第十六話 -覚悟-

平和と自由の溢れる、白銀の世界が到来するの。

 フィルツ大尉の前で、新鮮そうなトマトジュースがグラスいっぱいに注がれた。


「ありがとう」と、大尉はデニスに礼を言う。


 その部屋は、すべてものが簡潔に整理されて、家主によって日常的に手入れされているように見えた。木製のダイニングテーブルと椅子のセットがあり、入り口のすぐ横には小さい電話台が置かれている。こじんまりとした流し台には、少しの調理器具と、野菜を入れておくストッカーがあった。


 壁には魔導兵器がいくつか掛けられている。アサルトライフルやロケットランチャーが、全部で六種類ほど確認できた。この部屋に入ったとき、はそれらの兵器を見て露骨ろこつに顔をしかめた。


 共和国軍でもよく採用されている兵器が多かったが、「99式500ohm」については帝国軍が主に採用している魔導銃だった。射程距離は魔力1ワイズ当たり200メートル、銃口インピーダンス500ohmオーム。ずっと東にある島国の、豊迅産業ほうじんさんぎょうが開発した風属性の魔導銃だ。多くの国で出回っているし、丈夫で軽い。だが共和国軍では、ミハイル・ポリヴァノフ開発の「AP-49」のほうが主流となっている。


 大尉はひととおりの魔導兵器について、その生産経緯や特徴も含めて熟知していた。


「おまえはいるか?」

 と、デニスは向かいに腰をかけているもうひとりの女へ向かって言う。


「いいえ、結構よ」と、その女はデニスを睨みつけた。そして嫌味を込めて付け加える。「首都がこんなときに、いったいなんだっていうの? 軍人は軍人らしい仕事があるんじゃないの?」


 フィルツ大尉とデニスはそれをきれいに無視した。


 二人は中央広場でついにを発見した。

 もちろんそれは、見つかって喜んで終わりとなるようなものではない。どちらかといえば、それは始まりを意味していた。必要な情報を引き出すという作業を、ここから慎重に行わなければならなかった。


 首都は大騒ぎだ。今からたった二時間ほど前に、コルネリウス首相が大勢の観衆の前で殺された。大きな蝙蝠こうもりの魔族に襲われて。蝙蝠はその大きな両翼を羽ばたかせて、首都上空を悠々と飛翔ひしょうしたあと、雲間に消えてしまった。


 その騒動の最中さなか、フィルツ大尉とデニスは広場で見つけたジャーナリストの女を拘束し、そのまま徒歩でデニスの使っている部屋へとおもむいた。


 フィルツ大尉はトマトジュースをひと口飲む。塩味が適度に効いた、濃厚な味わいが喉を潤した。対して目の前には、鋭い目つきのデニスとジャーナリストの女が、互いに相入れないオーラを放ち、腕を組んで向かい合っている。親権しんけんを争って離婚調停中の険悪けんあくな夫婦のようだと、大尉は思った。


「半ば無理矢理お連れして申し訳ないですが、あなたには大事な用件があります」と、フィルツ大尉は丁寧な言葉遣いで言う。


「私はないわ」眉を歪ませて、女はきっぱりと言った。「あなたたちが今していることは重大な問題よ。わかっているかしら? 一般市民の身柄を拘束し、こんな部屋に連れ込んで半ば軟禁している。二人とも軍人で、武器を所持している。私がこのことについて一枚記事を書くだけで、メディアは嬉々ききとして飛びつくと思うけど」


「ごくごく一部のメディアはな」とデニスが唸るように言う。


 ジャーナリストは片側の眉を吊り上げて、口元で微笑んだ。フィルツ大尉はそれを見て、大きな口が顔の半分くらいを占めているような錯覚を覚えた。


 彼女は細く明るい色の髪を首の後ろあたりで一本に束ねて、背中に下ろしている。使い古された銀縁の眼鏡を、ときおり思い出したように持ち上げていた。広いひたいほおに対して、目は小さく、左右に離れている。そして大きな目立つ口を持っていた。

 それでも、彼女が相手に対して(それがたとえフェイクであっても)笑顔を見せれば、たしかに好印象を与えることができる顔だろうと、大尉は思った。ひとつひとつのパーツはさておき、総合したバランスは絶妙に整っているのだ。


 しかし、今この女が作っている微笑みは、まったくべつの種類のものだ。そこにははっきりと敵対心てきたいしんが表れていたし、どうにかしてこの軍人二人についての不都合なスクープを引き出そうというくわだてが見えた。


「今から四年前。フロイントという小さな西の村で、デニスとあなたは遭遇していると思います」フィルツ大尉はできるだけ平穏な声色を作り、話し始めた。「彼は魔族討伐の命令を受けそこへ出向いており、あなたはフリージャーナリストとして、主に魔族の襲撃事件を追っていた。デニスもあなたのことははっきりと覚えておりますし、村の東にある食堂の店主が、あなたのことを覚えておいでです。まずはここまで、間違いありませんね?」


