第29話 デート
予定より遅れて次の商談のために宿を出る、取り付けた面会時間ギリギリになりそうなため昼食を食べ損ねたが、アーノルドのせいなので次に会ったら食事代くらいは出させようと決心しながら小さな商会に向かった。
人の良さそうな会長から幾つかのスパイスの苗を仕入れ、簡単なアドバイスを貰い気分よく商会を出た。
この後は市場を中心に市場調査をしながら散策を予定している。
「折角だから観光名所のひとつぐらいは寄りたいわね」
「ここからなら、そうだな市場の北側にある時計塔はどうだ?」
「いいわね」
エルシドと二人、地図を見ながら行き先を決めた。
振り返り護衛に着いているジーバに目的地を告げた。
「わかりました、折角ですゆっくりデートしてきては如何です?俺たちは後から少し離れて着いていくので」
そう悪戯っ子のように愛嬌のある笑みを浮かべたジーバに私が戸惑っているとエルシドが地図を仕舞いながら「そうさせてもらおう」と私の腰に手を回した。
目を白黒させる私にエルシドが小さく笑う。
「折角の好意だ、甘えさせて貰おう」
「……うっわかったわよ」
笑顔に絆されてるなぁと思いながら、それでも確かに隣国まで来たのだし少しぐらい楽しんでもいいかと気持ちを切り替えて私は歩き始めた。
市場には様々な地域の食品や工芸品が並んでいた。
色とりどりのビロードが美しい織物は中でもとびきり目を引く。
母が好きそうだと長めに量り売りをしてもらいお土産に購入する。
領地の南側に大きな港があるということもあり、異国のものが目につく。
同時に目を引くのが海から獲れる魚介類、高額な魔道具を使い運んでくる魚は川や湖で獲れる淡水魚を見慣れた私には新鮮に映る。
「海の魚か、随分とカラフルだな……ああ、いつだかの学園であった模擬舞踏会で伯爵家の令嬢が確かあんなドレスを着ていた覚えがある」
エルシドに言われて記憶を辿る、貴族である以上はいずれ夜会に出るため学園ではより夜会に近い雰囲気で日々の練習の成果を見るため模擬舞踏会が開かれていた。
確か中位の貴族子女のクラスの伯爵令嬢が張り切りすぎて場から浮きまくるドレスを着てきたため注目を集めたことがある。
「確かに、似てるわね」
「あの派手なドレスも見事な仕立てだったからな、あの場では浮いていたが」
朱に近いオーガンジーを幾重にも重ね肌の露出が多いドレスは本来の夜会であれば耳目を集めただろう、ただ模擬舞踏会は試験を兼ねているため少し控えめなドレスをと決められている。
悪目立ちはしたものの、仕立ての素晴らしさが侯爵令嬢の一派の目に止まり、仕立て屋はかなり人気になったらしい。
「懐かしいな」
「そうね」
あの頃は遠目に見るだけだった王子さまが今婚約者として名前も髪色も変えて隣を歩いているなんて学園時代の私に言っても信じないだろう。
くつくつと笑った私にエルシドが目を向けたので思ったことを伝えれば、エルシドも懐かしむように「そうだな」と笑った。
時計塔に着く頃にはすっかり街は赤く染まって夕焼けに包まれていた。
見物料を払い時計塔の中に入り長い階段を登る。
石造の壁に所々空いている明かり取りの小さな窓から街が見える。
階段を登り切れば展望台になっていてそこから街が見渡せる。
「絶景ね」
「ああ、話には聞いていたが凄いな」
山に沈む夕陽とオレンジ色に染まった街並みを展望台から眺めていると、背後からエルシドが腕を回した。
これは、バックハグというやつでは?
などと出来るだけ平静を装いたいが背中に当たる体温にドクドクと心臓が煩い。
ムスクの混じるエルシドの匂いに頭がくらくらとする。
反面何処か冷静に手慣れているなと思ってしまうのは学園で見ていたレイアードの所業の所為だろう。
「慣れてるよね」
「そうでもない」
ほらとクルリと私の向きを変え向かい合わせにして、私の手を自分の胸に置いた。
いつもよりずっと早く鳴る心音が、エルシドも同じなのだと伝えてくれる。
顔を上げて見上げたエルシドの空色の瞳に夕陽がキラキラと艶めく、ゆっくり近づいた瞳が閉じられて私も瞼を閉じれば唇に柔らかな肌が触れた。
直ぐに離れたエルシドがそのままギュウギュウと強く抱きしめるので、心地良い苦しさに私は声を立てて笑った。
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