最終話 最後の握手会
全国握手会会場、今日も多くの人でごった返し身動きができない程の状態となっていた。大混雑している状態だというのに人々の表情は一様に明るい。
アイドルに魅了され、そのメンバーと直接会って握手し、会話を交わすことができる。その瞬間を心待ちにし胸をときめかせているのだろう。
複雑な表情をしているのは僕くらいだろう。
会いに行けるアイドルだったのに、しかもメチャクチャ簡単にいっぱい会いに行けるアイドルだったのに、今やこれだけの人を魅了するアイドルになってしまった。
個別握手会は参加しなくなってしまったが、全国握手会には参加してくれている。ヲタとしては大混雑していても、参加しない訳にはいかないだろうと思い訪れてみたのだが、、。
握手会会場内に入るまで3時間、推しのレーンに並び推しの前に行くまで1時間半、ループし推しの前にまた行くまで1時間ほど掛かった。
しかもループして並び直している途中で「本日の受付は終了しまーす」とのアナウンスが聞こえてきた。
計5時間半並んで2回握手しただけで終了。
話したいことは沢山あるのに焦ってしまい、ほとんど何も話せず剥がされて終わり。他の方々はこれでも十分並んだ甲斐があったと思うのだろうが、昔のことを知っているだけに複雑な気持ちを抱えながら帰宅することに。
そもそも僕はなぜアイドルヲタになったのだろうか。離婚して寂しい気持ちを紛らわせるためだ。
推しを応援できなくなってしまった寂しさから逃れるには、推しを変えて、応援しているグループを変えて紛らわせるしかない。
早速、応援していこうと思っていた次世代ユニットの今後の日程を確認すると、近々ニューシングルのリリースイベントがあるもよう。
場所は23区外のショッピングセンター。リリイベは行ったことがないのでどのような内容なのか分からないが、これに参加して気分を紛らわせるしかない。
当日、リリイベ開始時間のどのくらい前に行けばいいのか分からなかったので、1時間ちょい前に現地に到着するように来てみたのだが、訪れている人は普通の買い物客ばかりでファンっぽい人の姿は全く見当たらなかった。
店舗入り口に表示されているフロアガイドを見ても、イベントスペースなどまったく見当たらない。
「場所間違ったか?」
サイトに飛んで確認するが間違ってはいないようだ。アイドルがこれからイベントを行うというのにこんなに静かなものなのだろうか。
取り敢えずショッピングセンター内を散策してみることに。
ぐるっと回って反対側の出入り口付近に到着したとき、イベントを行うようなスペースが形成されている場所を見つけた。
一角がロープで囲われていて中にはステージと、50脚ほどの椅子が並べられている。
「えっ!質素すぎない?」
つい先日、多目的イベントホールに入りきらないほどの人を見ていただけに、絶句してしまった。
周りにファンらしき人の姿も見られない。本当にここでリリイベを行うのだろうか。
ファンの人の気配が感じられないのでもうしばらく散策し時間を潰すことに。今度は上の階にも行ってみようと思い、階を上がりウロウロしているとCDショップが見えてきた。
特に用事はなかったのだが、推しのいるグループのCDはないかと覗いて見ようと思い店内に入ろうとすると、次世代ユニットのイベント開催決定と本日の日付が書いてある看板が掲げてあった。
「やっぱりやるんだよな。人いないけど」
店内を一周し先ほどのイベントスペースに戻ろうと思い、下の階に降りようとしたときユニットのメンバー達が上がってきたのでビックリした。
スタッフの方に先導されメンバーが続々上がってくるではないか、衣装姿で自分達の存在を隠すことなく、メンバー同士で戯れ合いながらキャッキャ、キャッキャ言いながら上がってくる。
メンバーとこんな近距離で、接近遭遇するなんてビックリなんですけど。
思わず商品棚に隠れた僕の目の前を通り過ぎると、メンバー達は先ほどのCDショップの方に行き、掲げられていた看板にサインをしているようだった。
サインを終えるとまた僕の目の前を通り過ぎ下の階へと降りて行く。推しのいるグループだったらファンに囲まれて大変なことになりそうなのに、ちょっとセキュリティー甘すぎませんか?
追いかけ僕も下の階に降りて行くと、ファンの方の姿がチラホラ見受けられるようになっていた。多分この前をメンバーが歩いて行ったのだと思うが、なんの騒ぎにもなってないって民度高すぎません?
