第十八話 五日目 もう一人の授命族
「ゲルグ起きて!」
レーテーの声がする。……もう少しだけ寝かせてくれ。
ゲルグの身体には、未だにネルケとの戦闘の疲労が残っていた。常人ならば昨日一日は寝たきりになっていただろう。
「ゲルグ!」
次の瞬間、俺の身体の上に何かが飛び乗って来た。内臓が一気に圧迫され、肺の空気が一気に出る。
「ごふっ⁉」
先ほどまでの眠気が吹き飛び、目を開く。そこにはレーテーが俺の上に馬乗りになっていた。
「……なんだ」
ひどく億劫に声を出す。
「はやくお祭り行こ!」
首を傾け、窓のほうを見る。そこにはまだベッドで眠るカガチと、日が昇って間もないマリナの街があった。街はまだ眠っている。
「はぁ……。まだ鳥も鳴いてない時間じゃないか。祭りはまだ始まらないぞ」
「ええー」
レーテーはぷくりと頬を膨らませる。
「膨らんでも駄目だ」
レーテーはべこりと頬を凹ませる。
「凹んでも駄目だ」
再び眠気が襲ってきて、大あくびをかく。
「俺は寝るぞ……」
そう言って、ベッドの中に戻る。
「ちょっとー!」
日が昇り、鳥が鳴いた頃、俺達は宿屋を後にした。
「ありがとうございました」
「またおいで」
宿屋の主人に礼を言い、外に出る。
「ゲルグ! はやくはやく!」
レーテーは宿から出るなり、一目散に走っていった。
「待て」
外は芯まで冷える寒さだ。何重にも防寒着を着ていても凍える中、元気いっぱいのレーテーは先へ行く。
「待ってください!」
カガチの靴ひもを結んでやる間に、レーテーはどんどん進んでいく。仕方なくカガチを置いてレーテーを追う。
「こっちこっち!」
街を走るレーテーを追いかけ、ようやく止まったのは屋台の前だった。
「ゲルグ! これ買って!」
レーテーは屋台の商品を指さす。
レーテーが指さしたのは、小ぶりな猫のぬいぐるみ。毛色から見るに、四毛猫をもとに作られている。
「おや、嬢ちゃん、今度はお父さんを連れて来たんだね」
店主がほほ笑む。どうやら俺が二度寝をしている内に下見をしていたな。子どもの好奇心というものは凄いものだ。
「なんの動物かわからないけど、かわいいから欲しいの!」
値段を見ると、ぬいぐるみ一つで二食は食べられる額だった。払えない事は無いが、この額は……。
気が付くと、俺はぬいぐるみを買っていた。
「やったー!」
「よかったな、嬢ちゃん」
レーテーはぬいぐるみを抱きしめる。ぬいぐるみはふわふわとしていて肌触りは気持ちよさそうだ。
「……大事にしろよ」
「うん!」
レーテーは俺を見て笑う。
……俺は、レーテーの喜ぶ顔が見たくてぬいぐるみを買っていた。旅には一切必要ない、娯楽の品。しかも安い金額ではない。レーテーを思うこの気持ちは、アイリスを思う気持ちと似ていた。
こんなことをする意味があるのか。遅くとも明後日には〈薬の国〉に着く。そうすればレーテーは殺される。屠られる家畜のように。
いや、意味はある。殺されるその時まで、俺はこの子が収容所で奪われた十年間を少しでも取り戻してやる。殺されるまで、俺はこの子の笑顔を守ってやろう。
「待ってください!」
振り返るとカガチが息を切らしながら、もたつく足取りで走ってくる。その顔は少し火照っている。後から聞いた話だが、宿屋の主人に靴ひもを結んでもらったらしい。いくら両手が無いとは言え、十代の少年には恥ずかしい事この上ないだろう。
「すまなかったな」
「いえいえ。おや、レーテーさん、ぬいぐるみを買ってもらったのですね」
ようやく追いついたカガチがぬいぐるみを見る。
「うん! この子はベーコン! かわいいでしょ!」
「とっても可愛いですね」
変な名前をつけるな。
「この子の毛の色がベーコンみたいだったから、ベーコンにしたの!」
「へぇ……。それじゃあ今日は、ベーコンくんと一緒に祭りを楽しみましょう!」
「カガチ、違う」
ベーコンを眺めながら言う。
「この子は女の子」
「……それじゃあ、ベーコンちゃんと一緒にお祭りを楽しみましょう!」
「おー!」
カガチはレーテーと共に手を突き上げる。俺もつられて、手を突き上げる。
「……おー」
それが、愉快で華やか、そして血みどろの冬祭りの始まりだった。
