九 海中、そして潮の舞 ③

「葉詰、タコみたいだ」

「うるさいね」

「はははっ」


 葉詰が追いかけてくるので思い切って砂を蹴ってみる。ふわりと体が浮くのでどうやら泳げるようだ。

 そのまま三人、しばらく泳ぐ。貝火さんは途中途中で珊瑚礁をのぞき込んだりして楽しそうにしている。

 少しすると開けた岩場があったので、そこで並んで魚の銀色の光る群れを眺めながらおにぎりを食べることにした。やっぱりおにぎりは濡れておらず、そのまま食べることができる。けれど何だか塩辛い気がするのは、気のせいのはず。うん。


「おいしいね」

「うん。……あっ」


 おにぎりがひとつ、ラップに包まれたまま巾着から零れ落ちてころころと転がっていく。慌てて追いかけるけれど、ころころころころ転がって、止まるようには見えない。なんだかおむすびころりんみたいだ。


「笹目、大丈夫かい?」

「笹目さん?」

「うん、おにぎりが止まらないんだ。そんな坂でもないのに」

「放っておいた方がいいんじゃないかい」

「でもラップで包んであるし……。あまりよくないんじゃないか?」

「追いかけましょうか」


 貝火さんもそう言うし、追いかけることにした。転がっていくおにぎりは、大きな門の前で止まった。と、思ったら門が開いて、その中へと入って行った。


「は、入っちゃった……」

「というかここはどこなんだろうね」

「まさか竜宮城……じゃあないかしら」

「そんなまさか」


 開いた門の前でそのまま僕らは立ち尽くした。奥には大きなお屋敷が見える。しばらくどうしようか迷っていると、門の奥から大きなカニがやってきた。カニ、というか、カニの頭をした鎧を着た人がやってきた。手に槍を持ち、ずんずん向かってくる。


「逃げるか、葉詰」

「もう少し様子を見よう。私たちは何もしてないのだから」

「おにぎりの中身がシャケだったら怒るんじゃないか?」

「えっ。……鮭は川魚だよ……多分……」


 そんなことをこそこそ話しているとカニ頭の人はとうとう僕らの目の前にやってきた。そして身をかがめると僕らに話しかけてくる。


「お前たちか、あの握り飯をここに持ってきたのは」


 喋るたびに口から泡がぶくぶくと溢れている。


「いえ、持ってきたというか、たしかに僕たちのでしたけれど……」

「おお、おお! あれをな、姫様が大層お気に召したのだ。そこでお前たちに礼をしたいと言っている」


 さあ入れ入れ。そう言ってカニの人は僕らを門の内へと招き入れる。断る間もなく、やあやあありがたやありがたやと言われて連れていかれると、大きな広間に出た。上座に御簾が垂れていて、その向こうに誰かが座っているらしい。あれが姫様なんだろう、多分。

 御簾のそばにいる、タイの頭をした人が口を開く。


「姫様は皆さまからの馳走を大層お気に召されましたのでささやかながらお礼にと宴会を開くことに相成りました。どうかごゆるりとお楽しみくださいますよう」

「はい、姫様のお心遣いに感謝いたします」

(なんだか勝手に転がっていったみたいなんだけどなあ)


 そんなことを考えながら頭を下げる。さて、これは竜宮城か鼠浄土か。

 貝火さんはのんびりと「こんなこともあるんですねえ」と言っている。まあたしかに、ここ天の国の界隈でおかしなことがあったなんてことは聞かないし、特に心配することは無いのだろう。

 そしてそれは確かに見事な宴会だった。

 ひらひらと泳ぎ回る熱帯魚の群れを見ながら珊瑚のような菓子をつまみ、大将たちの演武を見る。そのひとつひとつに目を奪われ、口が開いたままというのもしばしばだった。

 見せてもらった宝物たちもどれも美しかった。砕いた翡翠の葉の美しい金の枝。竜の鱗で作られたという牡丹の花。玉に錦に香木に。天の国に来てからいままでいろいろな美しいものを見たと思うけれど、そのどれにも負けていない。


「大変なおもてなし、感激のいたりにございます」


 また三人で深々と頭を下げる。正直おにぎりひとつでは割に合わないと思うのだが……。

 また御簾のそばのタイの人が口を開く。


「それでは姫様より、皆さまへ贈り物がございます」

(来たっ)


