第13話:Flash backs

 〝ドライバー〟は激しい雨が降り注ぐ荒野に一人で居た。


 見ると、少し離れたところに、検査衣を着た芽里が俯いたまま降り注ぐ雨にも構わず佇んでいる。この雨にもかかわらず、少しも濡れていない芽里は〝ドライバー〟に気が付くと顔を上げ、寂しそうに笑った。その笑顔には、全てを吸い込んでしまいそうな虚無が広がっている。


 泣き腫らした芽里の顔には涙の痕が残っていて、〝ドライバー〟には、それがまるで傷跡のように痛々しく感じられた。


 芽里が声にならない声で何かを叫んでいる。〝ドライバー〟は思わず駆け寄り抱きしめようとするが、芽里はまるで霧のように〝ドライバー〟の腕をすり抜ける。どんどん離れていく芽里に、手を伸ばした〝ドライバー〟は思わず叫んでいた。


「芽里!」


 思わず発した自分の声で、ワインディングロードのマスターは目を覚ました。伸ばした手の先に、古ぼけた白い天井と蛍光灯が見える


「…………」


 そうだ、ポイズンを抱きかかえた時に毒針が刺さって、自分を無くした芽里をGTRに放り込んで脱出させたあと、気を失ったのだ。事の顛末を思い出しながら、マスターは石のように堅いベッドから起き上がり、周囲を眺める。


「留置所かよ……」


 鉄格子にむき出しのトイレ、壁に架けられたベッドが見て取れる。アイリーンがナイラグル・ニイガタ州の知事に与えられたバウンティハンターとしての権利を行使し、地元警察に圧力をかけて拘留したに違いない。天井にはアイリーンが放った、目玉の形をした使い魔がじっとこちらを見ているのが見える。


「監視カメラ替わりか……イテッ!」


 痛みを感じ、視線を自分に向けると包帯でぐるぐる巻きにされた身体が見えた。


「……なるほど、治療はしてくれたわけだ」


 包帯を触った、少しシワの多い手を見て、ため息をつく。


「ハァ、ちょっと無理しちゃったかなぁ……」


 マスターは、ひとりごちて鉄格子を掴んで叫んだ。


「おーい、誰かいるのかー?」


 声が聞こえたのか、複数の足音が降りてくるのが聞こえる。


 姿を現したのは、揃いの黒い制服に帽子をかぶったオークやゴブリンたち亜人だった。


「看護婦さん……のワケないよな……」


 顔に浮かんだいやらしい笑いから、この連中がけっして友好的にこの留置場を訪れたわけではないことが伺えた。


 ◇


「米が見つからなかったのは、ほーんとに残念だったねー」


 ナイラグル・ニイガタ州知事・ブーン・カナダインの、妙にハイテンションな声に思わずアイリーンは顔をしかめた。


『こいつは本当にキライだ』


 やたらとハイテンションな声もそうだが、ふざけたデザインのメガネの奥でいやらしくすがめられた両目、玉虫色の肌、小太りの体に似合わない高級スーツ、振りまかれた香水でもごまかせない分泌物の臭さ……どれをとっても鼻につく。毒のせいで疎まれるポイズンですら、そのプヨプヨした頬をヒクつかせている。


「まさか囮だとは、夢にも思わなかったわ」

「まーあ、いいってことさー。最終的に米がボクのところに戻ればいいんだからー」


 その言い様にさらにムカッとしたアイリーンは思わず言い放った。


「闇米はアンタの物じゃないでしょう?」

「なーに言ってるのさーこの州で採れる食べ物は、みーんなボクの物なんだよー」

『まったくこの、クソコガネムシ野郎が!』


 アイリーンは心の中で悪態をつく。


『どうせ『高級米』として闇取引で隣国の金持ちに高値で売って、自分の懐を潤すことしか考えていないくせに!』


 だが口から出たのは、そんな想いなど微塵も見せない冷静な言葉だ。


「連中のアジトらしき所には連絡済み……程なく何らかの動きがあるはず」

「なーんでそこが判ったんだーい?」

「捕まえた男のポケットに、煙草と一緒にコーヒーショップのマッチが入っていたの……調べたら男はそのコーヒーショップのマスターだったわ。そのコーヒーショップに連絡すれば、必ず〝ドライバー〟は動くはずよ」


