第18話 基礎の基礎 ユーゴの場合


 島を出てからの父の話を聞いたことは無いが、この日記で里での生活は少し知れた。

 世界の事も少しだが分かった。知らない事だらけだ、この島を出たら三人で世界を旅しよう。

 その為にも、今とは比較にならないほど強くならなければいけない。明日からはその為の修練だ。

 ゆっくり休んで明日に備えよう。


 父の日記を閉じ、元あった本棚にしまった。

 畳に直に敷いた寝具に横たわり、イグサの香りを楽しみながら眠りについた。

 


 ◇◇◇

 


 夏の朝は不快だ。

 念入りに顔を洗い、汗を拭う。

 寝汗を吸ったシャツを着替え、春雪を腰に差し、里長の屋敷に向かう。


 敷地は広い。木々の間を縫うように道が整備されている。夏の陽射しを緑が和らげ、時折髪を揺らす風が心地よい。

 

 屋敷の入口で靴を脱ぎ、廊下を歩く。

 着物を着た女性がせわしく働いている。女中と呼ばれていた。家事などを任されているようだ。


 部屋の再奥で、里長が膳の前に座っている、一人だ。


「おぉ、早いな。座って食うがよい」

「はい、頂きます」


 里長の隣の膳の前に胡座をかき、慣れない箸で食を進める。お椀の味噌汁が今日も美味い。

 

 ――ん? 生の卵だ。どうやって食うんだ?

 

 里長を見ると、醤油をかけて混ぜた生卵を白飯にかけて食べている。


 ――オレもやってみよう。


「ん、美味い……」

「卵かけ飯、美味かろう。儂の好物だ」

「はい、卵を生で食べるという文化が外には無いですね。これは美味しい」

「それは勿体ない。こんなに美味いものを」


 そう言ってカッカと笑った。

 こうして喋ってると普通の爺さんだ。なんだか安心する。


「いつも両脇にいらっしゃる方々はどなたですか?」

「あやつらは息子だ。三男のカイエン、四男のコウエンだ。お主の父親、シュエンは五男である。未子だ」

「その上のご兄弟は?」

「長男と次男、長女を先の戦で亡くした」

「そうでしたか……メイファさんと下の妹さんで八人ですね」

「その通りだ。なぜ知っておる」

「父さんの部屋で日記を見ました」

「あやつ、その様な物を残しておったか。息子のお主には貴重な物であるな。好きに扱うがよい」


 食事のたびに色々な話が出来そうだ。

 里長と喋るのは楽しい。一緒に酒を飲んでみたいものだ。

 

「よし、少ししたら準備して庭に来るがよい」

「分かりました」

 

  

 準備は既にできている。お茶を飲みながら腹を落ち着かせ、庭に出る。

 しかし庭などと言う広さではない。昨日の修練場より広いんじゃないかと思う程だ。少し身体を解していると、里長も外に出てきた。


「よし、始めるか」

「里長、オレ強くなりたいです。よろしくお願いします!」

「会った時にも言うたが、お主の潜在能力は凄まじい。後はその使い方だ」


 二人では勿体ない程に広い庭の中心に立ち、刀を抜く。 


「良し、先ずは刀を正眼に構えてみろ」

「正眼?」

「中段の構えだ」


 刀を両手に握り、正面に構えた。


「お主……奴に何も習っておらぬのだな……一体何をしておったのだ、シュエンの奴は……」

「刀を受け取った次の日には居なくなってしまったので……」


 里長は呆れ顔で深く溜息をついてから、顔を上げた。

 

「先ずは刀の柄の握り方から指南する必要があるの……左手で柄の末端を少し残して握り、右手は鍔に人差し指が少し付くような位置で握る。上から見てみよ、両手の親指と人差指の間が、刀身の延長になるように合わせる。小指と薬指あたりで握り込み、人差指に向けて力を抜く。右脚を前に出し、自然な位置に構えてみよ」


 ――おぉ、しっくりくる。


「振ってみよ。どうだ?」

「全然違います。握り方一つでここまで違うとは……」

「何事もそうだが、基礎が一番大事だ。疎かにせぬことだ」

「心得ました」


 思えば、剣の持ち方すらまともに習ったことは無い。シュエンは剣を使わない、当然の事かもしれない。


「よし、次だ。正眼の構えのまま練気術だ。昨日の様に体中の気力を練り上げ、両手に集中させてみよ」


 集中だ。

 昨日の様に、両手に練気を集める。


「よし、それを刀に薄く纏ってみよ」


 ――気力を纏う要領でいいのかな……?

 

 薄く薄く、基本に忠実にゆっくりと錬気を刀身に注ぎ込む。

 刀の切っ先から「ヒュンッ」と練気が抜けて出ていった。


 ――難しいぞこれ!


「最初はそうなるであろうの。練気を体から出すのが難しい。皆そうだ、気にせん事だ」

「普通に気力を纏うのとは扱いが違うんですね」

「うむ、コツは練気を刀身に練り込むように注ぎ、切っ先からつばにかけて薄く纏わせるよう心掛けよ。先ずは抜けてしまうまでの時間を長く保つ事だ」


 ひたすら正眼の構えのまま、体内で練り込んだ錬気を右手に集め、放出し続けた。

 難易度が高く、全くコツを掴むことが出来ない。


「助言するとすれば……練気を学ぶ前に、刀に気力を纏う時どのようにしておった?」

「薄く薄く纏うのが基本だと聞いたので、それを意識してました」

「左様、それが基礎だ。まずは焦らずにゆっくりから行うがよい。これが出来れば練気の斬撃を放つ。魔力に乗せて放てば良い」


 昨日里長が実演した剣技だ。まだそのレベルには無い。当面の目標は練気を纏うことだ。

 

 ――よし、焦らず……ゆっくり……薄く薄く。おっ? いい感じ。


「ヒュンッ」


 駄目だ。切っ先に近づくに連れどんどん難しくなっていく。


「まずは、真ん中辺りでキープする練習をしてみます!」

「うむ、当面はこの繰り返しだ。反復が大切だ」

「分かりました!」

「これ以上は儂から言うことはない。休憩しながらで良い、一人で出来るな?」

「がんばります!」


 ひたすら繰り返す他ない。これが出来るようになれば何でも斬れそうな気がする。


 ――大丈夫だ、オレは強くなれる。

 

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