17:55 みんなで離れへ向かう
一階へ戻り、台所の勝手口から外へ出た。まだ日は沈んでいないはずだが、頭上に雲が出ているせいで薄暗かった。
「こちらが離れです」
ちょうど裏にあたる場所、建物の正面からでは影になって見えない位置に小さな平屋がぽつんと建っていた。古びた木造でロッジのようだ。
主人が扉を開け、すぐ横のボタンを押して明かりをつける。屋内へ歩を進めながら説明した。
「すぐ右手にあるのが居間兼食堂で、小さいですが台所もあります」
外から見た時よりは広く見えたが、あまり使用されていないのか空気がこもっている感じがする。居間には古ぼけた絨毯が敷かれ、二人がけのソファが二つ、小さな四角いローテーブルを挟んで置かれているばかりだ。棚も一つあったが、バケツや雑巾にロープ、折りたたまれたブルーシートなどが雑然としまわれているだけだった。
廊下に出て奥へ向かいながら主人は言う。
「他の部屋はすべて客室です。奥にユニットバスがありますが、使えるのはトイレのみです。浴室は故障中で使用できません」
廊下を挟んだ向かいに部屋が二つ、居間の隣に一つあった。その奥にユニットバスがあったが、浴槽の前にはカーテンがかけられていて故障中の張り紙がされていた。
廊下へ視線を戻したところで、千雨がふと天井を見上げ「なるほど」と小さくつぶやいた。天井は低く、千晴が手を伸ばせば容易に届く。それくらいの情報しか得られないのに、千雨は何故か満足げである。やはり、もう手がかりをつかんだのだろうか。まだ事件は起きていないのに、である。
千晴は胸がもやもやしたが、千雨の頭の回転がいいのは昔からだ。父親の影響で小学生の時に児童向けのシャーロック・ホームズを全巻読破した。中学生時代には各出版社の新旧文庫版を小遣いで買いそろえたが、それだけでは飽き足らず、さらなる探求をしようと大学では英文科に進学までした。彼女はずっと憧れの名探偵になりたくて生きてきたのだ。
おそらく今回の勝負は千晴が負けるだろう。早々にやる気を失くし、多目的室のボードゲームで遊びたいと思った。
戻った頃にはちょうど夕食の時間になっていた。主人にうながされて食堂の席へ着くと、千雨の隣に弁護士の山本が座った。
「あなた、探偵さんなんでしょう? ぜひお話をうかがいたいわ」
にこりと微笑む彼女はすっかり山本さんになっている。役者としての木野の面影はどこにも見えず、千雨もきちんとわきまえて初対面の相手へするように返した。
「ええ、喜んで。まだ大きな事件は解決していませんけど、ネタならいくらでもありますよ」
主人はメイドに指示を出してテーブルに料理を運ばせていた。用意が整うまでの間、千晴は隣にいる万桜を見る。ノートに何やらメモを取っており、彼女もすでに頭を働かせているようだ。
ふと顔の向きを前へ戻すと、向かいにいる外科医の中村と目が合った。途端に彼がにこりと微笑んで口を開く。
「君たちは兄妹かい?」
「あ、はい、そうです」
「いいね。仲がよさそうでうらやましいよ」
神谷であればこんな会話はしないだろう。それだけに彼の役者魂を感じて、千晴は恥ずかしさからいたたまれない気持ちになる。
自分もあの時、我慢して自分ではない誰かになれていたなら……もう一年以上も前の出来事に胸の傷がうずく。いまだに立ち直れていないのは明らかだ。いっそこの世界から消えてしまいたいとさえ思う。高津千晴という人間がいたことを、どうかすべての人に忘れてほしいと。
まるで現実逃避のような思考を巡らせている間に、チキンソテーの乗った皿が目の前へ置かれた。
「わあ、美味しそう」
万桜が目を輝かせながら言い、千晴ははっとする。見てみれば、高級レストランで出てくるような見事な盛りつけだ。
腹が短く鳴り、これ以上ネガティヴな気持ちに浸るのはやめにした。
夕食は和やかな雰囲気で進んだ。
真っ先に食べ終えた銀行員の佐藤が席を立ち、後からフリーライターの青木とパティシエの石川も出て行った。主人は食べ終えるなり、空になった皿をメイドと一緒に台所へ運んでいく。
いつまでも食べているのは、楽しそうに雑談を続ける弁護士と探偵だ。
外科医の中村も話に耳を傾けていたようだが、じきに食事を終えて立ち上がった。彼は廊下へ出ずに隣の居間へと移動していった。
千晴もすでに皿を空にしており、千雨を待つかどうかで迷っていた。
「ごちそうさまでした」
と、万桜が満足げに両手を合わせ、千晴は声をかける。
「万桜ちゃん、居間に行ってみないかい?」
「いいよ」
少々不思議そうにしながらも、千雨がまだ弁護士と話しているのを分かっていたため、万桜はすんなりとうなずいた。
