大口をあけて豪快に笑う。


その顔を見て、ハッとした。


「…………高津嘉宏たかつよしひろだ」


見覚えがあるどころじゃない。


今でも鮮明に、あのユニフォーム姿を思い描くことができる。


現役時代、250のホームランを叩き出した、後楽ギガンツの元4番打者だ。


俺が前世の時代にちょうど現役として活躍をしていた、憧れの選手の一人だった。


当然、カルムズのメンバーも知る者は多く、場は騒然となる。


濱北さんも挨拶に行くと、高津はまたもや親しげに笑い、濱北さんの肩を叩く。


かつてのメンバー同士の、唐突な再会。


この少年野球の場で再びプロの選手たちがすることになるなんて。


そして集合の号令があり、再び監督からの鼓舞。


そして、整列。


試合開始となった。


先攻はカルムズだった。


一番打者は、いつも通り凪乃だ。


決勝というだけに、凪乃の表情もいつもになく緊張が見える。


俺もそれが伝染するかのように心臓が脈打つのを感じながら、ベンチからその姿を見守る。


相手チームの先発に立つのは、6年生の背の高い男の子だった。


この学年の男の子の中でもかなり高い。


165cmはあるのではないだろうか。


父親譲りの、ゴツく骨格のしっかりした顔。


名前を聞くまでもなく、あの高津嘉宏の息子であることは察しがついた。


オーダー表を見ると、「高津嘉喜たかつ よしき」と書かれている。


身長に加えて、6年生とは思えないような凛々しく大人びた顔立ちをしていて、決勝だというのに澄ました表情を崩さない。


それが見せかけだけのハッタリなのか本物なのか、今にわかることだろう。


凪乃がバッターボックスに入り、バットを構える。


「プレイ!!」


そんな高津ジュニアの投球は、ストレートからだった。


長い腕を活かし、おおきく振りかぶって、大ぶりで投げ込んだ球は、真ん中より少し下に入る。


凪乃は果敢にも一球目から振りにいくが、タイミングが合わず空振りする。


「すごい球ですね……………」


俺の隣で葵が感嘆するように言った。


「七海さんとどちらが早いでしょうか………」


「……………どうだろうな」


俺はそう言って誤魔化したが、内心ではわかっていた。


あの高津嘉喜の方が速い。


今の俺は最高球速で115km/hくらいだが、さっきの球はそれ近く出ていた気がする。


つまり、これから肩が温まってくれば、それ以上の速度が出る可能性は高い。


「七海さんや凪乃さん以外にも、こんなに才能がある人がいるんですね………」


藍染は隣の地区だが、都内の狭い中でもこれだけの選手がいるのだ。


気を引き締めていかないといけない。


俺たちが話している目の前に、うちのキャプテンの6年生がやってくる。


「葵、お前何やってるんだ!バッターサークルに入れ!」


「あっ、そうでしたっ!すみませんッ!」


葵はペコペコと頭を下げて、バット片手にネクストバッターサークルに入る。


そうか。


葵は今日初スタメンだったんだよな。


二球目は、緩い球を外してボール。


同じ腕の振りで緩急をつけられているのだから、ポテンシャルが高い。


豪快だが、体の振り方の違う、見慣れない投球フォームだ。


三球目、内角高めの厳しい球を、凪乃はうまくバットを出して打ち返した。


打球はセカンドの頭上を越え、ライトの手前にストンと落ちる。


ヒットだ。


途端にカルムズのベンチは歓声で沸いた。


「いいぞ!凪乃!」


遠坂監督も腕を振り上げ声を出す。


さっきの投球は決して悪いコースじゃなかったが、凪乃がバットを早く振りにいくことで、うまく合わせていた。


あれだけの球速の中でそれができたのは、間違いなく凪乃のバッティングセンスと実力の成せる技だった。


とてもじゃないが、普通のレベルで打てる球じゃない。


「……………」


投手の高津は特に動じることなく、早くも次のバッターに目を向けていた。


次は、葵だ。


白線の四角の中に立ち、足を広げてバットを構える。


野球を始めた当初と比べると、そのフォームもいくらか様になっている。


だが、腕の構えがいつもよりも硬い。


やはり緊張がそうさせているのだろう。


一球目の鋭い直球は、見逃してストライクとなる。


続く二球目、ボール球を振りに行き、ストライク。


三球目、制球が乱れて少し甘めに入ったところを、葵は突如としてバントの構えをとった。


これにはチームメイトの俺たちからも驚きの声が上がる。


コツリとバットが球に当たり、三塁線間際を転がっていく。


いいバントだ。


同時に、葵はバットを捨てて疾走する。


その速さは、小学生トップクラス。


「…………ッ!!」


相手のキャッチャーが素早く捕球し、ほとんど間をおかず一塁へと投げる。


そして、ファーストが捕球。


そのタイミングと葵がベースを踏むタイミングは、ほぼ同じ。


「……………アウトッ!!」


審判が腕を振り下ろす。


「ダメだったか………」


セーフと取ってもおかしくないタイミングだったが、まぁ仕方がない。


だが、わずか一ヶ月であそこまでバントの技術を上げるとは。


才能か、葵の努力なのか。


そして、その走塁を刺したキャッチャーの、捕球までの動作と凄まじい強肩。


どうやらあの高津嘉喜のワンマンチームではないようだった。


とはいえ、葵は刺されたものの、これでワンアウト、ランナー二塁だ。


ここで一発打てば、開始早々一回で初得点もありうる。


チームのみんなに鼓舞されながらバッターボックスに入った三番の子だったが、残念ながら二球目のボール球に手を出し、セカンドフライに倒れてしまう。


