第二十話 花火
日が完全に落ち、ランタンがマリナを照らし始めた頃、俺達はマリナの西部の川のほとりにいた。街を照らすランタンは、街のヒトビトが無事に冬を越せるよう祈りを込めて作ったものだ。建物の間を通された紐に吊るされ、一万はあろうかという数が街を覆っている。いつもは夜の闇に覆い隠されるマリナだが、今夜は遠く離れた場所でもはっきりと見えるだろう。
花火が打ち出されるのはマリナ南部の小島。ここからならば花火がはっきりと見えるそうだ。
だが、花火が良く見えるということもあり、この辺りはヒトがひしめき合っている。少しでも気を抜けばレーテーとはぐれそうなので、俺はレーテーを肩車し、移動していた。もちろん、傍らにはカガチもいる。
「ぎゅうぎゅう……」
頭の上でレーテーが呟く。俺の身長は、他のヒトよりも頭一つ分高い。その高さなら周りが良く見下ろせるだろう。
辺りを見渡せば、俺以外にも子どもを肩車している親が沢山いる。皆、今日の為にはるばる来たのだろう。
「こらっ! 降りて来なさい!」
何処からか怒鳴り声がする。見ると、兵士らしき男が空を飛ぶ
「なんだよ‼ 飛んだっていいじゃないかよ‼」
だが、男は兵士の静止を振り切り、空を飛ぶ。
「お前らと違って翼があるんだ! 飛んだっていいじゃないか!」
「待て!」
兵士が呼び止めるが、既に空高くに逃げている。逃げられた。そう思った時、どこからか水柱が噴き出した。
「捕らえろ!」
聞き覚えのある、男とも女ともとれる声が聞こえた。
次の瞬間、水柱は
「なっ⁉」
人混みをかき分けて現れたのはサヤラーン。その手からは水柱が伸び、十メートルほど上にいる男を捕えている。
「この国で暮らしている以上、この国の法律に従ってもらいます。例外はありません」
そのまま男は兵士に捕らえられた。その一部始終を俺達は、黙って見ていた。
恐らくあの男は、ただ花火を高い所から見たかっただけなのだろう。だが、それを〈命の国〉は許さなかった。
「翼があるなら、飛ばせてあげればいいのに……」
レーテーが呟く。
「いくら翼を持っていようが、飛んではいけないと法律で決まっている」
振り返るとサヤラーンがいた。男は別の兵士に任せている。
「なんでよ⁉ 法律が何よ!」
「考えてみて。法律が無ければ、レーテーちゃんが誰かにナイフで刺されても、誰も泊めてくれない」
「……っ」
レーテーは黙り込む。
「わかればいい。さぁ、もうすぐ花火が始まるぞ」
サヤラーンは時計台を眺める。
「サヤラーンさん! ちょっとこっちに」
兵士が呼ぶ。
「君といっしょに花火を見たかったけれど、呼ばれちゃったな。また、会おう」
そのままサヤラーンは人混みに消えた。
「……気休めにしかならないかもしれないが、〈薬の国〉では
〈薬の国〉では〈命の国〉に比べて法律は緩い。だが、差別が無い訳では無い。
「そう……」
レーテーは悲しそうな声を漏らす。
その時、街中に男の声が響いた。
『さあさあ皆さん、冬越え祭りは楽しんでいただけているでしょうか? 領主のボーヤムです。いよいよ祭りの目玉、花火です。この花火というものは、火を使って夜空に花を咲かせるという代物でして、わたくしの〈黒鉄の帝国〉の知り合いから頂いたものです。大きな音が出ますが、驚いて怪我などなさらないよう気を付けてください』
姿は見えないが、ボーヤムの熱のこもった声は聞こえる。恐らく部下か何かの「遠くまで声を届ける魔法」を使ったのだろう。
『さぁ皆さん、夜空に花が咲きます! 皆さんもご一緒に。五、四——』
ヒトビトは声をそろえて数を刻む。
「「「「三、二、一」」」
『さぁ夜空に巨大な花が』
マリナの南端の小島から、火が口笛のような音と共に空に向かって落ちる。
やがて空高くで火が消えたかと思うと……。夜空に巨大な花が描かれる。
