借りはちゃんと返すもの

 ついにデートの日がやってきてしまった。デート。恋人や夫婦が共に出かけ、愛と絆を深めるイベント。

 ろくに交流もしていない、数日前顔を合わせたばかりの夫婦がデートとは変な話である。

 薄紫をしたカーディガンを羽織る。気に入っている色だ。お高めのカバンを持って出かける。デート、という言葉が頭の中をぐるぐると回る。少し心が鳴る。俺たちは夫婦だ。夫婦だったのだ。牡丹が惨殺事件を起こすまでは。

 葉太は少しだけの希望を持っていた。消えてしまいそうな希望。それは、牡丹が夏目家なんて小さい物にとらわれずに広い世界を見てくれること。そうしたら、牡丹は解放される。夏目家の当主だとか、神様の力だとか。そういう物から解放されるのだ。

「葉太様、準備できました」

 牡丹ははにかんで葉太の手を握った。嬉しそうにくるりと回る。短くなった髪も歓喜しているように舞った。牡丹が楽しそうにしている。それだけで葉太の心は少し温かくなるのだ。

 葉太は、やはり牡丹が好きだ。時間が戻る前、神様にお願いする前。ただの夫婦だった時間がある。それが忘れられないのだ。

「葉太様、アクセサリー買ってくださいまし」

 そうやってねだられたら葉太は断れない。騙されるな、と自分に言い聞かせる。こいつは人殺しだ。理由があったとしても。

 手の温もりが愛おしくて、離せずにいると牡丹がふと気味の悪い大人ぶった笑みをやめた。まだ世を知らぬ少女である彼女は、嘘をつくのが下手だ。

「こっち見んな。何が欲しいんだ、買ってやるからさっさと行こう。……面倒くさいんだよ」

 はぁい、と甘い声がする。この耳障りで可愛らしくて、どうにももっと聞きたくなる声。どうにかしてほしかった。おかしくなりそうだ。一応嫌な態度をとってはみたが、葉太も嘘が下手だった。

 葉太は自分でも牡丹のことが好きなのか嫌いなのかわからなかった。憎めない、というのが正しい気がした。

「アクセサリーショップとか行ってみたいんです」

「……じゃあ、連れてってやるよ」

 電車に乗るのは久しぶりだった。二人で電車に揺られる。なんとなく緊張した。座席で葉太にもたれかかって眠る牡丹が演技だということに葉太は気がついていた。

 そして、到着した場所に牡丹は震えた。

「百貨店なんて来たことありませんよ、大きいですね」

 サプライズですか、本当に三倍にして返してくださるのですね、と牡丹が葉太をまくし立ててくる。このまま死ぬのも悪くないかと一瞬思ったが、それでは駄目なのだ。周囲の大事な人間にしわ寄せが行く。そんなのは嫌だった。

 百貨店では、アクセサリーのフェアがやっていた。目を輝かせる牡丹はただの少女に見えた。

「ねえ葉太様、私紫色が好きなんですよ。おそろいですね」

 そうやって腕を絡めてくる牡丹。少し耳の先が赤いのが見えた。髪を切ったのは正解だったかもしれない。そう思った。顔がよく見える。

「……俺が買うんだから、俺に選ばせろよ」

「なぜでしょうか」

「お前は俺の嫁なの。俺の方が偉いの」

 関白亭主ごっこをしてみた。どうにも性に合わないが、我慢だ。葉太は売り場をじっくり見て回った。牡丹は終始にこにこしていた。本当はアクセサリーなんてどうでもいいのではないだろうか。

「ねえ葉太様、儀式って私もできるのでしょうか」

「急になんだ」

「雑談です。葉太様は当主になるのですから、あやしのあめを管理する立場になるのでしょう?」

「俺は……」

 当主になんてならない、そう言おうとした。その時、光って見える物が葉太の言葉を吹き飛ばした。綺麗な空色の花。髪飾りだった。

「なあ牡丹、これにするぞ」

 牡丹の腕を優しく掴んで無理矢理に連れていった先はレジ。混乱している牡丹はぽてぽてとついてきた。ラッピングは断った。店を足早に出る。

「葉太様、どうしたんですか」

「これ、好きだろ」

「ええっと、うんと……」

 葉太は全部知っている。牡丹の好きな色が空色であることも全部知っている。ああ、駄目だな。葉太は自分を殴りたくなった。

「知っていたのですか。私がこの色が好きだって」

「自惚れるな。知るかそんなもん」

 ついそっぽを向いてしまったので、牡丹がどんな顔をしていたかわからなかった。

「ねえ葉太様」

「なんだよ」

「これ、つけてくださいまし」

 頭を腕に押し付けてくる牡丹。恥ずかしい、馬鹿、と突き放そうとする葉太。その攻防は電車まで続いた。ホームでついに葉太が折れた。黒髪に空色が光るのを複雑な気持ちで葉太は見ていた。

 牡丹の頰が赤く染まっていたのを、葉太は知らない。

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