 そう言うとアイリーンは、『これ以上ここには居られない』といった様子で踵を返した。


「アイリーン、君が僕の米をちゃーんと取り戻してくれると信じているからねー」


 背中越しにかけられたカナダインの言葉をまる無視して、アイリーンはポイズンと共にデクマダウン・トオカマチ警察の応接室を後にした。


   ◇


「あの人、あたしキライです!」


 ポイズンがプヨプヨした頬を膨らませて言い放つ。


「滅多なことを言うんじゃないよ。一応スポンサー様だからね」

「そんなこと言ったって、アイリーンさんだってキライですよね?」

「……覚えておきな、ポイズン。世の中、嫌われてたってカネのある奴は強いのさ」


 だがそこまで言うと、アイリーンは突然駆け出した。


「アイリーンさん、どうしたんですか?」

「留置場の使い魔から、『異常アリ』って念話(テレパシー)よ!」


 アイリーンの叫びに反応し、ポイズンも思わず駆け出していた。


   ◇


 地下に降りて行った二人は、カナダインの私設警察の連中が留置場の中に居るのを見て驚く。マスターがカナダインの手下のオークやゴブリンたちに取り囲まれて痛めつけられおり、しかも一匹のオークが今まさにマスターの指を折ろうとしている。


「おまえら!」


 だが、アイリーンが魔力を展開する前に、すでに体を丸めたポイズンが、叫びながら飛び込んでいた。


「おじさんに手を出すな―!」

「ゲフッ!」


 見張りのゴブリンが、突っ込んだポイズンのトゲに刺し貫かれて倒れるが、


「なんだ、このガキ!」


 オークの一人が頑丈なコンバットブーツの底で、ポイズンを蹴り飛ばす。


「きゃあ!」

「ふざけやがって!」


 倒れ込むポイズンを更に蹴り飛ばそうとしたオークだったが、体が前に行かない。


「?」


 不思議に思って後ろを振り向くと、今さっき折ろうとしたマスターの指が逆にオークの手を鷲掴みにしていた。


「……女の子を、足蹴にしてるんじゃねえよ!」


 マスターの体に力がみなぎり、掴んでいたオークの手はグシャっという音と共に、まるでトマトのようにつぶれた。


「ぎゃあああああ!」


 抑えきれず滲みだす魔力と共に立ち上がったマスターは、まさに鬼神の様相を呈していた。


『まさか、こんな年寄りにこんな力が!』


 驚きと恐怖のあまりカナダインの私兵のオークたちは、我先にと逃げ出した。ポカンとした顔で立ち尽くしていたアイリーンだったが、声を掛けられてようやく我に返る。


「よお、アイリーン」


 声を掛けたのは、既にいつもの様子に戻ったコーヒーショップ・ワインディングロードのマスターだった。


  ◇


「手当してくれたんだな……ありがとうよ、アイリーン」

「大変だったんです! 手当てしているあいだ、泣きわめいて離れようとしないんだもん」

「あんただって、泣きわめいてたじゃん、ポイズン」


 茶化されて、照れ臭そうにソッポを向きながら、アイリーンは煙草を差し出す。


「吸います?」

「頂くよ、こいつが復活したのは融合のおかげだな」


 マスターが〝ラッキーストライク〟を咥えると、アイリーンは片手でワインディングロードのマッチを器用に擦って火を点け、マスターに差し出した。マスターは咥えた煙草に火を点け深く吸い込むと、満足そうに煙を吐き出しながら微笑んだ。