 ジャーナリストはふんと鼻を鳴らした。「フロイント。そういえばそんな村、行ったような気がする」


「はっきり答えろ」

 デニスが凄む。空気を鈍く震わせるような低い声だった。

 彼女は不機嫌そうに目を細めて、「行ったわ」と言い直した。


 フィルツ大尉は続ける。

「そこである晩、村の住民が操られるという極めて特異な事件が発生しています。その際、あなたは自我を失った村民に襲われそうになり、駆けつけたデニスは止むを得ず、村民を二人射殺している。あなたはその瞬間の写真を撮影し、報道機関に持ち込んでいます」


「回りくどいわね!」ジャーナリストは声を張り上げる。「私が誠意のない、下品なジャーナリスムの持ち主だと言いたいんでしょ? つまり、写真に真実はないと。魔族のことも村の人間が操られていたことも全部伏せて、写真だけを持ち込んで軍の信用を損なわせた。だからあなたたちはその仕返しがしたいってわけね。そうでしょ?」


「そういう短絡的たんらくてきな話じゃない」デニスが腕を組みなおして言った。


「私たちはただあなたに、その後村がどうなったかをお伝えしたいのです。そして、ご意見を仰ぎたいのです」フィルツ大尉は言う。「フロイントに軍部が介入すべきかどうか、目下議論がなされています。具体的には村に駐屯地を設け、魔族襲撃や隣国との交戦に備えるべきかどうかを協議している」


「いったいどういうこと?」

 ジャーナリストははっきりと嫌悪を表す。


 大尉は慎重に続ける。

「と言うのも、そもそもフロイントの村がそれを切望しています。魔族ゲーデの一件から、近隣の村々においても数回魔族の襲撃事件が発生しました。彼らは今、怯えています。村長は村の意見をまとめ、軍部へと打診をしてきました」


 彼女は大尉の話を聞いて、見るからに動揺していた。眼鏡を持ち上げる回数が急に増えた。くるくると目を泳がせている。デニスとフィルツ大尉のことを交互に観察している。


「どちらかといえば、フロイントはあの一件以来、軍への不信感を一層強めている。介入には反対の立場をとっていたと思うわ」と、ジャーナリストは言った。


「最近、フロイントには?」大尉が尋ねる。

「いいえ。でも、ジャーナリスト仲間とはよく情報共有するの」


 大尉は頷く。

「もちろん、介入を好ましいと思わない人間もいる。ただ村の総意としては違った。現実的な判断ができたということでしょう」


 ジャーナリストは唇を噛み、黙っている。彼女は何度か前髪を掻き上げ、やはり落ち着かない様子だった。


 軍の介入が検討されているという話は、まったくの出鱈目でたらめだった。もちろん村長が軍部へと打診してきたなどという話も、嘘っぱちだ。


 このジャーナリストが言うように、フロイントは実際のところ軍の介入には徹底してあらがう姿勢を見せている。


 つまり二人は今、ひと芝居打っているところだった。ジャーナリストにとって不都合な話をぶつけて、をかけているのだった。

 ほんの一瞬だけ、大尉はデニスと目を合わせる。


 フィルツ大尉は両手の指を合わせて、テーブルの上に置く。

「それにしても、魔族ゲーデ。不気味な種族です。国民が安心して暮らせるよう、一刻も早く処理しなければなりません」

 大尉は「国民」というところを強調した。

 

「あなたたちには無理よ」とジャーナリストは口を震わせて言う。

「しかし魔族に対抗できる兵力を持つのは、今のところ軍のみです。私たちが国民のために動かなければ――」


「この偽善者どもが!」彼女はテーブルに手を思いっきり叩きつけた。

「そんなつもりはありません。国民の命を守ることが我々の使命です」

 大尉は間髪入れずに淡々と言い放つ。


「国民国民って、あんたたちに言う資格があると思っているの?」ジャーナリストは立ち上がった。「おろかしい! 口ではそうやってごまかしていても、私たちにはわかってるわ! あんたたちはね、戦うことしか頭にない人種なのよ! そして国民も気づき始めている。フロイントだってじきに気がつく。来年の連邦議会選挙で、それは証明されるはずよ。アルタウス様の言葉を、皆思い出すはずなのよ!」


 ジャーナリストは歯をむき出して、肩で呼吸していた。


「お前の言う、『私たち』ってのはどいつらを指す? アルタウス様の御一家ごいっかか?」とデニスは表情を変えずに言う。


 ジャーナリストは一瞬苦々しい顔をしたが、もはや包み隠すつもりもないようだった。憎悪の滲んだ顔のうち、その大きな口だけが不自然に微笑みを浮かべた。


は、いずれ国を変えるわ」彼女の声は、かすかに陶酔とうすいしていた。「平和と自由のあふれる、白銀の世界が到来するの」

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