第5章
わたしは人間なのか否か 1
秋川さんは、わたしのことをとても可愛がってくれる。毎日のように空き地に訪れて、わたしの姿を確認すると喜んで抱きかかえてくれる。下校時間とイタチ罰の時間が合わさることはそんなに多くはないけど、わたしはいつも空き地へと向かっていた。秋川さんが待っていてくれるかもしれないという事実があって、足を動かさない理由にはない。初めに空き地で見つかってから、大体4回くらいあそこで秋川さんと遊んだ。単純に楽しかったし、楽しそうな秋川さんを見て嬉しかった。
でも、それは相手がわたしだったからじゃない。相手がイタチだったからに過ぎないのだ。
そりゃ、秋川さんから貰える気持ちは嬉しいけど、自分に向いてない想いを受け取るのは、一種の尊厳破壊に近い。
わたしは嫉妬しているのだ、自分に。
正確には、自分という名のイタチに。
でも、やっぱり好きだから、自然とイタチの姿で秋川さんの元へと向かってしまう。人間に戻った時に虚無感に襲われるのはわかってるのに、それでもその笑顔が見たくて。
いつか必ず人間のわたしにその顔を向けさせてみせる。
それがわたしの目標だ。
────────────
「むぎ〜?お腹なでなでしてあげるからおいで。」
秋川さんの優しい声に反応して、わたしの身体は自然のその足元へと向かっていた。
なんか冒頭でかっこよさげなことを言ってみたわたしだったが、やはり秋川さんにこんな笑顔を向けられる状況を避けるなんて無理だ。そりゃ人間として愛されられるならそれに越したことはないけど、イタチとして愛されるのも当然幸せなのだ。別腹ってやつね。
それに、イメージ的なものも異なる。
人間のわたしに対して、秋川さんがこんなにデレデレになってたら、それはそれでちょっと引く。あまりにも憧れの秋川さんとイメージがかけ離れすぎて、頭の中が空っぽになるだろう。だからこれはこれ、あれはあれ、って考えておいた方がいい。
秋川さんとこの空き地で初めて出会ってから数週間が経った。あ、初めて出会ったっていうのはイタチ姿での話ね。
あれ以降、秋川さんは毎日放課後にここを訪れている。空き地には何もなく草木が生い茂っているだけだが、幸いにも端っこの方に木の切り株が残っていた。そこに座って、わたしというイタチが現れるのを一時間くらい待ってから家に帰る。
秋川さんにとって、よっぽどこの前のわたしの姿は印象的だったのだろう。わざわざ再び現れるのを待ち続けるとは。
望んでいない形とはいえ、秋川さんに気に入られた以上、わたしとしてもすぐにイタチ姿で空き地に向かいたい。しかし、イタチになれる時間はランダム、行きたくても行けないのだ。
なんとか下校時間にイタチになれるように祈ってみたが、この時間帯にイタチになれるのは良くて週に一回くらいだ。まあ、単純計算なら1ヶ月に一回とかしかこの時間は訪れないから、祈った成果は案外出ているのかもしれないけど。
ちなみに、ポイントの貯まり具合はすごく順調だ。秋川さんと1時間きっかり遊んでから帰ると、それだけで500ポイントくらい稼げる。夜は怖くて行動できないし、学校では言わずもがなだから、週に稼げるポイントは多くて800〜900。今のポイントは6400、ペナルティー解除まで半分を切った。
このままいけば楽に解除できそうだ。
あと、わたしの名前はなぜか『むぎ』になった。
秋川さんと合計5回この姿で会ったが、3回目くらいから『むぎ』という名前で呼ばれるようになった。
なんでそうなったのかは知らないが、まあペット感覚で名付けたんだろう。どうせなら『ひなた』ってつけて欲しかったけど。
「むぎ、今日はおやつ持ってきたんだ。」
秋川さんは、膝下に抱き抱えていたわたしを一度地面に優しく降ろし、自分の中のバッグに手を入れ始める。