やはり祭りということもあり街は相当な活気に包まれている。やってくる寒波を忘れようと盛り上がっているようにも見えた。マリナの冬は過酷で、毎年死人が僅かながらも出るそうだ。
また、屋台も昨日の倍ほどに増えており、この祭りで商品を売りつくそうとしている商人の魂胆が見え隠れしていた。途中、空きのある区画が見えたが、もしかしたらルナリアの店が開く予定だったのだろうか。もしルナリアが死ななかったら、レーテーと一緒に祭りを周ったり、店を手伝ったりしたのだろうか。もしかしたらあったかもしれない結末に、胸が締め付けられる。
また、大通りには、主神の使いを模した山車が練り歩いている。
「ゲルグ、あれ怖い」
レーテーが指さす先には、ぬるりとした鱗一つないトカゲのような山車がいた。トカゲには数えきれないほどのしっぽが生えていた。
「あれはミナモ様だな。水を司る使いだな」
主神の使いには不気味なものも多い。心なしか、山車の周りには小さい子が少ない気がする。
数々の山車を尻目に俺たちは街を周る。
カガチが言うお菓子というものを探しながら屋台を周っていたが、途中カガチがおすすめする〈金貨の国〉の別の料理を買うことにした。
その料理は、ドロドロとした茶色の辛みのある液体に色々な野菜が詰まっていた。どうやら一緒に渡された薄いパンを食器として使って食べるようだ。カガチが言うに、カレーという料理らしい。
「どうです?」
「美味しいな、程よい辛さが食欲をそそる」
辛みのある液体と、柔らかいパンの相性が良く、口に次へ次へと運んでしまう。
「レーテーさんはどうですか?」
レーテーは湯気が立ち上る液体を冷まそうと、必死に息を吹きかけている。
「……いいかな」
レーテーは液体をパンですくい、口へと運ぶ。
「ひゃっ⁉」
口に運んだとたんレーテーはせき込む。
どうやらレーテーには少し辛かったようだ。
レーテーはせき込み、ベーコンを落とす。
「あっ⁉」
落としたルナは地面を転がり、偶然近くを通りかかったヒトの足に当たり、路地に転がる。
「ベーコンが!」
すかさずレーテーはベーコンを拾おうと、路地に入る。
「待て! レーテー」
俺が向かおうとするも、急にヒトの流れが激しくなり、向こうに行くことはかなわない。
建物の影に落ちていたベーコンを拾い上げる。
少し汚れていたが、服の端で拭けばまた綺麗になった。
ゲルグの所に戻ろうと振り返ると、背後から話し声が聞こえる。
「
「えぇ、この値段ならさらに高い値段で別の所に売り飛ばすなり、王都の貴族に献上して出世するなり、ボーヤム様の栄華は決まったも同然です」
小太りの豪華な身なりの男と、前歯の突き出した小男が会話をしているようだ。
箱の隙間から覗くと二人組の背後には縄で両手を縛られ、口に猿轡を噛まされている少年が引きずられていた。少年の髪色は雲のように白かった。
「ほれ、お前には骨の最後の一片まで役立ってもらうからな」
ボーヤムと呼ばれた小太りの男は少年の髪を掴む。
「っ……」
髪を掴まれた痛みで少年が顔をしかめる。
「
「そうだな、シュードラ君」
そう言ってボーヤムは少年を投げ飛ばす。
投げ飛ばされた少年はわたしが隠れている箱の傍に倒れこむ。
箱の隙間からは、少年の苦痛に歪んだ表情と、全てに絶望した表情が見える。ボーヤムが力任せに投げたせいか、髪は幾らか抜け、血が白い髪に滲んでいた。
うつぶせに倒れる少年は、両手をついて立ち上がろうとする。縄に縛られたその不自由な両手で。
ちらりと見えた両手の指は六本。だが、六本目の指は親指から歪に生えていた。
思わず自分の手を見る。六本目の指は小指の隣から生えている。
「レーテー? 何処へ行った」
すると、ゲルグの声が路地に響く。
すかさず二人組は、少年を立ち上がらせ、そそくさと路地の奥に入り込む。
「ほら行くぞ」
シュードラは少年の首元を引っ張り、連れていく。
二人が見えなくなったのを確かめて、わたしは箱から出る。
その直後、ゲルグが現れる。
「ここにいたのか。まったく、かくれんぼのつもりか?」
「かくれんぼ?」
わたしは聞き返す。
「……また今度説明しよう」
「えぇー!」
レーテーに説明すれば今やりたいと言いかねない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます