第15話 久々のゆるゆるな握手会

 僕の応援しているアイドルグループは全国ツアーも行えるようになり、大きな会場でのコンサートも成功させ、着実に知名度は上がってきていた。テレビでメンバーを見る機会も増え、流れは明らかにこちらにきている感じだった。

 

 僕の推しもグループ内で行った舞台公演で躍進した勢いのままに、グループ外の舞台も経験し、グループ内の序列が上がり握手会券も売り切れるようになり着実に人気メンバーの地位を固めつつあった。


 僕が初めて握手会に訪れた時は会場内は閑散としていたのに、会場内は明らかに人の数が増えてきているため、まっすぐ歩けなくなってきている。


 人の合間を縫って進んでいくと推しのレーンが見えてきた。推しのレーンは相変わらず閑散としていた。


 おかしいよなー、何でなんだろ。


 握手会券は売り切れているのだから人がいないはずはないのだが。買われた方はどこに行っているのだろうか。

 考えられる可能性としては券は買ったものの、怖くなってしまい参加できなくなってしまっているとかだろうか。


 本当に何故なのか分からないが、僕の推しはファンの方々に怖そうだと思われている。あんなに小柄で赤ちゃんみたいな顔をしているのにだ。


 閑散としたレーンを進んで行くと、パーテーションの隙間から推しの姿がチラリと見えるようになってきた。


 今日は黒のニットに明るめの色のスカートをコーディネートしているようだ。握手するのに袖が邪魔になっているのだろうか。袖口を少し捲っている。

 それと、髪が落ちてこないようにサイドにオシャレなピンを付けているようだ。一時ミディアムヘアにしていたのだが、だいぶ伸びてきているように見受けられる。


 今日も恐ろしいほどの可愛さだ。


「そのヘアピン可愛いね。似合ってますよ」


 僕の言葉に推しは満更でもなさそうな笑顔を見せると手を差し出してきた。本日一発目の握手だ。

 何度となく握手会に通っているが、その日の最初の握手はどうしても緊張してしまう。


「今日も過疎ってんねー、またファンの人、ビビらせちゃったの?」


 緊張を隠すように強がった感じでそう言った。


「して、ま、せ、んー」


 僕の言葉に肩を動かしながらふふっと笑うと、少し顎を突き出し目を細め睨みつけるようにして否定してきた。


 可愛い仕草に思わず笑みが溢れてしまった。


 こんな可愛い娘と握手できるんだから、券買ったんなら来ればいいのに。来ないなら僕が買うから券買うなよ。と思ってしまう。


 今日の握手会までに色々な出来事があったので話したいことがたくさんある。まず先日行われた推しが単独で参加していた舞台の話をしたいのだが、この舞台が本当に意味不明の内容だった。


 舞台上では終始、言い争いをしたり喧嘩をしているような内容だったのだ。


「あれって結局何だったの?要するに女同士だとすぐに仲悪くなって険悪になってしまうってこと?」


 そう言うと推しは首を傾げ返答に困っている様子。


「途中からさー、ヒートアップしてガチ喧嘩になってなかった?」


「なって、ま、せーーん!あれ、全部台本だから!」


 意地悪く言ってみると癪に障るような言い方で言い返してきた。感情の起伏が激しい、気まぐれな猫を相手にしているみたいだ。可愛くてもっと揶揄ってみたくなってしまう。


「そうなの、じゃあ演技しやすそうな台本で良かったね。いつも家ではあんな感じで暴れてるんでしょ」


「暴れてないわっ!」


 僕の言葉に吹き出した後、強く全否定してきた。


 舞台上には冷蔵庫が置いてあって、冷蔵庫を開け閉めする場面が何度もあったのだが、冷蔵庫の中にはカメラが置いてあって、開けると演者の表情がモニターに映し出されるようになっていた。


「冷蔵庫の中にカメラ仕掛けてあったじゃん。これから復讐してやるぞってニヤってしてたとこ、マジで怖かったよ。あそこは演技じゃなくて素だったんでしょ」


「だから、あれも、台本で、そういうふうに演技してくださいって言われてるのっ!」


「へー、まっ、そう言うならそういうことにしときましょう」


 再び意地悪く言ってみると、自分がアイドルだということを忘れているような表情を向けてくる。


 怖っ!