席を立ち、妹を連れて居間へ向かう。外科医は本棚の前にいた。ハードカバーから文庫本まで、多種多様なジャンルの本が上から下までぎっしりと詰まっている。
「本がいっぱいあるね」
これはマーダーミステリーだ。楽しみにやってきた万桜のために、せめて得られる情報は残らず入手したい。そうした思いから千晴がつぶやくと、外科医がこちらを振り返った。
「君たちも本に興味が?」
はっとして万桜が彼の隣へ並ぶ。
「はい、本を読むの好きなんです。えっと、お医者さんの中村さんでしたっけ?」
「ああ、そうだ」
「中村さんも本、読むんですね」
にこにこと人懐こく話しかける万桜の様子にほっとして、千晴は二人の背中を見守るようにソファへ腰を下ろした。
「普段は仕事が忙しいから、この機会にゆっくり読みたいと思ってね」
「そっか。やっぱり医者って大変ですか?」
万桜は彼から話をいろいろと聞き出しており、この調子なら他の人物からも情報を得られそうだ。万桜は末っ子だからか、妙にしっかりしたところがある。それにあの人懐こさだ、千晴が心配することはないだろう。
それにしても、すぐそばで俳優のアドリブが体験できるとはなんと貴重なことか。ファンからすれば、忘れられない二泊三日になるだろう。俳優と直接やり取りをしたという思い出を持ち帰れるのだ。
ということであれば、劇団側も気合が入っているはずなので、この先ストーリーがどう展開するか気になってくる。千雨がすぐに犯人を指摘できてしまうような、単純なものでないといいが。
千晴が一人で思案にふけっていると、主人の園山が入ってきた。本棚の前にいる二人を見つけ、近づいていく。
「よければコーヒーをお淹れしましょうか?」
振り返った外科医が困ったように「いえ、結構です」と断る。万桜も「わたしもコーヒーは苦手で。紅茶ならいいんですが」と返した。
「それでしたら紅茶にしましょう。あなたもいかがですか?」
顔を向けられて千晴はうなずいた。
「はい、いただきます」
「私も紅茶、もらっていいですか?」
食堂の方から声がし、弁護士と千雨が並んでやってきた。
「あたしもお願いします」
「分かりました。では……」
人数を確認しようと主人が視線を動かし、外科医は避けるように言った。
「僕はこれで」
片手に文庫本を一冊持ち、さっさと居間から出て行ってしまう。何とも怪しい動きだ。伏線かもしれない。
「四人、ですね。少々お待ちください」
主人は食堂を経由して台所へ向かった。ホストとして客を積極的にもてなすタイプの人間らしい。
万桜が千晴の隣へ座り、またノートを開いてボールペンを走らせる。先ほどの外科医との会話をメモしているようだ。
向かいのソファに千雨は弁護士と座り、まだ話をしている。よほど気が合ったのだろうか。しゃべり続けていて疲れないものかと、千晴は妙な心配をしてしまった。
ふと上の階から妙な音が聞こえた気がした。居間の真上にあるのは多目的室だ。無意識に天井を見つめていると、弁護士が「どうかした?」と、声をかけてくる。
はっとして千晴は前を向き「上から音がした気がして」と、返す。
「音? 何か聞こえたかしら?」
「聞こえませんよ。千晴は耳がいいんです。小さい頃からあたしたちには聞こえない音をよく聞き取ってしまうんですよ」
千雨が説明すると弁護士は納得した顔だ。
「なるほど」
一方、千晴は気まずさを覚えてうつむく。千雨の説明した通りではあるが、その分だけ苦手な音にも敏感だ。さっきの音はどちらかと言えば苦手な音に分類されるものだった。
紅茶を飲み終えたら二階へ行って、多目的室を見てこようか。きっと誰かしらいるはずだ。そういえば、あと少ししたら女性の入浴時間が始まる。その間、千晴は単独行動になるだろうから、それを待ってもいいかもしれない。
「ちなみにあたしは視覚がすごいんです。見ただけで犯人を当てることができるんですよ」
「えっ、そうなの?」
「かのシャーロック・ホームズも、見ただけで相手の職業やどこから来たのかなどを言い当てることができました。あたしも彼のようになりたくて、観察眼を身につけたんです」
「わあ、すごーい!」
客をおだてるのが上手な俳優だ。千晴は彼女たちの会話が雑音でしかなかったが、隣では万桜が弁護士の台詞を書き取っている。
「だからあたしの方が探偵にふさわしいはずなんですけど、実はそうでもないみたいで」
「何かあったの?」
「実は今、後継者争いの真っ最中なんです。ほら、あたしたちって双子でしょう? どちらかが父の探偵事務所を継がなきゃいけないから、それで争ってるんですよ」
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