第36話 かわゆい兄さん

 戻るなり、村人が息を切らせて走ってきて、俺への来客があると告げる。

 感慨にふける間もなく、新たな事件が起きる。つ、次から次へと、どうしたんだってばよ。

「すぐ行くよ」

 来客はハクの家の前に置いたベンチに座って待っていた。

 その人は青を基調にした特徴的な魔術師ローブを身に纏っている。あのローブは王国で魔法を使う者全ての憧れといっても過言ではないものだ。その証拠にローブには特徴的な星と月をあしらった紋章が刻まれていた。星と月は王国の魔術の象徴で王国最高の魔術師機関『宮廷魔術師』だけが纏うことが許されたローブである。

 ツンと尖った革靴に鮮やかな赤色の長髪にパチリとした目をした愛らしい少女。種族は人間で年の頃は……俺は実年齢を知っている、『彼』は十三歳でもうすぐ十四歳だ。僅か十歳にして史上最年少で宮廷魔術師となった魔術の申し子『リュック・オイゲン』その人であった。

 俺を見るなり彼は勢いよく立ち上がり、駆けてきて俺をぎゅうううっと抱きしめる。

「ティル! ティルうううう」

「に、兄さん、痛い」

「ティルが攫われたって父様から聞いて、ハクロディアに戻ったんだ」

「お、俺なんていてもいなくても……」

 そう、この少女にしかみえない少年は俺の実の兄なんだよね。

 自分は兄から何故か異常に慕われている。魔力のない伯爵家の落ちこぼれである俺に、だ。

 ハクロディアを散歩していた時、来客の貴族連中から俺のお荷物だという会話を何度も盗み聞きしていた。

 父もまた俺を愛してくれて、俺が必要無いなんて一度たりとも口にしたことはない。

 それが、逆に辛かった。いっそ疎んでくれれば必死になって何とかしようとしなかったし、アルティメットを開発して絶望することもなかっただろう。

 俺は役に立ちたかったのだ。兄ほどではなくとも、せめて家名を傷つけない程度に。

 父も兄も優しいから彼らのためにもお荷物になりたくなかった。一人、遥か遠くの土地に放り出された時には幸運だとさえ思ったんだ。

 この流れなら家の名誉を傷つけずに離れられるってね。

「何言ってるんだ、ティルを王国の宝を、帝国に出すものかと僕だって頑張っていたんだぞ」

「言ってる意味が……」

「ティルがせめて十二歳になるまではのびのびと育って欲しいって父様が口止めしてたから言わないでおいてよ」

「あ、うん」

 頬を紅潮させて必死に訴えかける彼の姿から嘘を言っているようには思えない。全然話が繋がらないのだけど、彼の勢いに押され頷くことしかできないでいた。

「帝国大学の魔術学部がティルを狙っているんだよ! 僕のティルを。ティルだって王国大学がいいよね」

「良いも悪いも、意味がわからないよ。お荷物の俺がなんだって」

「お荷物? 誰がそんなことを。……分かった。ティルを渡すまいと牽制したんだな」

「いやいや、待って、ちょっと頭が追いつかない」

 右手を前に出して、可憐な兄を押しとどめる。

 素直に彼の言葉を信じるなら俺は最年少で世界最高峰の学術機関『帝国大学』に招かれるとなれば伯爵家にとっても誇らしいことだ。

 本来の付与術を発動できない落ちこぼれの俺が? 意味が解らないだろ。

 余談であるが、大学に入るには年齢制限がある。つまり、最年少での入学とは十二歳での入学なのだ。

「ティルの先生から聞いたよ。新しい付与術を開発したんだってね。さすが我が弟だよ!」

「そうだけど、下級付与術と比べても……だったよ」

「魔力が足りないんだから当たり前じゃないか。ティルの才能はそこじゃないだろ」

 魔法を使うことと魔法を新しく開発することは別の才能であり、どちらも素晴らしいものだ、と彼は言う。

 宮廷魔術師は魔法を使う高い才能が求められるのに対し、大学機関は宮廷魔術師を輩出することも目的の一つであるが、魔法の研究が最も重要で大学の格を示すものなのであると。俄かには信じられないが、俺はお荷物ではなかったのか?

「ティル」

「ごめん、ハク。兄さん、後でまた」

 兄の勢いに押されていたが、今はやらねばならぬことがある。兄がここにきた目的は聞かずとも分かったからね。

 村人はみんな俺たちの報告を待っている。

 俺が兄ときゃっきゃしている間にできる子シュシが村人にヒジュラであったことを語っていた。

 あれ、俺もう説明することないんじゃね?

 村人はシュシに任せて、俺は俺で次の計画を練ることにしよう。そこでふと傍らにいるハクと目が合う。

「体の調子はどう?」

「戻ってきた」

「ここからでもジンライの気配を感じ取れるのかな?」

「うん、今なら」

 体調のよくなかったハクがジンライの来襲に備えられるように、と彼女をヒジュラまで連れて行って正解だった。

 案を出してくれたマルチェロに感謝だな。

 おっと、彼にも用事がある。まだ小屋の中で寝てるかもしれないから、寝てたら夜に彼と作戦会議をしたい。

「よお、戻ったのか」

「起きてたんだ」

「まあな、さっき起きたばっかだが。ガハハ」

「さっそくなんだけど、相談したいことがあるんだ」

 わかった、と親指を立てる彼であったが、目線が俺じゃなく頭越しに他のところに行っている。

「あの嬢ちゃん、お前さんの知り合いなんじゃねえのか。さっきからずっとお前さんを見てるぞ」

「俺の兄なんだけど、後で紹介するよ」

 紙とペンがあればもっと作戦会議をしやすいのだが、ないものねだりはできん。いずれ街まで仕入れに行こう。

「どうやってジンライを観察しながら凌ぐか、ずっと考えてて、思いついた案があるから聞いて欲しい」

「ほおほお。楽しみだ」 

「ハクはアガルタから動くことができない。灯台下暗しだったんだ」

 洞窟を探して避難するんじゃなくて、アガルタは崖の下にあるわけなので横穴を開けて中を掘り進めばいいんじゃないかってさ。

 付与術で強化したスコップなら軽々と岩を掘ることができるから。

 こんな単純なことをすぐに思いつかないとは……。穴掘りは崩れてくる可能性もあり一筋縄じゃいかなさそうだけど、地下室を作るよりは断然難易度が低いはず。

 さっそく掘ってみるか。善は急げと言うし。

 動き出そうとしたところで兄のリュックに肩を掴まれる。 

「ティル」

「兄さん、もうちょっと」

「一秒でも長くここにいたいのだけど、残念ながらできないんだよ」

「ん?」

 突如下から拭き上がってきた風に髪の毛が煽られ目を細めた。

 どこから風が? と疑問に思うやリュックの体が浮き上がり、あっという間に彼の足が俺の頭の上までになる。

 長い髪がふわりと舞い上がりローブもバサバサと揺れたまま、パチリとキュートに片目を瞑るリュック。

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