バズらせたい秀才(202X.6.XX)

その日は近況報告を兼ねた食事を終えたあと、フーディエが翌日早いと言うのでテッペンを越える前に帰路についた。半蔵門線のホームで少し遅延した電車を待ちながら、昔好きだった小説の話をした。フーディエは飯田譲治の『NIGHT HEAD』が好きだったと言い、超能力者がいかにひとびとから恐れられ、遠ざけられ、どんなに優しい心根を持っていても社会生活のなかで不遇な立場にあるかを語り、途中でおれがその当事者だと言える(かもしれない)ことに気がつくと、少しばつの悪そうな笑みを浮かべてはにかんだ。フーディエは「使い方によっては他人を深く傷つける可能性がある力を持ちながら、それを『使わない』という選択肢を持っているひとはすごい」と言った。

「でも本当に、自分や自分の大事な存在を傷つけられたときに、ほんのちょっとでも反撃できる力がある、その力を使うという選択肢を持っているっていうだけで、羨ましいなと思っちゃうんだよね」

当事者からしてみたら無責任な憧れなんだろうけれど、と、フーディエは目を細めて微笑む。灰色のマスクと避けた前髪の間から覗く目の下に、涙袋が盛り上がった。楽しそうに話すフーディエの姿を見ていると、おれは決して無責任な憧れだなどとは思えなかった。なんの意味もなく所以もなく今までおれの人生に影を落とし、実の父親にすら捨てられる理由となり、この陰気で嫉妬深い性格を形成するに至った最大の原因であるこのクソの役にも立たない在り来りな厄介事も、こちらの世界線ではこんなに魅力的な人物からも羨望を受けるような〝超能力〟になってしまうのか。おれは寧ろ自己肯定感とやらがむくむくと活気を取り戻していくような心持ちになり、乗り換えの九段下まで好きな本の話に花を咲かせた。フーディエはホラーやミステリのほかにも桜井亜美や藤野千夜、最果タヒも読むのだと言っていた。お互い長年愛読している京極堂シリーズの話題で盛り上がり、危うく降りる駅を間違えそうになってしまった。そういえば京極夏彦を読むようになったのは学生の頃、誰かにあの人間を殴り殺せそうな厚さの文庫本を借りたのがきっかけだったような気がするが、はて、あんなもの誰が押し付けてきたのだろうか。

その後のことだが、想像通りフーディエは瞬く間に人気ミュージシャンの仲間入りをすることとなる。ある日突然、彼が知られた最初のきっかけだった曲『お前の話なんて聞いてない。』が、様々なミュージシャンによってカバーされるようになったのだ。

彼のようなシンガーソングライターや元ボカロPなどだけでなく、動画サイトで人気の地下アイドル、何を勘違いしたか歌手デビューした系の動画配信者、配信の加工フィルターを絶対に外さないタイプのネット活動者、ヴァーチャルアイドルからばあちゃんの方がよく知ってそうなベテランの演歌歌手まで。動画サイトで親しまれている色々なタイプの人間たちが、あの情念に満ちたロックをめいめいのスタイルで演奏していた。当然ながら各人のフォロワーは多分フーディエよりも多いから、再生数はうなぎ登り。確かにあの曲のMVだけは異様な人気があったが一体何があったのかと仕事用PCのメールボックスを検索してみると、やはり案の定と言うべきか、彼の名前を冠したプレスリリースが届いていた。サイレンレコードと今人気の音源配信サービスの連名で届いていたそのメールの添付ファイルには、「最も新しい感性を持つ注目のミュージシャンの音楽をより幅広い層にリーチさせ、その楽曲の持つ可能性を広げる試み」だとかなんだとか書いてあった。要は売り出し中の新人であるフーディエの知名度を上げるために、いろんなミュージシャンやら配信者やらに金を払って彼の曲をカバーさせたということだ。フーディエよりもずっと有名な配信者や演歌歌手のファンが彼の曲を耳にすることで、彼という存在をより多くの人間に知ってもらおうという魂胆だろう。そんな小賢しいことしなくてもフーディエほどの才能があれば間違いなく遅かれ早かれ人気のあるミュージシャンになるだろうに……しかし、確かにこの同時多発カバー大会とでも言うべき試みは実を結んだのか、レーベルや大会社の思惑など何も知らされていない音楽ファンたちはフーディエの存在を知ることになったようで、彼の動画チャンネルやSNSのフォロワーは日に日に増えていった。原曲の再生数も当然右肩上がり、更に深夜に放送される音楽番組で売れっ子の音楽プロデューサーが〝これから売れる次世代ミュージシャン〟としてフーディエを紹介したのだから決定的だ。それまで弊社ではスルーされていた売り出し中弱小シンガーソングライターだったフーディエの名前が、クラウド共有のカレンダーを利用したニュース作成のタイムテーブルにある日突如追加されていた。おれはフーディエがこの夏にミニアルバムをリリースする予定で、来月には都内某所でゲリラライブを行うというニュースを複雑な感情で作成した。弊社サイトの公式SNSに指定の時間に無事投稿された、ニュースのリンクと見出し、ハッシュタグが貼られたポストは当日にはさすがに数十いいね程度にしか伸びてはいなかったが、実はその二日後の金曜に起こったある出来事をきっかけに、そのニュースの閲覧数が十倍以上に跳ね上がることとなる。

一部の界隈で人気があるらしい――おれは生憎存じ上げなかったが――ネット上で活動しているアマチュア小説家が、木曜の深夜に投稿したポストが少しだけバズった。おれもバイトの激務に疲れていた専門時代などには少しだけお世話になったがすぐに飽きてしまったような、不思議の国のアリスよろしくRPGの世界に転がり落ちた冴えない主人公がハイレベルなミラクルパワーを持参していたが故に魔物相手にも負け知らず、エルフや淫魔の美少女にもモテてウッハウハ! みたいな散文ばかりを書いているらしいそのひとは、きっと何も考えずにただインターネットの沼の底にボヤキを流したかっただけだったのだろう。内容としては、「一瞬で目を引くイラストや漫画、耳に勝手に入ってくる音楽や情報量の多い映像に比べ、消費するのに少し頭と時間を使うことになる小説はバズるのに不利」というようなものだった。数千いいねを集めたその投稿はまあ確かに、ものを書くことを嗜みつつ音楽をやっている身としてはわからんでもないなと思わされる迫真性があったが、その翌朝――金曜日にそれを引用するかたちで投稿されたとあるポストは、その元投稿のインプレッションを優に超えて数万のリアクションを集めていた。

「音楽はイヤホンを刺すという労力が必要だし、イラストや漫画では匂いや手触りの描写が難しい。映像だって音を出さずに観るひとも多いから、どうせ全てが一瞬で伝わるわけがないはずです。文章は読むのに労力がかかるけど、視覚情報だけでなく匂いも音も全てを言葉で相手に伝えることができる。だから何がいい悪いじゃなくて、それぞれに利点と欠点があって、それが面白いんだと思うよ」

そのド正論なポストは、黒いレースのマスクで顔を半分隠した、アッシュカラーの髪の少女にも少年にも見える自撮りアイコンから投稿されていた。フーディエのプライベートアカウントである。

半ばバズツイに乗っかる形で爆裂な反響を呼んだフーディエのその投稿は、しかし本人としてはそんなつもりは一切なかったようで、内容は彼の本来持ち合わせる性格の良さが現れているド正論に違いはないし、瞬く間に増えていくインプレッションに本人が一番驚いていた。「なんかすごいリアクション来てるんだけど……曲を聴いてください! 私は歌手なので」と汗の絵文字とともに最新曲のリンクが該当ポストへの返信という形で投稿され、その数時間後には友達に助けを求めてみようとでも思ったのか、一緒に曲を作ったときに作成された我々HAUSNAILSのメンバーとのグループトークに「通知止まらなくなっちゃった」と連絡が来た。暇なのかマメなのか三秒で返信してきたフッちゃんは「すげ!!!!!! 今いいねしてきた」と励まし、九野ちゃんは「もっともですねえ」「これはバズらない方がおかしい」と妙に知的なコメントにニコニコの顔文字を添えて返信し、おれもそれに同意した、が、SNSで積極的に引用やリプライなどして絡みに行くようなメンバーは終ぞ現れなかった――当然、おれも含めて。

単純に羨ましかったのだ。バズったのがたとえ曲じゃなかったとしても……いや、寧ろこんな在り来りな正論がちょっとしたきっかけでバズるなんて、そもそも彼自身に人気があるからだというのは周知の事実だ。こんなド正論をぶちかましても、今のフォロワー数二千人程度のHAUSNAILS公式アカウントではこうはいかない。我々メンバーアカだって、アイドル時代のファンがついている九野ちゃんが一番多くて千人、バンドマンの知り合いが多くサポートギター活動が盛んなフッちゃんで七百人、おれなんかフロントマンだというのに六五五人だ。最近読者が増えてきたこのブログで正体を明かせば少しは足しになるかもしれないが、そこまでリスクを取る気はしない。一躍時の人なフーディエがメジャーデビューする前にコラボなぞしていた我々からすれば、さも友人気取りであの投稿に反応することで世間から〝なんか人気あるっぽい若手ミュージシャンの仲間〟として認知される→おれたちの注目度もつられて上がる! なんて浅ましくも期待したくなるところではあるが、それだけはバンドマンとしてのちっぽけなプライドが許さないというのが、どうやらメンバー全員の総意のようだった。

