オスマンサス

はぁ、はぁ——。

身体を動かすことが好きだ。週に四日以上は、ランニングか筋トレをしている。

この話だけを聞くと「部活に入ればいい」と言う人が多いだろう。小学四年から中学三年までは野球部に所属していた。でも顧問は昭和な熱血タイプで、気に入った生徒を贔屓、校則で決められた時間外まで練習を強いた。俺はただ野球がしたかった——それだけなのに。

中学生ながらに「絶対、こんな大人にはならない」と思ったのを覚えている。そんなこんなで高校では帰宅部を選んだ。何かに縛られたり、誰かの指示で動いたり、周りに合わせたり——単純に部活が好きではない。もちろん良い部分もあるはずだし、部活をやっていたからこそ今の考えに至れたとも思う。だから、やっている人を否定する気もない。


四月の朝は、まだ少し気温が低めで心地いい。

一時間ほどかけて約十キロのランニングを終え、シャワーを浴びて学校へ向かった。


学校ではいつも通り、黒板の文字列を作るように並んでいき、消えていく。特別なことは何もなく、刻々と時間が過ぎ、すべての授業が終わった。

帰り支度をしていると、廊下から寿人が手を振る。


「零、ちょっと来い」


グラウンドの端へ連れて行かれると、アッシュグレーのポニーテールの女子生徒が待っていた。栗山千咲。三年、陸上部の部長だ。


「神宮寺! 一本だけどうだ?」

「いや、遠慮しとく」

「どうせこれから帰るだけなのだろう? 一本ぐらい、いいじゃないか」

「いや、あんた陸上部の部長だろ。部活に入ってない生徒に構ってないで、部活に専念しろよ」

「たしかにお前の言う通りだ。——だが、お前の運動神経の良さを知っているだけに、どうしてもな。……まあ、気が向いた日は顔だけでも出してくれ」

この人は多少強引な部分もあるがとても良い人だと思う。

寿人と同じで走るのがとても好きで陸上部のことも真剣に考えているのだろう。

だからこそチームの戦力を上げるためにもこうやって部活の勧誘にも力をいれているんだと思う。

力になってあげたい気持ちもあるがここで俺が入ればだれかしらがメンバーから外れたりするようなこともあるのだろう、毎日好きなことを頑張っている人から、やる気の無い俺がそんな人たちから活躍の場を奪ってしまうことは絶対に間違っていると思う。だから陸上部に入ることは絶対にない。

「また偶に顔を出すぐらいなら、気が向いたらな」


——


バイトも部活もない日曜日。改札で待ち合わせたのは、俺と寿人と美由の三人。電車で一駅、隣町のショッピングモールへ。天井が高く、パンの匂いが上のほうに漂っている。


まず家電フロア。ガラスケースの中で最新のゲーム機がひときわ目立っていた。

寿人が目を輝かせて前に出る。

「零、これ抽選らしいぜ! 欲しいなぁ」

この機種はまだ発売前だが話題沸騰で、メディアでもよく取り上げられている。もちろん俺も知っている。

「製造数に対して五十倍くらい応募が来てるらしいぜ」——この間のテレビでそう言っていた。

正直、俺も欲しい。ロードは短く、画面はやたら綺麗。これからの新作ソフトはこの媒体が主流になるだろう。

ゲームは好きだ。何も余計なことを考えず没頭できる。終えたときに“無駄な時間を過ごした感覚”が残ることもあるが、それでも人生に必要な時間の一部だと思う。

「寿人、ダメ元だけど一緒に応募してみるか」

俺たちは店舗で抽選に応募した。


コスメフロアに着くと、美由はまっすぐ一軒の店へ向かった。

「あ、ここ香水売ってる」

テスターを手首に一滴。甘い、秋の手前の匂いが輪を描いて消える。

「どうかな?」

美由が手首を差し出す。近づけて嗅ぐ。

「この匂い、金木犀か」

「うん。昔、家の近くに木があったじゃん?風が吹くと、オレンジの雨みたいに香りが降り注いで良い香りだったよね——やっぱり私この匂い好きだなあ落ち着くんだよね。私、これ買ってくる」

俺は両親のことを知らない。

聞いた話によると俺が生まれてまもなくして二人とも事故で亡くなったらしい。

そんな俺を育ててくれたのがコブ爺だ。

コブ爺は血のつながりはないが俺の両親と親しい仲だったらしく一人になった俺のことを引き取り育てることを選んでくれたらしい。

そんなコブ爺の隣の家に住んでいたのが美由だ。

美由とは小さい頃からずっと一緒だ。

二人でカブトムシを取りに山へいったこともあるし、近くの公園でおままごとをしたり美由との思い出は数えきれないほど沢山ある。

そんな俺たちが住んでいた近くの公園にあったのが金木犀の木だ。俺らが小学生高学年になったときに都市開発の一部として公園と一緒にその木も撤去されてしまった。木がなくなるのが嫌だと泣きじゃくる美由の姿を昨日のように覚えている。幼い頃からよく知っている香りというのもあって俺もとても好きな香りだり


購入を終えた美由は紙袋を胸の前で抱える——大事なものを落とさないようにする持ち方だ。


モール内を一通り見終え、フードコートで休憩。俺はレモネード、美由はタピオカミルクティー、寿人はコーラ。それぞれ好きなドリンクで一息つく。



———


ゲームセンターの前を通ると、美由が立ち止まった。

「せっかくだし、プリクラでも撮ろうよ」

ブースの中は真っ白で明るい。脚長補正はオフ。背景は春に合わせて桜にし、落書きは最小限にした。

シールが排出口から出てくる。——今日という一日が、小さな四角にまとまったみたいだ。


気づけば、帰る時間。

「はー、あと一週間もすれば中間テストか」

寿人が現実に引き戻す。

「なんでテスト前の一週間って、こんなに憂鬱なんだろうね」

美由が共感すると、寿人は間髪入れず、

「一週間も部活できないなんて苦痛だ」

「そっちか!」

思わずツッコむ。うちの学校はテスト前の一週間は部活が禁止だ。

「俺は走るためだけに生まれてきた男だからな」

「なんかお前を見てると、悩みとか馬鹿らしく思えるよ」

そう言いながら、俺は冷たい風のことを思い出す。

「だったら俺は、いつまでも走り続けるぜ」

「ああ、そうしてくれ」

俺と寿人の茶番のような会話を聞きながら、美由が微笑む。


毎日、楽しいことや特別なことなんて起こらない。だけど、きっとそれでいい。

だからこそ、くだらないことで笑い合える人たちを大切にしようと思える。

——そう、こんな毎日が続いてくれれば、それだけで幸せなんだ。

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