ファンの方々が節度を持って接しているのにビックリ。
ファンの方が少しずつ増えてきているような感じがしたので僕も近くで待っていると、スタッフの方が来てCDの販売を始めますとのアナウンスが。
CDの販売と言っても発売日はまだ先なので、用紙に住所と名前を記入し予約購入枚数を書いて受付に持って行き、支払いを済ませるとイベント参加券がもらえるとのことだった。
まだメンバーのことを何も知らないので、今回も握手券として使うのは止めておき、写真撮影券として使う予定だ。
イベントが始まるとまず楽曲披露が始まる。距離感の近さに驚き腰が抜けそうになる。曲は知らない曲ばかりなのでイマイチ乗り切れなかったが、目の前で繰り広げられる歌とダンスに大興奮。
いや、もうこっちで十分でしょ。混んでなくて快適だしサイコーじゃん。
楽曲披露が終わるとまずメンバー全員と集合写真を撮るので希望者はいないかとのアナウンスが聞こえてくる。自分を中央にしてメンバーが並び写真を撮ってくれるのだそうだ。
お願いしようと思っていたのだが誰も手をあげなかったので躊躇していると、一人希望してくれる人がいたので自分もその後に続く。
「助かったー」
一人では絶対無理だった。
メンバーが並ぶ中央に座らせてもらい、スタッフさんにスマホを渡し無事撮影を終えステージを降りる。
すると今度は「メンバーと2ショットが撮れまーす。希望者はいませんかー」とのアナウンスが響き渡った。
今度は4人ほど希望者がいたので、僕も安心して後について行く。
ステージに上がりスタッフの方にメンバーの名前を伝えると希望したメンバーが僕の横へ来てくれ軽く挨拶をしてくれた。
間近で見るメンバーにメチャクチャ美人だなと改めて思った。可愛いまんまるな目をしていて、ふんわりと穏やかそうな表情を向けてくる。
そしてもう一人メンバーが駆け寄ってきた。その人に撮影してもらうようスタッフさんに言われる。
そのメンバーも美人さんだった。鼻が高く目鼻立ちがはっきりしていて、目がやや吊り目で猫っぽい印象だった。
スマホをカメラモードにして渡すと違うところを触ってしまったのだろうか、写真フォルダの画面になってしまったと人懐っこそうな笑顔を向けてきた。
あまりにも可愛い仕草だったので思わずニヤけてしまう。これだけでもお金取れるイベントじゃんと心の中で思ってしまった。
撮影してくれた娘にも2ショットをお願いし、そしてもう一人お願いし満足してステージを降りようとしたら、ステージ上にはもう僕だけになっていた。
ちょっと恥ずかしくなってしまいながら、慌ててステージから降りると撮影会は終了となり、今度は握手会が始まった。
握手会は前回同様1枚で複数人と握手できるシステムだった。新規ヲタとしてはハードルが高い。まだメンバーのこと何も知らないし、どういう性格なのかも知らない。なので何を話したらいいのか分からない。
このままイベントに参加し続け、いつか僕も握手会列に並べたら良いな。握手しているファンの方の笑顔を見てそう思った。
そんなことを考えているともう列が途切れてしまい「他に希望される方はいませんかー」との声が響き渡り、その後すぐに終了となってしまった。
なんとまー、あっさりしたイベントだったこと。
こんなに美人揃いのグループなのに、なんで人がこんなに少ないのだろうと改めて疑問に思う。プロモーションが足りていないのではないだろうか。
しばらくそのまま追いかけ続け、推しを応援できなくなってしまった気分を紛らわすことができていたのだが、心臓が飛び出るほどの衝撃のニュースが飛び込んできた。
なんと!推しがグループを卒業すると発表したのだ。
ここ最近満足に推し活できていなかったので、卒業しても卒業しなくてもあまり変わりないのだが、やはり卒業と聞くと寂しくなってしまう。
そして落胆していた僕に追い打ちをかけるように衝撃のニュースがまた飛び込んできた。
推しが卒業すると発表された1週間後、なんと!次世代ユニットが解散すると発表があったのだ。
なんだかもう訳が分からなかった。
美人揃いのグループなのだからもう少し活動を続ければ、必ず世間に見つかると思うのだが、やはりあれだけ人が集まらないのではアイドルを続けるのには大人の事情が絡んでしまい難しいのだろう。
「なんかもう、笑うしかないな」
そして推しとの最後の握手会に臨むことになった。
グループを卒業して仕舞えば接触イベントはもう二度とないだろう。あったとしても情報の入手が遅れ参加できないだろう。
グループを卒業して仕舞えば今後の活動の情報の入手は困難になる。それは今までの卒業生が証明してくれている。
間違いなく今日が人生最後の推しとの接触イベントだろう。
何を話せばいいのだろうか、きっと人が沢山訪れているので会話なんてまともにできないだろう。
だからといって『今までありがとう』と言って終わるのも僕らしくないと思った。
その日も多くの方が来場されていたので推しの前に行くまでに何時間とかかりそうだったのだが、考える時間はいっぱいあったはずだったのだが何も適当な言葉が思いつかないまま僕に順番が来てしまった。
推しの前に進むと、表情が一瞬固まったように見えた。
「食いっぱぐれなく生きていけよ」
そんな言葉が思わず溢れてきた。
「そんなこと言って、ファンクラブが出来たらどうせ入ってくれるんでしょ」
推しは僕の言葉に吹き出した後そう言ってきた。
推しがそう言っている間に剥がされ最後の握手会は終了。推しと共に歩んだ6年間は幕を閉じることになった。
推しの夢は女優になること。グループを卒業しても芸能活動は続けて行くようだ。推しはああ言っていたが、アイドルでなくなった娘を追いかけるつもりはない。
だって僕はアイドルヲタなのだから。
ただ推しは推しだ。これからも推しを応援し続けるという気持ちは変わりない。最後にかけた言葉通り食いっぱぐれなく生きていけることを切に願っている。
本当に色々あった6年間だった。間違いなく高級車が買えるだけのお金を注ぎ込んだと思う。
だがその分、僕の人生の中で一番充実した6年間だったと思う。
こんなオジさん相手に神対応していただき、本当にありがとうございました。
絶対に幸せな人生を送って下さい。
そんなことを思いながら帰路についた。
「終わったなー、これからどうしよう」
応援していたグループにはそこから派生したグループが2つある。これからはそのどちらかを追いかけヲタ活をすることになると思うが、これからは単推しは作らず、箱推しで緩く応援していこうと思っている。
終
握手会にハマったバツいちオジ 加藤 佑一 @itf39rs71ktce
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