淡い青の花びらと濃い紫が合わさった花は暗い夜空を照らし、とてもよく映える。あれが火で出来ているなんて信じられない。本物の花に見える。どんなにすごい魔法使いが、どれほど素晴らしい魔法を使っても、あの花火の美しさには敵わないだろう。
ぱーん。遅れて響く爆発音が、花火との距離と大きさを感じさせる。
わぁあと、ヒトビトの歓声が広場に広がる。
「綺麗……」
先ほどまで気分が沈んでいたレーテーは、今では青色の両目を輝かせて花火を見つめている。
カガチもまた花火の綺麗さに圧倒され、一言も喋らず圧倒されていた。
花火はそこにいる全員を魅了していた。
不思議と花火は、見る者をノスタルジックな気持ちにする。
思い出されるは、孤児院での日々、シャムとの出会い、アイリスの誕生。今は手を伸ばしても届かない、幸せな日々。
思い出されるは、見知った仲間が日々死んでいく戦争の日々、戦友ヒイラギとの出会い、仇敵ネルケとの戦い。二度と味わいたくない、苦しみに満ちた日々。
思い出されるは、妻子が殺された日、復讐鬼と化した己自身、牢獄に封じられた老兵の姿。ただ墓の下の妻子を思った、牢獄での日々。
思い出されるは、アソオスとの旅、収容所での戦い、そしてレーテーとの出会い。出会いと別れの、希望に満ちた日々……。
過去の事が一息に思い起こされる。そして、未来の事。レーテーを国を救う為の犠牲にするのかどうか……。
「ゲルグ、レーテーもこんなに綺麗な花なの?」
「勿論」
「はやくみたいな」
ひゅー。無数の火が空に落ちていった。
ぱんぱんぱん……。
空には綺麗な花畑が出来ていた。
この純粋無垢で、世界を知らない少女に、更なる世界を見せてあげたい。世界にはレーテーの他にも綺麗な物が山ほどある。オルデアの蘇生に命を散らすよりは、この子の為になるだろう。
そうだ。オリーブ王ならば、きちんと話せばわかってくれるはずだ。あの慈悲深い王ならば、この少女を生かしてもらえるはずだ。オルデアの生死など、あとで考えればよい……。
どぉーん。
三回目だっただろうか、花火が空に咲く。
「綺麗だな」
「そうだな」
すぐ隣にいるオーザがほほ笑む。
僕たちは祭りの警備で、ヒトビトから僅かに離れた場所にいる。この位置からでは花火が少し見えずらいが、ヒトビトの安全を守るという兵士の仕事がある以上、仕方がない。
ひゅー。
再び花火があがる。
花火を見ようと、顔をあげた時、近くの建物が目に入った。正確には、その建物の一室から漏れ出る光が。
「サヤラーン、どうかしたか?」
俺が一点を見ているのに気が付いたオーザが声を掛ける。
「魔法の光が見えた気がした。少し見てくる」
あの特徴的な光は、魔法の光に違いない。正式な理由なく魔法を使うことも、この国では違法だ。まあ、それほど重い罪にはならないが。
「私も行こう」
「いや、どうせ祭りで浮かれた若者がつい魔法を使ったとか、そんな事だ。お前はここで任務を続けていろ」
「わかった。だだ、一人で行き過ぎるなよ」
「勿論」
この前の任務で一人吐出して怪我をした光景が脳裏によぎる。だが、今回は若者を窘めるだけだ。それほど危険ではない。
ひゅー。
僕は建物に入り込む。時折花火の光が建物を照らす。
どぉーん。
やがて、光を発していた部屋にたどり着く。僕は扉に手をかけ、優しくノックする。
「すみません、兵士西部部隊のサヤラーンです。部屋の中で、無断で魔法を使っていないか確認に来まし——」
次の瞬間、猛烈な爆発音と共に扉が吹き飛んだ。花火とは違う、大砲のような爆発音が。扉と共に吹き飛ばされ、身体が壁に打ち付けられる。そこで僕の意識は途切れた。
忘刻のレーテー 三浦悠矢 @miurayuuya
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