第14話 決着

 ◇


 

 数えきれないほど狐と戦って、光乃は薙刀を使うようになっていた。

 単純に間合いが長いからだ。


 まず、根本的に太刀というのは武者にとっての主要武装ではない。

 太刀の役割は大きく二つある。弓を失った後の非常用の武器としての役割と、暗殺用の武器としての役割である。

 まず第一に非常事態の武器、ようするに素手よりはまだ太刀のほうがまし、というときに使う武器。

 戦いの最中に、矢を使い果たしただとか、落馬しただとか、要するに最終手段として、携えている武器。

 

 ただ、本当に本当に最終手段である。

 考えてみても欲しい。自分は馬にまたがっている。

 相手は家ほどの大きさのあやかしである。

 そんな時に、わずか二尺(60㎝)ばかりの刃物がなんになろうか。


 また、相手が武者だとしよう。理由は分からぬが、おおかた田畑の水利権で争っているのであろう。

 武者であるということは弓が使える。弓というのは十間(20メートル弱)先の武者やあやかしを貫くための武装である。さて、十間の間合いのある相手に対して、こちらの間合いはせいぜい二尺の鉄の棒きれときた。なんになろうか。


 そして第二に、室内で暗殺をするときの武具。

 こちらはまだつかいようがある。

 室内であるから弓はなかなか使えない。

 また、長物も天井だとか柱に引っかかって思うようにふるえない。

 そんなときに、体ごと太刀を抱えて突っ込む。敵の腹に突き立てる。えぐる。

 そういうことができる太刀は、なかなか悪くない武装である。


 第一と第二の理由があるから、武者は太刀を使う訓練をする。

 光乃もそうだった。モレイに叩き込まれた。

 馬上でどう抜くか。攻撃半径の制約はどこにあるのか。間合いはどの程度か。もし万が一、太刀で戦うことになった場合、馬はどのようにはこべばいいのか。


 だから、狐と戦うときも当然のように太刀を使った。


 だが、狐との逢瀬を重ねるにつれて、ひたすらに打ちものいくさを繰り返すにおよんで、光乃はもっと間合いの長い武装があったほうがいい、そう感じるに至ったのである。


 それが、薙刀である。


 だが、常識的に考えると、異常である。

 礼にのっとっていない、とかそういうことではなく、単に奇怪な行いなのである。


 だから、最初に薙刀で出ようとした時も、


「姫様、お言葉ですが、長物なんてのは、弓馬の使えぬ下人やら僧兵やらが、最低限自分の身を守るための武器ですよ。まかりまちがっても武門の姫が使うような武器ではありませぬ」