しかし一方でおれは、先日のフーディエと過ごした夜のことを思い出していた。

おれが書いているこの肥溜めのような記録を、フーディエは「面白い」と言った。勿論、Funではなく、Interestingの方だ。おれを長年苦しめ続けたこの性質が、もしもこの世界では誰かを楽しませ、あまつさえ羨ましがられるようなものなのであれば、こいつを使ってバズでもなんでも起こしてやれたらどんなにか快感だろう。たとえ作りもの、エッセイという体のフィクションだと捉えられたとしても、おれの些末な神経衰弱がポップなエンタメとして受け入れられたならどれほど痛快だろう。それでバンドの知名度も上がれば万々歳だ。銀糸の緞帳のような前髪の奥で光るフーディエの目を思い出しながら、おれは静かに仕事用のPCに向き直った。


一度は鎬を削り合った相手が自分たちよりもずっと凄まじい剣豪へと変貌を遂げていく様を見せられる気分は、おれたち……もとい、おれのような野心にまみれたバンドマンにとっては拷問に等しかった。HAUSNAILSはふたたび自分たちだけで音源を作ることにした。フーディエからもらったノウハウを活かし、より一層ポップさとエモさを両立した曲を作り、メジャーだろうがインディーだろうが再びエライヒトの目に留まれば、ネットだろうがライブハウスだろうが名を馳せるチャンスはあるだろうと考えたのだ。いや、考えたなんて高尚な言葉は選べない。このときのおれは曲を作り、ライブに出る、それさえしていればいつかは結果が出るだろうという根拠のない自身に縋ることしかできなかったのだ。フッちゃんや九野ちゃんはそれでもフーディエとのやり取りは続いていて、SNSでの絡みもなくはなかった。ハコやスタジオで合う彼らの表情はいつも通り明るく、互いに最近聴いた音楽や面白かったアニメやドラマ、仕事の愚痴などを各々訥々と交わしながら今まで通りの時間を過ごしていた。心底音楽やバンドが好きな奴らなのだ。心臓の裏側をじりじりと焼くような、嫉妬と甘い期待の入り混じった痛みを、怠惰な労働と「続けていればいつかは実を結ぶかもしれない」という根拠のない希望を込めた音楽活動でごまかしながら過ごしているのは、バンド内におれしかいないようだった。

捩れた野心を胸に秘めて週末ごとにライブの予定を入れ、時間を惜しんで作詞をし、家では集中できないのでスタジオで作曲作業を進める。家を出ようとすると、夜勤明けの母親の眠たそうな声が背中に投げられた。

「最近よう遊びに行くねえ。バンドはどないなっとんの?」

今日は気圧の変化もなく、日々鼻腔をくすぐってきた花粉の量も落ち着いた頃。珍しいほどに体調がよくお日柄も良くいい曲ができそうだったのに最悪だ。胃が痛くなる。嫌味なのか、いや、この単純な……よく言えば竹を割ったような性格で職場では同僚にも入院患者にもそこそこ好かれているお局様には、嫌味なぞ言えるような脳はない。ここ数週間、毎週末出かけるおれを、本気で毎週末遊び歩く親不孝息子だと思っていたのだろう。ここで声を荒らげてしまってはこの母親にしてこの子ありだ。因みにに来てから母親が家電を壊している様子は見ていないが、先日おれが代えてやったばかりのトイレの電灯は、一度スイッチを入れ直しただけで破裂させていた。

「遊んどるわけやないんやけど。今からスタジオ」「あらあ、そうなん?」やはり、完全におれが遊び歩いていると思い込んでいたようだ。平日も真夜中に帰ってくるのに、休日まで寝る間を惜しんで遊ぶほどタフでもないし薄情でもない。しかしこのひとはおれがやっている音楽などには大して関心はないようだから仕方がない。