「ケホケホ。こんなものの、どこがいいんですかぁ?」


 紫煙を手でかき消しながら、ポイズンは文句を言う。


「悪いなポイズン、これも数少ない大人の楽しみさ」

「そんな大人になりたくないですぅ」


 ポイズンはマスターとアイリーンから1メートル離れて座り込む。


「さっきは助けてくれて、ありがとうよ」

「……助けるつもりが、助けられちゃったぁ……」

「いやいや、心意気だけで充分さ」

「このコがあたしの命令もナシで〝自分から人を傷つける〟なんて、したこともなかったんですよ」


 そう言われて、ポイズンは頬を赤らめて下を向く。


「……融合、うまくいかなかったんですか?」

「いやいや、元から俺は融合しようなんて思ってなかった。ヤツが……バロンズが勝手に融合しやがったのさ」

「? なんでバロンズはそんなことを?」

「……俺を助けようとしやがったんだ、あのバカは」


 マスターは煙草を床でもみ消した。


「……どういうことでしょう? そもそも、どこでバロンズと知り合ったんですか?」

「サンソスニッポンシー(日本海)防衛戦……通称第四次元寇戦のとき、ナイラグル・ニイガタ州でだ。奴は前線の指揮官、俺は内陸でコーヒーショップをやってた。

 あの時も戦闘は膠着状態、前線の兵士は緊張を強いられながらもなかなか戦闘が起こらないっていうフラストレーションがたまる状況だった。下級兵士の、農家や商店からの簒奪やら住民への暴行やらが起こってな」

「それをさっきみたいに、シバキあげたんですね」


 アイリーンはクスクスと、思い出し笑いをする。


「ああ……だが、どこの世界にも人に罪をなすりつける、どうしようもないバカは居る。バロンズに、『地域住民に暴行を受けた』なんていい加減なことを申し出たバカがいたんだ」

「…………」

「バロンズはバカじゃない、そいつがどんな奴かなんて判っている。だが、上官が部下を守らなかったら軍隊での信頼関係は壊れちまう。そこでバロンズは俺に勝負を持ち掛けたんだ」

「ああ、あの!」

「聞いたことがあるかい?」

「ええ、たしかバロンズがマニパンド・ウオヌマ基地からナイラグル・ニイガタ基地まで、人間の操る車と競争したんですよね? 自慢してました、『神の力も使わず、魔法も使わないで、ただ走って行くのがこんなにも楽しいなんて思わなかった』って言って……それはもう嬉しそうで! でも、確か、引き分けだったんですよね?」

「ああ、お互い手は抜かなかったけどな。あいつはもともとの脚力を生かし、俺は地元の地の利を生かす戦法でお互い譲らず、結局引き分けで終わった……いつか機会があったら、もう一度勝負してギャフンと言わせてやる」

「『ギャフン』って何ですかぁ?」


 思わず聞き返すポイズンの問いに、マスターは苦笑いを返す。


「一つの体にくせに……意地っ張りなのは似た者同士ですね」


 アイリーンの突っ込みは、マスターの苦笑いを照れ笑いに変えた。だが、照れ笑いはすぐに消えてしまった。


「だが、どうあがいても人間には天命がある。オレは病気になっちまって、生と死の境をさまようことになっちまった。『いよいよ危ない』って時、芽里が奴を呼んで来ちまった。奴は自分の命を懸けて、俺と……コトもあろうにヤツが張り合ったオレの愛車・GTRも巻き込んで無理やり融合しやがった」

「…………」


 アイリーンは、マスターが強気な言葉とは裏腹に目を潤ませているのを見逃さなかった。


「無理やり融合したせいかは判らんが、こんなことになっちまった。もう解るだろう? あの車はバロンズの下半身なんだ」

「!」

「俺とあの車が揃うことで、バロンズはこの世に現れる。俺とあの車が一定距離離れると、あいつは俺の中に隠れちまう」

「…………」

「あいつは〝神〟だから、ちょっとやそっとじゃくたばらないが、俺が表に出ているときは別だ。俺はただの人間だからな……」

「じゃあ、あいつは……」

「そうさ、アイリーン。いつ死ぬかもしれない人の身じゃあ、何があるかわからない。奴はお前さんを悲しませまいと離れたんだ」


 アイリーンは、マスターの衝撃の告白に凍りついていたが、同時にバロンズの深い愛情に感動していた。バロンズはよく言っていた、『悲しむだけの人生なんていうのはゴメンだ』と。


「あたしのために、バロンズはあたしの前から姿を消したんですか……」

「今頃奴は恥ずかしくって、大いに照れまくっていることだろうさ。お前さんに本当のことを言う時が来るなんて、夢にも思ってなかっただろうからな」


 突然アイリーンが、スクッと立ち上がる。


「アイリーン?」


 アイリーンはマスターが怪訝に思って向けた顔をガッチリ掴んで引き寄せると、キスをした。見ていたポイズンが思わず赤面してしまうほどの深い愛情がこもった、濃厚で長い大人のキス。


 だが、マスターはされるがままではなく、静かに立ち上がりながらアイリーンの腰に手を回し、ぎゅっと抱きしめながらキスを返す。大人同士のキスを介した愛情表現に、ポイズンは赤面しながらも目が離せない。


 だが、やがて背を逸らせたアイリーンの体から力が抜け始めたのをきっかけに、マスターは唇を離す。上気したアイリーンの顔には恍惚の表情が浮かんでいた。


「エロオヤジ……」

「これはあいつの精一杯の気持ちだよ、アイリーン……だけど、今あいつを〝人生の墓場〟に入れることは出来ない。奴には大事な役割があるし、芽里の事もある」

「芽里? あの一緒に連れていた娘?」


 アイリーンの顔が曇る。


「あの娘を一人には出来ない。オレに懐いているからこそ、奴はオレに任せたんだ。あの娘の為にも……」


 そこまで聞いたアイリーンはハッと我に返ると、マスターを突き飛ばした。


「いやよ、そんなの! 絶対、あたしはあいつを取り戻してみせる!」

「アイリーン、お前……」


 涙ながらの決意に満ちたアイリーンの顔を見つめて、マスターは思わず黙り込んだ。


「あ、あの――」


 突然、留置場の外から声が掛かる。


「なに!」


 涙の痕をぬぐいながらアイリーンが怒りの表情で振り返ると、ほう機隊のジェミニとピアッツァが食事を持ったまま、赤面して立っている。


「す、すいません! 被疑者の昼食です!」

「そこに置いて行きなさい!」

「へっ、バウンティハンターごときが偉そうに!」

「下っ端のほう機隊ごときが……死にたいの?」


 アイリーンとピアッツァがいがみ合い始める中、ジェミニが何かに気が付く。


「あ、あれ? す、すいません! ……し・失礼だとは思いますが、あの有名な〝ワインディングロード〟のマスターでしょうか?」


「「はあ?」」


 アイリーンとピアッツァは、怪訝な顔で返す。


「ジェミニ、この人が誰か知っているのか?」

「ピアッツァ、知らないの? アングラ情報誌で有名よ! アウターベルト随一、コーヒーショップ〝ワインディングロード〟のマスターですよね!」

「ええ?」


 アイリーンも驚いていた。あいつ=バロンズが融合した人間が、そんな有名人とは思いもよらなかったからだ。


「すいません、とても料理自慢の店のマスターの口に合う食事だとは思えませんが……」

「飯が食えるだけでも御の字さ」

「『オン』? ご飯に『オン』『オフ』があるんですかぁ?」


