第六話:ヒマワリちゃんもヨウ君も、今あなたたちにできることはないです

 ヒマワリが「わ、わかんない」と言ったきり黙りこくった。


 鈴川が……。会社に来なくなった?


 どういうことだ?

 つい最近、鈴川は俺の家にやってきた。その時はそんなに違和感を感じなかったが……。


 なんて、性急に結論づけようとした俺の頭に、先日の鈴川の言葉が蘇る。


 ――違う違う。本当に、たまたま、今日は早めに仕事が終わったから。


 あのときの違和感が、再び胸中を満たす。

 大型案件とやらで忙しいはずの鈴川がなんであんなに早く俺の家にやってきていた?


「ヒマワリ」

「なに?」

「鈴川のことなんだが……」


 俺はヒマワリに先日の出来事を話す。

 その頃にはカエデも勉強を一時中断し、興味深そうにこちらを見ていた。


「鈴川さんが……ヨウの家に……」

「ああ。ユリカさんが『大型案件』で忙しい、って言ってたのに、なんかおかしいと思ったんだ」

「そうだよね……。忙しいみたいっていうのは、アタシもお姉ちゃんから聞いてた」


 でも……。


「つまりどういうことだ?」

「……うん、わかんないね」


 そう。鈴川の行動が、その根本がわからない。


 風邪でもひいた? いや、なら岡平さんがヒマワリに直接メッセージを送ってくることはない。


 仕事が嫌になって、サボった? いや、鈴川はそういうタイプじゃない。


 浜口みたいなお調子者で怠け者、という人間には見えない。

 どちらかと言えば、真面目で、努力家で、責任感の強い優秀な人間だ。少なくとも俺にはそう見える。


 病気とかでいきなり倒れた? なら、ユリカさんから会社に連絡があるはずだ。

 ユリカさんに限って、そういったほうぼうへの連絡を怠ったりはしないはずだ。


「あの」


 うんうん、唸りながら、今どういう事態になっているのか推察しようとしている俺とヒマワリを見かねたのか、黙っていたカエデが声を出す。


「とりあえず、その岡平さんというお方にお話をうかがうのが一番手っ取り早いのではないでしょうか?」


 カエデの言葉に、俺とヒマワリは顔を見合わせる。


「確かに……」

「そうだよね」


 一番今取るべき行動に気づいていなかった。

 まずは今どういう状況になっているのか、当事者や当事者に近い人物から話を訊くのが先決だ。


「ヒマワリ、岡平さんと通話だ」

「わかった!」





 ヒマワリが岡平さんに「少しお電話してもいいですか?」とメッセージを送り、すぐに返事がきて。

 俺達三人は、ヒマワリのスマートフォン越しに岡平さんと会話することとなった。


『お久しぶりです。ヨウ君、ヒマワリちゃん』

「ご無沙汰してます。岡平さん」


 岡平さんの挨拶に、代表して俺が答える。


 一呼吸置いて、俺は端的にたずねた。


「鈴川さんが会社に来てないってどういうことですか?」

『ここ数週間くらい、なんとなく鈴川さんの様子がおかしかったんですよ。本当に微妙に、なので私も気づかなかったんですけど……』

「はい」

『結構大きめの案件が複数走っていて、連日仕事が多くて。で、鈴川さん、問題なさそうな仕事を持って帰ってて、ですね。それで、ご家庭の事情とかもあるじゃないですか。ちょっと疲れてるのかな? とは思っていたんですけどね』


 岡平さんが、電話越しに深い溜め息を吐いた。


『先々週くらいから、ようやく落ち着いてきたので、課長も、疲れてるみたいだから体壊さないうちに帰れ、って』

「はあ」

『ですが、先週の木曜日から体調不良で休んだっきり、昨日も今日も音信不通で』

「ユリカさんには?」

『先ほど私から連絡しました。ですが、今朝元気に会社に行きましたけど、と……』

「え?」

『ユリカさんには、その時鈴川さんが音信不通である旨を伝えました。驚いた様子でして、すぐに早退して、鈴川さんを探す、と。で、私にもできることはないか、と思ってヒマワリちゃんにご連絡した次第です』


 どうやら、事態は思っていた以上にややこしいようだ。


 まず事実の整理をしよう。


「最後に鈴川さんと連絡を取れたのはいつですか?」

『先週の金曜日ですね』

「月曜日と、今日は、全然ですか?」

『はい、そうです』


 鈴川は、先週の木曜日から会社を休んでいる。

 木曜日、金曜日はちゃんと会社に体調不良である旨を伝えた。


 月曜日、火曜日は連絡が取れていない。

 鈴川がどこにいるのかもわからない。


『ヒマワリちゃんは、ユリカさんから何も聞いていないんですよね?』


 岡平さんがヒマワリに問いかける。


「はい。お姉ちゃんからは何も……」

『さっきの今ですからね……。最悪の事態になっていなければいいんですが……』


 最悪の事態?


 疑問に思っていると、今まで黙って話を聞いていたカエデが喋り始めた。


「横からすみません。春夏冬あきなしカエデと申します」

『ああ、あなたが。お噂はかねがね……。っと、そういう話をしている場合じゃないですね』

「どういう噂なのか気にはなりますが、今は些事ですね。後ほど、ということで」

『そうですね』

「『最悪の事態』とおっしゃいましたが」


 岡平さんからの返事が、ワンテンポ遅れた。


『いえ……。すみません。縁起でもない話なので、忘れてください……』

「縁起でもなくても、可能性として考えられるなら、テーブルに出さないといけないのでは?」

『……確かに仰るとおりです。これも私の杞憂で済めばよいのですが……』


 そう前置きしたあとで、苦々しそうな声色で、岡平さんが語り始める。


『ウチみたいなITの会社って、心を病んでしまう人が多いんですよ。特に開発側のかたが、なんですけど。あ、と言っても、他の業界は知らないんですけどね。ですが、結構休職者を多く出しているのも事実です』


 IT企業でメンタルを病む人間が多い、というのは俺でも良く耳にする話だ。


『で、ウチの会社ってちょっと特殊でして……。営業よりも開発が力を持ってるんです』


 営業よりも開発の方が力を持っている?

 言っている意味がよくわからない。


「どういうことですか?」


 カエデが俺の疑問を代弁するように、問いかけた。


『ウチは要望を受けて一からものを作るというよりは、自社で開発した製品を販売する会社でして。製品を開発したり、お客さんに導入したときにかかる原価が、結構厳密に決められてるんです』

「ああ、そういうことですか。納得です」


 カエデがなにか理解したような顔をする。

 一方の俺はさっぱりわからない。ヒマワリも同様のようだ。


 カエデが全く話を理解していなさそうな俺達の様子を察知したのか、俺とヒマワリを交互にみて、話し始める。


「ヨウ君。ヒマワリさん。例えば、お友達が宿題を有料で代わりにやってくれる、という状況を思い浮かべてください」

「宿題?」


 いきなりなんの話だ?


「はい。同じだけの宿題に対して、太郎君は『明日までにやってくる、千円だ』と言いました。次郎君は『明後日までにやってくる、二千円だ』と言いました。ヨウ君ならどちらを選びますか?」

「そりゃ、太郎君だろ」

「どうしてですか?」

「そりゃ、早くて安いから」

「そういうことです」


 ん?


「待ってくれ。全然理解できてない」

「つまり、岡平さんの仰るような『要望を受けて一からものを作る』場合、早さと安さで競争することになるんです。わかりますか?」

「そこまでは、うん」

「なので、どこまで値下げできるのか、どこまで効率良く完成させられるかが重要になります。なにしろ作るものは同じですから」

「えーっと……」

「そもそもが、お仕事をもらえなければお金はもらえません。なので、営業のかたはできる限り値下げして、早く終わらせられるかを示します。営業のかたが仕事を持ってくる以上、作業をするかたは、文句を言いづらくなります」

「あー、なんかわかってきた」


 なんとなくカエデの言わんとしていることがわかってきた。


「ですが、ヨウ君。ヨウ君の持っているスマートフォンは大人気のモデルですよね。どうやって選びましたか?」

「え? そりゃ、機能と、使いやすさと、評判と……」

「金額は気にしましたか?」

「そりゃ、気にしたよ」

「ですが、お店に過度な値引き交渉はしなかったのでは?」

「なるほど……」


 確かに。値引き交渉という手もあったが、ちょっとオプションが無料になれば御の字くらいに考えていた気がする。


「優れたモノがすでにある場合、確かに金額や早さなども大事ですが、モノ自体を作るのに、開発するのにお金がかかっているので、営業のかたが取れる手段は少ないです。営業のかたはそこに文句はつけられません。なにしろもう作ってしまったのですから」

『春夏冬さん。よくご存知ですね』


 カエデの解説に、岡平さんから手放しの称賛が送られた。


「父の仕事の話をよく聞いていたので」

『まぁ、実態はもっと複雑なんですけど、概ね春夏冬さんの言うとおりです。ので、ウチは営業として取れる手段が結構少ないんですよ。値下げも基本的にはしません。原価や利益率が決まっていて開発から怒られちゃうので』

「はい」


 ヒマワリをちらりとみる。

 あ、だめだこいつ。ここまでカエデが親切に説明してくれたのに、わかってなさそうだ。


「ヒマワリ」

「え? ヨウ。いまのでわかった?」

「いや、なんとなくだけどな。とにかく、お前は鈴川は開発側の人間に大きく出られないってだけ理解すればいい」

「う……わかった」


 ヒマワリは納得しきっていなさそうな様子を見せながらも、頷いた。


『すみません。前置きが長くなりました。話を戻します。なので、開発側には負けるんですが、ウチの会社の営業も結構メンタルやられる方が多いんです。板挟みですから』


 板挟み。つまるところ、客と開発との間で、ってことか。


『前例がありまして……。本当に縁起でもない話ですし、私が入社する前の話で相当昔なので、状況はぜんぜん違うんですが』


 岡平さんのこわごわと話す声色に、俺達は生唾を飲み込む。


『ウチの会社で、過去自殺未遂があったらしくてですね……。会社中がざわめいてます。それにほら、鈴川さんって優秀な係長で有名ですから』


 言葉を失う。


 自殺未遂。その単語にかかる重みに、理解がついていかない。


「た、た、た、た、大変じゃないですか!? す、鈴川さんがっ!」


 数秒ほど遅れて、ヒマワリが騒ぎ始めた。


『落ち着いてください。ヒマワリちゃん』

「お、落ち着けないです! 鈴川さんをすぐに探さないとっ!」

『きっとまだそこまで深刻ではないです。鈴川さんの無断欠勤をユリカさんは知りませんでした。つまり、ユリカさんの前ではちゃんと嘘を吐いて元気なふりをしている、ということです』

「そ、それが、なんで深刻じゃないことになるんですか!?」

『まだ、ユリカさんに心配をかけまいとする明確な意思が見られますから』


 岡平さんの言うことももっともだ。

 そこまでの考慮ができるレベルであれば、突然鈴川が自殺してどうのこうのとは考えづらい。


『それに、私の見たところ、まだ鈴川さんは大丈夫です』

「岡平さんはなんでそう言い切れるんですか?」

『なぜか私って、メンタルを病んでしまわれるかたとご縁がありまして……。経験、です』

「……経験って……」


 ヒマワリがテンパりすぎておかしくなっているのを見かねて、俺はその肩を掴んで少しだけ揺すった。


「ヒマワリ、とりあえず落ち着け。ユリカさんも動いているだろうし、今すぐどうこうって話じゃない」

「う、うん」

「とにかく、今は俺達ができることをしよう」

「そっ、そうだね」


 よし。ヒマワリの暴走列車を止めることには成功した。


「岡平さん」

『はい』

「俺達にできることはありますか?」

『できること……。そうですね……』


 少しだけ電話の向こうで考える岡平さんの様子が伝わる。

 数秒、黙り込んだ岡平さんは、ともすれば残酷にも聞こえる言葉を俺達に伝える。


『いえ、ヒマワリちゃんもヨウ君も、今あなたたちにできることはないです。とりあえず、鈴川さんの所在がつかめるまで、大人しくしていてください』

「あ、アタシ、お父さんとお母さんにっ!」


 できることはない、とはっきりと言ってのけた岡平さんに、ヒマワリがおじさんおばさんに連絡すると言い始める。


『ヒマワリちゃん。ご両親には、ユリカさんからご連絡がいくはずです。伝言ゲームになって、あちこちから情報が錯綜すると余計に混乱します。今はとりあえず落ち着いてください』

「う……はい」

『すみません。そもそも私がヒマワリちゃんにご連絡したのが間違いだったかもしれません。私も少しだけ焦っているみたいです……』


 無理もない、と思う。

 鈴川という男は、実にスマートで優秀な人間だ。少なくとも周囲にそう思わせるだけの力がある。


 そんなヤツが、心を病んでどうこうっていうのは、岡平さんとしても考えづらかっただろう。


『なにかわかったら、すぐにご連絡します。二人はとりあえず、今は待っていてください』

「わかりました」

『では、失礼します』


 岡平さんの言葉を最後に電話が切れる。


「ヨウ……どうしよう」


 ヒマワリが不安そうな顔で俺を見た。


 どうするもこうするも……。


「ヒマワリさん。岡平さんの仰るとおり、今は待ちましょう。私達は子供です。できることは限られていて、今はなにもできないんです。事態を混乱させるので、大人しくしているのが懸命です」

「うん……そうだね……」


 そわそわとする。

 身体が、脳が、「なにかしなければ」、「どうにかしなければ」と叫んでいる。


 しかし、俺達にできることはない。


「とりあえず……」


 心を落ち着けよう。


「コーヒーと紅茶、どっちが良い?」


 落ち着くには温かい飲み物だ。

 俺はヒマワリとカエデの顔を見ながら問いかけた。

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