第23話 とっておきの作戦


「じゃあ、早速あなたの尾を取り戻しに神社に行きましょ。」

冬の夜の寒風のなかで、光乃の言葉は白い息となって紡がれる。

光乃は弓掛ゆがけをつけた手で鞍をぐいっと掴む。


若藻は貴公子然とした華奢な腕を伸ばしてくる。

若藻は、鞍においた光乃の手に己の手を重ねるようにして、彼女を制した。

若藻は言った。

「まずはこれまでのやり直しのことを教えてくれないか。お前が一人でモレイとむきあってきたときにどんなことがあったのか、聞きたい。それを踏まえて、二人で作戦を練ろう」


光乃は馬の鞍に手をかけたまま、若藻のほうを振り返る。

「わかった」


だが光乃はそのまま言葉を続けないで、言葉を探すように口をパクパクさせている。

「でもちょっとまって。あんまり何回もやり直しているものだから、どこからはなせばいいかしら……」



「あー……」


若藻は少し考えこむように頭を掻きながら光乃に提案した。


「そうだな……。じゃあこっちから質問させてくれ。モレイの目的はわかったか?」


「いや、わからない。モレイとは会話にならなかったの」


「全く話せないのか? そんなことあるか?」


「最初は、館にいる狼妖を倒して、そのあとやってくるモレイとどうにか話そうとしたんだけど、何度やっても狼を倒す前にモレイが来ちゃうのよ。で、話す余裕もなく殺されちゃう」


その時のことを思い出したのか光乃がぶるり、と震える


「で、なんどかそれをやって駄目だったから、発想を変えて、まずは山で狐を探しているモレイと合流して話をしようとしたの」


「お前にしちゃ頭を使ったな」


茶化すな、といいたげに光乃がにらみつけてくる。若藻は「本当に感心してるんだぜ」と一言。

光乃は、どうだか、というふうに肩をすくめる。


「でもね、最初はふつうに話せるからいいんだけど、『なぜ裏切ったのか」を聞こうとする段になると、モレイの様相がかわっちゃって……。結局話しを聞くことはできなかったのよ」


「うーん、相当な裏がありそうだな。『なんで裏切ったのか、冥途のみやげにおしえてやる』みたいな具合に教えてくれるってのが普通だと思うんだが……。ちなみにモレイは山のどの辺にいるんだ?」


「この時間だとこの山の神社のあたりね」


「モレイに見つからずに尾を神社から回収するのは難しそうだな……」

若藻が渋い顔をする。


「でね……」

頭の中での整理がついたのか、光乃がつっかえずに話し始めた。


若藻は目を閉じながら聞いている。考えを整理するためか、ときおり頭を振っている。


つまるところ、モレイとは全く会話にならなかった。

いや、普通の会話はできたのだけれど、「なぜ裏切ったのか」という問いに答えてくれることも、「事情があるなら私が何とかする、織路がなんとかする」といった説得でモレイの翻意を促すこともできなかったのである。


ならば、取り押さえて無力化してから話を聞き出そう、と思っても戦闘となると、両者の力の差は隔絶しすぎている。

だから弓馬のいくさでは歯が立たないし、不意打ちで組み付いて取り押さえても、神力の差で逆転されてしまうのだ。


話を聞き終わって、若藻が言った。

「話は分かった。いくつか乗り越えなければいけない壁があるようだな。順に考えていこう」


まず第一に、と若藻が指を立てる。

「狼妖をどうするかっつう問題がある。とうぜん、モレイと狼を同時に相手取ることは不可能だ。どっちかを先に倒さにゃならん。朝までしか坊主の祈祷が持たない以上、まずは狼を倒して、時間制限を取っ払う。そのあとモレイを待ち受ける、という順番がいいと思う」


