第9話

「へぇ。その子、鈴ちゃんっていうんだ」


 男のニヤけ顔に磨きが掛かった。その嫌らしい顔つきで鈴を上から覗き込んできた。

 兄は自分の迂闊さを呪った。


「そういえば、家族も指名手配されていたな。確か娘の名前は――」

「な、なに言ってる。お前の聞き間違いだろっ」


 兄はまた苦しい言い訳をしなければならなくなった。どんなに苦しくても認めるわけにはいかない。これはリュックサックを諦めて逃げるしかないのか、と不安になった。


「なぁ鈴ちゃん。君のお兄さんの名前は雷太君で合っているかな?」

「え? オジさん、お兄ちゃん知ってるの?」

「オジ……」


 男はまだ二十代前半だ。オジさんと言われると精神にダメージを喰らう。


「あのな」

「リィン! 答えなくていい!」


 オジさんではなくお兄さんだと訂正する間もなく、兄に先を越されてしまった。


「ふえ?!」

「あ?」


 なにがなんでも誤魔化し通す! どんなに苦しくても鈴とは認めない。リィンで押し通す。兄はそう堅く心に誓った。

 当然いきなり兄から今まで一度も呼ばれたことのない呼び方で呼ばれれば、鈴の戸惑いが隠されることなく露わになる。


「そっか。リィンちゃんか。そっかそっか。っくくくくく」


 そんな苦しい誤魔化しに男は呆れるが、そういうことにしてやろうと苦笑いをした。そしてピタッと笑うのを止めると、急に真面目な顔をして兄と向き合った。


「その新聞の家族は指名手配されているが、お前たちには関係なかったな。で、どうする?」


 急にどうすると問われても、兄にはなんのことだか分からなかった。答えあぐねていると、男は更に嫌味をたっぷり載せた言葉を続けた。


「俺より警察の方が信用できるんだろ? 今から保護してもらいに行こうかって聞いてるんだ」

「余計なお世話だ」


 兄が男を睨み付けるも、男は軽く受け流して余裕を見せつけた。

 兄は男から目を離すことなくリュックサックにゆっくりと近づき、一番小さなリュックサックを拾い上げて鈴に渡した。


「リィン、行くよ」

「お兄ちゃん? リィンじゃなくて――」

「行くよ!」

「う、うん」


 鈴は呼ばれ方を疑問に思いながらも、兄の高圧的な態度に押し黙るしかなく、渡されたリュックサックを背負った。


「色々とありがとうございました」


 兄はリュックサックを背負いながら、言いたくはないが一応礼を男に言った。


「色々って?」

「ですが、これ以上僕たちに関わらないで下さい」


 残りのリュックサックを手に持ち、鈴の手を握る。


「あ、答える気はないのね。いいけどさ」

「では、失礼します」


 そして軽く礼をすると、男に背を向けて立ち去った。

 兄が礼をしたので、鈴も頭を下げようとしたが、下げるよりも早く兄に手を引かれたため、できなかった。代わりに引かれていない方の手を高く上げてブンブンと振る。


「オジさん、ありがとう?」


 兄がどうしてお礼を言ったのか分からないけど、とりあえず鈴も意味も分からずお礼の言葉を口から出した。


「っはっは、はぁ。どういたしまして」


 男はオジさんではないと否定することを諦め、疑問形のお礼も仕方なく受け入れ、力なく手を振り返し、二人を見送った。


「大罪人の息子と娘……か。ふっ」


 男は不敵に笑うと、公園を後にした。

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