第10話 賢妃

 腰を抜かしその場に座り込んでしまった灯翠ヒスイと、幽鬼の存在を完全否定する飛龍フェイロンのふたりは龍望ロンワン皇帝の次の言葉を固唾かたずを飲んで待っていた。



「実はだな……彼女は鈴麗リンリーの双子の妹で名を鈴凛リンリンという。手先が器用だということで妃候補ではなく尚功局で刺繍ししゅうを担当する女官となったそうだ。いくら顔の広い飛龍であっても一般の女官とあっては知らぬのも無理はなかろう」


「それにしてもよく似ておられます。瓜二うりふたつです」

「……なら、幽鬼とかの類じゃないんだなっ」


 頷き関心する飛龍。

 頷き安心する灯翠。


「その驚きかたを見るかぎり、すでに鈴麗の遺体を見つけているようだな。そういえばお主、幽鬼の類は信じていなかったのではなかったか?」


「そ、それは……」


 灯翠が口籠くちごもる。


 それを見て、すかさず飛龍がする。恐怖心を隠すためわざと強がっていたことを龍望皇帝に伝えたのだった。


「フフッ。そうであったか」


 冷徹王との異名を持つ龍望皇帝は、口元に拳をあて、笑いを堪える。と同時に、なにかを思案する表情をも浮かべていた。


「そ、そんなことより、地下にはだな……通路があって……」


 耳まで真っ赤にした灯翠が、恥ずかしさに耐えきれなくなり、これまでの経緯を、たどたどしくではあるが説明し誤魔化そうとする。



 そんなふたりのやりとりを複雑な心境で眺める飛龍。実は彼、灯翠を賢妃の座につかせるため、わざと幽鬼の類が苦手であることを伝えたのだ。被虐性欲マゾヒストな灯翠と加虐性欲サディズムな龍望皇帝の相性を考えての作戦だった――彼の作戦は見事成功したのだったが、その心境はやはり複雑だった。



「よいよい。説明せずともその辺はすでにわかっている」

 

 龍望皇帝は手を左右に振り、灯翠の話を中断させると、鈴凛の持つ白地に水色の縁取りが施された狐の仮面を指差した。


「すでに謎は解かれている。鈴麗を殺害した犯人は、美玉メイユー。余は必ず探し出し、その罪をつぐなわせる」


「ちなみに証拠とかはあるのか?」


 灯翠の質問に対し、迷わず広間の端に置かれた一番大きな扶手椅ふしゅいを指差す。


「あそこに血痕けっこんがついておるだろう!」

「うん。たしかにそうだけど……」


 それは先ほど、灯翠が不自然に巻きつけられていた黒い布をぎ取ったことで現れた血痕だ。


(これじゃ、まるで目撃者じゃないか!)


 口を開けたまま驚く灯翠。


「驚いているようだな。実はあの仮面の目の部分に貼ってある水色の薄膜フィルムを通して見ると、幽鬼の類、つまりこの世に未練を残し亡くなった者をいちどだけ見ることができるのだ」




 ――数刻前、延命えんめい宮をあとにした龍望皇帝と鈴凛のふたりは、この不思議な狐の仮面の力を使い、雷鳴宮の門の前で鈴麗の姿を見ていたのだった。すでに龍望皇帝はその力を使っていたので、仮面を被ったのは鈴凛のほうだった。双子の姉妹ということもあってか、より深く鈴麗の魂に触れることができ、会話まですることができた。


 その会話で、から真実が伝えられたのだった。


 美玉の策にまり、金のくしを盗んだ濡れ衣を着せられた鈴麗は、侍女たちに取り囲まれ、それでも抵抗を続けたため、美玉によって強く突き飛ばされた。そのとき、運悪く扶手椅の鋭く尖った角の部分に頭を強く打ちつけ、それが原因で亡くなった。そのあと、地下通路の奥に運ばれ放置されたのだそうだ――。




 鈴凛が一歩前にでると、頭を深々と下げた。


「最後に姉は、おふたりにとむらってもらえたことを感謝しておりました。私からも深くお礼を申しげます。行方不明となっていた姉を発見し、丁重に扱っていただき本当にありがとうございました」


 すでに仮面の能力を疑う者はいなかった。


 幽鬼の類が実在することの当たりにした灯翠は、「ははは、どういたしまして」と引きつった笑顔を見せ、にいた龍望皇帝の腕につかまり立ち上がったのだった。


「あっ」

「あっ」


 龍望皇帝の蕁麻疹じんましんの件を知る飛龍と鈴凛の声が被った――実は灯翠、にいた飛龍の腕につかまり立ち上がろうとして、うっかり間違えてしまったのだ。



 事態の重大さを知るふたりが、不安そうな表情で龍望皇帝を見つめ続ける。しかし、いつまで経っても蕁麻疹が現れることはなかった。そして、一番驚いたのは龍望皇帝本人だった。目を大きく見開き、自身の腕や肩、手の平までの隅々を確認すると最後にニヤリと不敵な笑みを見せたのだった。