 ポイズンが素朴な疑問を口にすると、マスターは苦笑いする。


「いやいやポイズン、そういう意味じゃないから……」

「軍隊や警察の飯がまずいのは、当たり前でしょう? 『くさい飯』っていうぐらいだから」

「アイリーン、お前も間違っているぞ……いただきます」


 マスターはきちんと挨拶して、食事に手をつける。ご飯とおかず、お椀に一口ずつ口をつけて思わず顔をしかめる。


「おいおい、地元の米じゃないんじゃないか? しかも古いな? 米どころなのに、なんでこんなことになっているんだ?」

「……すいません、知事が経費削減って言って、予算を絞ってるんです……」

「こんな飯じゃあ、やる気も出ないなぁ」

「あのクソ知事、自分の私設警察には潤沢に予算を割くクセに、オレたち地元警察にはロクに予算を回しゃしねえ!」

「おかげで装備も旧式、食事も粗末な状態なんです……」


 憤るピアッツァとシュンとしているジェミニに、マスターが声を掛ける。


「不憫だね、本物の『金の亡者』の治める州に居るなんてな……おい、ちょっと電話貸してくれないか?」

「は、はい?」

「何言ってるんですか? 人質っていう自覚あります?」

「逃げ出そうなんて思っちゃいないさ。……アイリーンお前、場所を借りているっていう意識ないだろう? 『一宿一飯の義理』ってやつだ。ほれ、電話のところまで案内してくれ」

「こ、こちらへ!」

「どうぞ!」


 ジェミニとピアッツァは、マスターをまるで賓客のような扱いで案内し始めた。


「ちょ、ちょっと! 待ってくださいよ!」


 アイリーンとポイズンは顔を見合わせていたが、置き去りにされたのに気付いて慌てて追いかける


  ◇


「ああ、オレだ。すまないけどな、米一俵をデクマダウン・トオカマチ警察署まで持ってきてくれ。ああ、仮にも警察だからな、身元不明で来いよ」

「ああ、ワインディングロードだけど、なにか安く買える肉ないか? なに? シーサーペントの尻尾? それイイじゃんか! 蒲焼にする! タレの材料も頼むぞ、いいな?」


 電話の前でまくしたてたマスターはキッチンに入るとさらに加速が掛かる。


「いいか? 水は一ミリ単位で加減しろ! これだけの容積の鍋で米を炊くと、高さは一ミリでも体積は何百ミリリットルと違うからな!」

「火力が弱いな……いつ掃除した? そりゃダメだ! 厨房機器は少なくとも週一メンテが基本だぞ? アイリーン、お前ウラに行って、即席の炉を作ってくれ」


 アイリーンとポイズンは警官たちと一緒になって、倒木を切って即席の炉を作る。


「はあ……あたし、何やってんだろ?」


 思わずため息交じりで呟くアイリーンだったが、ポイズンと岩子は嬉しそうに炉を組み立てている。


「あたしは楽しいですぅ! こんなの始めて!」

「ウチも楽しいわぁ」


 夕方になると、警察署内においしそうな炊き立てのご飯の匂いが充満した。裏では即席の炉に炭がくべられ、マスターが研ぎ直した包丁で薄く切られたシーサーペントのしっぽが蒲焼にされている。


