第6話 レイアードの事情
あの頃はそれが本当の愛だと疑いもしなかった。
婚約者候補として王宮の茶会で顔合わせをした時の俺は僅か六歳、既に貴族令嬢らしく胡散臭い笑いを浮かべる令嬢たちを見て、恐怖を感じた。
そう、まるで物語に出てくるような恐ろしい動く人形のようで、顔合わせのあった日の夜には熱を出した。
当然そんな彼女たちと上手く合流が出来るわけもなく、歳月が経つうちに苦手意識だけがより濃くこびりついた。
さらに悪かったのは俺の頭の出来が彼女たちの足元にも及ばないこと。
ただでさえ苦手な彼女たちに劣等感を抱いていたなどバレるわけにはいかなかった。
学園にあがれば数値で露見する俺の足らなさに尚更悪循環が生まれていた。
三年になる頃には取り返しがつかない所まで、彼女たちと俺の隔たりは大きくなっていた気がする。
そんな中で筆頭婚約者候補と言われていた公爵令嬢は、常に俺の行動を監視し細やかな所まで口煩く注意をしてきた、ただただ煩わしかった。
風向きが変わったのは三年で編入して来た平民あがりの男爵令嬢と知り合った頃。
「レイさま!凄いです!」「知りませんでした!レイさまは物知りですね!」
彼女の口から出る甘言は劣等感や身分に伴う重圧に押し潰されそうな俺を満たしてくれた。
いつの間にか彼女の甘言から齎される気持ちよさに麻薬のように抜け出せなくなっていた。
同時に彼女を責める婚約者候補たちを度々見かけるようになっていた。
その度にに積み上がる不信感憎悪、卒業すれば嫌でもあの中の誰かを召し上げなければならない、だというのに学生時代の僅か一年足らず、甘い時間すら俺から奪おうとする。
筆頭婚約者候補である公爵令嬢は俺にも苦言を伝えて来ていた。
このまま手綱を握り俺を操る気でいるのだろう、その頃にはそんな風に被害妄想に支配されていた。
卒業式の前日、公爵令嬢が婚約者と内定したことを知らされた。
ゾッとした。
だからあの卒業パーティーで断罪してやろう、婚約を撤回させてやろうと思ったのだが。
浅はかな俺の策略などお見通しとばかりに反撃され、壇上で見守っていたはずの父である国王陛下から廃嫡と放逐、其れに伴い王家の血をばら撒かないために断種をその場で言い渡された。
さらに連れていかれた控室で、俺は唯一王家の証とされる加護を奪われた。
引き摺られるように門から放り出された俺の前に男爵令嬢がいた。
「大丈夫だったか?」
そう心配してか弱い彼女に声をかければまるで親の仇でも見るような憎悪と侮蔑の混じった目を向けられた。
「触らないで!王子じゃないあなたなんて要らないのよ!折角上手くやったと思ったのに、何よ!婚約破棄?そんなことしちゃいけないことぐらい分からなかったの?ほんっとうに使えない馬鹿ね」
ひと息に俺を罵り走り去っていく彼女を見送っていると背後から頭に強い衝撃を受けた。
クラリと目の前が歪む、次いで身体中を襲う衝撃と痛みに自分が殴られていると気付いた時には頭を庇い蹲るしかなくなっていた。
どれだけそうしていたのだろう、恐怖から逃げ出すように這いながら痛む身体を引き摺り、いつの間にか意識を失っていた。
目が覚めた時に見えたのは黄の強い金髪がふわふわと揺れるペリドットの瞳だった。
どうやら彼女が助けてくれたらしい。
礼を言おうとする前に「捨てられて落ちてたから拾った」などと不届なことを言う。
どうやら同じ学園に通っていた一般クラスの生徒だったと話の流れで気付いた、アベリアと名乗った彼女はクレッセン男爵家の娘でここは男爵領だと聞かされた。
甲斐甲斐しく俺の世話を焼く様子に疑問を感じた、既に放逐された俺に価値などないのにと、何か企んでいるのかも知れない。
然しアベリアもクレッセン家の者も全て知っているだろうに俺を誰も責めない。
ニュースペーパーを俺も読んでいる、王都で俺は散々な評価となっていた。
そして弟である第二王子が立太子の内定がされたと知った。
瞬く間に決まった立太子にとっくに準備を始めていたと気付かされた、俺はとうに見放されて居たんだろう。
本当に俺は捨てられたんだ、利用価値すらなくなってしまったんだ。
少しずつ放逐された捨てられた現実を受け止めたのはアベリアが隠すように仕舞っていた俺の正装を見つけた時だった。
薄く血の跡が滲むボロ切れのような白い正装、その背に書かれた落書きが国王や貴族たちの総意に思われた。
何をする気にもならないまま時間が過ぎる。
時々顔を見せるアベリアの弟であるヘルマンドが無邪気に話しかけてくるのが楽しみになっていた。
流石に世話になっている礼をしなければと思うが、現在一文無しである自分には何もない。
ならばせめて役に立てる仕事をしよう、幼いヘルマンドですら家を手伝っていると言っていた。
そう決心しアベリアに伝えればアベリアから思いもよらなかった提案を受けた。
そしてほんの少しの反抗心が首をもたげた。
彼らから貰った名前を捨てて新しい名前を得る、彼らに捨てられたんだから俺も捨てていいだろう。
アベリアに強引なくらい屁理屈を捏ねて俺の名前を付けさせた。
それで俺は少しだけ溜飲を下げた、胸の奥がチクリと痛んだのは気付かないフリをした。
新しく与えられた名前は建国の勇者としてこの国に広く伝わる名前を少し捩ったもの。
「エルシド」
それが新しい俺の名前、王子でもなんでもなく誰からも必要とされず捨てられた俺が、生まれ変わった気がした。
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