「私も賛成。館でモレイを待ち伏せすることもできるしね」

少年は、光乃の同意に満足げな表情を浮かべた。


「第二に、そのままではモレイと会話できない以上、まずはやっぱり取り押さえないといけない。だがお前では神力が足りなくて取り押さえきれない」


なにかを言おうとした光乃を手で制して、若藻は話し続ける。

「これはオレが四尾の狐になれば、ある程度は解決するだろう。すくなくとも神力の差はなくなるはずだ。ただ、モレイがある程度は神力を消耗していないとさすがのオレも厳しい。オレが取り押さえられる程度には、モレイの神力を削っておきたい」


若藻はまっすぐと光乃の青い瞳を見つめる。

「これはお前にやってもらわないとならん。モレイの神力をけずったとて、そのぶんだけオレが妖力を消耗したら意味がないからな。やれるか?」


「……わかったわ。弓馬のいくさになるとまったく刃が立たないから、どうにか打ちものいくさに持ち込まないとだね……」


「ううむ、そこは館で待ち伏せすれば、不意を突くことはできるんじゃないか。例えば葵みたいに崩れた塀のがれきに隠れているとか」


「そう……ね……」

光乃は眉間にしわを寄せる。頭の中で待ち伏せの仕方を想像しているのだろうか。


「あと、手加減するのはやめろよ。殺さずに取り押さえるというのは、わかった。おまえにとってそれくらい大事なんだろう。だが、腕を斬り落とすくらいの気概では臨めよ。五体満足でどうにかしようなんて思うな。殺すつもりでやっても勝てるかギリギリの相手なんだから」


光乃は何も答えない。しばらくして小さくうなづいた。

若藻はふっと息をぬいた。緊張していたのだろう。

無傷で取り押さえる、というのは殺すことに比べて数段難しいからだ。


なんとなれば、殺すというのは一時的に自分の攻撃力が相手の防御力を上回れば、それで成立するからだ。

たとえ格上でも、相手が神力を鎧や身体に通していない瞬間を狙って、自分の攻撃を叩き込めば殺しうる。

一方で、無傷で取り押さえるとなると、取り押さえている間ずっと、相手の神力、膂力を上回る出力を行わなければならない。


「よし、じゃあ段取りを整理するぞ。まずは尾を回収しに行く役と、館で狼を倒してモレイを待ち伏せする役に分かれよう。お前はどっちをやる?」


「私は……。いや、館の人たちには私から説明しないといけないわ。私が館に行くから、若藻は尾を取りに行って」


「わかった。じゃあオレが尾を取りに行こう。まあオレの尾だし、オレが行った方がいいわな。あとそうだな、お前が狼のやつを倒すまでの間、モレイを足止めせにゃならん。まあ、狐の姿を見せれば追ってくるだろう。だが朝まで逃げ続けるってわけにもいかない。狼のやつを倒したら、鏑矢で合図をしてくれ」


光乃は、了解とうなづく。


「鏑矢の音が聞こえたら、オレは館にモレイを誘導する。そうしたら、光乃、お前がモレイの神力を削るんだ。じゅうぶんに削れたら、オレが不意打ちでモレイを取り押さえる」


よし、そうと決まったら行くぞ、と若藻は、馬に乗るように光乃を促す。

光乃は馬の鞍に手をかけると、勢いをつけて身を鞍の上まで運ぶ。

黒毛の馬の首筋を撫でさすりながらも光乃は不安そうだ。


「どうした。なにかわからないところはあるか?」


「いや、それはない。……でも大丈夫かな。話し込んだ割には、ずいぶん単純な作戦だし。もっと細かいところを詰めたほうがいいのかなと思っちゃって」


「こういうのは単純なくらいでちょうどいいんだ。実際のいくさは思っている通りにはいかないもんだ。大枠だけ決めておくくらいじゃないと、臨機応変に対応できなくなるぜ。まあ、オレに任せとけよ」


