第30話 上洛


あわただしい元服の儀を終え、光乃、信乃の姉妹は、十一郎の先導の元、都にむかっていた。


織路家の超大口取引先、というか実質上の主君になっている大大貴族、九条家に、織路の跡継ぎの姫を紹介するとともに、都での叙位任官を受けるためである。

叙位任官、といっても今は別に人事シーズンでもなんでもないので、都に行ったからと言って官職にありつけるわけではない。

だから、いうなれば就職浪人状態であって、とりあえずは九条家に仕えながら、来年以降に、九条家の口利きでそれなりの武官につけてもらおう、というのが満道の魂胆であった。


赤名荘からは、のんびり馬を歩ませて半日そこそこの道程。

山と川の狭間を抜け、赤名荘の位置する摂州と、都の位置する城州のちょうと州境、山崎の関を超えると、もう都はすぐそこだった。


都もまた、盆地である。

山崎の関所がある、小高い丘の上からは都や、それをとりまく山々が一望にできる。


「あそこに見える大きな池が」

十一郎が馬の上から指をさす。

その先には池というにはあまりにも大きい、湖のようにみえるものが広がっていた。

鯨池くじらいけ、という池ですな」


「あれで池なの? 私の知っている池よりはずいぶんおおきいね」

信乃がいぶかし気に鯨池のほうに目をやる。


「そうなのですよ。池よりはずっと大きいですが、なぜか池と呼ばれています。あの鯨池の奥に見えるのが、天原国あまがはらのくにの都です。ミカドのまします宮殿は、ここからではさすがにみえませんな。実をいうと、門までしか見たことはないのですが、それはもう立派なものでしたぞ」


遠く離れた丘からも、 都の巨大さはみてとれた。

鯨池という名の湖から、少し距離を置いて一面に建物が広がっているところが都であろうが、その範囲たるや湖にも負けないほどである。


「都を目にするのは初めてでしょう。私も、初めて見たときは目がつぶれるかと思うほど驚きました。あの都をあやかしから守るために、都の陰陽師や北嶺寺の僧侶が大規模な結界を張っているのだそうです」


「おお……。」


光乃は思わず吐息を漏らした。

ここからみると、ミカドの宮殿も、貴族の豪邸も、庶民のあばら家も区別はつかない。

しかしそれらが連なって大きな湖ほどにも広がっているさまというのはまさに驚きであった。


地方の州長官の娘として育った姉妹にとって、景色とは、山であり、川であり、湖であり、そのほとりに広がる葦の原っぱである。

人の建造物というのはその景色の中の一個の模様に過ぎない。


それが都では、人の建造物が、湖や山とかわらぬ一個の景色を成している。

あれほどの規模の集落を、あやかしから守り、維持しようと思ったらどれほどの神力が必要になろうか。

そのさまに、光乃は霊峰を前にしたときにも似た崇高の念を抱いた。




一行は野を超え、鯨池から飛びでた巨大な潮吹きのような川を超え、都に入ろうとしていた。



「うわああ……」


信乃と光乃が思わず感嘆の息を漏らしてしまうほどの、巨大な門があった。



「あれが来星らいせい門ですな。すごいでしょう。この門から先が都の結界です。ここから北にまっすぐのびているのが朱雀大路。その終るところにあるのがミカドの宮殿です」


遠めに見ても、都に立ち並ぶ家屋の何倍も大きい。

屋敷を三つほど重ねたほどの大きさ、といえば伝わるだろうか。

ダイダラボッチでも通るのか、というほどの巨大な門である。


「……まあ、でもちょっとぼろいね」


たしかに信乃のいうとおりである。


近づいてみると、元はあざやかな朱色であったのが、経年劣化とともに色あせていたり、木の地肌のむき出しになっているところもある。

また、おそらくは焚き付けにでもするためであろう、漆喰塗の塀や壁はあらかたなくなってしまっている。

柱と屋根と、ところどころに壁が引っかかっているようにも見え、さながら骸骨のような佇まいであった。


「なんで直さないんだろう」

信乃は首を傾げた。


「まあ、特に使われないんで直す必要もないんでしょうな」


「ふーん、こんなに立派なのに使わないんだ」

信乃は巨大な門に近づくと、造りを確かめるように柱を小突く。


「こらっ、信乃、やめなさい。この門は、人のための門ではなく、神々とその貢物のための門だと聞いたことがあるよ。ミカドが代替わりするときの大贄祭おおにえのまつりのときにしか使われない、とか」


「光乃様はよくご存じで。ついこのあいだミカドも代替わりしたとかで、今年は大贄祭はありますからね。この門が使われるところも見られるでしょうな」


「ふーん、普段使ってないんだ。どうりで今は寂れているわけだ」

信乃は興味を失ったらしい。


「そうそう、ミカドの代替わりもねえ、裏があるんですよ。気になりません?」

十一郎はひきつけるように声をひそめる。


「へえええ」


「なんでも光乃様、あれは陰謀だった、ってはなしです」


「ほほほう、気になるなあ」


さきのミカド、華山かざん帝はじつに愛に生きる方でした。昨年の秋頃でしたか、愛する妻が出産とともに儚くなってしまいましてなあ。たいそう深く悲しんでいたところを、九条家当主の鐘家かねいえ公の息子、道鐘みちかね卿に『ともに出家をして菩提を弔おうではないか』とそそのかされたんだそうです」


「それでそそのかされるもんなの?」


「まあ心の弱っていたところを突かれたんでしょうなあ。それにさきのミカドと道鐘みちかね卿は幼少の時分からのご友人であられましたから」


「へええ、正直いって、悪いやつだねそいつは」


「それで、さきのミカドを、都の外、東に山を一つ越えたところにあるお寺まで連れ出しましてね。ミカドが出家したところを見届けた道鐘みちかね卿は『俗世との縁を断ち切る前に、最後父にあいさつしたい。すぐに戻るから』といって都にもどってしまいました。ところが待っても待っても道鐘卿が戻ってこない。裏切られたことに気づいたさきのミカドは、激高するやらさめざめと泣くやら、大層なとりみだしようでしたがね。もう気づいた時には手遅れですわい。いかつい武者が寺をびしーっと取り囲んでますから、抜け出して都に戻ることもできない」


「まあ、出家というのは俗世との縁を断つということだから、ミカドを続けることはできないのは、それはそうね。それでそれで?」


「翌日には華山帝にかわって、幼帝が即位しました。道鐘卿の御父君であられる、九条家ご当主、鐘家公の外孫ですな。そのまま鐘家公は摂政の座につかれ、いまや都で比類なき権勢だとか」


「ははあ、自分の血を引く幼い王子をミカドにつけることで、政事まつりごとをほしいままにしようという、そういう陰謀だったわけね。十一郎、やけに詳しいね」


「ええ、はい。なんせさきのミカドをお寺まで護衛したのが織路家ですからね。私もあの夜は現場にいました」


「当事者かい!」




来星門を通り過ぎてそのまま東に進んでいくと、まずは喧騒がきこえてきた。

もう少し進むと、明らかに人の数が増えてきた。


「今日は市が立つ日なの?」

信乃は狭くもない路地にひしめき合う人々を見回した。

道の真ん中を、堀川なる小川が流れているが、そこにも小舟が所狭しとひしめいている。

都の東半分を南北に分断するように、まっすぐ流れている。

堀川小路、という通りらしい。小路というわりには広い。

聞けば八丈(24m)ばかりもあるという。小川がある分、幅があるのであろう。


「いや、都では市は立ちません」

先を行く十一郎がふりむいた。


「え、じゃあこの人だかりは……」


「都では、市は毎日あるんです。赤名荘みたいに、月に一度立つような、そういうものではないんですな。さらにいえば、市はここではありません。ここはたんなる都の入り口です」


「えええ?」


「ええ、ええ。ここはまだ九条通からちょっとはいったところです」


「あれ、九条って。たしかこれから行く貴族んとこもそんな名前だったよね」


「そうですな。その昔、ここ、九条のあたりに屋敷を構えていたことから、九条家、と呼ばれるようになったのです」


都はおおむね正方形を目指して造営されていた。

実際には当初の想定みたいには人が住まなかったので正方形にはなっていないのだが、理念としてはそうなっている。


ミカドのまします王宮が、その正方形の最北に存在する。

だから、正方形の北側の辺を「一条」として、南に行くにつれて、二条、三条と増えていき、最南端の辺が「九条」である。


「ふーん、でもその九条家ってのは、都、というか国で一番えらい貴族なわけでしょう? なんだってこんな都のはずれに屋敷をかまえていたの?」


「まったくわかりませんなあ。もしかしたら、うんと昔はそんなに偉くなかったのかもしれないですな」


「いまはどこにあるの?九条さんの屋敷ってのは」


「氏の長者であられる鐘家公かねいえこうは、三条通の東側に邸宅を構えてますことから、東三条殿とよばれておりますな。ただ、我々がお仕えする道永みちなが卿の御屋敷は、一条のあたりにあります」


