第64話:ブラックハッカー

  2029年8月31日 


「こうしてみんなと一緒に朝日を見るのも、今日で最後になるんだよね」

 報極寺の縁側に腰掛けながら、わたしは感傷的な気持ちを抑えきれずにいた。


 境内に伸びる葉から、朝露がぽたりと落ちる。

 また一粒、寂しさの雫が、胸に染み入る。


 エリーもこくりと頷く。

「ほんと、夢みたいな1カ月だった……」


 いよいよ、神剣奉納祭本番当日。

 そして、これが終われば、それぞれが国に帰ってしまう。


 エリーはイギリスに、夢華は中国に、ミゲーラはブラジルに、ソジュンは韓国に、そしてアレクはスペインに。今日の儀式を終え次第、それぞれの祖国に戻ることは、既に政府レベルの合意になっているらしい。


「本当は、日本に留まりたかったんだけどね」

 そう、エリーは呟く。

「でも、『この脳波技術を広めることが、貴族としてのノブレス責務オブリージュだ』って、お父様からも言われてるしね……」


「のぶれす・おぶ・・・・・?」


 サラがすかさず解説してくれる。

「“特権を持つ者の義務”っていう、フランス語だよ。フランスをはじめとするヨーロッパ諸国では、歴史上、長らく貴族が特権を握っていたからこそ、彼らが力を持たない者を助けるべきって考え方なんだ」


 そうだ。

 エリーは数百年続く貴族の末裔なんだ。


 政治体制は民主政治に移行したとはいえ、イギリスにはまだ王室が存在している。

 ”ノブレスオブリージュ”は、比喩でもなんでもなく、まさに貴族として責務なんだろう。


スペインこっちも似たようなもんだよ」

 アレクが会話に加わる。


「中には、”大航海時代をもう一度”なんて、息巻いている政治家連中さえいる」


 ――あ、それながら高校の授業でやったのを覚えている。

 コロンブスに始まり、様々な冒険者が海を渡って、アメリカ大陸を発見し、莫大な富をスペインにもたらしたってやつだ。


 ソジュンも言う。

「ま、基礎技術は全世界に公開するとしても、僕たちのレベルで脳波を操れる人材は、そう簡単には現れないだろうからね。しばらくは、”育成ゲーム”三昧になりそうだよ」


 三式島と報極寺での血を吐くような修行を経て、わたしたちは脳波伝達率はほとんど100%に達している。ゾーンへの入り方が判明したとはいえ、実際にそのレベルに至るためには、個人として修行も必要だろう。


 ミュージシャンとしてのミゲーラが、不服そうにつぶやく。

「ブラジルに戻ったら、全国のライブツアーをしようと思ってたのに、これじゃ、研究所のツアーになりそうだよ」


 ブラジルの人口は2億人を超えて、かつ国土も広い。

 ツアーといっても、相当な期間が必要だ。


 ……でもそれを言ったら、中国の方がよっぽど大変だろう。

 なんせ、人口でいったら、その5倍の14億人以上いるんだから。


 ただ、夢華は「それが何か?」という表情を崩さない。

 だけど、わたしは、ポーカーフェースの裏にながれる感情の揺れが、手に取るように分かった。


 ――夢華も、さみしいくせに。


 そう口に出すと間違いなく反発されるので、敢えて心の中だけにとどめておく。


 おじいちゃんとの山籠もり修行を経て、わたしたちの感覚はかつてないほど鋭敏になっている。


「人も動物も鳥も木も、生きとし生けるものは全て、それぞれに波を発している」

 その言葉の意味が、少しずつ分かってきた。


 このままなら、神剣奉納祭も、滞りなく行えるはずだ。

 そう、


 十萌さんとカイが、正門の方から歩いてくるのが見える。


「警備体制は問題なさそうよ」

 風間首相の指示の下、報極寺周辺は完全な交通規制が敷かれており、一般人は立ち入ることさえできない。更に、報国寺の本堂にもガードマンの姿が並んでいる。


「ドローン攻撃の可能性は?」

 アレクが訊く。


 ――そう。そこがわたしも気になっていたところだ。


 敵は、三式島ではトンボ型、報極寺でも鳥型ドローンを使ってきた。

 いかに人で固めたところで、空まで防御するのは不可能のように思える。


「そこは、電波妨害ジャミングで対応する。今日のデジタル戦は、俺に任せてくれていい」


 サラがこっそり教えてくれる。

「ジャミングっていうのは、ドローンの信号を伝播妨害することで、操作を無力化する方法のことだよ」


「じゃ、サイバーアタック対策も、カイさんが指揮するんだ」

 ソジュンが興奮し始める。

「神剣奉納祭がなければ、となりで作戦オペレーションを見ていたいくらいだよ」


 普段から自信満々で生意気なソジュンも、カイにだけは尊敬の姿勢を崩さない。


 その理由を聞くと、ソジュンは憧憬の眼差しで答える。


カイは、レジェンド級ハッカーなんだ。世界のトップ3に入るね。この世界で、スカル、ファントム、そしてカイ・ローゼンバーグの3人を知らない人なんていないよ」


――正直、カイ以外、誰も知らない。

というか、ハッカーの世界のヒーローを知っている人がどれだけいるのだろうか……。


「そもそも、ハッカーって悪い奴じゃないの?」

 思わず、心の声が口から漏れ出てしまう。


 カイは眉根を寄せている。

 明らかにイラついている表情だ。


「スカルみたいなたちの悪いブラックハッカーと違って、カイはホワイトハッカーなんだ。言わば、正義の味方だよ」

 ソジュンが慌てて擁護する。


「な、なら、懸念してたサイバーテロってやつは、カイがいれば安心ってことね。任せたわよ」

 気まずさを誤魔化すように、カイの背中を叩く。


 だけど、カイは変わらず険しい表情を浮かべ、口をつぐんだままだ。

 代りに、十萌さんが口を開いた。


 実は、今朝、そのブラックハスカルッカーから、こんな宣戦布告のメッセージが届いたの。

『お前たちが隠し持っているものを、根こそぎ奪い去ってやる』

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