第22話 意思こそが道なり
◇
「いやあ、期せずして、正体がわかったな。一番怖いのはあやかしでも怨霊でもなく、ヒト、ってことだな。がはは」
だまりこくったまま何もしゃべらない光乃を見かねて、若藻が明るく話しかける。
洞窟は若藻の狐火で明るく照らされている。
だが、うつむいている光乃の顔は陰になっていて見えない。
「しかしあのモレイとかいうバケモノ、昼間は実力を隠していたよな、ぜったい」
なおも洞窟に座り込んだまま、光乃はしゃべらない。
一瞬の静寂。
沈黙に耐えられないたちなのか、若藻はまたしゃべりはじめる。
「このあとどうするかってのが問題だ。いよいよ勝ち目がない。こっちの手札は坊主どもに陰陽師、オレと、あとちょっぴりお前」
若藻はわざとらしく指を折りながらかぞえる。
「だが、陰陽師と坊主はヒトあいてじゃ戦力として期待できないだろ、オレはあんなバケモンと戦うつもりはないだろ、あとはビビりでへっぴり腰のお前さんだけ、か……。こりゃ楽ないくさになりそうだな!」
ちらり、若藻は光乃のようすをうかがう。
なおも光乃は顔すらあげない。
若藻の挑発もきこえているのか、いないのか。
「あー、そうかいそうかい、ダンマリかい。あやかしと話すことはないってか? そっちがそのつもりなら、だまりっこしようじゃないか」
怒ったように言うと、若藻は狐火もけしさり、それっきり黙りこくった。
まっくらな洞窟に二人の息遣いだけが聞こえる。
外に出れば、梢のこすれる音もあろうが、洞窟の中までは届かない。
「おい、寝てるんじゃないだろうな」
沈黙。
やがて、うつむいた光乃から、すすり泣くような音が聞こえた。
押し殺そうとしているのは伝わってくるが、いかんせん、静寂にみちた洞窟の中ではよく響く。
「くそ、わかんねえな。悲しいのか、怒っているのか、何なんだお前は。なんだってこんなときにメソメソ泣いていられるんだ。武者かそれでも」
「……二千年いきているわりには、ヒトの気持ちが全然わからないんだね」
光乃は鼻をすすりながらつぶやく。
その言葉に憐れむような調子を含まれているのを感じた若藻は、一瞬激高しかけた。だが、すぐに何かを思い出したように、しゅん、としぼむ。
「そりゃ、おまえ……。そうだよ……。オレはあやかしなんだから」
「じゃあ、二千年目の真実ね。教えてあげる。人はね、心底信頼していた人に裏切られると、動けなくなるものなのよ」
「あるよ、裏切られたことくらい」
若藻も、光乃もそれっきり黙りこくった。
◇
かすかな嗚咽も、鼻をすする音も聞こえなくなった。
落ち着いたのか、光乃が再び話し始める。
「ねえ、どうしてモレイ姉は私たちを殺そうとするのかしら……。なにかに操られてるんだきっと」
「なにものにもあやつられてないぜ。オレが呪縛できたのがその証拠さ。どうして、なんてわかりゃしない。家族同然、姉同然とお前はいうが、古今東西、親と殺し合う子供、兄と殺し合う弟なんて腐るほどみてきたぜ」
「きっと、なにものかに脅されてるんだ。そうでなければこんなことするはずがない。でも誰に……? どうやって……?」
光乃はうつむきながらぶつぶつと呟いている。
「どうしてもこうしてもわかりゃしない。今はそれより、どうやってあのバケモンをぶっ殺すか、それを考えなくちゃならないぜ」
きっ、と光乃は顔を上げて若藻をにらみつけた。
「ぶっ殺す? 殺さないわ。助けるのよ」
「おいおいおい……。」
若藻の声が震える。
「助けるって、どうやんだよ。『怨霊がついてました、調伏しました、もとのモレイにもどりました、めでたしめでたし』ってわけにはいかないんだぞ、やつはただのヒトなんだから」
「とりおさえて、事情をきいて、モレイを脅してるやつをぶっ殺す、ただそれだけよ」
「……とりおさえる!?!」
若藻の声は、ほとんど悲鳴だった。
「どうやって! どうやってやるんだよ! おまえ、陰陽術も法術も効かないんだぞ! 野良犬に縄かけるのとはわけがちがうんだぞ!」
「若藻の妖術でどうにかならないかしら。」
光乃はわずかばかり期待するように若藻と目を合わせる。
「無茶いうなよ!」
光乃の青い目をしっかり見つめ返しながら、若藻はさとすようにいった。
「あのな、自分より神力にまさる相手を取り押さえられるわけがないだろ。さっきだって不意を突いて一呼吸分だけ縛り付けるのがやっとだったんだぜ!」
「なら、組み付いて抑え込むしかないわね。」
「そんな穴だらけの作戦でどうにかなる相手じゃないのはわかってるだろ! 冷静になれ、光乃!」
「どうにかするまでやりなおすだけよ。」
光乃は立ち上がり、強いまなざしで若藻を見つめた。
青い瞳には狐火が映り込んで、洞窟の暗がりの中で、瑠璃の宝玉のように見える。
あるいは瞳に輝いているのは、鋼の意思そのものか。
「クソ、つまりこういうことか? オレはこの先永遠にこの夜の、この数刻をくりかえすってことか?」
若藻は光乃から目をそらし、吐き捨てるように言った。
