見知らぬ姉と見知らぬ兄の戦い

 陽が天高く昇るはずの正午近く。高天原の空に太陽は輝かず、夜を零したような星空が広がっていた。

 その下で対峙する一組の男女の姿があった。


「これはお前の仕業か?」


 高天原上空に転移してきたエトの前には星空を想わせる外套を纏う男が浮遊している。エトはその顔立ちが本来の己に似ているような気がした。

「忌々しい顔が見えたかと思えば中身は天弟アメノトか。ああ、なんという様だ。あれだけ雄々しかったお前が見るに堪えん」

「あめのと? つーか、失礼な奴だな。俺だって元の姿に戻れるもんなら戻りたいっての」

「……ふむ。天兄アマノエという言葉に聞き覚えは?」

「全くないな。先に言っとくと此処三日間の記憶もないし、生まれも知らねえぞ」

「……なるほど。転生と封印に塵屑が混ざり、変に絡み合ったせいで記憶が飛んだと見える。厄介だが、ある種都合が良い」


 男は何やらぶつぶつと呟いたかと思えば得心がいったとばかりに頷いた。


「しかし、まずは名乗ろうか。今生では対外的にゾディアークと名乗っているが、お前であればアマノエと呼んでも構わん」


 なんだか友好的な態度にエトは面食らう。取り敢えず名乗られたからには己も名乗ることにした。


「エトだ。それ以外の名前は持ってねえ」

兄弟エトか……。我らを示す言葉ではあるが、そうだな。アメノトという名を改めて送ってやる。我の前ではそう在れ。我もそう呼ぶ」

「俺が名乗った意味は? すげえ勝手な奴だな」

「さてさて、そんなことより先ほど戻りたいと言っていたな。我が戻してやろうか?」


 アマノエはまるで小遣いでもやろうというような気軽さで言う。

 なんとも馴れ馴れしい。旧知の間柄を通り越して一方的にこちらを知っている親戚のような気安さである。


「なんだかよく分からんが、そんなこと出来んのか?」

「憎き弟のためだ。多少の面倒は大目に見てやろう」

「おいおい、また知らん兄弟が増えたぞ」


 知らない姉の次は兄かよとエトは頭を抱えた。


『主よ! 油断しないで下さい! この男は危険です! それはもう無茶苦茶に危ない人です!』

『危ない奴なのは分かるけど、なんか敵意を感じないし』


 威嚇するように白と黒の翼を広げた雷天酉ユウの訴えにエトは戸惑った。

常に余裕を見せる彼女がここまで焦るのは本当に珍しい。それこそエトが重傷を負った時のような必死さである。


「ではな。来世では真っ当に戦えることを祈っているぞ」


 そう言ってアマノエは謎のビームを撃ってきた。


「は?」


 呆気にとられたエトであったが、反射的に障壁を生成したことでなんとか防ぐ。しかし、光の粒を束ねた奔流はまるで収まる気配を見せない。


「抵抗するな。そこまで複雑に絡んだ糸はもはや断ち切る他ない。安心しろ。我らにはいくらでも次がある」

「ふざけんな! そんなんで死ねるわけないだろ、ばーか!」


 この場にアマツとテンコがいればキャラ崩壊と嘆くような言動と形相を見せるエトは必死で障壁を保つ。当たれば冗談抜きで死ぬと本能が語り掛けてくるのだ。


『頑張って下さいマスター! 超頑張って! それ本当に当たったら駄目な奴だから!』


 ついでに十二支たちもやかましく語り掛けてくる。応援と言えば聞こえがいいが、十二人の応援団に耳元で叫ばれるのは騒音に等しい。頭の中を直接かき乱すような声援に凄まじく集中力が削がれていく。

 しかし、目の前の攻撃から注意が逸れたことで、意識の外から放たれた致命の一撃に気づくことが出来た。

 それは楔のような光の一矢。

 防御は不可能と直感し、間一髪で回避することに成功する。


「相変わらず勘が良いな。障壁で防げばそれごと封じたものを」


 だが、回避にリソースを割いたことで手薄になった障壁に亀裂が生じ、溢れんばかりの光がエトを吞み込んだ。


「ふう、危ない所でしたね」


 そして、光が収まった後に現れたエトはシイと入れ替わっていた。

 実は本来より早めにエトに主導権を返すことで、エトが深度3の状態でいる場合に限り、一度だけ己の意思で入れ替われるようになっていたのだ。

 もっともこれはエトが封印を突破していなければ成しえなかったこと。無駄に終わる可能性もあった。


「ですが、やはり備えておいて正解でした」


 その様子を見たアマノエが顔を歪める。だが、相対するシイもまたその顔を歪めていた。


「全くあなたも懲りないですね。永遠の闘争などという非生産的な行いなんて、とっくの昔に廃れているというのに」


 封印が解けたことで大部分の記憶を取り戻したシイは目の前の男との因縁まで思い出していた。即ちエトを巡る戦いであり、前世ではその果てにエト諸共相打ちとなったことを。


「黙れ。弟に取り憑く塵屑が。身の程を弁えろ!」


 アマノエは憤怒に染まった形相で吐き捨てる。

 たった一人の同胞たる宿敵との終わりなき闘争こそ、果ての見えない輪廻を照らす灯火であったというのに。その身を穢され奪われたと知った時の失望と怒りは余りにも耐え難いものだった。


