守るべきものを、履き違えないで。

 テオとアニカは、いくらか話をしながら、左の道を歩いていた。


 森はよりうっそうと茂り始め、深くなっていく。

 少しずつ、少しずつ、二人の歩く空間は光を失っていった。辺りには虫や鳥の鳴き声がけたたましく響いているはずなのに、不思議と静寂に近い感覚があった。


 十分に一度と決めた通信を三回行なった。特に異常は認められない。いたって普通の訓練であり、いたって順調な歩行だった。


 アニカは途中、かなり昔の、テオについての話をいくつか始めた。

 初めて士官学校で出会ったとき、テオがずいぶんと怯えた顔をしていたこと。聡明そうめいで理解の早い頭と群を抜いた魔力を持っているのにもかかわらず、至極常識的なことをまったく知らなかったこと。自分の幼い頃の話をまったくしないし、故郷のことや両親のこととなると、すっかり口を閉ざしてしまうこと。


「もっとも、今も同じだね。テオって本当に自分のこと話さないよね」

「誰も興味なんてないだろ」

「私はあるんよ。いっつも言ってるでしょ」


 アニカが訓練中に足首を痛めて、テオがおぶって官舎まで運んだこと。そのときテオが、妹がいるという話を初めてしたこと。もっと聞き出そうとしても、「今と同じように、よくおぶって家まで帰っていた」としか言ってくれなかったということ。


「きっときれいな妹さんなんだろうね! 私に似て」

「ああ、まあそうだね」

「ちょっと! 突っ込んでよ、恥ずかしい」


 テオはアニカに惹かれていた。

 その顔が表現する感情も、両手やその指が動くさまも、揺れる髪も、いつしか熱心に目で追うようになっていた。

 彼女は冗談交じりに言っていたが、テオは本当に、妹に似ていると思った。


 それが、惹かれてしまう理由だったのだろうか。

 今ではもう、わからない。


「今度、テオのこともっと聞かせてもらうから。ちゃんと話してよね」

「嫌だよ。そんな大層な話でもないし」

「もう! 秘密主義者はモテないんよ!」


 警戒を怠っていたつもりはなかった。

 アニカと話をしながらでも、辺りに注意を払っていたつもりだった。

 しかし実際には、じゅうぶんに不幸を招き入れてしまっていた。


 本当に、未熟だった。


 突然、森の中を閃光が横切った。

 ほんの一メートルほど先を、左から撃たれた。二人は即座に身をかがめる。


「嘘でしょ?! 敵兵?」

「魔導銃師のようだ――」


 二人は低姿勢のまますばやく移動し、すぐそばの太い木を背にした。


「ぜんぜん気配がわからなかった」

 アニカが魔導銃を構えて言う。テオもノヴァを構える。


 発砲はまだ一発だが、敵魔導銃師の数はわからない。

 テオはウッツたちへ向けて通信を入れた。向こうから切迫した声で応答が返ってくる。

 仮に彼らの応援を待つとしても、どのくらいかかるだろう。

 テオには見当がつかなかった。


 薄暗い森はしばらく沈黙していた。


 虫や鳥の喧騒とこの視界の悪さ、障害物の多さがひどくこちらに不利だった。

 テオは時間が経過することにリスクを感じていた。

 複数が相手だとしたら、すでに囲まれている危険性がある――


「二人か。安全だと思っていた場所で味わう絶望はどうだ?」


 男の声。

 背後だった。


 テオは瞬間的に銃を向ける。

 背にしていた樹木を挟んで、三人のソルブデン兵がこちらに魔導銃を向けていた。


「テオ――」

 引きつったアニカの声が聞こえた。


 後頭部に硬いものが当たる。

 テオは顔から血の気が引いて行くのがわかった。


 テオとアニカは、合計で六人の帝国軍魔導銃師に包囲されていた。


「ずいぶんとお気楽なもんだな、そちらさんの国は。カップルで仲良く遠足か?」

 その隊を率いる曹長だろうか。口ひげを蓄えた、長身の男が言う。

「魔導銃と持ち物を全て捨てろ。抵抗すればすぐに射殺だ」


 テオとアニカは銃を放り、背中合わせになって両手を挙げた。

 背後からアニカの荒い息遣いが聞こえる。


 兵士たちがこちらに銃口を向けながら、捨てられた魔導銃と荷物を回収した。


「名乗れ」口ひげの兵士は言う。


「第2魔導銃大隊、テオ・ザイフリート中尉」

「同大隊、アニカ・パーゼマン少尉」


 口ひげの兵士はほくそ笑んだ。「士官か。いいご身分だ」

 ほかの兵士たちもゲラゲラと笑いだす。


 敵兵に捕まると原則捕虜ほりょとして身柄を拘束され、敵国の権力内に陥ることになる。人質として交渉材料になることもあれば、帝国の情報の奪取だっしゅに使われることもあった。


