あなたは僕が守ります。

 私とリンは二ヶ月ほどロイヒェンムントに滞在したあと、ラインハーフェンの村へと所在を移した。そして村の外れにある簡素で目立たない家をひとつ買い上げ、しばらく村の人間とは交流せず、身を隠すように生活をした。


「スズの言うこともわかるけど、心配しすぎよ。こんなに穏やかでいい村なのに、好きに出歩けないなんて」


 リンは少しずつ心を許し、私との自然なスキンシップも増えていった。小さく硬いくるみの殻のようだった声が、芳醇な香りを漂わせる南国の果実みたいに、柔らかく、甘く、ほぐれていった。驚くべき変化だったが、もちろん私にとっては嬉しい変化だ。ラインハーフェンに来て一ヶ月もすると、文句のひとつまで言ってくるようになった。


「明日は村でいちばんのお祭りみたいよ。なのにスズは、私にここでひとり寂しく寝てろって言うの?」

 と、リンは車椅子くるまいすの車輪をぱんぱんと叩き、頬を膨らませた。


「わかってくださいリン」私は彼女の小さな頭に軽く手を乗せる。「あなたの身元がなにかの拍子に明るみに出てしまうと、問答無用で処刑です。もちろんあなたは死ねない。となるとおそらくこの国は、表向き処刑が執行されたことにして、リンの身体を徹底的に実験台として扱うでしょう。私はそんなこと、とうてい耐えられません」


 リンはむすっとし、唇をすぼませた。

「わかってる。わかってるけど――私だってスズとお出かけがしたいのよ」

「方法を考えます。それまでは辛抱して。できますね?」

「――うん。でもそのかわり、スズは私をもっと可愛がってくれる」


 私はリンの黒い髪を指でく。

「もちろんです。ただ来週はちょっと野暮用で、首都へ出向かなくてはなりません。留守番をお願いしますね」

「えーっ、嫌だー」リンが私の腰に腕を回す。

「お願いです。なにか美味しいものをお土産みやげに買ってきますから」

「ねえスズ」

「はい?」

「好き。スズのこと。全部」

「私もです」


 私たちの抱える問題は、二つあった。


 まず、とても不可解なことに、リンの両脚が機能しなくなっていた。

 オルフ台地で彼女と遭遇したときは、たしかに二足歩行ができていた。それが今は、まるで筋肉へ指令を送るための回線が切れてしまったかのように、脚に力が入らないという。

 リンには思いあたる出来事があった。オルフ台地をほとんど放心状態で彷徨さまよっていた彼女だが、その直前に反乱軍の人間から攻撃を受けたという。


「魔法で細い針のような剣を作り出せる女がいたの。フォルトゥナ様がいなくなってしまってから、反乱軍のメンバーは何人か正気を失っていた。彼女もそのうちのひとり。たぶん私が逃げ出そうとしていると思い込んで、頭に血が昇ったんだと思う――結果的に、ほとんどそうなってしまったけど」


 その魔法で作られた剣が彼女の脚を貫いた。傷は癒えているが、大腿骨から下の機能がすっかり失われている。薄気味悪い種類の魔法だ。

 そのせいでリンは車椅子に乗るか、私が介助しながらヴイーヴルに乗るなどして移動せざるを得なくなった。


 そしてもうひとつは、どちらかといえば私の個人的な問題だ。

 私は、ルーンクトブルグ軍の司令部に、退役を申し出た。


 リンと生活を始め、ラインハーフェンに家を買い、最小限必要な家具を揃えて、リビングでひと息ついたとき。車椅子のリンが窓の外の夕焼けを見ながら、ハーブティーを大事そうに飲んでいるのを見たとき。


 私の中で、かちりと小さな音を立てて、なにかが切り替わったような気がした。


 大隊を率いて敵戦力を鎮圧する。兵力、武器、食糧、さまざまな要素を勘案し、最小限の損耗で作戦を実行、完遂する。新米の部下たちを叩き上げて、一人前の軍人に育てる。


 それなりに充実感を感じていたはずの仕事が、私の中で急速に熱を失っていった。ほとんどすべて、意味のないことのようにさえ思えた。


 私は自分のその心の動きを「役割が変わった」と解釈して、納得しようとした。国の戦力として周辺諸国の脅威を排除するという役割から、ひとりの少女に付き添い、共に暮らし、寂しい思いをしないようにする役割に変わったのだと。

 そしてその切り替えは難しい作業ではなかった。むしろそうに違いないとさえ思えた。今の私が担っているのは、この悲劇的な運命を課された、不死身の女の子を守ることだった。


 明日のマルシュタット行きは、退役を申し出たことで中央本部に呼び出しをくらっていたのだった。当然軍は私を手放そうとしない。降格したとはいえ、魔導連隊長――魔法をつかさどる部隊のちょうだった人間だ。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 翌週、とある日の朝早く、私はごねるリンを優しく引き離し、そっとキスをしてから、首都マルシュタットへと向かった。


