第七話 -後悔-
ちょっと! 職務放棄するつもり?
誰かの話し声がする。
女性の声だった。
感情もなく、淡々とことを運ぶような口調で、その声は発せられる。ずいぶんと遠くから聞こえるような気がしたし、耳元で優しく
目を開ける。のっぺりとした灰色の天井が見えた。どこかの部屋の、ある程度高さのあるベッドに寝かされているようだった。消毒液のつんとしたにおいがする。
身体が
「ええ――はい。私から伝えておきます」
声の主はフィルツ大尉だった。
テオはゆっくりと首を横に向ける。部屋の入り口付近に設置されている電話機で、誰かと話している。こちらには背を向けた格好だったので、テオが目を覚ましたことにはまだ気がついていない。
「そうですね――我々も、できるだけ状態を整えておきます――はい。それでは」
フィルツ大尉は受話器を置き、大きくため息をついた。
テオはなにか話しかけようとしたが、声がうまく出せなかった。喉の奥に重いものがつっかえているような感覚だ。
それでもテオは、押し出すようにして声帯を動かした。
「――大尉」
テオの声に、フィルツ大尉の身体はびくりと飛び跳ねた。
「少佐!」彼女はベッドへ駆け寄る。「よかった! 目を覚まして。本当に、どうなることかと――」
大尉は両手をぱたぱたさせたり、かと思うと口元にあてて眉を歪ませたりを繰り返した。
その瞳がじんわりと濡れている。
「すまない。おれは、どのくらいここで寝ていた?」
フィルツ大尉は自分を落ち着かせるようにして胸に手をあて、ベッドの脇にあるスツールに腰をかけた。
「ほぼ、丸一日です――私たちが巨人と交戦したあの夜からは、十八時間ほど経過しています」
部屋の入り口と反対側には窓がついていた。カーテンが閉まっている。日の光は感じられない。大尉が、今はちょうど夜の七時をまわったところだと教えてくれた。
テオが寝ていたのは軍病院だった。第2魔導銃大隊が護衛を行っていたヴォルケンシュタインの市街にある施設だ。
テオが横たわっている以外にもベッドは三つあるが、いずれも使われてはいなかった。
フィルツによると、魔導衛生兵によって必要な処置はすでに施され、あとは点滴と、体力が回復するのを待つのみだという。
完全に、魔力の
もっともそれ以外に、外傷として両手の火傷はひどいものだった。完治には相当時間を要するとのことである。
テオはしだいに、森の中で巨人と対峙したときのことを思い出していた。
黒々とした巨体が迫りくる。
木々がなぎ倒され、こちらへ向かってくる。
やることは決まっている。テオはノヴァを構え、魔力を充填させ、最大の火力で奴の頭を撃ち抜く。目がくらむような閃光が放たれ、あっけなくオーガーの首から上が消えてなくなる。
そのあとの記憶は途切れとぎれだった。
ただ撃ち続けた。それだけを覚えている。
「おれは――またやったのか」
テオはまるで独り言をつぶやくように、フィルツ大尉に尋ねた。
大尉は自分の膝を見つめたまますぐに答えなかったが、それがじゅうぶんに答えになっていた。
「どのくらい、おれは撃ち続けた?」
「――十分程度だったかと思います」
「どんな様子だった?」
「周りの声が聞こえていないようで、ただただ、撃つことに集中していました」
「おれは、なにか言っていたか?」
「殺してやる。奪わせはしない。徹底的に、消してやる――と」
テオはため息をついた。そして、情けない声で笑った。
「再発だな――本当に、悪かった。全ておれの精神が弱いせいだよ。まったく」
「少佐、そんなことはありません」
「そういえば大尉、きみのことを怒鳴ったような気がする。すまなかった」
「いいえ、少佐の指示に反抗したのは私です」
病室には数秒、沈黙が流れた。
部屋の外は廊下になっているのだろうか。誰かの話し声が反響しているのがかすかに聞こえる。ずいぶん遠くのようだ。
「少佐――アニカのことは、私にも一緒に背負わせてくれませんか?」
ふいに口にしたフィルツ大尉の言葉を、テオは目を閉じて、静かに
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「ほうらウッツ! しっかり背負いなさいってば! 男でしょ!」
アニカがウッツの背中をバシバシ叩きながら笑った。
「叩くなよこら! 結構重いんだぞこれ!」
ウッツは顔に汗をかきながら、愚痴をこぼす。
少し後ろを歩きながら、テオとニコルはそのやりとりを見て笑っていた。
まったくお気楽なものだと、テオはあのときを振り返って思う。
二年前。季節は初夏。
士官学校の同期でもあるテオたち四人は、リオベルグの北東に位置する森の中を歩いていた。ソルブデンとの交戦が続いているこのリオベルグだが、長らく
四人が来ていたのは救援物資の輸送訓練のためだった。
一応、
そう、あれは単なる訓練だった。
そのはずだったのだ。
「テオ、あんたがうちの指揮官なんよ。もっとしっかり仕切ってよ!」
アニカは悪戯っぽい顔でテオに言う。
「そういうアニカがやったらどうだ? 声が大きいし、適任だろ」
「ちょっと! 職務放棄するつもり? あんたはうちらのエースなんよ、
後ろ向きで歩きながら、アニカは口を尖らせた。
「ちょっとアニカ」ニコルが言う。「前向いて歩いたらどうなの? 転ぶわよ。それに言葉遣いもきちんとしなさい。同期とはいえ、ザイフリート中尉は上官にあたるわ。せめて、任務中は」
「んもー! ニコルはカタいんだから! レーションのジンジャークッキーみたい」
「なんですって?!」
アニカとニコルが睨み合った。
「やーめーろい」ウッツが気だるそうに言う。「ただでさえ暑いんだからさ、喧嘩なんかで余計なエネルギー使うなよ。こっちまで疲れてくる」
あのころの四人は、たいていそんな感じのやりとりを、飽きることもなく、毎日のように繰り返していた。さほど中身のある会話でもないし、どちらかといえば文句だったりやっかみだったりといった、口を閉じていた方がよっぽどましな話だ。
でも、彼らはみんな、そのやりとりを心地よく感じていた。
今思うとそれはアニカのおかげだったのだと、テオは思う。
アニカ・パーゼマン。
当時少尉。彼女は明るい金色の髪をショートカットにした、快活な女性だった。感情豊かで、顔にはそのときの気分がそのまま出る。嬉しいときは大きな口で笑うし、不機嫌なときは頬を膨らませて周りの人間をやたらと睨みつける。
ウッツもニコルも、そしてテオも、彼女のころころと変わる表情に振り回されていた。
そして同時に、救われてもいた。
「ありゃ、分かれ道?」
ウッツが立ち止まる。
テオたちが歩いているのはほとんど道らしい道などない森の中だ。だが何度か訓練用に利用されているルートなので、うっすら獣道が出来上がっている。目の前の道は大きな木があるせいで、二本に分断されていた。
「司令部からも言われてたろ。途中二手に分かれて二・二で進む箇所があるって。そういう
テオは言う。
「じゃあバトル・バディーで分かれるか」ウッツは提案した。
テオとアニカは左、ウッツとニコルは右へ進むことにした。
「十分ごとに通信を行おう」テオは現時刻を確認しながら言う。
「じゃあ二人とも、気をつけて」ニコルが言う。
「ウッツ、へたるなよー!」アニカはひらひらと手を振っている。
「へいよ」ウッツはだるそうに返答した。
司令部からの作戦の通り、淡々と訓練を進めていく。
そう、あれは単なる訓練だった。
そのはずだったのだ。
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