その昔バンド少女でナゴムレコード系のミュージシャンの追っかけをしていたオカンは、自分のお下がりを使って一生懸命弾き語りを練習する中学生の頃の息子を可愛くて仕方ないといった面持ちで見守ってくれていたものだが、高校に進学し、悪い友人たちやインターネットの影響で歌謡ロックやらマスロックやらボカロックやらとよくわからぬ細分化されたジャンルのロックを愛好し始めた息子のことが、遂によくわからなくなってしまったようだった。よくわからぬ生き物となった息子には今までほどの関心は示せない。息子はどうやらプロのミュージシャンを目指しているみたいだし、人前で演奏したりもしているらしいが、当然テレビでも見かけないしネットニュースにもなっていない。このままじゃあどうせそのうち諦めて、私に泣いて寄り縋ってくるに違いないだろう。それまでは仕事を続けて微額でも家に金を入れてやるが、いい加減で早く諦めて正社員になってほしい。できれば可愛くて従順な嫁でも貰ってくれ。母親の本音なぞ、どうせこんなもんだろう。ましてや自分自身もプロを目指したくせに叶えられず、そのまま就職して嫁に行ったひとの考えることなんてそんなもんだ。以前なんか、「本当に売れるつもりならもっと派手なことしないとあかん、ドラムセット壊すとかステージで米炊くとか」って言われたこともあった。いつの時代の話やねん。

母は玄関にかけられた目隠しの暖簾を少し捲って、ドレープのかかった『にんげんだもの』の隙間からひょこっと顔を出した。「一体いつんなったらお母ちゃんのこと、武道館に連れてってくれるんやろねえ」

はいはい。「武道館にでも紅白にでも東京ドームにでも連れてったるさかい、今日は夕飯いらんから」

あらそう、と言い、オカンは天然パーマのボブカットをおさえながらふたたび相田みつをの暖簾の奥に消えていった。余計なお世話や、おれかてわかっとるねん親不孝なことぐらいは。出かける前に不愉快な気持ちになってしまった、しかし今日はこれ以上に悪いことはきっとないだろうとお得意の強迫観念を利用したご都合解釈で自分の機嫌を取っていく方向に切り替えたが、なんとなく部屋の中が気になり暖簾を捲って目をやった。

どん詰まりの居間でもう十五年は使っている座椅子に腰掛け、へえ、と間の抜けた声を上げるオカンの視線の先にあるテレビ。おれが藝大の受験を諦めたことにより浮いた学費で買った薄型三十インチに映し出されていたのは、最近流行りの〝多様性を考える〟的なテーマの特番のようだった。スカスカな週末の真昼の番組枠を埋めるためだけに存在するような毒にも薬にもならない類の番組だろうが、そこで紹介されていたSNSでのバズ投稿におれは目を見張った。

PC画面をスクショしたようなものがでかでかと映し出されたその映像の右上には、小さく『ヴィーガンというライフスタイル 誰にも押し付けないで』というテロップ。最近ややキナ臭い界隈のひとたちが過剰に自分の食生活を正当化し、一般人を批判するような押し付けがましいSNSでの発言なんかが定期的に炎上している様子がおれのようなパンピーの目にすら留まることがあるわけだが、それに際して話題になった投稿が取り上げられているらしい。その投稿は、「最近自分のライフスタイルを他人にまで押し付けるようなひとたちが目についてすごく心配になる 色んな理由で食べない自由を保証されているのだから、食べる自由だって受け入れてあげないといけない」と、尤もな正論が綴られていた。まさかと思ったが次の瞬間画面に映ったのは、そのまさかだった。フーディエが、大きな不織布マスクをつけてリモートインタビューに応じている。

番組スタッフのPCを介した映像だからか、やや画質のぼけたフーディエは、インターネットを利用するいちヴィーガンとしてインタビューに答えていた。右横に縦書きで綴られた『シンガーソングライター フーディエさん(23)』の文字。愛好する音楽や本やテレビ番組なんかからまあだいたいそうだろうとは思ったが、やはり同い歳だったのか。ていうか公表しとったんか?