「品もなければエトのような可愛げもない。よくもまあそれでエトの兄を名乗れるものだと感心します」


 シイもまた怒りを露わに嘲笑する。

 転生を繰り返すエトを見守る中で、幾度となく死地に赴く彼を見送った。戻らぬ彼を待ち続けた十二支となる前の彼女たちの記憶が蘇る。


「忌々しい女」

「鬱陶しい男」

 

 エトを巡る事象において決して相容れぬ二人。

 双方が放つ重圧は相手の存在を否定するように膨れ上がり鬩ぎ合い、物理的な干渉すら起こして周囲の空間を歪ませる。

 何も知らぬ今生のエトが見れば余所で勝手にやってくれと叫んだであろう。

 

「様子見だけで終わらせるつもりだったが止めだ」


 一冊の魔導書が開かれ妖しい輝きを放ち始める。


「奇遇ですね。私もそのつもりでした」


『星薙ぎの剣』


 十束ほどの長さの剣を取り出したシイが一度それを振るえば、アマノエの後ろにあった雲がまとめて切り払われた。しかし、彼には傷一つない。まるで斬撃が通り抜けたかのように。


「私も使いますけど、相手にすると本当に面倒ですね、それ」

「我ら兄弟だけに許された力だぞ? それを我が物顔で語るな!」


 魔導書が一際強い輝きを放ち、その周囲に魔法陣が浮かび上がった。


『詠唱:流星』


 空の果てから巨大な隕石が落ちてくる。シイはそれを星薙ぎの剣の一振りで塵にした。


「今は私達の力です。もはや一心同体ですから」

「反吐が出る」


『続唱』『重唱』『復唱』

『合唱:流星群』


 続けて魔法陣が追加される度に隕石はその数を増やし、空を埋め尽くしていく。


「チッ、とはいえ今生では他にやることがある。今ここでお前と相打ちになるのは御免でね。これで害獣の寄せ集め諸共滅んでくれると助かる。ではな」


 舌打ち一つで無理矢理怒りを収めたアマノエは姿を消した。しかし、星空は消えず、残された魔導書も稼働し続けている。


「はぁ、面倒なことを」


 シイが再び星薙ぎの剣を振るえば、天を埋め尽くす流星群が瞬く間に塵と化した。

 だが、魔導書がある限り、星々は絶えることなく落ちてくる。


「うーん、やっぱり剣を振るうのは性に合いませんね」


真払まふつの鏡』


 剣を消したシイが手を掲げると大きな鏡が現れ、天に向けられた。すると、高天原上空を覆うほどの鏡面が生成される。写し出された星々の鏡像は鏡面を飛び出し、天へと落ちるように昇っていく。

 そして、鏡像に触れた隕石の本体は夢幻であったかのように対消滅した。


薬叉女ヤクシニの勾玉』


 魔導書に向けられたもう片方の掌を中心に三つの勾玉が回転し、一条の光線が放たれる。それは障壁でもある魔法陣を次々と砕いていくが、新たに生成される魔法陣により魔導書までは届かない。それどころか魔法陣の生成に破壊が追い付かないほど。


「今の状態ですと、片手間ではこれが限界ですか」


 攻撃に専念すれば魔導書を破壊できるだろう。しかし、その間に降り注ぐ流星群は高天原とその周辺を破壊し尽くしても余りある。

 かといってこのまま魔導書のエネルギー切れを狙うのも良くない。男の前では虚勢を張っていたが、裏技を用いたシイが表に出ていられる時間は短い。正直、既に眠気がきている。

 もしも意識を返してしまえばエトが目覚めるまで十秒はかかるはず。今この状況でその隙は致命的だ。エトはともかく他の者の命はないだろう。

 この際、多少の犠牲は無視して高天原の一部ごと転移してしまおうかとシイは考え始める。

 そんな時、ナルカミとサイバネが彼女の元へ集まってきた。


「これはどういう状況? やばいことは分かるけど」

「皆さん丁度いい所に。あの魔導書の破壊に協力して下さい。ずっとこの態勢を続けるのは中々辛いので」


 シイは右腕を掲げ、左腕を前に突き出したポーズをとったまま声を上げる。


「成程。見るからにあれが元凶だな。疑問はあるが、委細承知した」


 雷槍と熱線が魔導書に向けて放たれる。

 即座に戦闘を開始したナルカミとサイバネの切り替えはさすがの早さであった。

 

