21. このくらいで諦めるだなんて思わないでよね

 おしおきマッドフロッグの身体が崩れると周囲に散らばった泥がズズズと音を立てて移動し、元あった場所へと戻ろうとする。一分も時間が経てば泥の沼地に元通り。

 ダイヤは丁度その真ん中に立っていた。


「お、やっと出られるようになった」


 逃亡防止のドームは解除され、沼地から脱出が可能になった。

 それは同時に外から中に入れるようになり、沼地の中と外とで声が届くようになったと言うことだ。


 ダイヤは戦いを見ていたいんに体を向け声をかけようとした。


「猪呂さんも来て……」

「この大馬鹿者!」


 しかしその言葉はいんの大声で遮られてしまった。


「馬鹿!馬鹿!馬鹿!馬鹿!大馬鹿!」


 何度も何度もシンプルな罵倒をし、激怒しながら躊躇なく沼地へと足を踏み入れた。


「(あ~あ、せっかく綺麗になったのに)」


 怒られているはずのダイヤはいんが泥でまた汚れてしまったことを残念に感じていて、反省している様子は見られない。


「ほんっっっっっっっっっっとうに大馬鹿なんだから!」


 ダイヤの傍まで辿り着いたいんは最後に盛大な大声で侮辱締めをすると、ようやくそこで歩みも侮辱も止めた。


「どうしてこんな無茶をしたのよ!」

「指輪を見つけるためだよ」

「私がそんなこといつ頼んだの!」

「頼まれてないよ。僕がやりたかっただけだもん」

「死ぬところだったのよ!」

「僕は絶対に死なないよ。なんて言っても説得力無いか。情けないところを見せちゃったもんね。猪呂さんが来てくれなかったら危なかった。応援してくれてありがとう」

「こんっっっっっっっっっっの大馬鹿!」


 本気で激怒しているいんの口からは怒りと罵倒の言葉が止まらない。

 ダイヤがわざといんが怒りそうな答えを口にしているのも原因だが、それには理由があった。


「(しんどそうだったけど、思いっきり感情を吐き出せば少しは楽になってくれるかな)」


 大切な物を失くし、それが全然見つからずに精神が追い込まれ、ダイヤが迎えに来た時は話しかけても気付かない程だった。探し物が見つかっていない以上、ぐっすり休めたとしても悲しみと不安で心は澱んだままで、精神的にかなり苦しいに違いない。

 それなら大きな感情を爆発させて吐き出すことで、その澱んだ気持ちが少しはスッキリするのではないか。いんが激怒する姿を見てダイヤはとっさにそのことを思いつき、敢えて怒らせ続けようとしたのだった。


「そこまでして私に良いところを見せたいだなんてほんっと馬鹿!」

「男なら好きな人に良いところを見せたいって思うのは当然だよ」

「ぐっ……そんなに……あんたって奴は……あんたって奴は!」


 ねっちょりする沼地で器用に地団駄するいんであった。

 ビチャビチャと泥が飛び自分の下半身が汚れる様子は泥遊びをしている子供のようで、その姿を微笑ましく感じたダイヤは笑いそうになるのを堪えるので必死だった。


「はぁ……もういいわ」


 気持ちの発散が終わり心の整理がついたのか、いんは深い溜息をつくと元の雰囲気に戻った。


「指輪を探してくれてありがとう」


 そして素直にお礼を言ったのだった。

 今回は照れた様子が無く、少し物足りないなと思うダイヤであった。


 そんなダイヤの内心はさておき、いんはここで気付いた。


「そういえば指輪ってどうなったのかしら?」


 ダイヤが無茶な特攻をしておしおきマッドフロッグに突撃し、指輪を取りに行こうとしたところをいんは見ていた。そのことを思い出すと『無茶しやがって』とイラっとするのだがその気持ちをグッと堪え、結局指輪の行方がどうなったのか良く分からなかったため結果を確認した。

 それもそのはず、ダイヤはそのすぐ後におしおきマッドフロッグの押しつぶし衝撃波に吹き飛ばされて大ダメージを負い、指輪がどうなったか確認する余裕など無かったからである。