 十一郎でさえも苦言を呈した。


 それでも、光乃は薙刀を試すことにした。

 寺にはだいたい薙刀がある。自己防衛のためである。

 荘内の寺を、時には下人と、時には十一郎と回りながら、いろいろな薙刀を試した。



 ◇


 そうやって、とある古ぼけた寺から借り受けた薙刀は、およそ薙刀とは呼べぬ姿かたちをしていた。


「ひと昔どころか、私の祖父の代のものよりも古そうなつくりをしてますな。」

 興味深げに十一郎がのぞき込んでくる。


 おそらく元は剣だったのを、柄の部分を取り外して、代わりに長い柄をつけて薙刀としたのだろう。

 全体の長さは光乃の身の丈を超える程だが、刃渡りは二尺強で、そこは太刀と変わらない。

 また、直剣である。剣身には反りが入っていない。

 それだけではなく、峰の部分にも刃がつけてある、いわゆる諸刃もろは造りになっている。


「なんでこっちにも刃がつけてあるんだろう」


 光乃はつんつん、と峰についている刃をつつく。

 古代の剣は諸刃もろはだった、というふうにきく。

 また、外つ国では今でも諸刃もろはの剣を使う、ということもきいたことがある。


 しかしなぜそうしているのかはよくわからない。


「さあ、なんででしょうかね。自分のことも切っちゃいそうで恐ろしいですな」

 十一郎も首をかしげる。



 ◇


 いつもの夜。

 だいぶ薙刀の取り扱いにも慣れた。

 慣れると、この諸刃の剣というのは実に使い勝手が良い、と光乃は思う。


 序盤戦。

 狐がとびだしてくる。

 出会い頭に右目に矢を叩き込むと、即座に薙刀に持ちかえ突進。


 光乃の突き出した穂先が、無様に着地した狐の左肩に吸い込まれていく。


 まず、この諸刃もろはの直刀の薙刀というのは、片刃のものに比べて圧倒的に刺突がしやすい、という利点がある。

 突き刺したときの貫通力が段違いなのである。考えてみれば当たり前で、矢じりだって、一種の諸刃もろはである。


 光乃は、外側に払うようにして突き刺した剣身を引き抜く。

 狐の肩から噴き出した血は、まるで朱色の牡丹の花が夜闇に咲き乱れるように、辺りを赤く染め上げる。


 諸刃もろはの薙刀だと、突き刺した後の引き抜きやすさも強みである。

 引き抜こうとする際に峰側にも刃がついていると、切り裂くように、払うようにして薙刀を引き抜けるのである。


 ”そして、やつは飛びのこうとする、でもできない”

 飛びのいた先はやはり岸壁である。


 光乃は飛びのこうとする狐に合わせて前進、顎をねらう。


 ”ち、またはずした”

 代わりに薙刀の一閃はちぎれかけていた狐の耳を切り飛ばす。


 いったい何百回と繰り返した動作だろうか。

 吹き飛んだ耳が木々の葉をかすめる音も、馬蹄がまき散らす小石の吹き飛ぶ先も、目をつむっていても手に取るようだ。


 ごう。

 狐が爪をふるう。爪の一本一本が腰刀ほどの長さもある。

 狐の体の下に馬をくぐらせるようにして紙一重でかわす。

 大木に突き立った爪が、一瞬狐の動きを拘束する。


 瞬間、再度左肩に一撃。

 円を描くように薙刀を大きく振り回す。

 水に落ちた雨粒の波紋のようなきれいな円。

 先ほど突き刺した傷口に、たたきつけるように薙刀をぶつける。


 戦闘が始まるたび、異常なほど頭が覚醒していくのを光乃は自覚している。

 優れた将棋指しが、一枚一枚敵の駒をはがしていくように、狐の受け手をつぶしていく。



 まずは右目を封じた。

 これで右半身からの攻撃を、狐の奴は受けにくくなる。


 ついで、左肩をつぶした。

 右側への旋回がだいぶやりにくくなるはずだ。


 その二つをつぶしたことで、狐の右半身側は致命的な弱点となった。


 じゃあ次は右半身を攻める?

 いや、ちがう。

 いったん手を緩めるのだ。

 そして狐の攻勢を誘う。


 この狐は、守勢に回らせると手ごわい。

 長い夜の中で、この狐の闘い方の癖を、すっかり光乃は把握していた。


 狐の癖に、ネズミのように窮地に強い。

 逃げるための起死回生の一手を必死で考えるのだろう、よける動き、守る動き、攻める動きすべてに無駄がなくなる。

 そして一度距離を取られると、火の玉を連発して逃げを図ろうとする。


 一方で、攻勢に回ると、次第に動きが雑になる。

 いわゆる図に乗りやすいたちなのだろう。

 また、攻めっけのためか、火の玉を使っての妖術よりも、巨躯で押しつぶすように戦うことを好む。

 そして、かわせばかわすほど、苛立ったように攻撃が大振りになるし、結果として隙もできる。

 だからあえて攻撃させる。


 一撃目。

 鋭い犬歯をむき出しにして、狐が大きく顎を開く。

 爪の突き立った大木を、まるごと引きちぎって、狐は噛みついてくる。

 それをよけながら、光乃は、わずかに距離を置く。


 二撃目。

 かわした光乃を追うように首がぐいっと伸びて、もう一度噛みつき。

 それをかいくぐるように馬をつかう。


 三撃目。

 地を這うように臥せる光乃にむけて、さらに噛みつき。


 馬を跳躍させて――馬も噛みつかれたくないから必死だ――その噛みつきをかわす。

 宙を舞う。


 三連撃で首が伸び切って、四撃目はない。きっと奴の癖なのだろう。

 狐の首が伸び切った瞬間、刃先で撫でるようにやつの鼻を斬りつけた。


 ”生きている!”