 そして夜の署内の食堂で、シーサーペントの蒲焼丼が振舞われた。働き盛りの警察官たちは飛びつき、ガツガツと食べ始める。


   ◇


 所轄内では、テレパシー無線で蒲焼の情報が飛び交っていた。県境で〝ロードランナー〟を警戒しているドラゴンと警官が、それを聞いて愚痴をこぼしている。


「おい、今署ですげえウマい蒲焼が食えるんだって?」

「マジかよ! ああ、仕事おっぽり出して、喰いに行きたい……」


 そんな事を呟いていると、テレパシー無線がガガッという雑音を立ててとんでもない連絡が入る。


「署長です。現在勤務中の各移動、至急署に戻ってください。食事の時間です」

「やりぃ!」

「マジかよ!」


 それを聞いた警官とドラゴンは、サイレンを鳴らしていそいそと署にカッ飛んで戻っていく。


「おい、どうしたんだ? あれ?」

「何でもいいさ、チャンスには違いない」


 それを見ていた〝ロードランナー〟たちは訝しげに思いながらもゆうゆうと県境を超えていく。


  ◇


「あー、疲れた」


 任務から解放されたアンドレ・ザ・ビッグホーンが、部下を引き連れて署に戻って来た。


「いったいどこに雲隠れしやがったんだ、〝ロードランナー〟の野郎は!」

「まったく骨折り損でしたね、隊長」

「〝ソーサラー〟ちゃん、ケガなんかしてねえだろうなぁ」

「……心配なのはそっちですか」


 愚痴を言いながら署の扉を開けたアンドレ隊長とその部下は、今までに嗅いだことのない臭いにとらわれる。


「……うん? なんかいい匂いがしませんか?」

「……本当だ」



 部下の人間やオーク・ドラゴンたちが鼻をクンクンと鳴らし始めるのと同時に、アンドレ隊長も思わず鼻を鳴らす。顔を見合わせて思わず食堂に急いだアンドレたちの目に飛び込んできたのは、署内だけでなく管内で任務に就いているはずの警官たちが任務を放りだしてシーサーペントの蒲焼丼をカッこんでいる様と、〝ロードランナー〟の関係者ということで留置されているはずの男が、食堂のキッチンでウデをふるっている姿だった。


「おじさん! さらに三人前追加です!」

「ポイズン、おじさん言うな! マスターと呼べ!」

「はい、マスター!」

「岩子! どんどん焼けよ!」

「ガッテンです!」

「肝吸いはこちらでーす」


 ジェミニとピアッツァまでもが、厨房に入ってシーサーペントの肝吸いをよそっている。


「な、何やってんだ! お前ら!」

「あ、アンドレ隊長。箒が折れて任務に就けないので、手伝ってます」

「早く食べないと、無くなっちまいますよ」

「な、なに?」


 飄々としたジェミニとピアッツァの態度に、アンドレ隊長は面喰らって思わず絶句するが、すぐに我を取り戻す。


「よ、容疑者に何をさせて……」

「カタイこと言いっこなし! たまには良いじゃないすか」

「美味しいもの食べないと、やる気だって出ませんよ、隊長」

「な、何をバカなことを……あ、テメエら!」


 ふと見れば、自分の部下たちまで既に席に着いて、洗面器並みの大きさのどんぶりに盛られた蒲焼丼をカッこんでいる。


「隊長、こんな美味いモンは初めてです!」

「し、幸せっす!」


 唖然として見ている隊長の目の前に、大盛りの蒲焼丼が差し出される。


「……本当に、要らないんですか? アタシが代わりに喰っちまいますよ?」


 意地の悪い笑みを浮かべたピアッツァが、隊長を見上げる。とても署の食堂から提供されたとは思えない蒲焼丼の見た目と匂いが、隊長を直撃する。生真面目なアンドレ隊長をしても、その誘惑には抗うことは出来なかった。思わず箸を取って一口、口に入れる。


『ウマイ』


 頭にはその言葉しか浮かばない。芳醇なタレと適度な火力で焼き上げられたシーサーペントの身の濃厚な肉と脂が、ふっくらと炊き上げられた米と一体となって、口の中でシンフォニーを奏でる。その調べを味わった瞬間アンドレ隊長の心のタガが外れた。初めは一口、もう一口と口に入れていく度にスピードが上がり始め、ついにはどんぶりを持ち上げてかき込み始めた。


「うおおおおおおおお! 手が! 箸が! 食べるのが止まらねぇ!」


 食堂内でそんなやり取りが交わされる間にも、次々に署員が訪れてくる。うわさを聞き付けた近隣住民までもが訪れてもマスターの勢いは止まらない。


「マスター、追加五人前です!」

「了解! ポイズン、ドンドンご飯よそっていけよ!」

「了解です!」

「岩子! 火加減には気を付けろよ、焦がしちゃあ元も子も無いからな!」

「ガッテンです!」


 厨房の戦争のような騒ぎと、署員の食事の喜びに満ちた食堂の様子を眺め、アイリーンはひとり笑みをこぼしていた。

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