「(もし行方不明のままなら、もう諦めよう)」


 この沼地に指輪があるかもしれないが、それを見つけるのはあまりにも困難であると分かっている。

 探し続ければ多くの人に心配をかけ、ダイヤもまたおしおきマッドフロッグと戦うくらい無茶して探してしまうかもしれない。


 悲しいし辛いけれど諦めるしかない。


 そういんは結論付けようとしていた。


 だがいんはダイヤという人間を分かっていなかった。

 ダイヤはいんが諦めても止めても必死に探し続けるだろう。

 そして『もう良いって言ったでしょ!』と激怒し、それでも諦めないダイヤと心をぶつけ合うことになる。


 もちろんそれは指輪がまだ泥の中にある場合の話だが。


「はい」

「あ…………」


 ダイヤはおしおきマッドフロッグから無事に指輪をゲットし、衝撃波で吹き飛ばされようとも落とさなかったのだ。そして立ち上がり逃げ回る中で、チャック付きのポケットの中にさりげなく仕舞ったのだ。


 その指輪は結婚指輪や婚約指輪とは違い、ファッション用の幅が太い物だった。

 ただし、ファッションでつけるにしては意匠がシンプルで、何よりもソレからはダンジョン素材特有の雰囲気が感じられる。


「(もしかしてこの指輪って、装備品なのかな)」


 もっと仲良くなったら正体を教えてくれるかな、などと思いながら今は手のひらに乗せた指輪をいんが取るのを待つ。


 いんはあの状況で本当に手に入れたのかと驚き目を見開きつつも、大切なその指輪を取り戻すべくそっと手を伸ばした。




「え?」

「え?」




 揃って二人が声をあげてしまったのは、いんが指輪に触れる直前にソレが消えてしまったから。

 より正確には、小さな何かが指輪を横から奪ってしまったから。


 慌ててその何かを見ると、ソレは沼地の上を沈むことなく警戒にぴょんぴょん飛びながら移動する。

 その姿は手乗りサイズの猿で、人を小馬鹿にしたような笑みを常に浮かべている。


 ラフモンキー


 魔物の一種だが、通常の魔物とは異なり特殊な役割を持つ個体。


 そのことを知っているダイヤは叫んだ。


「猪呂さん!あいつを倒して!早く!」


 ダイヤは接近戦しか出来ないため、移動が阻害される泥沼の中で逃げるラフモンキーに追いつくことは出来ない。

 しかしいんならば長いランスを使ったスキルで離れた場所からでも攻撃出来るかもしれない。


「え?あ、う、うん」


 ダイヤに一歩遅れて反応したいんだが、時すでに遅し。

 ラフモンキーはその役目を果たそうとしていた。


「っ!」

「っ!」


 指輪を持ったラフモンキーが激しい光を放ち、その眩しさで二人は目を瞑ってしまう。

 その光が消えた後に残されたものは。


「イベントダンジョン……」


 ダンジョンの中に出現する扉。

 それはイベントダンジョンへの入り口。

 ラフモンキーはイベントダンジョンへ誘う魔物であり、その姿をイベント扉へと変化する。


 その扉がギギっと音を立てて僅かに開いた。

 そしてその隙間からラフモンキーの手が伸び、そこには例の指輪が握られている。


 これを取り戻したければ中に入って来い。

 そう誘っているのだ。


「何しようとしてるの!?」


 扉に向かって歩き出したダイヤの肩を、いんが反射的に掴んで止めた。


「そりゃあ指輪を取り戻しに行くのさ」

「アレが何か分かってるのでしょう!?イベントダンジョンなのよ!本当に死んでしまうわ!」


 イベントダンジョンにはセーフティーがかけられていない。

 そこでの死は本当の死だ。

 しかも難易度が高いことが多い。


 入学したての新入生が入って良い場所ではない。

 例えそれが英雄科のエースであっても。


「そんなの関係ないよ」

「え……?」


 だがそんな命の危険などダイヤが止まる理由にはならない。


「例えどんな危険があろうとも、僕は指輪を取り返したい」

「取り返せるわけないじゃない!絶対に死ぬのよ!」

「絶対かどうかは行ってみないと分からないでしょ。数パーセントくらいはクリアできる可能性があるはずだよ」

「なっ……」


 それはつまり、ダイヤが無謀であることを承知で挑もうとしているということ。