「そうやっていつも底意地悪いこと考えているから、ファンが離れていってしまうんですよ」


「だからーっ!あれは、エ、ン、ギっ!」


 舌打ちしながら睨みを利かせそう言ってくる。いやいや、いま僕に向けてきている表情のことを言っているんですけど。


 こんな感じだから皆さんは怖いと思ってしまうのだろうか。僕からすると可愛いだけなのだが。


「そうそう、推しTシャツ買ったよー」


「ホントに〜?」


「次の部、着てくるよ」


 最後にそう言って1部目終了。


 推しTシャツとはメンバーがカラーとデザインを考えて制作されたTシャツだ。メンバーそれぞれの個性が出たTシャツとなっている。

 推しのデザインしたTシャツも買ったのだが、それを着てくると見せかけて、他のメンバーのTシャツを着て参加する予定だ。


 着ていったらどんな顔をするだろうか。


 握手会に別のメンバーのデザインしたTシャツを着ていくなんて失礼極まりのない行為だ。

 Tシャツどころか別メンバーの缶バッチやキーホルダーなどの小物も身につけていくのも御法度だ。

 この人、自分が推しメンという訳ではないのだろうなと思われてしまい、対応が雑になってしまうことだろう。


 僕は完全に単推しと認知してもらっているので、あえて別メンバーの推しTシャツを着て参加するのである。


 要するに推しを怒らせて遊びたいのだ。

 

 皆さん怖がっているようだが、僕はあえて怒らせにいっている。怒らせても平気なので、皆さん気軽に参加すればいいのに。



「お疲れー、着てきたよー」


 そう言うと推しは一瞬喜んだ表情をしたのだが、瞬時に曇った。


「それっ!違うだろーっ!」


 Tシャツを指差し睨みつけてくる。


「えーっ!?着てこいって言ったじゃん」


「私のじゃ、な、い、でしょ」


「えーっ!私のじゃないとダメなの?推しTシャツは推しTシャツでしょ」


 揚げ足をとったような発言に、呆れたような表情を向けてくる。


 レーンを出ると着ているTシャツを脱いで、また別のメンバーのTシャツを着て、推しのレーンへと進む。


「ごめん、ごめん、つい間違ってしまって、本当の推しメンのTシャツに着替えてきたよ。気遣いできなくてごめん。どう?これならいいでしょ」


 僕が話している途中で、すでに自分のデザインしたTシャツじゃないと気がついた推しは、僕を蔑むような目で見ていた。


「それも私のじゃ、ないわーっ!」


 わざとらしく違ったかーっ!と驚いて見せた後、不注意で間違えた感を出して推しの前から立ち去って行く。


 再びレーンを出るとまた着替え、別のメンバーのTシャツを着て推しのレーンへ進む。


 今度は姿を見た瞬間に、自分のTシャツじゃないと分かったのだろう。


「それも違うわーっ!」


 僕が口を開く前にそう言ってきた。


「ちょっと後向いてみて」


 そう言って僕の向きを変えさせると、Tシャツの後ろにプリントされているメンバーの名前を確認すると背中をパチンと叩いてきた。


「痛っ!」


「いったい何枚、他のメンバーのTシャツ買ったんだよっ!私のを買いなさい、私のをっ!」


 再び手を振り上げ叩いてきそうな仕草をしたので、逃げるように推しの前から立ち去る。そして再び着替えて別のメンバーのTシャツを着て推しの前に進むと、もう呆れた顔をしていた。


「単推しです。応援してます。頑張ってください」


「どう見ても、単推しには見えないんですけどっ!」


 わざとらしくスッと惚けてそう言うと、脱げよと言わんばかりにTシャツを引っ張ってきた。


 再び逃げるようにして立ち去ると、着替えて推しの前に進む。また別のメンバーのTシャツを着てきたよコイツ。と言いたげな目を向けられたが、気にせず普通に話し掛けた。


「いや、いや、おかしい、おかしい、何普通に話してんの?」


「何で?ダメなの?」


「ダメでしょ」


「痛っ!」


 今度は手をつねられた。


 次は間違いなく本物の推しTシャツを着て推しの前へ進む。


「実はさぁー、人気急上昇中だからさぁー、売り切れてて買えなかったんだよ」


「買えてる、でしょ、じゃあ、これは、なーに!」


 再びTシャツを引っ張り上げられ、怒った感じでそう言ってきた。


 今日は久々に推しとゆるゆるの握手会を楽しむことができた。楽しい時間はあっという間に終了。


 沢山買い込んだ推しTシャツを見ると、今日の推しの姿が頭の中に浮かび上がる。このTシャツがある限り今日の出来事は一生忘れないだろう。


 今日も幸せだった。明日からまた仕事頑張ろう。

 

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