「お主ら、少しは話を聞いたらどうだ?」


 そんな中、テンコをフジに任せたアマツも白龍と共にやってくる。


「おや? アマツ様まで来て頂けるとは僥倖です。話しても構いませんけど、その間に庇いきれなくなっても知りませんよ?」

「それは困るな。というかまたシイに戻ったのか。まあ、よい。どうすればいい? 自慢ではないが余に連携がとれると思わぬことだ」

「そうですね。少し力を拝借するのでじっとしていて下さい」

「む? それは一体」

 

 不意にシイの正面へ転移させられたアマツはその唇を奪われてしまった。


「むぐぅ!?」


 シイの接吻を受けて驚愕に見開かれたアマツの瞳がだんだんと虚ろになっていき、彼女の召喚獣である白龍の消失と共に瞼が落ちる。そして、落下を始めた彼女の体をするりと伸びたシイの尻尾が掴んだ。

 その尻尾は龍のようであり、シイの頭からは二本の角が新たに生えていた。


『強制憑依融合・天蝕龍仙女』


「なんだかフウちゃんのような姿になってしまいましたね。それにしてもさすがの潜在能力。返すのが惜しいくらいです」


 他人の召喚獣の吸収。エトの体質を利用した獣化の応用である。

 本来であれば負荷で肉体が崩壊するか、己の召喚獣と干渉を起こして人型キメラのようになってしまいかねない外法。

 しかし、シイは十二の召喚獣を重ねてもあまり問題の無いエトという器を用いることでそれらの懸念点を払拭。互いの呼気を通じたアマツを術で操り、彼女の召喚獣を己に降ろさせることでそれを成した。


「あのさぁ! 緊急事態なんじゃないの!?」

「アマツは無事なのだろうか!?」


 シイと異なりナルカミとサイバネの攻撃では障壁を割るのに時間がかかる。その結果、障壁の防衛機構の発動を許してしまい、攻撃の一部が乱反射されていた。二人は周辺の被害を抑えるために、必死でそれを防ぎながら攻撃を続けていたのだ。

 一方で反射された攻撃がすり抜けていくシイはアマツに当たりそうな攻撃だけ勾玉で弾いていたが、今では尻尾を振って彼女に当たらないようにしている。

勢いよく上下左右へ振られるアマツは気を失いながらも気持ち悪そうだ。


「大丈夫です。この状態であればすぐに片をつけられます。お二人も後先考えず全力で攻撃して下さい」

「はぁ、了解」「承知」


 シイは大きく口を開けて周囲の空間ごと大気を吸い込んだ。

 そして、圧縮された空間は圧力により超高温となった大気中の物質と共に指向性を持たされ、龍の息吹となって魔導書へとぶつけられる。

 加えて更なる力を手にしたことで勾玉による攻撃も密度を増していき、魔導書の障壁が目に見えて数を減らしていく。


『雷轟渦槍』

『収束滅尽波動砲』


 そこへ放たれるのはフジとの模擬戦で火力不足を痛感した二人が新たに編み出した貫通力重視の一撃。螺旋を描きながら被雷する雷の槍と限界まで収束された熱線が残り少ない障壁に突き刺さる。

 一瞬の拮抗の末に障壁は砕け、交差する三つの力に呑み込まれた魔導書は跡形もなく消滅した。隕石も消え去り、星空から一転して太陽が顔を出す。

 急な日差しに三人は目を細めた。


「ふぅ、なんとかなりましたね。では二人共、エトに意識を返すので後は頼みます」

「「えっ?」」


 龍の角と尻尾をなくしたシイは意識を失い、アマツと共に落下し始める。ナルカミとサイバネは慌てて二人の体を受け止め、顔を見合わせて苦笑した。





「チッ、壊されたか。まったく、あいつは女の趣味が悪過ぎる!」


 置いてきた魔導書に挟んでいた栞が燃え尽きたことを確認したアマノエは舌打ちをした。


「しかし、あの程度で殺せるとは思っていなかったが、存外時間がかかったな。封印が解けたとはいえ、あちらも万全に復活したというわけでもないのか?」

「盟主様、そろそろお時間になります」

「そうか」


 私事はここまで。助手の声で思考を切り替えたアマノエは円卓の間に転移する。

 そこでは彼自らゾディアーク紋章サインを付与した十三人の幹部達が円卓の席に着いていた。その中には気怠そうな白衣の男や、その隣で彼を睨むスピカの姿もある。


「待たせたな。早速本題に入ろう」


 アマノエが席に着くと円卓の中央から星図らしき映像が投影される。


「今日お前たちを招集したのは我が先日観測した星の終わりについて情報を共有するためだ」


 幹部たちの間に驚きはないが緊張が走る。いよいよその時が迫って来たのだと。


「以前の会合でも言ったが、改めて言わせてもらう。手段は問わん。何が何でも終焉を迎える前に結果を出せ。それが我々ゾディアークの使命である」


 映し出された映像では一つの星が光と闇に呑まれる様が克明に記録されていた。

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