 ほぼ間違いなく死ぬと分かっていて、死地に飛び込む勇気を何故もてるのか。


 しかもその目的が他人が失くした物を取り戻すためだけであり、自分に関係することではないのだ。


 相手に良いところを見せたい、程度の気持ちで出来ることではない。


「どうして……」

「だってあの指輪が無くなったら猪呂さんが悲しむじゃん」

「え?」


 だがダイヤは断言する。

 飛び込む理由は他人のためだと。

 他人のためならば死地にすら赴くのだと。


 そんなダイヤの答えをいんは激昂して否定する。


「私を馬鹿にしてるの!?いくらあんたでも死んだらそっちの方が悲しいわよ!」


 指輪は戻って来ず、ダイヤも死ぬ。

 勝手に行動したとは言え、自分のためにと行動してくれた人が死んで気を病まない訳が無い。

 いんのメンタルは確実に崩壊するだろう。


「このままイベントダンジョンを放置したら猪呂いろさんは指輪を失って100%悲しむ。でも、僕がイベントダンジョンをクリアして指輪と一緒に戻ってきたら、怒ったり恩を感じたりするかもしれないけれど、悲しむことは無くなる。猪呂いろさんを悲しませない未来が数パーセントでもあるなら、僕はそれを選ぶよ」


 それだけのことに命を懸けられるのは人として歪んでいるのかもしれない。

 だがダンジョンに挑み何かを為そうとするのならば、ダイヤのような強い意志と志が必要なのかもしれない。


「どうして……どうしてあんたはそこまで……」


 その有り方がいんには理解できない。

 しかしその有り方はいんにとって目を逸らせないものでもあった。


 イベントダンジョンの扉が明滅している。

 扉が消える予兆だ。


 そろそろ入らないとイベントごと消えてしまい、指輪は二度と取り返せなくなるだろう。


 未だ戸惑ういんに向けて、ダイヤは最後に言葉を告げた。


「僕は猪呂いろさんのことが好きだから」


 そうして肩に添えられた手を振りほどき、ダイヤは死地へと足を踏み入れた。
















『新たなイベントが開始されました』


 ダンジョン・ハイスクールの全生徒に向けてスマD端末に一つの通知が届いた。

 イベントダンジョンの攻略状況はリアルタイムで配信され、そのリンクもまた通知に含まれている。


「お、イベントだって。久しぶりだな」

「最近はめっきり挑戦者が減ったからなぁ」

「難易度高すぎんだよ。しゃーない」

「突発的に出現するから上位ランクの応援呼べねーしな」


 誰も彼もがそのことに注目し、そこら中で同じ話題で盛り上がる。


「つーか中に入ったの誰だよ」

「おいコレ新入生じゃねーか!」

「うっわ事故か。可哀想に」

「即死だろうな。見るの止めておくわ」


 イベントダンジョンの危険性について理解できていない新入生が誤って入ってしまい死亡する事故が、数年に一度のペースで起きている。今回もその類のもので、大した探索も出来ずに死亡する姿が配信されるだけだろう。そんな悲しい姿など見たくもない。多くの人が配信に興味を失おうとしたが、そうならなかった。


「いや待て。これ『決闘精霊使い』じゃね?」

「ほんとだ、またあいつか」

「こいつもしかして、分かってて入ったんじゃね?」

「いやまさか。いくらなんでも死ぬと分かってて入るだなんてありえねーだろ」

「でも入学初日に教師にケンカ売ってボコした奴だぜ。ありえるんじゃね?」

「勝算があるって?まっさかー」

「俺ちょっとだけ見てみるわ。ダメそうだったらすぐ消せば良いだけだし」


 例の『決闘』騒ぎで有名になったダイヤなら何かを起こしてくれるのではないか。


 そう感じた人は少なくはなく、かなりの数の視聴者がダイヤ達の戦いを観戦しようと考えた。


 そしてもちろんダイヤを知る者は、観戦しない理由が無かった。


「ダイヤ君ならそろそろまた何かをやらかすと思ったよ」

「うふふ。流石主様」

「イベントダンジョンには入っちゃダメって言ったのに。でも君のことだから何か理由があるんだよね。たった二人・・で何が出来るのか、お手並み拝見かな」


 イベントダンジョン『高潔か、低俗か』

 難易度:『D+』ランク

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