自信たっぷりに若藻は胸を張る。


「だからお前もシャンと胸を張っていけ」


光乃もぐっと背筋を伸ばした。


「よし、じゃあ、始めようか。私たちの戦いを」

いうなり、馬首をくるりとひるがえして、ふもとの館に向けて駆けて行った。


それを見届けた若藻も、ゆるりと狐の姿に戻ると、音もなく木立の中へ、闇の中へと消えていった。




小山の中腹にある洞窟から館まで、ふつうに馬で行けば四半刻(30分)といったところか。

ふつうに、というのはある程度なだらかで、馬を歩ませるのに不便のない小道があるところを通っていけば、という意味だ。


逆に、およそ馬も獣も人も通れまい、というような道を取れば、もっともっとはやく館につける。

光乃が選んだのはそんな道だった。少しでも早くついて、少しでも早く狼を倒したい、その光乃の思いが、ともすれば無茶な道を選ばせたのであろう。


もちろん、この国の馬は、山がちな地形で血を継いできたからか、斜面に強く、体力や瞬発力もある。


ずいぶん前に、織路の家につ国の名馬だという馬が来たことがあった。満道が、高位貴族への賄賂とするために大枚をはたいて仕入れたのだという。

普通の馬よりも一回りか二回り大きく、専用の厩が必要になりそうなほどの巨躯だったが、脚が不思議と細く、奇妙に美しい印象を与える馬だった。

つ国の馬はみなそんな具合なのだという。

光乃も、せっかくだからということでその馬と遠乗りに行った。

その速力の速さは、なるほどたしかに巨躯に見合うもので、普通の馬では全く追いつけない。ところが、いざ山道に入ろうとすると、仔馬でも乗り越えられそうな斜面を前にしり込みしてしまう。おまけに、すぐにバテてしまって、しまいにはその場から一歩たりともうごきません、という表情で立ち止まってしまう。


古くから、天を翔行しょうぎょうせんことに龍にくものなく、地を趨行すうぎょうせんには馬に越すものはなし、という。

空の王が龍ならば、陸の王は馬である、というような意味合いである。

その馬の中でも天原国あまがはらのくにの馬は別格であるらしい、とその時素朴に光乃は思った。


そんな馬の中の馬で、光乃は、ちょっとした崖ともみまがうような斜面を、館に向かって降りていく。

夜の山である。

いくら斜面に強い馬で、馬術の巧みな光乃だとはいっても、危険なのはまちがいない。

ときには薙刀で下草を払いながら、ときには馬が足を踏み外して滑落しそうになりながらも、館に向けて駆け降りていく。


――はあっ、はあっ。

馬と光乃の息遣いだけが夜の森にきこえる。


だが、不思議と恐怖はなかった。不安もなかった。

一歩足を踏み間違えたら滑落死しそうな山道を駆け降りることにも、一人で狼の妖と立ち向かうことにも、仰ぎ見るほどに強大なモレイを取り押さえることにも。


なぜだろう、光乃は一人いぶかしむ。


何度も死んで慣れっこになったから?

どうせ何度だってやり直せるから?

いや、そうじゃない。


そのとき光乃は気づいた。


”いま、私は初めて仲間と一緒にこの危機に立ち向かっているのね”


信乃を取り押さえるために、狐を退治するために、モレイと立ち向かうために何千夜、何万夜と一人きりの夜を繰り返してきた。


”でも、もう一人じゃない”


だから、どうにかなる気がした。もう大丈夫なんだ、という気がした。


いくさのまえの特有の、血が沸騰するような、脳をちりちりと刺激するようなあの快楽が、いまはない。

そのかわりに光乃の心はどこまでも暖かく、鏡のように凪いでいた。


山がおわり、森が途切れ、田畑とその奥の館が見えてきた。

こうこうとかがり火を焚いているからだろう、館の上空だけ橙色の光がうっすらみえる。


光乃は、最後のひと踏ん張りとばかりに馬に合図を出し、夜闇の中を館の明かりに向けてかけだしていった。

光乃はついに、長い長い洞窟の出口を、そこから差し込む外の光をみつけたのだった。

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