第四話 姫君と私の何気ない日常の一幕(2)
八つ刻になり、姫君とともに菓子と茶に舌鼓を打ちつつ、話に花を咲かせる。
この、姫君と過ごす何気ない時間が、私に取とって何にも代えがたい幸福な時間だ。
「雅時さん、次のお仕事っていつなんですか?」
「私は明日の朝に。また宮中で職務がありますよ」
「そっか。またついて行っていいですか?」
「もちろんです。ぜひ、おそばにいてください」
「私の仕事は次はいつなんだろう?」
何気なく呟いた姫君の言葉に、私は思わず口を
なぜ口を噤んでしまうのか、と問われれば、それは、宮中に住まう方々から姫君に対しての今の在り方に、少々思うところがあるからだ。
姫君にも、お仕事と称して、しばしば宮中から呼び出しがかかる。
神に愛されし姫君を呼び出すなんてだいそれたことを……とも思うが、相手がこの世の
神に愛されし姫君のお仕事といっても、武士や陰陽師たちが立ち向かうような戦や、
姫君のお仕事は、女御様や中宮様、御上のお血筋の方々とのお話相手や折々に催される宴の出席がほとんどだ。
宴の際、そこに神に愛されし姫君がいる、というだけで権威の象徴になるため、宮中で開かれる大きな宴や重要な宴には、たびたび出席を求められる。
しかし大きな宴は頻繁ではないため、姫君のお仕事といえば今のところ、基本的には、女御様や中宮様、または御上のお血筋の姫君とのお話相手が主となっている。
それも御上としては、女御様方にせっつかれて致し方なく姫君を呼び出しているようで、この世の頂きに御わす御上が、いつも申し訳なさそうにこちらを見ている。
やはり御上というお立場であっても、好いた女性には頭が上がらないらしい。
同じ括りにするのは恐れ多いが、お役目としてお守りする姫君を得た今では、私にもそのお気持ちはわからないこともない。
いや、痛いほどわかる。
しかし、それも度を過ぎてはこちらとしても
お仕事と称して、話に花を咲かせたい女御様や中宮様方、好いた女性のために動く御上ご本人はともかく、御上の名を冠して呼び出すが、その本心はただ、神に愛されし姫君に近づきたいだけの浅ましい貴族も少なくないからだ。
現に先程の姫君宛の文のいくつかは、内容も見るに堪えないような身勝手なものであったり、
宮中にはこの国が誇る凄腕の武士や腕利きの陰陽師など、精鋭な者たちが揃っている。
姫君が出席されるような大きな宴は、必ず御上も御わすため、警備も万全な態勢で執り行わられる。
御上や女御様、中宮様やお血筋の方々のそばにも近衛たち武士が幾人も控えているため、強固に守られている。
そういう点では、戦や悪鬼妖の巣窟に遣わされるよりはまだ良い方なのかもしれないが、結局危険を伴うという意味ではあまり大差ないだろう。
姫君が出席する宴も、お話相手として呼び出される高位な方々のおそばも、おそらくこの世のどこよりも悪人に狙われる危険な立ち位置であり、この世のどこよりも万全な警備を誇る安全な場所である。
危険と安全は正反対の立ち位置であると同時に、隣り合わせでもあるのだろう。
――正反対と隣り合わせ、それは何事にも言えることなのかもしれない。
私がともにいられるのであれば、姫君が望むのなら、宮中に行くこともやぶさかでないのだが、何があるかはわからない。
不意の出来事もあるだろうし、時に何らかの事情で離れることもあるだろう。
私のいないところで姫君がつらい思いをしてやいないか、そう考えると心が苦しくなり、仕事に身が入らない。
本来は私としてはできれば、姫君は女性ということもあり、この屋敷の奥に設けられたこの部屋から、あまり離れては欲しくないのだが、姫君のお考えは違う。
なんと聞けば驚いたことに、姫君の世界では、女性でも一人で外に出ることが通常だそうだ。
さすがに夜の一人歩きは気をつけなければならないが、それでも、女性が一人で夜に出歩くこともないことではなかったと聞いた。
この世では信じられないことだと思う。
姫君の暮らしていた場所は、きっと相当平和な土地だったのだろう。
だから、姫君は部屋に閉じこもることをあまり、良しとしない。
姫君がこの世に顕現されてすぐの頃に、女性の外出の危うさは話しておいたので、さすがに姫君一人で何も言わずに
だから姫君は、お仕事にも宮中に行くことにも躊躇いがない。
姫君には、高位な立場に伴う危険性も、今実際におぞましい文が届いていることも、そんな身勝手な貴族が宮中にうようよと跋扈していることも告げていないから、ということもあるのだろう。
もちろん、それらのことをきちんと告げれば、姫君は文句の一つもなく、
しかしそれは同時に、姫君にとって、まだ慣れ親しむことのできていない土地であるこの世に、ひどく恐怖を感じてしまうことになる。
――姫君には出来うる限り、平穏で美しく煌びやかな世界だけを見て、楽しそうに笑っていてほしい。
そう思うのは、私のわがままだとわかっている。
しかし、私には自身の内に巣食ったそのわがままを、消し去ることはできない。
姫君も、自身に何かできることがあるという事実が嬉しいのだろう。
ただ、話に花を咲かせるだけのお仕事でも、宮中に足を運ぶことを、とても喜んでいる。
姫君の喜びを取り上げるような真似はしたくないのだが、危険性を知る私自身はあまり手放しで喜べたことではないのが現実だ。
姫守として、姫君の
姫君の安全を第一に部屋に閉じ込める、姫君の安寧を第一に自由に過ごしてもらう。
何事も正反対であり隣り合わせ、先程私の頭に浮かんだ言葉が私の肩に重くのしかかり、私の思考を
「雅時さん?大丈夫ですか?」
急に黙り込んだ私を心配そうにみつめている姫君に私は微笑み、努めて明るい声で答える。
「……え?……あぁ、もちろん、大丈夫ですよ」
私の顔を、じっと一瞬の間みつめてから、姫君は私の手元を指をさして言った。
「……お菓子、もう一つもらってもいいですか?」
「もちろんです!どうぞ」
私の不安や迷いに気づいたのだろうか。
姫君はまるでわざと話題を切り替えるように、大仰な
「あ!そういえば!この間、にょーご様と話してた時に聞いて思ったんですけど、雅時さんって」
「はい。なんでしょう?」
じっと私の瞳をみつめてくる姫君に、胸が高鳴り、心の臓が早鐘を打つ。
「……奥さんって何人いるんですか?」
「はい?」
姫君から放たれた思いもよらぬ言葉に、静かになっていく胸の鼓動に耳を傾けながら、私は聞き返すことしかできなかった。
姫君は、女御様との会話を思い返すように、口元に手を当てながら、真剣に、少し面映そうにおずおずと、しかししっかりとした声音で再度私に尋ねてきた。
「キタノカタ?がセイシツで一番の奥さん、なんですよね?そのセイシツ、の他にソクシツっていう奥さんがいっぱいいるって、にょーご様が。ちゅうぐー様も、この世界では男性一人に対して、いっぱい奥さんがいるのが普通って言ってたし……雅時さんはどうなのかなぁ?って思いまして……」
この世界のことをまるで知らない、純粋無垢な姫君に、この世のことを勝手に面白可笑しく話している女御様や中宮様の姿が目に浮かぶ。
――まったく。何も知らない姫君に、どんな話をして花を咲かせているのか……。
私は幼い頃に出逢ったただ一人の姫君と、再び
そして、十数年待ち侘びて、ようやっと出逢えた私の守るべき姫君に、どんな話を聞かせて、その大切な耳を汚しているのだろうか。
――やはり、
宮中に行かせるべきか否か、不安や迷いに雁字搦めだった私の心は一瞬で決意に満ちた。
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