第25話 四尾の狐

 ◇


 ――若藻視点――


 ずっと洞窟の中にこもっていたからか、正直いうとオレは時間感覚がなくなっていた。


 まだ空は夜のとばりに包まれていて、ただ月だけがほかの星たちを圧倒するように輝いている。

 冬の夜空らしく雲一つない快晴で、あやかしにとっちゃとびっきりの夜だ。

 あやかしだけじゃない、フクロウやコウモリも日中の睡眠でこわばった体をほぐすべくのびのびと飛んでいるだろう。


 それでも日の出は近づいているのだ。

 梢と木の葉の隙間から見える満月は、だいぶ西の空に傾いていた。じきに日輪が空も満月も木々も川もすべてを明るく照らし出す。

 そうなったら終わりだ。オレたちではモレイに勝てなくなる。


 神社の位置は大体わかっている。

 オレは狐の姿に戻ると、音もたてずに、まるで闇夜に潜む蛇のようにしなやかに

 走り出した。


 狐の姿、というか、ようするにオレの本来の姿でいれば妖力の消費はない。

 なにか別のものに姿を変えるたびに妖力を消費するし、本来の姿から離れたものになればなるほど、その消費速度は早まる。

 妖力を節約する、という観点においては、神社のギリギリ近くまで、言い換えると神社周辺にいるであろうモレイに見つからないギリギリのところまで、この姿でいきたいところだ。


 だがそんな目論見は一瞬にして敗れた。

 忘れてたぜ。

 今夜は山中を下人がうろうろしているんだった。

 生い茂るシイやカシの木々の向こう側には、松明の火が蛍のように蠢いている。


 闇夜の蛇のようにしなやかなこの体は、木の枝を踏む音すら立てずに山中を駆け抜けることができる。しかし、いくら音が出ないとはいえ、ちょっとした家ほどの巨躯は、すこしばかり目立ちすぎる。


 とにかく何か狐以外のものに化けなくては。

 さっきはイノシシに化け手痛い目を見た(美味しそうだと思われたのか、武者に矢を射かけられて、戦闘になっちまった)から、今度はもうすこし目立たないものに化けなる必要がある……。

 フクロウかなんかで神社までひとっとびと行きたいところだが、狐の姿から離れるほど妖力を食う。かといってウサギだと、狩られかねないしなにより夜目が効かない。ここは四つ足は四つ足でも、イモリあたりはどうだろうか。小さい割にはすばしっこいし。


 結論を出すまでにかかった時間は瞬き一回分、変化するのにかかった時間はそれよりも短い。

 偉躯をほこる狐の姿はもうそこにはなく、代わりに玉虫色の鱗の美しいカナヘビが下草の間をするすると走っていた、はずだ。なんせ自分の姿は自分じゃわからないからな。



 ◇


 人の行きにくいところだったり、どうしてこんなところに?と首をかしげたくなるような場所に神社がある場合、理由は一つで、その場所が霊的に重要な場所だからである。

 この神社も山の中腹というそれなりに行きにくい、その割には中途半端な場所にあるのは、果せるかな、悠久の時を経てなお聳え立つクスの神木がある場所だからであった。


 オレの尾を報酬でもらったヤツの一人、おそらくは光乃の祖父――なぜあいつが報酬をもらえたのかはさっぱりだが――か、あるいは光乃の親父が、ちょうどいいところに神木があるなってなもんで、この神社に奉じることにしたのだろう。


 楠の木は、境内をはみ出して、大きく葉を広げていた。あたり一帯を満月の光からさえぎり、その帳で包んでいる。

 神木にぐるりとまきついた注連縄もちょっとした大蛇ほどの太さである、といえばその大きさが伝わるだろうか。


 鳥居が所在なさげに神木の葉の下にたたずんでいる。『その昔はここまでが神域だったんですが……』と申し訳なさそうにしているようにも見える。

 これではもうやしろの意味もあまりないだろう。



 鳥居をくぐる。ふっと体が軽くなるのを感じる。(まあカナヘビの体はもとからそうとう軽いけどな)

 御神木の葉の下に入ったことで、妖力が回復をしているのだ。


 流造ながれつくりの本堂は、その建築様式から見てそんなに古くはない。せいぜいここ50年で作られたものではないだろうか。

 元は御神木のすぐ横に造営されたのであろうその小さなやしろは、しかし数十年の月日の間に、半ばまで巨木に飲み込まれようとしている。

 巨木のほうも、腰の曲がったおしゃべり好きの婆さんのように、社にのしかかっている。ふしばってゴツゴツとしてしわが多いのもますます年寄りじみている。


 オレの見立てでは、もとは御本殿に奉納されていたオレの尾は、本堂ごと御神木に飲み込まれている。

 あるいは、そもそもオレの尾(とびっきり素敵な妖力の名残がある)を飲み込むがために、御神木がぐにゃりと曲がったのかもしれない。


 カナヘビの小柄な体躯を生かしてオレは御本堂の中に忍び込む。

 朱色の塗装もはげかけた、壁の隙間からするりと入り込むと、三間(5m強)四方の狭い空間の半分以上が、御本殿の後ろから突き出てきてた御神木が占有していた。


 ……思ったとおりだ。この木のなかに飲み込まれちまっている。

 オレは二つに割れた可愛らしい舌をチロチロと出し入れしながら思案にくれた。


 まず、狐火で焼く、という選択肢はない。

 この巨大な御神木を狐火でぶち抜いて中にあるものを取り出すにはそれなりに妖力が必要だし(もちろん、できないわけじゃないぜ?)、巨木をぶち抜くほどの狐火を放ったら、間違いなく中にあるオレの尾は消し炭になっちまう。


 とすると狐の姿に戻って、へし折るしかないだろうか。カナヘビの姿では何万年かかったって無理だからな。しかしこれほどの巨木だ、いくらオレが剛力無双の狐とはいえ、骨が折れる。

 あるいは……。


「――ああ、そういう――だ。――いない。」

 その時、御本殿の外から声がした。

 驚いて三寸ほど飛び跳ねてしまったのはここだけの秘密だ。


 あわててこそこそと隙間から外を見やると、見間違えもしない、白銀の髪を持つ武者モレイが、誰かと話しているようだった。

 禿げかけたさえない中年の男である。下人には見えない。長旅にそなえた旅装束に身を包んでいたし、すこし薄汚れてはいるが、下人よりは上等な水干を着ていたからだ。

 モレイとあやしげな男は、本殿正面から突き出た廂の下、向拝にいた。

 怪しげな男はオレに背を向けるように、階段に座り込んでいる。


 これは……すごく怪しいぞ! 重要な手掛かりがつかめるかもしれない。

 オレは会話の聞こえる距離までこっそりと近づいた。


「――では首尾よく進められています。」

 くそ、背を向けているからか、男の声が若干聞き取りにくいな。あまり近付くとバレかねないし、ここらへんが限界か。


「陰陽頭(陰陽師を所管する庁の長官)も計画通りに、殺したとのことです。」

 怪しげな男は、いきなりとんでもない事実をぶち込んできやがった。


「そうか。よくやった。春明はるあきらは死んだか。」

 モレイは一瞬、黙禱を捧げる。


「知り合いでしたか。」


「ああ。何回か共にあやかし退治をした事があるという程度だ。」


「勢州の様子はまだわかりません。ただ、問題があったという知らせもないので予定通りに決行しているはずです。モレイ殿のほうは少し厄介なことになっているみたいですね」


「そうなのだ。娘の光乃が神仏のお告げを受けたとかでこっちの計画に勘付いてな。だが、昼間に出た狐のあやかしのせいにしておいた。今頃は無意味に狐を探しているはずだ。真相には勘付かれていないし、最終的にはどうにかなるだろう」


 きいているうちに、ムクムクと怒りがこみあげてきた。オレが追い掛け回されたのはお前のせいか……。だが、ぐっとこらえて聞き耳を立てる。


「わかりました。織路氏は大丈夫そうですね。では、勢州からの伝令と合流しに向かいます。勢州がうまくいっているのを確認したら、もう事前の段取り通りに動き出します」


 これはかなり規模のデカいはかりごとだ。

 同時に複数の場所で同じようなことを起こしている、もしくは起こそうとしている。だが、なぜだ……? オレはなかば自分の目的を忘れてこの謎を解き明かすために脳みそを回転させていた。


「ああ、それで構わない。私もこれが終わったら合流しよう」


「わかりました。であれば、摂州の国府のあたりで待ちます」


「いや、待たなくていい。終わった後も後始末がいろいろある。まだ織路家を離れるわけにはいかないからな」

 モレイの言葉に中年男性が「わかりました。」とうなづく。


「ようやく、ですね」


「ああ、ようやくだ。長かった。本当に長かった」



 続けようとするモレイを男が制する。

「しっ。誰か来ます」


 鳥居の向こうから松明の火が近づいてきていた。

 たぶん、下人だろう。


「隠れていろ」

 後ろを振り返ってそれをみたモレイは少し慌てたように男を縁の下に追いやる。


「おおい! どうした!」

 モレイが尋ねる。後ろ暗いたくらみをかくすためか、明るい声色である。

 縁の下、ちょうどオレの真下当たりにいる男の心の臓が、緊張で脈打つのが聞こえる。なんだかオレまで緊張してくるぜ。


「モレイ殿! こちらにいらっしゃいましたか。 いやね、あっちのほうであきらかにあやかしと戦った痕跡がみつかったもんですから、モレイ殿を呼んで来いということでして」

 下人は興奮気味に身振り手振りを交えながら、オレと光乃の戦った方を示している。


 ……っと、あぶないなおい! 

 下人が手に持ったたいまつをぶんぶん振り回すせいで火の粉が飛び散る。


「ああ、そういうことか。わかった。すぐいく。先に戻っていてくれ」


 下人がけげんな顔をする。あわててモレイが細くした。

「あーいや、ここの神社でもすこし狐の痕跡を見つけてな。ここには玉藻の前の尾が奉納されているのは知っているだろう。それが無事か、少し確かめたいのだ」


「そういうことでしたか、わかりました。先に戻っています」


 下人が遠ざかっていく。

 モレイはモレイで、自分のついた嘘を本当にするためか、向拝の階段を上っている。本殿の中にはいるつもりなのだろう。


 オレの中でムクムクと欲望が膨らんできた。

 ……このまま背後から不意打ちすれば、取り押さえられるんじゃないだろうか。

 いや、そのままだと力の差で負けてしまうだろうが、腕の一本でも、スポンともいでしまえばどうにかなるんじゃないだろうか。


 こういうのはやるにせよやらないにせよさっさと決断してさっさと動かないと意味がない。

 オレはあやかしらしく、欲望に忠実になることにした。


 カナヘビの姿のまま、後ろからモレイにとびかかった。とびかかりながら元の姿にもどった。

 玉虫色に輝く鱗から満月のような白い毛並みへ、小指ほどの大きさから厩ほどの大きさへ、無機質な蜥蜴の顔から、高貴な姫を思わせる繊細な顔へ。くりくりとした可愛らしいつぶらな瞳はそのままだ。


 首からパクリといっちまうのが一番いい気がしたが、殺さないでほしいという光乃の要望にお応えして、オレはやつの肩口めがけて噛みついた。

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