 ヒラメたちが一抱えもある大きな箱と手に収まるほどの小さな箱を背に乗せてえっちらおっちら泳いできた。


「この箱のどちらかを選び、お持ち帰りください」

「……少しの間、相談してもよろしいでしょうか」

「ご随意に」


 僕と葉詰と貝火さんの三人で額を突き合わせて小声で考える。


「(大きいつづらと小さいつづらみたいだわ)」

「(まさにそれですよ。小さいものを選べばいいんだよな、葉詰)」

「(そうだね、そのうえで開けなければいいんだから。じゃあ行くよ)決めました。小さな箱の方を私たちにいただけますか?」


 葉詰がそう言うと小さい箱を乗せたヒラメが泳いできて、目の前にとまった。葉詰はそれを受け取ると頭を下げた。


「はい、心より感謝申し上げます」

「またいつでもお越しくださいませ」




 大きな門をくぐり、振り返ればお屋敷も門も消えていた。途端、僕らはどっと疲れてその場に座り込んだ。


「はあ~」

「なんだったんだろうね、いまの」

「他の場所でもこんなことがあるのかしら? あたしこれから自信ないわ」

「あったらこんなに疲れてませんよ」

「こんなことに巻き込まれてもいません」


 はあ~。再び溜息。目の前を魚の群れがよぎる。


「いいもの見たな」

「お菓子も美味しかったし」

「本当に、あの緊張さえなければ……」


 はあ~。三度溜息。


「この箱、どうしようか」


 葉詰が例の小さい箱を手に呟く。ここはきっと彼らの縄張りだから、置いて帰るのも恐ろしい。ここでこんな会話をするのも、本当は怖い。


「持って帰るしかないだろうな」

「土に埋めるのはどうかしら」


 貝火さんの言葉に葉詰は頷く。


「それがいいですね」


 こうして僕らは駅に戻ることにした。こう言うのもなんだが、海が苦手になりそうだった。

 駅まで泳いでいけば、すぐに列車がやってきた。さっさと乗り込み、ぐったり席に寄りかかる。

 タタンタタン、タタンタタン。

 タタンタタン、タタンタタン。

 列車に揺られていると疲れが取れるようだった。貝火さんはすっかり眠っている。僕もだんだん眠くなる。うとうととしながら窓の外を眺める。いま見ている青い水は、やっぱり海の水とは違うのだと思う。ここは多分、「どこでもない場所」なのだ。人の無意識は海のようなもので繋がっているという。きっとここはそう言う場所なのだ。


(なんだか変な考えになってきたな……)


 疲れが溜まっているせいだろう。眠気に身をゆだね、そのまま眠りに落ちた。


  +++++


 誰もいない駅に、僕と葉詰の二人きり。葉詰は僕に背を向けて立っている。

 葉詰の髪が揺れる。線路に落ちそうになって。

 僕はその手を引こうとする。


 ああ、そうだ。葉詰は、


 笹目木塔子に似てる。


  +++++


 ぱちりと目を開いた。なんだかすごく頭がすっきりしている。隣では葉詰が、が寝ている。


「あれ?」


 何でそう思ったんだろう。

 僕が疑問に思っている間に葉詰が目を覚ました。


「笹目、どうしたんだい。そんなにまじまじと見て」

「いや……何でもない」

「? ……貝火さん。天の国に着きましたよ」


 葉詰が貝火さんを起こして、列車を下りる。長屋に着いた僕らは泥井さんに大きなシャベルを借りて、裏の原っぱに出た。穴を掘って、疲れたら交代して、また穴を掘る。

 そうしてできた大きな穴に、あの小さな箱を入れて、今度は土をかぶせる。箱は一掬い分の土をかけただけで見えなくなった。埋め終わり、土を力強く叩く。きっと明日には、もしかしたら長屋に戻った途端、草が生えてどこに箱を埋めたかなんてわからなくなるだろう。




 僕は考える。あの箱は本当に玉手箱なのだろうか。

 もしかしたら小さいつづらと同じで、宝物が詰まっていたのではないか。

 そんなことを考えたら、なんだか少し、惜しいような気もしてならないのだった。

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