第32話 初仕事

「なんでミカドはこの国で一番偉いの?」


 ずっと小さいころに、光乃はこう尋ねてまわっていたのだという。

 だという、と伝聞系なのは、光乃自身はそれを覚えていないからだ。

 その時にどのような答えをもらったのかはわからない。

 そこまではみんなの思い出話の中には含まれていないからだ。


 十一郎なら、きょとんとして

「一番偉いから偉いんでしょうなあ」

 とでも答えただろうか。


 モレイなら……。

 禅問答を嫌う彼女のことだ、面倒くさそうに手を振って、

「知るかそんなもん」

 と流して終わりだっただろう。


 なぜミカドがこの国で一番偉いのか。

 それはミカドが神の子孫であるからだ。


 数えること六十五代前のミカドが神の子孫として、神々と契約し、その力をもって天原あまがはらを悉く平らげ、そして興した国が、ここ天原国だからだ。


 以来、六十五代、千年にわたって神との契約は続いている。

 神の子孫でなければ神との契約はできない。だからこの国ではミカドの血が最も尊ばれる。

 契約が切れるとどうなるのかは誰にもわからない。おそらく国は滅ぶのであろう。


 契約条件は二つ。

 一つ、毎年秋に、その年の収穫物を神にささげること。これを新贄祭にいにえのまつりとよぶ。

 一つ、ミカドの代替わりに際しては特別な祝祭を執り行い契約を更新すること。これを大贄祭おおにえのまつりとよぶ。


 さて、今年はミカドの即位があった。

 ということは大贄祭おおにえのまつりを執り行い、契約を更新しなくてはならない。


 神との契約更新、となるとこれは非常に大掛かりで大変なものになる。

 大量の供物(米、山海の珍味、酒など)を準備する必要があるし、神々を饗応するためのエンターテイメント(歌や踊り、技芸などなど派手で豪華な出し物)も欠かせない。


 なによりも、大贄祭のためだけの、専用の宮殿を新設しなければならない。


 ようするにオリンピックとおなじようなものだと思ってもらえれば差し支えない。


 さて、当然ながら、ミカドの代替わりというのは毎年発生する定常業務ではない。

 したがって大贄祭を実行するための常設の部門というか人員は存在しない。

 だから、大贄祭があるたんびに、各省庁からエース級の人材が集められ、タスクフォースが組成される。


 これを『行事所』と呼ぶ。


 責任者として、副大臣クラスの公卿が三人。

 部長クラス(四位)の貴族が一人に、課長クラス(五位)の貴族が三人。

 その下にはイキのいい若手から現場をよく知るベテランまで、十人程度。

 これらのメンバーが、朝廷内の各省庁をうごかしながら、十数年に一度の大規模イベントを推進していく、とされている。


「とされている」といったのは、大昔に定められた業務マニュアル上は「この人数でやること」と定義されているからだ。


 しかし古今東西、およそ業務マニュアルというものは、偉い人の「いやー、こんなに人いらないでしょ。もっと効率化、とかして少人数でやってもらわないと。人を張り付けるのもただじゃないんだからさあ」という鶴の一声で決まってしまうものである。


 誰がどう考えても、こんな大掛かりなイベントを十数人で回すのは無理である。

 結果として、行事所の責任者に任命された公卿×三名が、自分の家人を現場スタッフとしてあてがうなど、持ち出しでどうにか実行していくことになる。


 道永が、「行事所を手伝ってくれ」と光乃に言った背景にはそういう事情があった。


 仕事は山ほどある。

 新しく宮殿を作るのだから、人もいるし部材もいる。それらを調達するための財物も必要である。

 宮殿だけではもちろんない。

 豪華絢爛な標山しめやま(山車の親玉みたいなやつ)だってたくさん必要だし、挿頭かざし(花飾り)の数と言ったら、どれほどあってもたりないくらいだ。

 大規模な祭り、となれば当然警備のために武者もいるし、僧や陰陽師だって必要だ。

 神々に奉納する技芸だって、結婚式の出し物とはわけが違う。


 山ほどある仕事の中で、光乃に割り当てられたのは民部省(≒財務省)との折衝業務であった。

 折衝業務、なんていうとわかりにくいが、要するに予算のおかわりをもらいにいく職務である。


 光乃が配属されてひと月がたった。


「あのー、すみません、宮殿に必要な檜の皮がですね、想定よりもだいぶ量がひつようなのと、なんかいま高騰しているみたいでして……。ちょっと追加で予算もらいたいんですけど……」