一応言っておくと、野生動物に餌をあげるのは周りの人に迷惑がかかるかもしれない行為なので推奨はできませんからね。わたしは人だからいいけど。
それにしても秋川さんはわたしのことが大好きだ。
学校ではツンツンしてて、なかなか笑顔を見せてくれないのに。語弊がないように言っておくと、尖ってる秋川さんも好きだよ?違った味があって、デレデレとツンツンを両方味わえているわたしは幸せ者だ。
「はい、鶏のささみだよ。」
秋川さんが徐に取り出したのは、小さく刻まれたささみ肉だった。
わざわざ会えるかも分からないわたしのために用意してくるとは。人間の時にはお弁当のおかず交換すらさせてくれないのに、随分と手が緩くなったもんだ。
ほらほらと誘われるので、秋川さんの手に乗っかったささみ肉を、わたしはありがたく貰っておく。手のひらに乗っかったものを食べると、どうしても口が肌に触れてしまうのだが、まあ本人が気にしてないなら別にいいか。わたしを人間姿で置き換えたら地獄絵図だけどね。
「おいしい?」
『まあ、そこそこ。』
「うん?次はレバーとかの方がいいのかな……。」
わたしの返答は向こうから見たらただ鳴いてるだけに聞こえているはずなのに、どうしてが会話が成立している。
愛が深ければ言葉も理解できるようになるのか。
ちなみに、味覚を含む五感は、イタチ特有のものになっている。目はかなり悪いが、嗅覚は優れていて、味も肉が大好きになっている。元々肉好き野菜嫌いなわたしだけど、イタチのときはその比じゃない。肉食動物だから当たり前かもしれないけど、人間の雑食性の凄さも同時に実感した。
ささみはイタチやフェレットの好物のはずなんだが……いまいちわたしの口には合わない。イタチのくせに贅沢なやつだ。
もぐもぐとあまり好みではないささみの肉を頬張っていると、隙を見せた瞬間に秋川さんに抱っこされる。
「えへへ、捕まえたー。」
にっこにこだ。
「むぎはホントに運動音痴だよね。そんなのでどうやって野生で生きてるの?」
おい。さらっとイタチ形態でも悪口言われたぞ今。
言葉に全く棘がないとはいえ、秋川さんから見たらわたしはどう頑張ってもポンコツらしい。
野生感が全くないのは事実だけど、その気になれば秋川さんに捕まらないことくらいわけないんだぞ、という意味を込めて長い指の一本を軽く噛んでみる。
「痛いよむぎ。」
一ミリも痛くなさそうに微笑みながら、わたしの主張は軽くあしらわれた。
『わたしだって本気を出せば強いんだよ。これでもイタチはかなり生態系の中では上の方だから。』
「はいはい。むぎはつよいつよい。」
本当に言葉伝わってるんじゃないのか?
なんでわたしの言葉が理解できるんだろう。動物の声が聞こえる人っているみたいだし、そういうタイプなのかもしれない。でも、それにしてはわたしの正体を見抜けていないのだから、ただの偶然かもしれない。
『あ、もう時間だ。』
遊んでいるとあっという間に1時間は経ってしまう。トイレで引きこもってる時の10分よりも体感的には短い。
でも帰らないとまずいので、わたしは秋川さんの腕をすり抜けて、別れを告げて家へとダッシュで向かった。
「行っちゃった……。」
秋川さんは物悲しそうにしてたけど、現実を見たらもっと悲しくなるだろうからこれで正解。
さて、明日は学校でどんな話をしようか。
せっかく今日この姿であったんだから、久しぶりにイタチの話を持ち出してみようか。
今日の秋川さんと明日の秋川さん、その対比を楽しむくらいには、わたしの日常は落ち着いてきている。強いていうなら、人間として好かれる決定打が欲しいところだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます