第9話 ふたつの真実!

 ――ときは数刻前に戻る――。



 上級宦官でもある飛龍フェイロンは、灯翠ヒスイとの朝餉あさげを終えると、龍望ロンワン皇帝の住まう延命えんめい宮に真っ先に向かった。

  

 すべての事情を知るリン宦官長によって執務室へと案内される飛龍。金色の調度品が所狭しと置かれた豪華絢爛ごうかけんらんなその部屋で、極秘の話し合いが行われたのだった。


「美味い茶が手に入ったので、まずは一緒に飲むとしましょう。龍飛ロンフェイ兄上!」


「わたしに敬語は禁止です。それと、その名は二度と口に出さぬようにお願い致します」


 首を、横に振り椅子に座る飛龍。紫檀したんの机を挟み、ふたりが向かい合うと、その場に用意されていた茶をゆっくりとすすった。


「たしかに美味い!」

「だろっ!」



 実は彼、この国の第1皇子男なのだ。過去に第2皇子の陰謀にはまりその地位は失っている。龍玄ロンシュェン皇帝暗殺の濡れ衣を着せられ死罪となるはずだったところを現皇帝で第3皇子の龍望によって救われた過去があるのだ。


 当時、龍望は第2皇子の陰謀の証拠をつかむと無情にもかかわりを持つ全員の死罪を要求した。龍玄皇帝はこのときの龍望の熱き行動力と、冷徹な判断力こそ皇帝に必要な資質ととらえ、自身の後継者とすることを決めたのだ。一方、龍飛はというと死罪こそ取り消されたものの、兄弟すらまとめられぬ愚か者とののしられた挙句あげく宦官として龍望を陰から支えるよう命令されたのだった。


 それが今から1年ほど前のできごと。


 飛龍が宦官であるにもかかわらず、筋肉質で男らしいのは、腐刑ふけいを受けたのがすでに成人した後だったからなのだ。



「四夫人の件、もういちどお考え直しいただけないでしょうか?」


「やはりその話になるのだな」


 実のところ貴妃・淑妃・徳妃の3名はすでに決まっている。


「飛龍は残るひと枠を、孔鈴麗コウリンリーではなく陶灯翠トウヒスイにせよと申すのだな」


「はい!」


「どうしてそこまであの女に執着する?」


「占いにあった乙女だからという理由だけではありません。ただ、上手くは説明できないのですが、彼女はほかの妃候補とは根本的になにかが違うように思うのです」


「ほほう。ひょっとしてれたか?」


「灯翠の教育担当を任されてからひと月以上が経ちました。正直なところ、徐々にかれているのは間違いない事実です!」


 龍望皇帝はからかうつもりで言ったのだが、飛龍は真っすぐ前を見つめ真剣な眼差しで答えた。


「鈴麗様を賢妃に任命されたときは、わたしと灯翠との縁談を陛下にまとめていただきたいと思っています。勿論もちろん、灯翠を賢妃に任命されたときは、わたしはきっぱりあきらめます」


「……そなたの気持ちはしかと受け取った。ただ、どうするかは少し考えさせてくれないか……」


「はい。じっくりお考えください」


 話は終わったとばかりに席を立つ飛龍。


「ところで雷鳴宮の問題は解決できそうか?」


「はい。本日中に解決して見せます。これより噂話の出どころを調査致しますので、これにて失礼させていただきます」



 飛龍は自信満々の笑みを見せ、執務室を出たのだった。




◇◇◇




「失礼致します!」


 飛龍が去ったあと、別の者が林宦官長に案内され執務室に入ってきた。尚功局に頼んでいた寝間着の刺繍ししゅうがようやく完成したとの報告を受け、早急に持ってくるよう命令したからだった。


「依頼の品でございます。どうぞ、ご確認ください」


 尚功局の女官が終始頭を下げたまま、依頼された品を献上する。


「刺繍を施した本人が持ってくるよう命令したはずだが……」


「はい。私で間違いありません」


「声が若いな」


「後宮に来てまだ日の浅い新入りです。ハク長官に手先が器用であることを買われ指名を受けました」


「そうか。わかっておるだろうが、すでに二度やり直しをさせている。お主のでき次第では長官の首が飛ぶものと思え!」


 非情な態度を見せた後、寝間着を受け取り、刺繍の部分に手をあて仕上がり具合を確認する。

 

 静まり返る執務室。


 寝間着には見事なまでの4本爪の龍の刺繍が施され、虹色の輝きを放っていた。


「気に入ったぞ。構図も余の好みだ」


「お褒めいただきありがとうございます」


 顔を下げたまま一礼する。


「ところで、このような虹色の糸は初めて見たぞ」


「はい。こちらは私が後宮に仕える際、実家から持参した糸になります。東方の島国にて入手可能と聞き及んでおります」


「うむ。ではその情報料も含めたところで、お主には褒美ほうびつかわす。受け取るがよい」


 紫檀の机の上に置かれた銀子ぎんすの入った箱を手渡す。女官はそれを受け取るため、ゆっくりと――箱を落とし動揺を見せる龍望皇帝だった。


「どうして……死んだ者が……」


「死んだ? 陛下はなにを言っておいでですか?」


 女官が首を傾げる。

 その表情は疑えば疑うほど怪しく見えた。


「孔鈴麗はすでに死んでおる。お主、なに者だ!」


 懐刀を抜き、その切っ先を女官に突きつけた。


「私の名は孔鈴凛コウリンリン。鈴麗は私の双子の姉です」


 鈴凛は、刀を持つ龍望皇帝の手に両手を添え、自ら進んで喉元に刀の先を押し当てた。にじんだ血が刀の刃を伝う。


「信じていただけないのなら、今、この場で殺していただいて結構です」


 凛とした声だった。

 しかし、それとは裏腹にその手は震えていた。


「……どうやら怖い思いをさせてしまったようだな。ただ、これも皇帝の務めなのだ」


「お察し致します。他人を信用ばかりしていましたら命がいくつあっても足りませんので」



 龍望皇帝は抜いた刀をさやに戻すと、机の抽斗ひきだしから、白地に水色の縁取りが施された狐の仮面を取りだしたのだった。



「陛下、大丈夫ですか?」


「なにがだ?」


 龍望皇帝の体中に蕁麻疹じんましんが現れていた。

 鈴凛が心配そうにその赤い発疹ほっしんを指差す。


「ああ。これか。余はなぜか女性に触れられるとこうなるのだ。少し時間が経てば元に戻るので心配ない」


「だとしたら私が原因だったのですね。咄嗟とっさとはいえ陛下の手に触れてしまったせいで……すみませんでした」


 申しわけなさそうに頭を下げる。


「気にするな。あれは事故のようなものだった。それよりも、このことは他言せぬように」


 鈴凛が静かに頷く。


「余の知っていることはすべて話そう。だがその前に、まずはお主の素性を聞かせてくれ」


「はい。すべてお話致いたします」


 鈴凛は箱から飛び出した銀子を元に戻し、脇に置き直した。


「陛下は孔秀英コウシュインをご存じですか?」


勿論もちろんだ。幼少のころ世話になった」


 鈴凛が安堵あんどの表情を見せる。


「秀英は私の叔父です。すでに隠居の身ですが、私たち姉妹は叔父の指示で後宮に入りました。万人受けする姉が妃候補として、手先の器用な私が女官として。すべてはこの国の繁栄に貢献するためです」


「なるほど。あの者は昔から忠義が厚く信頼できた。だからこそ、その恩義に応えるためにも余は鈴麗を賢妃にと考えていたのだが、それなのに……」


「陛下、教えてください。姉の身にいったいなにが起きたのですか?」


 龍望皇帝が大きく息を吐く。


「結論から言おう。孔鈴麗はすでに亡くなっておる。行方不明の知らせを余が受けたのが今から10日ほど前のことだった。ただし、遺体は見つかっていない。後宮内を隈なく捜索させてはいるが未だ発見には至っていない」


「遺体が見つかっていないのに、どうして亡くなったと判断できたのですか?」


「それはだな……」


 狐の仮面が鈴凛に渡された。


「この仮面はいちどだけ死者の魂に触れることができる代物なのだ。余が鈴麗の魂に触れたのは雷鳴宮だった。地面を指差す彼女の姿が見えたのだ」


「そ、そんな……」


「今は信頼できる部下に事情を伝えずに雷鳴宮の捜索をさせている。ただ、お主ほど近しい者ならば、他になにか新たな情報が得られるやも知れん。雷鳴宮に行く覚悟はあるか?」


「はい!」


 凛とした声だった。

 決意に満ちた表情とともに、その手は固く握られていた。

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