第13話 トライ&エラー

 ◇


 そのあと何回も、何回も、やり直して分かったことがある。

 すなわち、最初に狐と遭遇した時の布陣でなければ、狐は見つからない、ということだ。


 捜索に当たる下人の人数を増やしても駄目だった。

 光乃と十一郎の配置を変えても、モレイと十一郎の配置を変えても駄目だった。

 待ち伏せする場所を変えても、人の数を変えても、何をしても駄目だった。


 ただ、捜索に当たる下人の数、実際に狐を討伐する武者三人の位置を、初回と同じようにした場合のみ狐と遭遇することができた。

 初回と同じように、三手に分かれてさがし、鏑矢が鳴り、十一郎が狐と戦い、そして森が沈黙した後でなければ狐とは遭遇できなかった。


 狐のほうもつかまりたくはないから、なるたけ人を避けているはずである。

 だから、人を増やそうが捜索する場所をかえようが、狐のほうもそれを察知して逃げ回っているのであろう。


 ”結局のところ、初回に狐と遭遇できたのは、単に偶然のたまものであったのかもしれない”

 そう光乃は思うに至った。

 探索の結果みつけた、というよりは幸運にも遭遇できた、ということなのだろう。


 十四回目、またもや狐を見つけることなく朝を迎えたとき、光乃は十一郎を救うことをあきらめた。その代わりに前に進むことにした。

 信乃を、乃理香を、すなわち家族を救うためであれば、それ以外の者はきりすててゆくのだ、という決意を固めたのであった。



 ◇


 何十回と繰り返していると、どんなにひりついた戦闘でさえも、もう、いつもの夜というかんじだ、と光乃は思った。


 いつも通り、真夜中の山に鏑矢が鳴る。

 いつも通り、狐と十一郎の相争う音がする。

 いつも通り、驚いて飛び起きた鳥たちが悲鳴を上げながら満月の空にあふれかえる。

 いつも通り、狐の放つ火の玉の閃光を最後に、音が聞こえなくなる。


 そして、もう少しすればいつも通り、突如として、闇の向こうから狐が飛び込んでくるだろう。


 その時を、光乃はじっと待っている。


 何十回と繰り返すうち、まるで将棋の序盤の定石のように、光乃の打つ手は洗練されていった。


 まずは矢の一撃から始める。

 鏑矢での合図は遠くの昔に投げ捨てていた。

 何度試しても、合図を聞いたモレイが駆けつけるより、光乃が死ぬほうがはるかに速かったからである。


 光乃は弓矢が苦手である。

 ただし、それはとっさに矢に神力を籠めて放つというのが苦手なだけであって、十分に精神集中の余裕が与えられていればその限りではない。


 幸いなことに、いつ、どこから、どのように狐が現れるかはわかっていた。ならばそれまでの待っているあいだに、矢に神力を籠めればよい。



 矢でどこを狙うのがいいのか。

 ぶっつけ本番、やり直しなしの勝負だったら、きっと光乃はまともに狙えなかっただろう。


 左目がいいか、右目なのか、それともいっそ眉間をねらうのがいいか。


 そう迷っているうちに、どこを狙うことということもできずに、あてずっぽうで放っていたことだろう。

 そうしてその矢が耳の端っこを飛ばすとか、せいぜいその程度の結末を迎えたことだろう。


 だが、何度でもやり直せるとなれば話は別だった。左目も右目も眉間も、なんなら耳だってすべて試してみればいいからである。



 あと二呼吸で、くる。


 ――つがえ。ねらえ。

 脳裏にモレイの声が聞こえる。

 矢をつがえる。

 神力をこめる。

 矢が光を放つ。


 闇の中から狐が飛び出してくる。

 額からの流血が右目を半ばふさいでいる。


 ――放て!

 モレイの幻聴。

 矢をあるべき軌道に、そおっと乗せるように、指をはなす。


 左目か、右目か、はたまた眉間か。

 結論、右目だった。


 右目を狙うべき理由、その一。

 流血で視界が一部ふさがれているので、避けられにくい。


 矢は、あるべき軌道にしたがって、するり、飛び出してきた狐の右目につき立つ。


 突如として攻撃を受けた狐は、いまからでも間に合う、避けられるとばかりに、宙で身をよじる。

 何事かを叫ぶように、そのあぎとがゆがむ。

 そして無様に着地する。


 右目を狙うべき理由、その二。

 狐の右半身側を死角にできる。


 太刀は馬手めて(右手)で振る。だから攻撃範囲は光乃の右半身側に制限される。

 狐の右側を死角にできれば、すこぶる攻撃しやすい。


 光乃は、狐の着地の瞬間、馬ごと体当たりしながら太刀を突き出す。

 神力で青白く光る太刀が、狐の右前足の付け根をえぐり飛ばす。


 どこからどう攻撃されたのかも見えなかったのだろう、狐はみるからに混乱をきたしている。


 右目を狙うべき理由、その三。

 左側が岸壁がんぺき


 右肩をえぐり飛ばされながらも、狐は跳ね起きて、光乃から飛びのこうとする。

 どこへ? もちろん光乃の反対方向、すなわち左後方へ。

 だがそこは切り立った崖の壁になっていて、思うようには飛びのけない。


 光乃は、狐に吸い付くように前進。

 撫でるように太刀を払う。

 面白いように狐の毛皮が、そしてそのおくの筋肉が裂ける。


 弓馬のうち馬しかできない光乃は、遠距離戦に持ち込まれたら敗北必至である。

 だから、光乃は馬を駆使して、徹底して近距離での打ちものいくさに持ち込む。


 自然、斬りあい、殴り合い、噛みつきあいの乱戦になる。

 次の一手の最善手は? 

 右足の腱を切り裂く? それとも顎関節をねらって厄介な噛みつきを無効化する?


 さらにそのあとは?


 すべての手を試せばいい。何度でもやり直せるのだから。


 ◇


 何度目か、数えるのをやめたほどの死。


 死ぬたびに、意識が深い水の底へと落ちていく、そのたびに、光乃はこれまでのし方を、ぎゅっと圧縮したように夢に見る。

 物心がついてからの日々、幼いころの思い出たちが頭の中を馬のように駆け、そして去っていく。


 これもそんな思い出たちのひとつ。


 ――つがえ、ねらえ。

 モレイの声が聞こえる。

 館の庭には雪が積もっている。州長官にあたえられた公邸の庭だ。

 光乃、信乃やそのほかに郎党の子弟とおぼしき幼子もずらりと並んで弓を構えている。

 歩射の教練だ。


 二人の父、満道が、この国のはるか北の果て、陸州の州長官を務めていた時のことだ。7、8年ほど前のことだろう。

 光乃も信乃もまだ6、7つかそこらだ。武芸の教練を始めたての頃だろう。


 ――はなて!

 モレイが叫ぶと、一斉に矢を放つ。

 武者の子供といっても、所詮はおしめもとれぬような幼児であるから、まともに前に飛ぶだけでも大したもので、大多数はひょろひょろと力なく飛んだり、そうそうに地面に突き刺さったりしている。

 そんな数多の矢の中で、ひときわまっすぐ力強く飛んでいくものがある。

 光乃の矢である。

 そうだ、このころはまだ弓矢が得意中の得意だった、と光乃は思い出す。

 まだ馬にも乗らないで、神力も込めないで、ただ的に当たりさえすれば褒められたあのころは。




 思い出は馬のように駆け去っていく。


 ――つがえ、ねらえ。

 またモレイの声だ。

 緑がまぶしい。北国の遅い、そして短い春か。あるいは初夏か。

 こんどは国司館こくしのたちの外に設けられた馬場(訓練所)だろう。


 馬場では、馬に跨って幼い武者たちが順番を待っている。

 馳射はせしゃの教練だ。


 一目で光乃とわかる、ひときわ輝く濡れ羽色の髪をたなびかせた姫武者が、馬を全速で駆けさせている。


 ――はなて!

 モレイの掛け声とともに放たれた矢は、狙いたがわず的の中心を射貫く。

 このころが得意の絶頂だった。

 郎等の子息のだれよりも馬がうまく、弓に秀でていた。

 だれもが光乃をほめそやした。




 ――つがえ、ねらえ。

 モレイが叫んでいる。

 神力をこめることを教練しだしたころだ、と光乃は思い出す。

 もう光乃たちは赤名荘に来ている。数年前のことだろう。


 ――はなて!


 矢を放つ。放った瞬間だけ、きらりと神力が光をはなつ。その瞬間にすべての神力は雲散霧消し、矢にはもう神力が残っていないだろう。ただの矢だ。

 狙いたがわず的に命中し……しかし的を射貫くあたわず、ぽろりと地におちる。


 光乃の名声もこのころには地に落ちていた。

 吉兆の姫としてかわいがられてはいたが、武者の子としては評価されなくなっていた。

 といってもよくあることである。光乃以外には大きく受け止めているものはすくない。

 武者の子でさえ、親の資質を受け継がないことがあるのだから、いわんや捨て子をや、である。

 周囲はもはや期待していない。ただ光乃の悲しさだけがある。



 ――つがえ、ねらえ。

 耳元でモレイがささやいている。

 二人は森の木の陰に立っている。

 ああ、そうだ。赤名荘の、織路館の近所の村に沸いたバケネズミ狩りだった。光乃は思い出す。


 光乃の表情はこわばっている。これまで矢に神力を籠められたためしはない。


 ――大丈夫だ。大丈夫。

 モレイがそっと光乃の肩に触れる。力を抜け、と言っているみたいに。

 ことばって不思議だ。からだって不思議だ。光乃は”大丈夫”な気がした。肩の力が抜けた気がした。

 狩衣越しにも、光乃の体のこわばりが取れていくのがわかる。


 勢子に追い立てられて、木の影からバケネズミが飛び出してくる。手筈通りだ。


 ――放て。

 モレイがささやく。

 あるべき射線に矢を置くみたいに、光乃は矢をはなつ。

 神力の光がきらめき、その一部は宙に消えながら、それでも矢はまっすぐとバケネズミに突き進み、そして逃げ走るその後ろ脚の下半分をちぎり飛ばした。


 ――そうだ、その感覚だ。

 モレイが光乃の頭をぐりぐりと乱暴に撫でる。


 ――自分一人でやるときも、頭の中で唱えるんだ。『つがえ、ねらえ、はなて』ってな。

 モレイが馬から降りて、太刀でとどめを刺した。


 光乃はその光景を、どこか興奮しているような、それでいて夢を見ているような表情で見つめていた。


 以来、ゆっくり集中すれば神力を籠められるようになっている。もっとも戦場でそれをやる余裕はないのだが。


 やがて光乃の意識はかんぜんに真っ暗闇に包まれた。でも大丈夫、どうせすぐ水面に浮上していくのだから。


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