罪悪
「Ⅱを1錠」
500円玉を窓口に置く。
代わりに錠剤が置かれる。
「お客様、10錠全てを一夜で使い切ったのですか?」
ああ……早朝から買いに来たら、バレるわな。
「……」
「追及は、しないほうがいいでしょう。お客様も自分でわかっていらっしゃるようですし」
わかっていてもやめられないものだってある。
いつかの講義で教授が何か言っていたような、アクラシア……だっけか?
悪いと知りつつやってしまう、自制心のなさを表す言葉らしい。
……今の僕にはぴったりの言葉だ。
これからもっと相応しくなるかもしれないけれど。
そんな嫌なことを考えながら、錠剤をポケットに突っ込みキャンパスに向かう。
1限から必修とか本当にどうなっているんだ。
シラバス読んだときは自分の頭がおかしくなったのかと思ったよ、カリキュラムを考えた教授は相当なサディストに違いない。
まぁ、そんなことを言ってもしょうがないので授業に向かうしかないのが世の常。
妄想だけなら罪にならないので、脳内で幾らか顔も知らないその教授を刺すくらいはする……が、時間がもったいないので、今は何も考えず講堂に向かう。
講堂前、ビラを配る学生。
なるほど、講義の前に配り、講義に駆け込んで講義が終わればすぐに配るのを再開するというわけか。
きっと給料は少しだけ高いのだろう。
しかし、給料が高いということは雇い先への依存度が高いということで……それだけ面倒だ。
その証拠に……ほら、無視して通り過ぎようとした時、声をかけられる。
「あのっ……パンフレット!」
「……大丈夫です」
ああ、まただ。
はっきりと断れない。
「そう言わずに、受け取るだけでも……」
押しに弱いというレベルではない僕は、言われるがままにビラを受け取ってカバンに突っ込む。
無視すればよかったのに、僕はなんて馬鹿なのだろうか。
◇
さて、つまらない講義……必修だけでなく、他の選択も……の大半を眠って過ごした僕は、帰り道の途中に激しい渇きに襲われる。
渇き、というのも比喩で……ああ、そうだよ。
悪いか?
錠剤が欲しくなった、ただそれだけだろう。
公園のベンチに座った僕は、ポケットから錠剤を取り出して口に含む。
口の中でいつものように崩れる錠剤に、僕は安心感すら覚える。
見えたのは、白無垢を身にまとった花嫁。
共に並び、歩き、数珠を受け取り……
その空間は、まるで僕達だけのもののようで。
優越感にも似た何かが湧いてきて。
それでも、足りない。
物足りない。
昨夜の浮遊感には少し届かないんだ。
さて、向かう先は『幸福屋』
財布の中身を確認……
ない。
そうだ、そりゃそうだよな。
5000円も一気に使ったんだから、あとは家賃と食費でなくなっちまう。
幸福以前に、今の俺に足りないのは金だったみたいだ。
その時、カバンからビラがはらりと落ちる。
目についたのはその文言、『即日3万円!』
怪しい。
治験の中での上澄みはこのくらい出るらしいが、即日はいくらなんでも怪しすぎる。
僕が普段やっているバイトも大概だが、これは詐欺の受け子とか運び屋とかを直接やらせるタイプの危険なやつだろう。
こんなの誰が……
◇
さて、やって来たのは記されていた会場。
面接すらなく、必要なのは口座登録だけ。
鬼が出るか蛇が出るか、少なくともまともなバイトじゃないのは間違いない。
その場には指示書と鍵1つ。
『T駅のコインロッカー012の鍵です。中にあるものを取り出してF駅まで運んでください。』
運び屋か、これはまたあからさまな。
隠す気すらないからこそここまで給料が高いのかもしれない。
さて、事件も何もなく……いや、僕がやっていることが事件の一部かもしれないが。
ロッカーにあった小包をF駅にいた不審者に渡して……口座を確認してみると、あら不思議。
3万円増えているではありませんか!
ということで、僕は無事……無事?
とにかくお金を手に入れ、暫くの錠剤を確保できたのだ。
……待てよ、おかしい。
何故?
水道代、ガス代……そして、今はなんとか払えている家賃。
金を使うべき場所は、もっと他にあるはずなのに。
何故錠剤を第一に考えた?
僕はもう駄目かも知れない。
◇
「お客様、何事も過剰摂取はよくありません。幸福に関してもそれは同じでございます」
『幸福屋』に来てすぐに、まるで心を見透かしたかのような声をかけられる。
「……何も言ってないんだけど」
「Ⅲの購入も、Ⅱの過剰摂取もおすすめはできません。幸福というものは、身も蓋もないことを言ってしまえば快楽物質と同じようなものでございます。一度に摂取する量が増えれば、今までの量では満足できなくなるのです」
ジャンキーってか。
そうだ、その通りだよ。
「それなら、身を以て感じていますよ」
この錠剤は、僕を何者かにしてくれる。
その体験のためなら、どうなったっていいさ。
「では、Ⅱを1錠ずつをおすすめさせて頂きます」
「Ⅲを5錠お願いします」
僕は2500円を差し出す。
「……わかりました」
錠剤が差し出される。
僕はそれを受け取り、帰ろうとした時に……店員が呟く。
「嗚呼、彼もなってしまうのでしょうか……」
振り返るのも億劫で、僕はその言葉の真意を探ろうともせず帰路につくことにした。
◇
四畳半。
部屋を照らす灯りとなった錠剤は、今までのものより心做しか明るく見える。
そして、僕は……包装シートから出した5つの錠剤を、一気に全て口に含む。
灯りのなくなった部屋の中、崩れゆく錠剤は僕の心だけを照らしていた。
――不明瞭/不明瞭/不明瞭/不明瞭/不明瞭/不明瞭/不明瞭/不明瞭/不明瞭/不明瞭――
頭に浮かぶ映像は混ざりきって、脳が理解を拒むような混沌を生み出している。
地面に足がついているかすら確認できないような浮遊感に包まれながら、僕は気付く。
いや、それは確信に近い。
もう、これ以上の幸福は訪れないと。
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