(嫌な予感がする……)



「孔鈴凛よ。本日只今をもって尚功局から雷鳴宮の侍女に任命する。姉とともに皇后の座を目指すことはもう叶わぬ夢となってしまったが、この宮の新たな主とともにこの国の繁栄に貢献するがよい」


「かしこまりました」


 賢い鈴凛はすべてを察して深々と頭を下げた。


 

「飛龍も同様だ。この宮の新たな主の教育係り兼世話役としその力を遺憾なく発揮せよ。余の決断に未練はないか?」


「はっ!!」


 飛龍もまたすべてを察し、その場にひざまずいた。


(どうしたんだ急にかしこまって……)



「陶灯翠」


「な、なんだ? ですか?」


 相変わらず敬語を間違える。

 細かいことは気にせず話を続ける龍望皇帝だった。


「お主を賢妃に任命する。そして、この雷鳴宮の正式なあるじとし、侍女の孔鈴凛、専属宦官の飛龍とともに皇后の座を目指すがよい!」


(わたしが賢妃?)


 龍望皇帝が灯翠の耳元に顔を寄せる。

 

「それともうひとつ。余の女性過敏症アレルギーの改善にも期待しておる。それにだ、余は貴妃の夕霧シーウーが苦手なのだ。その辺のところを含めて期待しているぞ」



 灯翠は、あまりにも情報が一気いっきに流れ込み、なにがなんだわけが分からず、頭を抱えてしまった。



「よろしくお願い致します。トウ賢妃様」


 跪く鈴凛。


(ん? わたしのことなんだよね)


「こちらこそ。侍女頭としてよろしくお願いします」


 頭を抱えながら視線だけを鈴凛に向け挨拶を返した。


滅相めっそうもないです。私のような新参者が……」


「えっ、でもわたしには侍女はあなたひとりしかいないからっ」


 飛龍が鈴凛の肩に手を添え頷き促す。

 鈴凛には了承するしか選択肢がなかった。



「それでは、ひとつお願いがあります。今後、私を鈴凛ではなくと呼んでいただけないでしょうか?」



「????」


「すみません言葉足らずでした。正直に申し上げます。実は、姉の方が私より圧倒的に優秀で、皆にも好かれていました。それに加え、孔家の中で一番の人望と人脈を持っています。幸いなことに、この後宮内で姉の死を知る者はほとんどいません。ですので、私が姉に、陶賢妃様を全力で援助させていただきたいのです」


「それは面白い提案だ。田舎出身のどこの馬の骨かもわからぬ者が、賢妃として最有力候補だった凛麗を侍女頭に従えたと知れば皆もきっと驚くことだろう。余も協力するぞ」


 灯翠を置いてきぼりにして、話はどんどんと進んでいったのだった。


 龍望皇帝は姉を失った鈴凛に生きる希望を与えたのだ。そしてなんども説得された飛龍の希望にも答えた。さらに、龍望皇帝もまた女性過敏症アレルギーに悩み、貴妃を苦手としていた。そう、これは全員に利益のある最良な選択だったのだ。




 雷鳴宮の仮住まいを命じられた初日にして、灯翠は正式なこの宮のあるじとなり四夫人のひとり賢妃に任命されたのだった。そしてこの日の晩、地下通路から鈴麗妃候補の遺体が極秘に運ばれ、つつましくではあるが葬儀が行われたのだった。

 

 その後、飛龍から龍望皇帝に雷鳴宮と冷厳宮が地下通路で繋がっていること、さらにその通路から後宮の外へと抜け出せる道があることが報告された。



 これですべてが解決した。



 雷鳴宮に現われる風花フォンファ賢妃の幽鬼話は、鈴麗の遺体を隠すため犯人である美玉が流したまったくのデタラメな噂話だった。冷厳宮に現われる正体不明の幽鬼話は、濡れ衣を着せられた上級妃を後宮から逃がすため龍輝ロンフゥイ皇帝が流した愛情の込められた噂話だった。一方は宮に近づけないための噂話で、もう一方は宮から逃がすための噂話だったというわけだ。結局どちらの噂話にも幽鬼の類は存在しなかったが、雷鳴宮には確実に鈴麗の幽鬼が存在し、事件解決に一役買ったのだった。




◇◇◇




 女は被っていた紅色の狐の仮面を取ると、それを机の上に丁寧に置き、「フゥー」とため息をいた。


龍雨ロンユーはいるか?」

「どうかなさいましたか?」


「今晩中に、この宮に繋がる地下通路をふさぎなさいっ」


「それですと、今後の活動に支障をきたす可能性がありますがよろしいので?」


「こちらの干渉を疑われるよりはましですっ」

「はっ! では早速、対処いたします」


 男が地下通路へと向かった。


「どうやら、まだ安心はできぬようだ……」



 女は独り言をつぶやいた。



 実は、雷鳴宮でのやりとりを一部始終見ていた者がいたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る