ここから北にまっすぐ堀川小路を進んでいくとあるのだという。


「いまさらだけど、九条道永さんってのは、どういう人なわけ?」


「九条家の当主であられる鐘家かねいえ公の次男ですな。近衛府の次官にこの度就任されているはず。まあ近衛府は形だけの職ですがね」


はなしながら北へ北へ、一条の御屋敷を目指して行くうちに、人の数はどんどん増えてきて、騎乗では身動きがとりにくくなってきた。

七条通りをこえ、市場についたのである。


「姫様、ここが市です。ちょっと人がおおござんすな。ぼちぼち馬から降りたほうがいいやもしれませぬ」


その言葉をきいて二人が身をよじりかけた時、


「おい、そこなもの。まて。なぜ弓を携行しているのだ」


群衆が割れ、一人の若い姫武者が馬を走らせてきた。

真っ白な狩衣かりぎぬの下から、朱色の内衣うちぎぬがチラリチラリと覗いている。


げえ、まずった、という顔をする十一郎。

「はい、なんでしょう判官殿」


検非違使であった。

検非違使というのは、警察と検察と裁判所を足したような治安維持組織である。


それも、下っ端ではない。

装束からかんがみても、『判官ほうがん』とよばれるような、それなりの貴族がつとめる、それなりの役職である。



「なぜ弓を携行しておるのだと聞いておる」


「なんでもなにも、私たちが武者だからに決まってるじゃん」


困惑したように信乃が言い返すと、一瞬、姫武者が固まった。

近寄ってみると、ずいぶん線の細い、優し気な顔である。



「武者だから?? ああ、さては田舎者だな。都では許可なき弓の携行は禁じられている。治安維持を考えれば当たり前だろう。さ、詰め所まで来てもらおう。」


「まあまあまあまあ、判官ほうがんどの、そういわずにね?」


まずいことになった、と光乃は思った。

さりとて、都の事情をまったくしらぬ光乃、信乃になにができようか。

少しこの場は十一郎にまかせたほうがよさそうだ。


「まずは判官殿、事情を説明させてくだされ。」


口八丁、手八丁、身振り手振りを駆使して十一郎がまくしたてている。


「……ねえねえ、お姉ちゃん、ほうがん、ってなに?」

空気を読んだのか信乃は小声だ。


「判官、は検非違使の尉官じょうかんのことだね。」


「……えらいの?」


「書物で読んだだけだからわからない……。」


姉妹にはわからないことだが、判官というのはそれなりにえらい。

それなりの貴族がこなす役職であるし、司法捜査における権限も非常に大きい。

現場レベルではいちばんえらいやつ、といえばわかりやすいか。


「と、いうわけでこちらのおわします姫君、これが初めての上洛でして、また、私も今回は慣れぬ貴人の引率という所で余計な気を張ったのでしょうか、普段は気を付けているのですが、どうも、どうも。まあまあ今回ばかりは。ね?? ね??」


十一郎はすばやく検非違使に近寄ると袖を近づけ、何かを渡した。


「こんなものを」


検非違使は十一郎の渡した小袋を地面に投げ捨てた。

砂金が地面に散らばる。


「受け取るような身分にみえるか、このたわけめ!」


線の細い武者の顔が朱に染まる。


「はは、あいすみませぬ!」


とっさに十一郎は頭を下げる。


「ちょっと! こっちは頭下げてんじゃん! 受け取るような身分にみえるかって、そもそもテメーは何もんだよ!」


まずい。

信乃が馬から飛び降りた。

光乃は、頭に血が上っている信乃をあわてて制止しようとする。

が、すんでのところで衣をつかみ損ねる。


「なにさまだこのやろう!!」

そのまま信乃は武者にとびかかり、武者もろとももんどりうって地面に転がった。


見回すと、周囲は野次馬に取り囲まれている。

なにごとか、なにごとかと噂しあっている様子だ。


とってもまずい。

光乃は、信乃を強引に引きはがし、後ろに転がす。


「妹が大変失礼いたしました。初めての上洛ゆえ何ほどご容赦を。それはそうとして、判官殿のお名前もうかがっておらぬようでは、こちらとしてもなかなかどうにも。いえいえ、まずはこちらから名乗りましょう。 わたくしは星輪王せいりんおうより数えること四代の後胤こういん、織路の氏が棟梁、満道の娘、光乃ともうします」


検非違使はゆらりと立ち上がる。


「ならば私も名乗っておこう。九尾の狐討伐の勲功第一、日出洲ひいすの貞森さだもりが嫡孫、日出洲ひいすの維葉これはである」


怒りのためか、顔が朱を通り越して蒼白である。


「おおかた、自分の家名でも出せば、這いつくばるとでも思ったのだろうが、そうはいかない。そもそも、もとより軽く注意して釈放するつもりだったところ、わいろをつかませようとし、さらには掴みかかってくるなど言語道断!!」


日出洲家といえば、この国で最も強力な武門である。

抱える武者の人数、品質、歴史や官職など、どれをとっても基本的には織路の家よりも格上であった。

そこの嫡孫、ということになれば、もちろん織路の名前でビビらせてどうにかしようなどという姑息な手は通用しない。


万事休す。


次の一手を見失った光乃に対して、信乃の行動は素早かった。


「うるせー! 我が名は織路信乃! このこぶしで決着だ!」


呆然とする光乃の後ろから、名乗りを上げた姫武者めがけて再突進。


「え? まって」


とっさに間に入った光乃の顎に、信乃のこぶしが直撃。

意識はゆっくりと闇に飲まれていった。

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