「そうよ。何千夜、何千年かかってもやるわ」
そっぽをむく若藻を無視するように、光乃は洞窟のそとにむけて歩き出す。
「あきらめろ!! モレイは裏切ったんだよ! お前が死ぬか、モレイが死ぬかどっちかなんだ!」
光乃の背に向けて若藻は叫ぶ。
若藻は光乃の背を追いかける。思わず早口になる。
「……そもそもモレイが裏切っていないなんてどうして言えるんだよ。なんか証拠でもあるのかよ。裏切った証拠なら山ほどあるぜ。このまえのやり直しでわかってるだろ。やつは何のためらいもなく、平気でお前や妹、その母親を殺したんだぜ。なあ、ヒトってのは裏切るんだ」
「……証拠? 私たちの過去がその証拠よ。 あのね、そもそも何かを愛し慈しむ心に
振り向いた光乃の気迫と、そのまなざしの美しさに、若藻は息をのんだ。
あえていうなら、そうね。若藻。
馬にも乗れぬ幼いじぶん、モレイが肩車で見せてくれた陸州の雪景色。
馬の鞍にいたずらをして、こっぴどく殴られた、あのげんこつの痛み。
初めてねずみのあやかしを狩った日のあぜ道の、夕暮れどきの褒め言葉。後ろから見た大きな背中。
いくさからもどってきたモレイに、ぎゅっと抱き着かれた時の、あの心底やすらぐ血と汗のにおい、あたたかさ。久しぶりに聞く声、胸の鼓動。胸に、肩に、腕に伝わる大鎧のかたい感触。
証拠というなら、私たちの生きてきたこの15年のすべてが、その証拠よ。
そういうと、光乃は呆然と立ち尽くす若藻を置き去りに、満月の下へと出ていった。
若藻は、へなへなと、まるで冬眠するみたいに、脚を折りたたんでちぢこまって座りこんだ。
そのまま狐火をも消して、ただ真っ暗闇の中で、ちいさく、ちいさくなっていった。
◇
若藻はずっと真っ暗な洞窟にいた。
ずっと、ちぢこまってうずくまっていた。
きっと何回も、何回も、時が戻ったのだろう。
光乃が現れては洞窟の外に去っていく。
時の流れのわからなくなった
何百回目かのやり直しをつげる足音が若藻の耳に聞こえた。
「なあ、あきらめないのか?」
うずくまったままぼそりと若藻がつぶやく。
足音が止まる。
「なんで?」
「なんでって、だって。無理だろ。」
若藻は顔を上げる。まっくらで光乃の様子は見えない。
大鎧の輪郭だけがうっすらとうごめいているようにみえる。
「無理じゃないわ。」
「無理だよ。何回繰り返してるんだよ。なあ、いい加減あきらめろよ。あきらめて、どこかに逃げようぜ。モレイを殺すつもりがない、でも倒せない、なら乃理香とか信乃とかいうやつをあきらめればいいじゃないか。血はつながってないんだろ。拾い子なんだろ。いいじゃんか」
だまりこくる光乃に、若藻は畳みかける。
「いつまでこの寒い夜を繰り返してるんだよ。もうじき春だ。桜も咲く。あったかくなるぜ。ほら、二人で旅に出よう。吉野の山桜って今もあるのかなあ。お前、みたことないだろ。運よく満月と重なると、すげえきれいなんだぜ」
真っ暗闇の中で、光乃と目が合ったような気がした。
「もうさ、神仏のお告げだよ、無理だからやめておきなさいっていうさ、そういうお告げなんだよ。そもそもお前戦うのむいてないって。弓馬もまともに使えないのに、武者なんて無理なんだよ。間違った道に迷いこんじまってるんだ。正しい道に戻ろうぜ」
その時、光乃がはじめて口を開いた。
「違う。違うわ、若藻。これこそが神仏の指し示した道なのよ。なぜなら、私がそう思っているから。私が、モレイも信乃も乃理香も救いたいと思っているから」
今度は若藻が黙りこくる番だった。
「このやり直しの力も、何なんだかよくわからないけど、そういうことなんだと思う。この力で、あなたの望む結末がくるまでやり直しなさいって、そういうお告げなのよ。私の意思こそが道なのよ」
真っ暗闇なのにその意思のきらめきがまぶしくて。
暗がりで見えないはずの光乃の瞳に『あなたの意思はなに?』と尋ねられているようで、若藻は思わず目を背けてしまった。
「オレは。オレは……」
オレは何がしたいんだ。
この夜を抜け出したいのか。
尾を取り戻したいのか。
この夜を抜け出して、尾を取り戻して、そしてどうしたいんだ。
若藻は自問自答する。
再び、光乃が洞窟の外にむけて歩き出した。
若藻は思わず立ち上がっていた。なぜかは若藻自身にもわからない。
光乃の背をおいかけるように、前に足を踏み出した。
洞窟の入り口、ちょうど月の光を浴びて銀色に輝く光乃。その影に向かって、若藻は言った。
「……オレの四本目の尾をさきに返してくれ。そうしたら、モレイを取り押さえて、お前の家族をたすけるってやつを手伝ってやる」
光乃は振り向いた。濡れ羽色の髪が波打つ。若藻はその笑顔のまぶしさに目を細めた。
「じゃあ、私たち、仲間ね」
若藻をひっぱりあげるように光乃が手を差し出す。
若藻はそうして差し出された手をがっしりと掴んで、久しぶりに洞窟の外に、月の光の下に出た。
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