 テオは彼らを睨みつける。相手は特に意に介していない。

 兵士たちは皆、アニカに目を向けていた。

 胸の奥から苦々しい感情が立ち上がってきた。


「しかし深い森だ。こんなところには、ほとんど人は立ち入らないのだろう」口ひげの兵士が朗々と話し始めた。「我らは今日、運がいい。ルーンクトブルグの士官クラスの男を、捕虜にできるわけだ」


 兵士たちがどっと沸いた。

 テオにも、そしてアニカにもその意味がわかった。


「いろいろ吐いてもらうのは後でゆっくりやろうじゃないか。なあ中尉さんよ。俺たちゃ最近、前線続きで。なんならおまえもそばで見てるか?」


 テオには、にやついたその顔を睨みつけることしかできなかった。


「テオ――聞いて」アニカが震える声で囁く。「隙を見て、あなたはノヴァを奪い返して、逃げて。私が、あいつらを引き付けておくから」


「そんなことできるか」


「あなたとその魔導銃。ソルブデンの手に渡ったらおしまいなんよ。司令部からもうんと釘刺されたでしょ。守るべきものを、履き違えないで」

 顎をガクガクと鳴らしながら、アニカはそう言った。


 テオは耳を疑った。

 恐怖でうまく喋れないほど震えているのに、どうしてこいつは国益のことを考えている?


「なにこそこそやってんだ」

 兵士のうち一人が、地面へ向けて魔導銃を発砲した。

 アニカがびくりと身体を揺らす。


 テオの持つ魔導銃、ノヴァ。

 それが国外に出ることは、国家にとって重大な技術の流出だった。解析され、もし将来的に敵国が技術革新を進めてしまったら、大きく戦況が変わる。

 我が国の未来が変わる。


 テオに危険が発生した場合は「最優先にノヴァを、次にテオ・ザイフリート本人を」保護することが、彼の参加するいかなる作戦にも含まれていた。


 そうだ。あのとき一瞬でも作戦通りにしようとしたのが、間違いだった。

 あの分かれ道で二・二に分かれたことも、間違いだ。


 なにが作戦だ。くそくらえだ。


「ストリップショーといこうか、なあお前ら!」

 兵士たちが囃し立てる。


 アニカとテオは引き離され、テオは近くの木を背に立たされた。

 側頭部には兵士がひとり、魔導銃を向けている。


 どうする。どうすればいい。


 回収されたものはそこから三メートルほど離れている。

 六人を相手に銃弾をかいくぐって奪回することは難しい。


「おら、自分で脱いでみろ! しっかり隅々すみずみまで見ててやっからよ」

 アニカを囲んでいる兵士たちは、嬉々とした目でその身体をめまわす。


 テオは憎悪と怒りで歯を噛み締めた。

 どうする。なにか――なにか手はないか。


 アニカは震える手で、ゆっくりと軍服のボタンに手をかける。

 ゆっくりと上から順に外していく。


「もっとよお、腰くねらせてセクシーにできねえのかよお!」

 兵士のひとりがアニカ腰を乱暴に掴んで動かす。下品な笑い声が上がる。


 アニカが一瞬こちらを見た。

 それははっきりと、合図だった。


(うまく逃げて)


 待て。無茶だ――


 彼女は思いっきり足を振り上げて、腰にまとわりついていた兵士の後頭部へかかとおとしをお見舞いした。


 鈍い呻き声。

 兵士たちの怒声。


 テオの見張りをしていた兵士の魔導銃がわずかに揺らいだ。

 その腕を掴み、魔導銃をはたき落とす。

 ノヴァを取りにいっていては間に合わない。こいつのを使うしかない。

 テオは魔導銃を拾い上げる――


 眩い光が走った。

 暗い森の中で、それは一際明るかった。


 そしてそれは、絶望的な光だった。

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