 この世のすべてのものは予算超過するように宿命づけられている。

 市での買い物も、いくさの糧食も、そしてもちろん大贄祭も、その宿命からは免れ得ない。

 制度上は、行事所が独自に大贄祭のために税金を徴収してよいということになっている。だが現実的には野放図にそれができるわけもなく、しばしば民部省におねだりをしに行く必要があった。


「はああ? そんなのおかしいでしょ。 これくらいでできますっておたくらが言ったから、こっちは予算付けてんのに、それで足りないのはおたくらの責任でしょ」


 そしていつの世も、財布を預かるものというのは、そのひもを固く縛ってほどきたがらないものである。

 朝廷の財布を預かる民部省とて例外ではない。

 


「なんていうかさ、軽率に予算増やそうとしすぎなんだよね、おたくら。もう全部さ、予算の使い道決まっちゃってるんだから、おたくらのところを増やすなら、別のところを減らさないといけないわけよ」


 しかも、財務というのは専門性が高く、その習熟には才能よりも努力と時間が必要とされる。

 よって、ベテランの、この道何十年です、みたいな人がウヨウヨしていて、財務特有の常識に支配された独特の空気感があるものである。


「第一そんなに檜皮ひかわいるの? オレらわかんないんだけどさ、宮殿に予算を合わせるんじゃなくて、予算に宮殿を合わせるべきなんじゃない?」


 必然的に財務畑の人間との折衝は、タフでハードなものにならざるを得ない。


 そこにド素人の光乃があてがわれたのは、第一に、武者の子なので身体的精神的にタフであろうとみなされたというのがある。

 第二に、ベテランのオッサンたちも、若い女の子には甘い顔をするのではないか、という期待があった、というのがある。


「でも、あのー」


「なんだよ! おまえさっきから声がちいせえんだよ!」


 少なくとも第二の期待のほうは、期待に終わったらしい。

 いま光乃が相対しているのは、民部省(=財務省)の課長クラス、五位の中級貴族で『葛城かつらぎさん』と呼ばれているおじさんである。

 四十そこそこと聞くが、長年の激務で顔が黒ずんだように不健康で、五十くらいにもみえる。

 生まれは卑賤だが、その実力で五位の通貴まで上り詰めたときく。やり手である。


「ぐちぐちぐちぐちうるせーな!! こっちはくそ忙しいんだよ」


 もちろん、当初から光乃一人に任されたわけではない。

 最初は正規に行事所に配属されている人が、メンターというか先輩として光乃の面倒をみることになっていた。

 だがタフな交渉ならびにそれに伴う激務に耐えかねて職場に来られなくなってしまったのであった。


「いや、しかし神祇官からは、これは必要最低量です、と」


「しかしもかかしもないでしょ。 こんなナメた予算が通るとおもってる?」


 別にこの檜皮の量も、光乃が要求したわけでもなんでもない。


 行事所の課長クラスが神祇官(朝廷の祭祀担当。神々との窓口部門)と「あの、屋根を葺くための檜の皮はこのくらいでしょうか?」「あー、うん、いいとおもうよ、それで。」「了解っす。」てな具合の会話をして、「じゃあ光乃さん、葛城さんとこから予算もらってきて。」とお使いにやられただけなのである。


「なんかさ、光乃ちゃんさ、言葉が軽いのよ。頭を通らずに口から出てる感じがするわけ。今のもさ、いちいちウチに持ってこないで、光乃ちゃんのほうではねかえしておいてほしいんだよね」