 光乃は思わず叫びそうになった。


 そうだ、生きているのだ。

 紙一重で敵の攻撃を読み切った瞬間。

 そして狐のやつの攻撃後の、体が伸び切ったどうしようもない隙に、狙いすました一手を決めた瞬間。


 名状しがたい、とてつもない快楽が体を駆け巡る。

 ”モレイや武者たちの見ていた世界はこれなのか”と光乃はついに理解した。


 あの異常な戦好きどもの気持ちが、光乃にはこれまで全くと言っていいほどわからなかった。自分が武者の子ではないからなのだろう、と思ってきた。


 ちがった。たんに知らなかっただけなのだ。


 ”ほらほら、苛々してきた”

 思うように攻撃が決まらなくて、腹を立てているようだ。


 前足で薙ぎ払うような攻撃。

 よけきれずに、大袖が吹き飛ぶ。

 ちぎれた鎧の端々から神力が漏れて、闇にきらきらと小さな天の川をつくる。


 轟音をならしながら、前足が、死の気配が光乃のすぐ近くを通り過ぎていく。

 その死の気配の深い色は、幾度となく染めた紅よりも深い色。


 もし一瞬だけ神力を通すのが遅かったら。

 あるいは身をよじるのが間に合わなかったら。

 きっと大袖ごと右半身がそっくりなくなっていたに違いない。


 奈落から極楽へ、幽世かくりよから現世うつしよへ。

 生と死のすれすれを、寄せては返す波のように行き来する。


 つかず離れずの間合いを維持しながら、狐の攻撃をさばいていく。

 最小限の動きで、ぎりぎりのところで、ある時は馬をさばいてかわし、ある時は薙刀で受け流す。


 ――動け。そして相手をより大きく動かせ。

 モレイからかつて教えてもらった戦の秘訣。

 人も馬もあやかしも、その体力には限りがある。

 そしてしばしばあやかしのほうが体力がある。

 だから、最大の力で攻撃させて、最小の力でさばく。


 現に今も、水時計の水が流れていくように、刻一刻と狐から体力が失われていくのがわかる。


 小石が飛び散る。

 木の根がちぎれる。


 一人と一頭は、まるで一個の独楽のようにくるくるとまわりながら攻撃の応酬を続けている。

 あふれ出た神力と妖力が、真冬の蛍となって、交尾をしているかのように舞う。

 生と死の、歓喜の轟音が森の中に鳴りわたる。


 ”この時間が永久とわに続けばいいのに!”

 光乃は思う。


 ”きっと、三尾の狐もそうおもっている!”


 一言もしゃべったこともないけれども、まるで手に取るように、奴の考えていることがわかるような、そんな瞬間がある。


 狐の連撃、そして撫でるような光乃の反撃。


 狐の攻勢限界まで、光乃は耐え忍ぶ。

 渾身の攻撃の瞬間にこそ敗北のつぼみがある。

 詰めろのための持ち駒が切れたその瞬間が、まさに逆襲の時なのである。


 ふっと狐が、薙刀の間合いから外れるように、山肌を駆け降りるように、後ろに跳躍。

 巨躯を生かした近距離戦では、光乃を仕留めきれないとみて、一度距離を置こうとしたのであろうか。


 


 攻撃の力とは、速度と重量と神力の乗算である。

 したがって、馬の速度と重さ、そして光乃の神力を最大に乗せた一撃こそが、必殺の一撃になる。


 しかし薙刀の間合いを維持して戦う近距離戦では、馬の速度を活かしきれない。

 馬の加速を乗せた一撃を食らわせてやりたい。

 だから、狐に距離を取ってほしかった。


 とびしさった狐を追いかけて、光乃は弧を描くように右回りで斜面を駆け降りる。

 矢の突き立った右目側の死角へと回り込む。


 光乃を見失った狐は、あわてて右に向きなおろうとする。

 だが無理だ。


 ”この瞬間のために最初に左前足をつぶしたのだから”


 狐は痛めた左肩に取られて姿勢を崩す。


 馬を走らせる。

 黒毛の馬が最大速度に乗る。

 そして体ごとぶつかりながら、馬上の光乃は薙刀をつきだす。

 最も無防備な、狐のわき腹に、薙刀の刃がうまるほどにまで突き立つ。


 切り払うように、薙刀を抜く。

 狐の腹がどっと裂け、血とはらわたが噴き出す。

 あふれたはらわたは、真っ赤な蛆虫の群れのようにうねうねと動きながら飛び散る。 


 ”楽しい時間もこれで終わり”



 だが、次の瞬間、噴き出してきた臓物のなかから、小柄な影が飛び出してきた。

 大蛇のように光乃の首に巻き付くと、地面に引き釣りたおした。


 ”絶対に致命傷だったはずなのに”

 そう絶句する光乃の目に、最後に映ったのは……。


 ”え、こども?”


 意識が暗闇に包まれた。

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