 中央本部に到着したのは、正午を少しすぎたころだった。

 ラインハーフェンから首都まで列車に揺られて、身体がかなり強張ってしまった。ちなみに、緊急でないかぎりは召喚獣に頼らないことにしている。

 道中では幸いにも、家畜の糞も火炎瓶かえんびん手榴弾しゅりゅうだんも、投げつけられることはなかった。


 総司令部からはいくつか待遇面で譲歩をする提案を受けた。必死で私を引きとめようとしている。

 もちろん私は、机に広げられた書類をろくに見もせずにすべて拒否した。交渉に立った佐官の男二人は冷静に言葉を選びながら提案を並べていったが、私が取り合うつもりがないということがわかると、露骨に顔を歪ませて悪態をついた。片方の男は最後に「好き勝手できると思うな」と捨て台詞を吐いて、いったん部屋を出ていった。


 しばらく待たされたあともう一度彼らがやってきて、三日後に今度は総司令官との面談だと告げられた。誰が来ても同じだと私は言ったが、佐官たちはきれいに無視した。


 首都には結局、一時間にも満たない滞在時間で終わった。

 私は駅で切符を買い、発車時刻の前に昼食をとり、リンへのお土産を買った。


 ラインハーフェンへ戻り、家の前に到着したころには、もうすっかり夕方だ。オレンジ色に膨らんだ太陽が、眠たそうに西の地平線へ落ちていく。


「おかえりなさい! スズ!」

 足音を聞きつけたのか、スズは玄関先まで車椅子を走らせ、出迎えてくれた。


「ただいま、リン」

「ねえスズ、寂しかった」リンが私の胸に顔を埋める。

「すみません。次行くときは、ヴイーヴルに手伝ってもらいますから」

「そうして。あの子ならこころよく飛んでくれるよ」


 リンはにっこりと顔を上げて、私を見た。


 しかし、彼女の表情が唐突にこわばる。

 ちょうど夕日で眩しい西の空のほうを、まるで奇妙な飛行物体でも見つけたような顔で、凝視している。


「ねえ、あの人はだれ?」リンは声を潜めて言う。


 私はゆっくりと振り返った。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「私はあの日、帰り道だけでもヴイーヴルに乗るべきでした。そうすれば、後をつけられずにすんだ」


 スズは天井を見ながら言う。

 白いシーツが敷かれた狭いベッドに、仰向けになっている。


「そいつが、レーマンだったのか」

 テオは書き物用のデスクに腰をかけ、腕を組んでいた。

 スズは頷く。


 火災を鎮火しスズを助け出したテオとレオンは、そのまま彼女を運び村の宿に駆け込んだ。


 宿屋の主人は目を丸くして驚いたが、明らかに休息が必要な少女――泥だらけの血塗れで、ぐったりしている――を見て、いくらか不審がりながらも、テオの要望をすべて飲んでくれた。浴室を借りたい。すぐに栄養のある食事を用意してもらいたい。明日の朝までゆっくりと落ち着ける部屋がひとつ――いや二つ欲しい。代金は掃除代も含めて多めに払う。頼む。


 スズがシャワーを浴びているあいだ、テオはレオンにひとつ頼み事をした。

 部隊への緊急指令だった。レオンはそれを引き受けると、この村に来たときのように転移魔法でトルーシュヴィルを経由し、首都へと戻っていった。


 いくつかの物事について、大きく優先順位が変更になる。

 今日、レーマンがリン・ラフォレ=ファウルダースの家を襲い、彼女をさらって火をつけた。居合わせたスズは抵抗したものの力及ばず、なにかの魔法で鉄の杭を打ち込まれ、はりつけにされた。


「レーマンは当時から国家主義的な男でした」スズはベッドに横たわったまま言う。「若い彼から見れば、魔導連隊の長として凱歌がいかげていた私は、さぞ光り輝いて見えたんでしょう。彼に近しい者からは『ほとんど心酔していた』とも聞いています。だから私が前線から逃げおおせたことに、とてもショックを受けた。そして皆が私に失望する中、彼だけは疑っていた。『ラングハイム大佐は、なにか理由があって仕方がなくあのような行動にでたんだ』と」


 若いころから優秀で頭の切れる召喚術師だったボニファティウス・レーマンは、首都からラインハーフェンまでずっと、スズのあとをつけた。彼はそれが正しい行いだと、信じて疑わなかった。


 司令部のやつらはなにもわかっていない。

 戦争ごっこをしている、甘っちょろい老害たちだ。

 彼女のことをまったく理解していない。

 彼女には彼女の理由があるはずなんだ。

 だって、この国の勝利の女神、スズ・ラングハイム大佐なのだから!


 僕がラングハイム大佐の名誉を取り戻すんだ!

 僕が彼女を守るんだ!

 

 彼の中の純粋な憧れだったはずのものは、いつのまにか歪んだ礼賛らいさんとなり、さらには支配欲にも似た感情に姿を変えていた。


「私が本当はなにをしたのかをレーマンが知ると、彼は条件を突きつけてきました。あの日からです。私がなにかの拍子にと死んでしまえたらどんなにいいかと、より強く思うようになったのは」


 軍に戻ってください、ラングハイム大佐。


 国のために。


 そうしていただければ、このことは口外致しません。

 もちろんそのの女の命も、保証致します。


 それともうひとつ。

 二人は貴重な貴重なルーンクトブルグの財産だ。

 その不死身の力を、国のために使わないでなにに使うというのでしょう?


 僕の研究に協力してくれますね?

 エリクシルの実体を使った研究なんて、全召喚術師の夢ですから。


 そうしてもらえれば、あなたは僕が守ります。

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