 信乃なら、とっくに殴り殺している、と光乃は思った。

 私がそれをしないのが、本質的にこいつが悪意のある人間ではないからだ、とも思った。

 光乃は捨て子である。おまけに、その容姿は端麗とはいえ明らかに夷人のものであって、悪意のある人間であればそれをあげつらうような発言をするはずだった。

 光乃はその手の悪意には人一倍びんかんであった。



 ◇


「そんなの殺しちゃえばいいじゃん」


「マジで言ってる?」


「マジマジ。お姉ちゃんの仕事ジャマしてるんなら、それが手っ取り早くない?」


 信乃は爪の形をやすりで整えながら言った。

 信乃は毎日たのしく喧嘩したり博打を打ったりしながら道永の随身(ボディガード)の職務に努めているようだ。

 道永の政務中の待ち時間に○○卿の家人とけんかしただのなんだの、そんな話をたのしげにする。


「いやー、どうだろう。殺せるかわからないし、殺しても事態が好転するかわからないし、それはやめた方がいいと思うな」


「そうかも。でもナメたやつを軽くビビらせるくらいはしないとじゃない?」


「それはまあ、そう。そうするか」



 ◇


 夏の夜であった。

 夜といっても日の暮れとかではない。とうに深夜である。

 疲れ切った様子でトボトボと馬を歩ませる葛城かつらぎの姿があった。


 貴族の中には、日々遊び暮らしているような人間もいれば、寿命を削って働いている人間もいる。

 仕事というのは有能な人間のもとに集まりたがる習性があるから、基本的には無能は遊んで有能は激務、という構造になりがちである。


 どうやら葛城は、仕事が集まってくる部類の人間らしい。

 ようやく仕事が終わって帰路についているのであろう。


 だが五位の中級貴族にまで至ったというのに従者の一人もつれていないのは、何とも物騒なことである。


 闇の中から、完全武装の武者が四人、どこからともなく現れた。

 身を色鮮やかな大鎧につつみ、兜の緒までしっかりと結んで、堂々たる体躯の馬に跨った武者である。


 自然に武者たちは葛城を取り囲むように馬をあゆませる。

 一言もしゃべらず、物音すらたてない。

 鎧のこすれる音と、馬の息遣いだけがきこえる。


 明らかに不自然な武者の様子に、葛城はおびえたようにあたりを見回した。

 やがて覚悟を決めたように大きく息を吸った。


「こんな夜更けになにようか。見ての通りの貧乏貴族。奪うべき財貨など持ち合わせてはおらぬ」


 闇夜に溶けんばかりの、濃い黒糸威くろいとおどしの大鎧――誰が見てもわかるほどの高級品――に身を包んだ武者が、兜を脱いで顔を見せた。

 むろん、光乃である。


「夜更けの壬生みぶ大路は大変に物騒です。強盗にあやかしに、なにがおこるかわかりません。葛城殿ほどのお人が、従者もつれずに殺されてしまっては、これは天下の損失でございますゆえ、織路氏のものとして護衛をさせていただきたく」


 ――我々はいつでも好きな時にお前をぶっ殺せる。

 そのメッセージは葛城にも強烈に伝わったに違いない。


「っっ……」


 光乃にもわかるほど、葛城の呼吸が荒くなった。


「うっ、うっ、うう」


 無言がつづく。


 ――ブルブルブルブルブルっ

 

 しばらくうつむいていた葛城が震えだした。

 尋常ならざる様子に、光乃たちは一瞬かたまる。


 葛城は、目にもとまらぬ速さで下馬すると、築地塀ついじべいに頭をガーン、ガーンとぶつけだした。


「えっ???」


「ッッ! チクショーッ、チクショーッ!」


 呆然とする光乃たちをしり目に、葛城は涙をぼろぼろと流しながら頭を掻きむしっている。


「おいおいおい! ねえ、ちょっと! 取り押さえるの手伝って!」


 いちはやく正気に返った光乃は、大慌てで葛城を取り押さえた。


「どういう反応……?」


 信乃も葛城の腕を固めた。


「ウワーッ!!」


 なおも葛城は暴れようとする。四十がらみの男が暴れている絵はあまり美しいものではない。


「オレは!! オレは悔しい!! オレは正しいのに、今、暴力に屈しようとしている! オレは自分をぶち殺したい! 脅しに負けて、オレの美しい予算計画を損なおうとしているオレを殺したいんだー!! ウオーーッ!!」



 ◇



「泣く奴には勝てんわ」


 無事に葛城を家まで送り届けたころには鶏鳴の時分(日の出のころ)になっていた。

 とりあえず、光乃への悪意があるわけでも、織路氏をナメているわけでもない、というのがわかったのは収穫であろうか。


「いやー。変な奴ってのはいるもんだね。美しい予算計画、ねえ」


 いや、自分の生きてきた常識とは異なる世界で生きている人間がいること、それに気づけたのが一番の収穫かもしれない。


「うーん、やっぱり予算の範囲内でできるように行事所のなかで調整したほうがよさそう」

 太陽の光がまぶしい。

 徹夜で出た嫌な汗が肌着にじっとりまとわりついている。


「私はもう寝るわ。姉ちゃんは?」


「かえって……。寝る余裕はないから着替えて仕事に出るかなあ」


「ふーん。頑張って」


 ◇


 不思議なことに、それを機に仕事はグッと進めやすくなった。

 あるいは、財務畑の人間たちの奇妙な精神構造に接したことで、光乃の仕事ぶりも何か変わったのだろうか。


 驚くべきことに、完全武装の武者に脅されてなお、葛城は相変わらず高圧的だった。だが、しばしば協力を申し出るようにもなった。

 きっとそれは光乃を恐れて、ということではなしに、「どうもこいつは話が通じるらしい」という動物的な仲間意識によるものなのであろう。


 民部省の有力者の後ろ盾を得て、ある時は神祇官の要求を撥ねつけて、またある時は予算をもぎ取ってきて……とそれなり以上の働きはできるようになったのであった。

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