座椅子に身を預けて寝てんだか起きてんだかもわからん状態になった母親は、縦書きのテロップを読んだのか「へえ! この子あんたと同い歳やて!」と言う。

「シンガーソングライターなんや、あんたとほとんど同業者やんなあ。随分しっかりしとって、世の中の役に立っとるわァ」

母親はノールックでちゃぶ台に手を伸ばし、常設している藤籠の中のガーナチョコを手に取った。特売で一枚八十五円。

フーディエはテレビに出るのは初めてだから緊張しますね、などと笑い、睫毛を羽虫のように瞬かせながら、慇懃なスタッフの質問にゆっくりと、言葉を選んで応じている。

「私はこのとおり決してマジョリティではないので、食生活だけでなく全部のことにおいてみんなが寛容になれればいいなと、日頃から思っています」

甲高い音を鳴らして板チョコを齧ったオカンが言う。「うーん、一見女の子みたいやけど、男の子やな、この子」

野暮なババアやな。口の中で言葉を噛み砕き、暖簾を閉めて玄関を出た。口の奥の方、奥歯の手前で、チョコレートよりも苦い味がする。


食いしばりすぎて欠けた奥歯の細かな欠片を、駅のホームの自販機で買ったほうじ茶で飲み下しながら下北沢のいつもの安スタジオへ向かう。最近は売れっ子になりつつあるフーディエから学んだノウハウを活かしながら、また三人だけで曲を作り始めた。まずは配信で出せるような曲を一曲、フッちゃんの曲におれが歌詞を当てて作ることになった。ちょっとでもウケれば九野ちゃんがまたMVを作ってくれる作家を見つけて来てくれるらしい。あわよくばその曲をメインに据えてEPでも作り、ライブ会場でまず販売するのが目標。上手くいけばタワレコだとかヴィレヴァンだとかの販路を頼って全国流通……まではまだ言わんが、これぐらいの野心を抱いても罰は当たらんだろう。

オケは先週粗方録れたから、その日は主におれのボーカル録りが山場となっていた。マイクが消毒されているのかすら少し不安になるような、ボロボロの革ソファに腰掛けたフッちゃんにブースの外で見守られながらボーカル録りを進める。九野ちゃんは休日出勤で全休が取れなかったため夜から来るのだと言っていた。それまでにはカタをつけて三人で飲みにでも行こう。

譜面台に置いた歌詞カードと時折にらめっこしながらレコーディングを進行していく。少し前まで、おれは録音の際に歌に感情を込めることを避けていた。ライブでもお客が多くて盛り上がった現場では思わず歌詞を飛ばしてしまうことも多いタイプだから、感情的になりすぎないよう心がけているという点もあるが、ガラス張りの個室にひとりで押し込められた、動物園のゴリラのような状況でまるでステージの上のようなオーバーアクションで歌うなんて、気恥ずかしくてできなかったのだ。そのせいでライブ後のアンケートやSNSではよく「ライブの方が音源よりいい」「ライブの良さが音源で伝わってこない」なんて言われることもあったが、どうせ上手い歌を解さない、ロックバンドにアツさばかり求める手合いの戯言だろうと高を括っていた。バンドを始めたばかりの頃はもっと感情を込めて歌っていた気もするが、どうやら、誰か身近な存在への反抗というか、逆張りだったのが癖になってしまったような気がする。……はて、誰への反抗だったろうか?

なんてことを考える暇もないぐらい、その日のおれは今までと少し違っていた。当然、歌詞だけはなるべく飛ばさぬよう集中するが、ライブと遜色のない歌い方を意識するようになった。元々声はデカい方だが、たったの一曲だ、余力を残す必要もないので腹から思い切り声を出す。今回の曲は今までよりもBPMを少し落として、フッちゃんのシブいブルースギターを活かす構成になっている。歌詞のテーマは二時間ドラマにした。家族の影響で昔から毎週家のテレビで市民権を得ていた二時間ドラマ。あの、村に伝わるわらべ歌に準えてひとが殺されたり、風情豊かな温泉地で復讐に燃える美女が暗躍し次々と殺人を犯したり、最後に刑事や探偵が犯人を崖に追い詰めて涙ながらの自白を待ったりする、日本古来のエンターテインメント。時代遅れになったのか最近は一向に見かけないが、あの胡乱な世界観、飄々とした探偵役の快刀乱麻を断つ推理、純粋な勧善懲悪では語れない物語がおれはなかなか好きだったのだ。ひとにわかってもらえずとも、ダサいと思われても、それでも好きなものは好きだという気持ちを、不敵なロックに込めようと思った。フッちゃんも気合いが入っていたのか音域がめちゃくちゃ広い曲なので、なにくそと思いながら苦手な高音も思い切り張り上げる。シャウト一歩手前のハイトーンに、デスヴォイスが特技で良かったと思った。敢えて喉を絞り、ノイジーな低音を鳴らしてみたり、サビのロングトーンでは両手を広げて心身共に解放を試みる。HAUSNAILSは結成当時からレコーディングは一発録りだから途中でとちったら最初からやり直し。合間に休憩を挟みながら五テイク目でやっと納得のいく仕上がりが見込めた。一度も歌詞を飛ばすことなく、それでいて目の前に観客がいるかのような気持ちで歌う。そう、おれたちと初めて演奏を合わせた日の、フーディエがそうしたように。

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