そしてその次の四番は、うちのキャプテンだった。


「……………」


そこは本来、俺が立っている場所だった。


一回表で現れた、このチャンスのタイミング。


俺だったら、この回にツーベース以上を打って、得点を叩き出す自信があった。


だが、それも叶わない。


自業自得とはいえ、なんともいえない思いに駆られてしまう。


「なぁ臙士、あの高津さんの息子の投球だが………」


そんな複雑な心境の俺の近くで、濱北さんと監督が並んで話をしているのが耳に入る。


「そうだな」


監督は頷く。


「あれはメジャーの投げ方だ」


「メジャー、ですか?」


思わず俺は、割って入る。


「大人の話に入ってくるな、健人」


「いいじゃないですか。内緒話ってわけでもないんでしょう?」


監督はやれやれと首を横に振る。


「いいか。日本とメジャーとでは、投球法に違いがある。日本人は縦に身体を使って、上半身を前へ投げ出すようにして速球を投げる。対してメジャーは、身体を捻るようにして、横方向の身体の力で投球する」


一球目を投じる高津を横目で見ると確かに、身体の使い方に違いがあった。


その一球目は高めのボール球で、キャプテンは手を出してしまい、空振りしてワンストライク。


「そういえば、高津さんはアメリカ帰りって言ってましたね」


「きっと、あの子も地元のチームで鍛えられてきたんだろうな」


野球の本場、アメリカの投球法。


まだ小学生とはいえ、それを生で見るのは俺も初めてのことだ。


「じゃあ、あの子の方が優れた投球、ということですか?」


「別にメジャーの方が全部優れてるってわけじゃない。どちらも理にかなった方法だし、それに日本の縦方向の投げ方の方が、日本人の体型には合ってるという見方が強い。だが、少なくともあの子は、あの投げ方で十二分に成果を上げているみたいだな」


高津の二球目は外角のボール球だったが、それもキャプテンは振ってしまった。


これでツーストライク。


「ダメだな。あいつ、緊張してしまってる」


そう言って監督は首を振る。


それは監督でなくとも、ベンチに座るチームメイト全員が感じ取れていることだった。


キャプテンは本来選球眼に優れている。


俺や凪乃が投げた球でも、ボール球はかなり慎重に見極めることができる。


だからこそ、余計に俺たちは焦燥感に駆られた。


「このメジャーの投法で怖いのはな、リリースのタイミングなんだ」


濱北さんが言った。


「日本の投球はモーションが丁寧でゆっくりしているから、打者としても心構えがしやすい。だが、メジャーは身体を開いてすぐに投げる。モーションからリリースまでの間がすごく短い。おまけに球威のある速球がオーバースロー気味で振り下ろされるように飛んでくるから、慣れていないと合わせにくい」


「おまけにメジャーの球は癖が強いからな」


プロ野球の現場でそれを体験してきた二人の言うことは、実に重かった。


確かに、野球の試合ではよくメジャーから移籍してきた選手の投球を目にする。


だが、それを自分が初めて打席に立ってヒットを打てるかというと、段々と自信がなくなってきた。


カウント、ツーボールツーストライクで迎えた五球目、キャプテンは振りに行く。


バットのやや下をかすめた打球は、三遊間へと鋭く飛ぶ。


相手の遊撃手は追いかけ、足元に落ちた球を難なく捕って、ファーストへと送球した。


スリーアウト。チェンジだ。


「あのショートバウンドを捕るとはな。あの女の子、センスがいいな」


「女の子?」


俺はベンチへ戻っていくショートの子の姿を目で追う。


帽子からポニーテールに括られた髪が下がっている。


確かに女の子だ。


一回裏の守備となり、カルムズのメンバーたちはぞろぞろと守備位置へ向かっていく。


その中で俺はなにもせずに、その場に座っている。


「凪乃」


俺は近くにいた凪乃に声をかける。


「がんばってこいよ」


凪乃は少しだけ顔をほぐし、いつもの緩やかな表情を見せた。


「まかせて」


俺はメンバーたちの後ろ姿を見つめながら、近くにあったオーダー表を手に取った。


高津嘉喜の打順を知るためだ。


「……………えっ?」


オーダー表を見て、思わず目を疑った。


当初の予想通り、高津嘉喜は4番に入れられていた。


驚いたのは、他のメンバーだ。


1番、セカンド、高津幸喜たかつこうき。3年。


3番、ショート、高津和葉たかつかずは。5年。


4番、ピッチャー、高津嘉喜たかつよしき。6年。


5番、キャッチャー、高津和喜たかつかずき。5年。


「まさか………」


高津なんて苗字はありふれたものじゃない。


偶然の一致でなければ、彼らは全員兄弟ということだ。


つまり、6年の長男、5年の長女と次男の双子、それに3年の三男……。


「総勢四人兄弟………」


そこで、ようやく気づいた。


これまでベスト8にも登ってこなかった MKスラッガーズが、突如として決勝の舞台にまで上がってきた理由。


高津監督の指導もあるだろうが、その一番の理由は、四人もいる高津ファミリーの実力で、チームの力が大幅に底上げされたことにあるのだろう。


「これはまずい事になったな………」


本場アメリカの野球に触れ、元プロ野球選手の父にもしごかれてきた規格外の四人を相手に、勝てるのか。


俺はなおさら、試合に出られない歯痒さを、ベンチで味わうのだった。

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